6月7日

京都から帰ってきてすぐ寝てしまっていて、目が覚めたらもう2時だ。昨夜、Appleが発表したApple Vision Proのプロモーション映像を見て、4年くらい前の『WIRED』のAR特集の選書企画で『物質と記憶』について短い文章を書いたことを思い出した。そこでは今後のコンピューターはユーザーと同じ知覚世界を共有しつつ、そこに新たな表象を埋め込み行動をサポートするものになるだろう、それはベルクソン的なコンピューターであるというようなことを書いた。プロモーション映像で目を引いたのは、本体を着けた状態でMacBookを見ると即座に接続し、Vision Pro内にラップトップの拡張ディスプレイを表示する場面だ。やはり仕事で使えるのかという視点から見ていたので、これならキーボードも使えるなと思ったが、入力装置の側、つまりキーボードの再発明がともなっていないのならば、視聴覚装置としてしか使い道がないだろう。そのときにはもう朝で、布団に入ってアイマスクを着けながら——だいたい明るくなってから寝るので枕元にアイマスクがある——同じ形だと思った。

投稿日:
カテゴリー: 日記