8月12日

「例えば、もし自然の中に20人の人間が存在するとしたら[……]、なぜ20人の人間が存在するかの理由を挙げるためには一般に人間本性の原因を示すだけでは十分でないのであって、その上さらに、なぜ20人より多くもなく少なくもない人間が存在するかの原因を示すことが必要であろう。各人にはなぜ存在するかの原因が必然的に存しなければならぬのであるから、ところがこの原因は、人間の真の定義が20人という数を含まないゆえに、人間本性のうちに含まれていることはできない。」
スピノザ『エチカ』畠中尚志訳、岩波文庫、上巻45頁

「したがって一人の人間の存在が滅びたとてそのゆえ他の人間の存在が滅びるということはないであろう。しかしもし一人の人間の本質が破壊されて虚偽のものになるということがありうるとしたら、他の人間の本質もまた破壊されるだろう。」
同書、63-64頁

「なぜなら、物が存在していても存在していなくても、我々はその本質に注目するごとに、それが存在も持続も含まないことを発見する。したがってそれらの物の本質は、その存在なり持続なりの原因であることができず、ただ存在することがその本性に属する唯一者たる神のみがこれをなしうるのである。」
同書、69頁

「同じ本性を有する二つの実体は存しえない。ところが多くの人間が存在しうる。ゆえに人間の形相を構成するものは実体の有ではない。」
同書、104頁

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カテゴリー: 日記