8月13日

夜、青森を出た大和田さんがなぜかACACの武田さんを連れて東京に帰っているらしく、明日みんなで遊ぼうと連絡が来る。大和田さんは彼女にすごく感謝していて、青森に来た人たちに東京で会わせたいと思ったらしい。練馬の南インド料理屋でいいかと聞かれてちょっと遠いけどまあいいですよと返す。妻に明日大和田さんと遊ぶことになったと言うと、おとつい帰ってきたところなのにと機嫌が悪くなってしまう。せっかく誘ってもらったからとか、武田さんには僕もお世話になったからとか、まだ夏休みはいっぱいあるからと言ったり、一緒に行くかと聞いたりするのだが、僕自身そういうことではないのだろうなと思いながらそう言っている。結局罪滅ぼしに(?)食器洗いやゴミ捨てをしているあいだに彼女は寝てしまい、頭のなかが言うべきだった言葉でいっぱいになる。いちばんのオプションは、断ったうえで誘いなんかなかったかのようにすることだ。しかしこれはどちらに対しても不誠実な感じがする、というか、家の中と外を別の世界にしてしまう。次に浮かんだのは、飲み込んでオーケーしてくれれば、僕も飲み込んでオーケーしていることくらいわかるし、それで今度はふたりでどこかに行ったりしようと思うわけで、そういうふうに回っていくのが信頼だし、一日お互い変な感じになるよりずっといいではないかという説得モードの言葉で、しかし会話の中でこの長い文を言うのはあまりに人工的な感じがする。考えはどうしてこんなに遊びに行くのが難しいのかということに移って、それは僕がよく遊ぶ人は突然集まって朝まで喋ったり、何日もよくわからないところに行ったりするからだろうと思う。これも仕事の延長だから、と言ってしまえばいいのか? それほどつまらないことはない。大和田さんがオープニングトークで司会からあなたの作品は「循環」がテーマになっているように見えると言われ、僕は循環というよりふたつの循環が接触するときの、たとえば炭酸水を嚥下するときの「ゴクリ」という音やある種の痛みの感覚に興味があって作っていると答えていたことを思い出す。誘いなんかなかったかのようにふたつの循環を分断するか、「家庭」と「仕事」のあいだを痛みなしにスイッチするかという二者択一はたしかに欺瞞的だ。僕は最初から、彼女をどう誘うかだけを考えるべきだったのかもしれない。とりあえずこの日記を読んでもらおうと思う。何も言わずに公開するのはよくないし。

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カテゴリー: 日記