8月15日

博論本は最後の章の書きなおしに入っている。青森にいるあいだ思いつく端から直接エディタに文章を書いていて、それが4000字くらい溜まってはいたのだが、ちょっと頼りなく感じていた。数日前に大枠の構想を思いついて、こんどはworkflowyでタイトめのプロットを組んでいる。これまでの章とくらべてもいちばん博論版と異なる内容になりそうだし、これで詰められるところまで詰めるのがよさそうだ。最後の第6章は共通感覚批判、心身二元論、芸術・他者・表現論の大きく分けて三つのテーマを遷移する。三つはそれぞれ能力論、言語論、哲学論(哲学とは何か)と言い換えることもできて、ここまでの章で論じてきたことを別の角度から綜合するものになる。まずは「ポスト構造主義」哲学とは詰まるところ共通感覚批判の哲学なのだと言ったうえで、第1章でドゥルーズの共通感覚批判から出発したことを歴史的に位置づけなおしつつ、『存在論的、郵便的』以降の否定神学批判の論脈を「複数的な超越論性」とは別のしかたで再評価する。それはひとことで言えば有限性の唯物論で、「逆感覚」はネットワークの原理的かつ物理的な不完全性として読み替えられ……

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カテゴリー: 日記