8月21日

PARAで郵便本講読の日。もう6回目のようだ。範囲は第2章第2節で、平倉ゼミで一緒だった三好くんがレジュメを作ってきてくれる。いつも通りキリの良いところまでレジュメを進めてもらって、僕があらためて全体の文脈に位置づけつつ整理して、質問を募ってレジュメ担当者と僕で答えるのを繰り返す。現地とZOOMのハイブリッド開催で、僕はいつもiPadからZOOMに繋いでホワイトボード機能を使って板書し、現地ではそれをプロジェクションしているのだが、今回はiPadを忘れたのでパソコンを繋いでworkflowyで板書してそれを画面共有する。発表を聞きながら話そうと思ったことをメモし、話しながらメモに肉付けしていく。このやりかただと結果的にふたつめのレジュメができるし、見返したときにホワイトボードよりずっと理解しやすい。板書はすべてworkflowyでいいかもしれないと思った。順番と階層がひとつの動作で変えられるのも話し言葉の冗長性と相性がいい。授業のあと、三好くんがレジュメの作り方について相談してきたので、テクストを切り貼りして議論を再構成するのはもう十分できているので、あとはそれと自分の言葉でパラフレーズしたものを混ぜること、各トピックにタイトルを付けなおすように自分なりに抽象化して文脈を整理することを意識してみるといいと言った。とくに後者について言えば、僕自身書いていてよくそうなるから気付くのだが、郵便本はトピックに引きずられて説明が自己目的的になり、なぜその話をしているのかという説明がスキップされがちなので、あらゆる細部に意味があるという態度と、これは自己目的化した細部だと突き放す態度をふたつ並走させるといいんじゃないかと言った。

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カテゴリー: 日記