10月27日

なかなか連載原稿の書き出しが決まらず苦しんでいた。最初はラトゥールのアクターネットワーク理論とフーコーの言表・権力理論を並べて考えるものにしようと思って、「アクター・ネットワーク理論と理論のオーバーアクト」というタイトルは思いついたのだが、出し抜けにラトゥールの話をするのも論文みたいだし、『社会的なものを組み直す』をぱらぱら辿りなおして時間が過ぎていくだけだった。次に昨日の日記をそのまま書けばいいのだと思い、それで黒嵜さんのサイトの話から日記の話に移って、メタテクストとプレーンテクストの話に繋げようと思ったのだが、日記をずっと書いている場での日記の書き方と原稿での日記の書き方はぜんぜん違うものが要求されるので、それもちょっと書いて挫折した。最後に、「一回休載を挟んだので、二ヶ月ぶりですね。」というワンセンテンスの段落を最初に置いて、前後の号の初稿と校正と刊行がうろこ状に重なりあう連載の時間について書き始めて、これなら上述のトピックのどれにも飛べるなと思った。ドゥルーズはカフカの小説(群)には「入口の多数性の原則」がある、つまりどこから入ってどこから出てもいいと言っていたが、その原則を実現するためにはそのつどこれしかないような書き出しが必要なのだと思う。

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カテゴリー: 日記