12月24日

水炊きを火にかけているあいだ、適当に感想をつぶやきながらM-1を見た。システムより人間が見たいよな、とか、君は誰なのかと問われているんだと、思って舞台に立ってほしいな。せっかくウソつくんだから、とか。実際、一緒に生きていくウソを作ることの楽しさこそが、エンターテイメントだと思う。映画や演劇を見たときに限らず、格闘家でもユーチューバーでも、このひとは「いい役者」だと言うとき意味しているのはそういうことだと思う。演劇まわりのひとを端から見ていてつまらないのは、戯曲が演出が、言葉が身体が場がという、制度論と制作論ばかりで、ひとりの人間が生きていて、舞台に立つことという——カサヴェテス的な——側面が見えてこないことだ。現代美術も似たようなものだ。ウソをつくことをシステムに仮託するか、「私」の名のもとに本当のことを言うか。でも大事なのは、このひとはウソをシステムに預けずに、それと一緒に生きていくんだという信頼だと思う。それがウソでもいいわけだが。

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カテゴリー: 日記