最後の章の最後の節の終わりが見えてきて躁っぽくなっているのか、毎日のように新しい企画を思いついてはそれを頭のなかで転がしている。哲学の店Philoshopy、スタジオ他我、ラジオ/エッセイ/クリティック(REC)、ジョン・カサヴェテス集団、いや、これはたんなる経済的な不安なのかもしれないが。いずれにせよ、悲壮感のない在野でありたいなと思う。
こうして継続的に文章を書いて公開することは、読者それぞれにちょっとずつ依存されることでもある。これを「ちょっとずつ」に留める作文上のテクニックのようなものが、いくつかある気がする。