2月13日

こないだから自分でレクチャーを売る企画をぼんやり考えていて、「Philosophy, for here or to go? 哲学を持ち帰るには」というフレーズを思い浮かぶとともにいろんな具体的なアイデアが出てきて、それを夢中になってworkflowyにメモしていた。まずこのフレーズを企画説明の動画配信タイトルだとして、その台本という体で企画の意図と方向性について書いていく。いつもなにかアイデアが浮かぶときは、自分の境遇や周りの動きから重層決定されるように、ひとつのフレーズがそれをいつどこで誰に向けて言うか、書くかという具体的な状況とセットになって出てくる。哲学はいま、「哲学」と書かれた箱の中に入っているが、その箱から出るとそれはなくなっている。なぜ箱の中に入るのではなく、それを外からいじったり、その箱を持ち歩いたりできないのか。精読か入門的解説かという解像度の操作とは別に、制度や商業構造とくっついたコンテンツあたりのサイズ感の問題があり、哲学はその歴史的な長さ、学知としての深さに寄りかかるあまり、外に張り出しているのは偉そうな看板だけ、持ち帰れるのはぺらぺらのチラシだけで、中身は箱から出られなくなっている。

投稿日:
カテゴリー: 日記