3月7日

腰痛、肩凝り、頭痛、自律神経の失調のアマルガムから博論本初稿提出と同時に抜け出して、やっとメンタル面に気がいくようになったのか、心療内科に行こうと思って、予約していた。歩いてクリニックに向かいながら、本当に行きたいのだろうかと思った。受付でマスクはあるかと聞かれ、ないと思うと言ってバッグを探るとあった。狭い待合の小さい椅子で20問ほどのアンケートがついた問診票に書き込む。診察室は、当然だが他の病院のようにレントゲン写真を挟む板も、シャンプー台のような椅子もなく、白髪を短く刈った太った男の向かいの椅子に、アクリル板を挟んで座った。棋士の加藤一二三やシェフの三國清三のような人懐っこそうな男だ。寝つきが悪いということですが、鬱の傾向がありますねと言われ、そういうつもりじゃないんだけどなと思って、まあそれは性格みたいなものだと思いますと答える。仕事を聞かれ、文章を書いているのだが、締め切り以外に時間の区切りがないので休みらしい休みというものがなく——日記も毎日書いて公開していて、とは言わなかったが——始終頭のなかを言葉が巡っていてなかなか眠れず、そうかと思えば実際机に着いてもなかなか集中できないのだと話す。彼は夜型を矯正したいようだが、そういうことでもないのだと言う。ただ寝ようと思ったときにさっと寝たいのだ。デエビゴという薬を提案される。集中できないのは、どういう理由がありそうかと聞かれる。机に着くと気持ちがざわざわするのだ。だいたいADHDは8歳くらいには決まっていて、そこから高校くらいで落ち着く人は落ち着いて、大人になってまた出る人もいるのだが、どういう子供だったかと聞かれる。小学校のときから宿題はできなかったし、中高は不登校で、大学もろくに行っていなかったが、それでもやりたいことだけやれるように頑張ってきた、それがいまになって、環境と齟齬をきたしているのかもしれない。最後のところは半分ウソで、たんにそろそろ自分の話す番を切り上げるべきだと思ったのだ。あるいはこんな場で自分が自分の生き方を確立してきたことを言うのが恥ずかしくなったのかもしれない。紙を一枚出される。DSMをもとにしたADHDのチェックシートだ。2分で答えてくださいと言われ、チェックして返す。該当する答えが多く「濃厚」ということだったが、思いつく知り合いの誰が答えてもそうなりそうな設問だった。でも、すぐに薬を出して突き放してしまう医者も多いが、うちはある程度様子を見て状況から考えるのだ、コンサータなんて覚醒剤だからね、それにそこまで差し迫った状態でもないでしょう、好きな仕事ができていて、奥さんもいて、と言われる。そうですね、生活に不満はまったくないですと答える。とりあえず2週間デエビゴを飲んでみて、どうすれば薬を飲まずにうまくいくのか考えてみてください、それが宿題ですと言われ、はい、ありがとうございましたと言って別れる。宿題は苦手なのだが。なにか、自分がこれまで守ってきたものを少し明け渡してしまったような、それはそれでいいような、デエビゴ2週間分はその対価としてはあまりにちっぽけなような気がした。

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カテゴリー: 日記