3月30日

暑いくらいの日和で、ドトールで冷たいルイボスティーを頼む。抗いようもなく眠たくなってきたので帰ってすぐにシャワーを浴びた。

案の定連載原稿がまたつっかかっていて、しかしいつもはworkflowyでぽつぽつと2、3行書いて、行間の心許なさに耐えられずすぐにエディターでのベタ打ちに移っていたのだが、今回はworkflowyに留まりながらブロックの立ち上げとその育成を行きつ戻りつ進めて、ある程度の量と密度を作ることができている。

今回は「理論」について書いていて、いまのところのタイトルは「ポジショントーク原論、あるいは「アテンション」時代の理論」になっている。前回が「置き配写真論、あるいは「コンテンツ」時代の芸術作品」なので、それに対応させたかたちだ。アテンションとコンテンツの時代のなかで、理論と作品について考えること。枠組みはまっすぐでとても気に入っているのだけど、その「枠組み感」がかえって窮屈になっていることもたしかだと思う。いやはや。まあ飛び飛びにでも石を置いてみるしかない。

投稿日:
カテゴリー: 日記