1月8日

朝から歯医者に行った。親知らずの抜歯。寝椅子に座ってうがいをして、横になる。歯茎に麻酔の注射を2本ほど打たれた。起きてまたうがいをする。動悸がしてきて、緊張しているのかと思ったが、あとで調べてみたら麻酔にはアドレナリンが入っていて、それで血管が収縮して動悸がすることがあるらしい。寝かされて何かで突っつかれて麻酔が効いているか聞かれる。はい(あい)と言うと先の鈍い器具に持ち替えて抜き始めた。痛みはないが、歯に乗せられる体重が顎の骨に響き、歯の上でガリガリと滑る器具の音が聞こえる。器具がすっぽ抜けてあらぬところに突き刺さったりしないのだろうかと考えていたら起こされた。歯茎が少しかぶさっているところだったのでてっきり切開したり、中で歯を割ったりしてから抜くのだと思っていたら、彼女が上手だからかそのまま抜けたらしい。根元が1センチほどもありそうな長い歯がトレイに転がっている。いるかと聞かれたのでいらないと言った。受付でお金を払うとまたクリーニングをしに来ることになっていて、再来週の土曜日に予約を入れた。帰り道に、でももうそれは日記には書けないんだと思うと、とても寂しい気持ちになった。夜、シャワーを浴びているときに口の中に何かがあるなと思って手に出してみると、トマトの果肉のような血の滲んだ歯茎のかけらで、お湯ですすぐと透明になった。

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1月7日

正月が明けて世間が動き出したのか、連絡がふたつ来て、締め切りがふたつできた。誰かが働くと自分も働くことになる。翻訳をしていて気づいたら夜の10時前で、これからスーパーに行ってご飯を作るのも面倒だなと思ってウーバーイーツを開いた。ピザ屋以外のどのお店にも「近くに配達パートナーがいません」という表示があって、どうやらあれだけいた配達員はみんないなくなってしまったようだ。それにしても配達パートナーとか、ディズニーランドのキャストとか、マックのクルーとか、ネスカフェアンバサダーとか、なんなんだと思いながら近所の焼肉屋に行って焼肉を食べた。

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1月6日

風邪と言っても喉が痛くて鼻水が出るくらいで、キムチ鍋を作って食べてゆっくりお風呂に浸かってたくさん寝たら治った。でも日中はどうにも頭がぼおっとしてここのところ毎日進めていた翻訳に取りかかる気が起きないので『存在と時間』を読み進めた。現存在は要するに、〈可能的なものとして世界に放り込まれて在る他ない存在者〉なのだが、この可能的であること=他でありうることと在る他ないことのあいだのブリッジはどうなっているのか。可能性についてハイデガーは、(1)現存在に固有の範疇としての可能性は、トンカチで釘を打つことが「できる」というような知的に見出される対象化された可能性とは異なると述べ、(2)現存在にとって可能性は、まず何らかの基体が据えられそのうえに可能性が付与されるというようなものではなく、現存在は「根源的に」可能的なのだと述べる。ここから〈可能的に在る他ない〉、つまり現存在には可能性以外の可能性がないという規定が出てくる。だからこそ寄る辺ない「在る」ことは重荷であり、その重荷への直面としての「気分」は世界を開きつつ、当の気分に世界は閉じ込められることになる。気になるのは(1)と(2)の循環関係だ。現存在の可能性が対象的な可能性と異なるのは前者が根源的だからであり、可能性が根源的に備わっているのは現存在が他の存在者と違うからだ、という循環がある。くしくもハイデガーはいわゆる「解釈学的循環」について、「肝心なのは、循環から抜け出すことではなく、当を得た仕方でその中に入っていくことである」(高田珠樹訳229頁)と述べている。「存在するとは別のしかたで」(レヴィナス)ではなく「当を得たしかたで存在へ」ということなのだが、それにしてもなぜこの場合「当を得る」ために可能性が賭け金にならなければならないのか。

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1月5日

見事に風邪をうつされた。ちょっと喉に違和感があるくらいなので大丈夫だけど。ついでに昨日のオマケとしてちょっと書いておこう。ウィリアム・モリスのlesser artsは、日本では小芸術と訳されているようだが、どうにも座りの悪い訳語だなと思う。この場合レッサーであるというのは「小さい」とか「些細だ」ということではなく、めちゃめちゃ憶測だが、「非−全面的」あるいは「非−自己充足的」であることを意味するのだと思う。だからレッサー・アートは「片手間芸術」と訳されるべきだと思う。たとえ装飾的なもの、工芸的なものがひとつのプロフェッションとして固定されているとしても、物作りの世俗性に向き合うことはその「片手間性」に向き合うことと同じだ。「片」も「レッサー」も部分的なものというより全体からの剥離を指し示している。昨日日記もレッサー・アートだと書いたが、それは多少とも煩雑な生活のなかで、あくまで片手間に、当の生活から剥離する切片を書き留めているからだ。片手間であるということが可能にする内在性がある。そういえばイベントフルネスよりイベント「レス」ネスがこの日記では大事なんだと以前から言っていた。問題は「芸術」は手放さなくていいのかということだが、これはそれを残すことによる批判的な機能に期待してそのままでいいということにしておく。芸術などではございませんというアイロニカルなへり下りだと思われるのも癪だし。

チャイムが鳴って、インターホンの画面を見ると以前も来た分譲マンションの営業の人だった。そのときは知らずに受けて、引っ越したばかりなのでいらないと言うと、もしかしてまだ段ボールに荷物が入ったままなんじゃないですか(そのまますぐ引っ越せますよということだ)とか言ってきてウザかったので放っておいた。スーツを着てバインダーを抱えた男が立っている。カメラ、マイク、テンキーが縦に並んだ非人間的なパネルの前で所在なさ気に立っている。しばらく見ていたらカメラに向かってお辞儀をして帰っていった。なんだっていいのだ。

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1月4日

夜はスーパーでカンパチとシマアジの刺身のパックを買って、豚汁を作って食べた。彼女が3日ほど前から風邪を引いていて、せっかくの休みなのにと悔しがっている。いつだったかのクリスマスも熱を出して、夜間の診療に付き添って行くと、桜木町の交差点でみなとみらいのほうに向かうカップルを見て悔しいと言って泣いていた。正月なら泣くほど悔しくはないようだ。

ところで身近な人について日記で書くことについて、いまだに方針を決めあぐねている。方針を決めて書くようなことでもないのでその場その場でやるしかないのだが、書かなさすぎると嘘だし、書きすぎると生活に跳ね返ってくる。生活から離陸してしまうとただの孤高ぶった思索メモになるし、コミュニカティブでイベントフルなものとして日常を書くとそれは当の日常と正のフィードバックの関係に入ってしまって疲れる。要はいずれの場合も恐れているのは、カッコつけ始めると引っ込みがつかなくなるのではないかということだ。それで誰かのことについて書くときも、全人格的に物語ろうとするのでもなく「キャラ」として配置しようとするのでもなく、断片的に、いわば0.5人分の存在として書くことになる。そう言えばlesser artsという言葉があるが、日記もレッサー・アートかもしれない。

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1月3日

昼寝が長くなって、朝方まで起きて翻訳をしていた。ようやく80ページくらいある担当箇所の60ページほどが終わった。なんだかとても長かった。とくに他に急ぐ仕事もないのでこの勢いで初稿を仕上げたい。こういう機会でなければ一文一文訳しながら読むこともないし、学部のときの講読を思い出す。思い出すと言っても何か特定の出来事が想起されるわけではなくて、そういう感じだということで、最近そういう気持ちになることが増えたような気がする。昔聴いていたけど何かの拍子に処分していたアルバムのCDを買いなおしたり、YouTubeで日韓ワールドカップやドイツワールドカップあたりの頃の選手が話している動画を見たり。まあこれもある種の帰省なんだと思ってそろそろ切り上げたい。家にばかりいるとともすると昔取れなかった杵柄みたいなもので自分を囲んでしまう。過去を救うというのはそういうことじゃない。

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1月2日

この日記のエディタを開くたびに、また手ぶらで来てしまったと思う。これはそれでいいんだと自分を納得させながら昨日のことを思い出したり、溜めているメモを見たりする。それでも今日は何も思いつかないので、せっかく正月だし今年の抱負でも書いておこう。

今年で30歳になる。それも現実味がないけど、1992年に自分がすでに生まれていたということのほうが奇妙な感じがする。もう膝くらいまで歴史に埋まっているのだ。去年はこの日記と、中くらいの文章四つが主だった仕事で、やってるんだかやってないんだか、一昨年の後半に博論を書いたときの強度(恐怖)に比べれば良くも悪くものんびりした年だった。この日記で生まれて初めて自分は何かをコツコツ続けることができる人間なのだと知って、それは嬉しかったので、今年はそれがもっと大きな仕事に繋がるようにしたい。博論本と、今まで書いたものを集めた本と、「いてもいなくてもよくなること」本と、共訳書と、あとこの日記をもとに何か本を作る企画があるので、どれがいつ出るかはわからないけど、毎日コツコツやっていきたい。

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1月1日

年が明けた。プツプツという音が聞こえて、窓から首を伸ばすとビルの隙間から海のほうで花火が上がっているのが見えた。出版社から年賀状が3枚。こういうのが業務になっているんだと思う。あけましておめでとう。同じ年を越して、同じ新しい年を迎える。あけましておめでとう。僕はコーヒーの飲み過ぎでちょっと胃が気持ち悪いです。去年から始めたこの日記も、もう少しで終わります。背中にこわばりがあるなと思ったら、すっかりストレッチをサボっているからで、それはたんに寒くなってスリッパを脱ぐのが嫌だからだということに気がついて愕然としました。気軽にできることほど気軽にやめてしまいます。そうして日々にわざとらしく凹凸を増やしていくんだと思うとうんざりします。

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12月31日

座談会の後編が夜に公開された。5年10年スパンで大事なことがいろいろ話せたと思うのだけど、大晦日の夜に読んでくれる人も少ないだろうし、また日を置いて宣伝したい。昼からずっと配信チケットを買ったRIZINを見ていて、普段格闘技を見ない彼女も結局最後まで真剣に見ていた。そういえば菊地成孔は『あなたの前の彼女だって、むかしはヒョードルだのミルコだの言っていた筈だ』というゼロ年代のK-1、PRIDEを論じた本を出していたけど、読んでみたら面白いかもしれない。実家では大晦日に格闘技を見る習慣がなかったのでその頃のことについてはアンディ・フグの踵落としとか、ボブ・サップと曙の凡戦とか、断片的な醒めた記憶しかない。さらにそういえば、アンディ・フグが白血病で亡くなったというニュースを聞いたとき、確か新聞を読んだ父がその話をしたのだが、藁がいっぱいに敷かれた馬小屋の写真が新聞に載っていて、白血病になると馬小屋で死ぬんだと思った。没年を確認すると僕が8歳のときだ。藁の上で悶え苦しむアンディ・フグのイメージと白血病という言葉の繋がりが解除されたのはたぶん、『世界の中心で愛を叫ぶ』が流行った、僕が中学に上がった頃くらいだと思う。

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12月30日

座談会の校正をして、前編が夜に公開された。後編は31日の今夜公開される予定。12月に入ったときは仕事もぜんぜんなくて、年末年始を締め切りに追われずに過ごすのなんて4年ぶりくらいじゃないかと思っていたら、座談会が入り、コンサートのレビューが入った。断ってもよいのだけどどちらもやったことのない仕事だったので受けることにした。とくにコンサートのほうは僕の美術批評を読んで頼んでくれたということだったし、そういうジャンルをまたいだ繋がりは大事にしたかった。

おせちを食べる習慣はないが、スーパーも閉まるしある程度日持ちのするものをたくさん作っておいたほうがいいような気がしてローストビーフと筑前煮を作った。

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