2月6日

 大学は山の上にあって、もともとゴルフ場だった場所らしい。たしかにいかにもそういう地形だ。国道1号線のバイパスである横浜新道からスロープが伸びていて、どちらの車線からでも道路を跨がずに正門まで上がることができる。又のところに建てられた看板になんちゃらカントリークラブと書かれていてもぜんぜん違和感がないだろう。

 程ヶ谷カントリー倶楽部という名前で、1923年に開場されたらしい。ウィキペディアに大まかな歴史が書かれているのを見つけた。戦中は東京の空襲を受けて農用地にされそこで米軍捕虜や朝鮮人が働かせられ、戦後やっと復旧しても米軍に接収され、日本人はプレーすることができなかったようだ。クラブハウスは米軍将校の宴会に使われ、彼らの失火により焼失してしまったらしい。

 1964年の移転にともなって横浜国立大学がその土地を購入する。駅に歩いて行くのに使っている、畑を横切って下る狭い道からはゴルフの打ちっぱなし場が見える。打ちっぱなし場は最も好きな建築のひとつだ。とくに夜に、緑色のネットが白い光のなかに浮かび上がっているところがいい。

 小さなボールのためだけの最大限の自由と、打者を一列に釘付けにしゴルフの競技性を骨抜きにする構造が共存している。そこに戦争とか日米関係とかを透かして見るのは、やりすぎなんだろうけど。

投稿日:
カテゴリー: 日記

2月5日

 夏。いつものセブンから出ると、むっとする熱気とともに爆音でヒッピホップが聞こえてきた。目の前に乗り付けたトラックから南米系の男ふたりが降り、入れ替わりで店内に入っていった。荷台には解体された足場が載っている。ひとりは短髪で、もうひとりはジャック・スパロウのように頭にタオルを巻いていた。キーが刺さったまま窓の開けられた車からまだ聞こえてくる音楽を聴きながら信号を待っていた。音楽は地元のものなんだろう。

 今日。同じ信号を待っているときにそのふたりのトラックが通り過ぎて行った気がした。

投稿日:
カテゴリー: 日記

2月4日

 明日が締め切りの事務作業を片付けた。何もなくても頭のなかで何かの推敲をしているので、何であれ書くべきものがあるのは助かると言えば助かるのかもしれない。

 人と比べようがないがいつも、絶えずと言っていいくらいそれが何の文章なのかもわからないまま頭のなかで何かを推敲していて、こないだは「腕によりをかける」と「手塩にかける」が頭のなかで衝突して「腕に塩をかける」になった。いずれにせよ書き物でそんな慣用句を自分が使うことはなさそうなのだけど。

 ちょっとした光景や身振り、音楽、人の声でそれがときおり遮られることに救いを感じていたが、この日記を始めて、少なくともそれが何の推敲でもなくなるということはなくなった、のかもしれない。

 日が延びた。日が延びたと、推敲した。

投稿日:
カテゴリー: 日記

2月3日

 マンション建つの早過ぎ問題に対置されるものとして、駅できるの遅過ぎ問題があるなと思う。こないだ渋谷に停車するときちらっと見たらまだ、たぶんその坂を登ったらデニーズがある桜丘というあたり、2年前くらいに丸ごと更地にされた場所が、まだ何も建っていなかった。郊外でマンションがタケノコみたいにひょこひょこ建って、都心の駅周辺は壊され続け、ステンレスの白い壁や単管、ゴムのマット、普通紙にプリントされラミネートされた矢印や養生テープであふれている。建設の速度と開発の深度、どこにいてもその摩擦のなかに生活があるのはどういう気分なんだろうと、ひとごとのように考えてしまう。

投稿日:
カテゴリー: 日記

2月2日

 マンション建つの早過ぎ問題というものがあるなと思う。建て始めたなと思ったらひと月もしないうちにもうそれっぽいものになっている。10階建以上のものは1年以上かけて建てるべしとか、そういうルールがあるべきだと思う。タワーマンションの空室問題とかも、中国資本がどうこう以前に個々の建築スピードが関わっている気がする。

 周縁の過疎と中心の過密があって、さらに中心の内部に都市のドーナツ化現象が引き起こされるというセオリーは今後どうなるんだろうとふと思った。都市のドーナツ化現象という言葉の語感は好きだ。東京はもともと皇居という穴の開いたドーナツなんだとバルトは言ったけど、今はどこも皇居周りみたいな感じだ。

 あと、何の店に入ってもあるビニールやアクリルの仕切りは汚れが目立つのでやめてほしい。どうしても仕切りがいるのならベニヤや化粧板にしたほうがいい。見通せるということがそんなに大事だろうか。せっかく換気してるんだから、迷路みたいに内側の襞を入り組ませて、外と中の関係のモードを増やして複雑にしてほしい。

投稿日:
カテゴリー: 日記

2月1日

 起きたら午前3時。起き抜けに吸ったら煙草が切れたのでコンビニに行く。台風の前みたいに風が強くて空気が湿っていて、ぜんぜん寒くない。煙草と、たいして飲みたいわけではないがセブンカフェのコーヒーを買う。たいして美味しいわけではないが買ってしまう。セブンのコーヒーはなぜか、飲むといつも車でどこかに行く途中に寄って飲んでいるみたいな気分になる。

 2016年の夏、茨城であった県北芸術祭の準備を手伝いに行っていて、使われていない山奥の民家に1ヶ月間住み込んで、車がないとどこにも行けない地元と似たような場所で、車のないスタッフやアーティストや物を運んだり、会場になる廃校や何かの鍵を開けたり閉めたりしていた。毎日数十キロ走っていて、あのときがいちばん集中的に車の運転をしていた。どんどん飛ばしても誰もいない。そのときも毎晩セブンに寄ってコーヒーを飲んでいた。

 こないだ大和田俊に会ったとき彼が車が欲しいという話をしていた。確かに車で遊ぶ方が楽しいだろうな、特に今はお店もすぐ閉まるしと思った。みんな田舎みたいな遊び方になるのかもしれない。

 学部生の頃はまだ地元の友達としょっちゅう遊んでいた。誰かが親から借りてきた車に乗り合わせて、福山の海岸沿いにある、銭湯と映画館とパチンコ屋とカラオケとボーリング場とフードコートがくっついた、24時間営業の「コロナワールド」によく行っていた。駐車場からは狭い海を挟んで、JFEのコンビナートの煙突から炎が上がっているのが見えた。

 

投稿日:
カテゴリー: 日記

1月31日

 先延ばしにしていた事務作業をいくつか片付けてゲームをして、とんかつを食べて本屋に行ってコメダに行った。

 久々に実家に連絡する。母は仕事の都合で市から出られない状況がまだ続いていて、犬は太り過ぎでヘルニアになったらしい。

 晩ご飯にシチューを作って食べたら強烈に眠くなり、起きたらもう朝だった。お風呂に入ろう。

投稿日:
カテゴリー: 日記

1月30日

「要するに、原因はうまくいかないものにしかないのです」

————ジャック・ラカン『精神分析の四基本概念』

 昼寝をした方がいい日記が書けるのかもしれないと思い、寝てみたら思ったより寝てしまい日付を跨いでいた。

 その日あったことを書くことは、毎日を現在で充填することだ。この場合、起床から就寝までのあいだに食べたものとか会った人とかやった仕事とか何らかのフレームに寄りかかって日々の出来事を圧縮することになる。(いつかまたこの)現在に追いつくための「タグ」。それは日記というより日誌的なものに近づくだろう。この日記は今のところそういうものではなく、日々のスカスカ感、「今日」というものの脆さに寄りかかって書かれている。

 今朝、昨日の日記を書くのに1時間もかかり、そのうえあんまりよく書けなかったのでヘコんでいた。昨日は都内に出て人に会って展示を見てといろいろあったし、とくに展示についてはちゃんと書かなきゃと思ってしまいダメだったんだろう。固有名には雑に扱える角度からアプローチする必要がある。とはいえあんまり何にもないと日記について日記で書くことになってしまう。

投稿日:
カテゴリー: 日記

1月29日

 帰ってきてすぐに寝て、起きたらもう朝だ。ロッテのチョコパイがあったので食べて、コーヒーを淹れる。

 昨日。新宿で降りて代々木まで歩く。山内祥太の「第二のテクスチュア(感触)」へ。待ち合わせていた大和田さんが来ないので先に見て喫茶店で時間を潰す。1時間後に展示を見終えた彼と合流した。馬喰町へ移動して今度は永田康祐の「イート」を見る。大和田さんは二度目だったが付き合ってくれた。

 横浜に帰ってきて駅から出て、耳が痛くなってきたのでマスクを取った。そういえば昨日、ということは一昨日、博論公聴会で使うzoomウェビナーを平倉さんと試してみた。見学者役でさとしゅんと関さんにも来てもらったのだけど、なぜか僕のマイクとスピーカーだけ繋がらない。イヤホンを有線にしたりPC内蔵オーディオにしたりしてもダメで、聞こえないし僕の声も向こうに聞こえていない。あれーとか聞こえますかーとか言いながら「zoom オーディオ 繋がらない」とかググっている自分の顔と、見学者と何か喋っているらしい平倉さんの顔が写っている。結局「オーディオに参加」をクリックしていないだけだった。ビデオ参加とオーディオ参加をどっちも選択しないといけないのは変な感じがする。ビデオのアイコンを押したら声も繋がってほしい。

 山内さんの個展は顔、永田さんの個展は食べたり喋ったりする口、こないだ見た大和田さんと大岩さんの個展はどちらも耳を扱っていた。何か顔周りでいろいろ起きているなと思いながら、疲れていたのでまとめるのは起きてからにしようと寝た。起きたけどたいしてまとまらなかった。

投稿日:
カテゴリー: 日記

1月28日

 そうでなくとも週5日同じところに通って働くことに耐えられそうもないのに、こんな状況で医療の現場で働いている人には本当に頭が下がる思いだ。昨日は世界全体の感染者数が1億人を超え、死者は200万人にものぼるという報道もあった。あらためてとんでもないことだ。

 その後ゆるいみぞれに変わった冷たい雨が、スニーカーに少しずつ染みてくる。冬の雨は空を不気味なほど一様な白にする。子供の頃、父の運転するハイエースの後部座席にだらんと寝転がりながら、サンルーフを開けてそういう空を眺めていた。どこを走ってもその白が窓一面に張り付いている。ハイエースのジェームズ・タレル。本家よりずっと怖い。そのとき空間というものを初めて経験したのかもしれない。ずっと動いているのに、結局のところどこにも行けやしない。

投稿日:
カテゴリー: 日記