4月12日

 昨晩「マシュマロ」という匿名の質問やメッセージを集められるサービスを使ってツイッターで返答した。30通くらい来てびっくりした。それに好きな小説、音楽、映画を聞く質問とか、どれも素朴な質問で面白かった。ひとつくらい賢しらな、要はお前の嫌いな奴を教えろと言っているような、ツイッター適応が行きすぎた質問も来るかなと思っていたんだけどそういうのはぜんぜんなかった。それにしても知らない人からの質問に答えて、個人サイトを立てて日記を書いて、いったい何年前のインターネットをやっているんだろう。この日記をやり始めてすぐ思い出したのは、高校くらいの頃に読んでいたいくつかの全く知らない人がやっているブログだ。そのなかでもイトーさんという人がやっていた、ポストロック、エレクトロニカ、ノイズを紹介するブログはいつも更新を楽しみにしていた。TortoiseのTNTを知ったのはそのブログで、黎明期のyoutubeでライブ映像を見て、HMVの海外盤まとめ買い割引で買った。当時は輸入のCDがいちばん安く音源を手に入れる手段だった。大阪に出てからはK2レコードという日本橋にあるとんでもない(ほんとにとんでもない)品揃えのレンタルCDショップに行って、くらくらしながら一度に20枚くらい借りていた。そうこうしているうちに定点観測するブログもなくなり、音楽はサブスクリプションになった。SNSのおかげで友達はできた。でも何かが失われたわけでもないのかもしれない。失われたと思わせることもプラットフォームのひとつの効果だろう。昨日のやり取りでそういうことを感じた。

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4月11日

 日曜日。日曜日は苦手だ。昼過ぎに起きて、だらだらして、昼寝をして、ご飯を食べて、だらだらして寝る。出かけても人が多いし、家にいても何も捗らない。それにしてもここ1年間、近所の人出が減ったという感覚が全くない。すぐそこにある横浜橋商店街はいつ行っても賑やかだし、特に日曜は珈琲館やコメダに行っても待たないと入れない可能性がある。どちらにいても聞こえてくる会話の半分は外国語だ。中国、韓国、タイ系のお店が多くて黄金町から関内までを東西に貫いているイセザキモール——モールというよりただの商店街だ——周辺は移民街と歓楽街が重ね合わされたような場所になっている。かつての赤線地帯であり違法風俗店が密集していたという大岡川沿いは「浄化」され、その空白を埋める間に合わせのアート系の施設や飲食店が並んでいる。しかしそこから1本南に入ったイセザキモールのさらにひとつ南の裏道には性風俗業界がほとんど派遣型に引っ込んだ今となっては珍しい店舗型の風俗店が1キロ以上に渡って立ち並び、背中を向けた幹線道路側にわざわざ大きい看板を連ねている。通りを横切るとときおりぬるく湿った空気とともに石鹸の匂いが立ち込め、各店舗の前にはキャッチのおじさんが暇そうに立っていて、大量のタオルが入った袋が道端に投げ出されクリーニング業者の回収を待っている。深夜12時を過ぎると店の明かりは消え、イセザキモールから折れてくる帰り道のサラリーマンを目当てにキャッチが薄暗い四つ角にぱらぱらと集まってくる。おおかた派遣型の営業に切り替えて近くのホテル街に誘導しているのだろう。この時間になるとホットゾーンは北側の福富町に切り替わる。いちど桜木町の映画館でレイトショーを見た後歩いて帰るときにそのあたりで「マッサージ」のキャッチをしている中国人女性4人に腕を掴まれ背中を押され力ずくで店に押し込まれそうになった。夏には完全にタガが外れて道端で花火をしている人もいるし、パイ投げ合戦をしているところを通りがって「投げますか」と聞かれたこともある。脇にある薄暗いエリアには24時間営業のJ’s Storeという美味しいタイ料理屋があり、その周りの有料駐車場にはタイ人女性と元締めらしきおじさんがたむろし、不自然に胸の大きい白人がまばらな電灯の下に立って何かを待っている。何を見張っているのかわからないがヤクザの車が、ランプだけつけたパトカーと同じように速度を落として周回している。

 住み始めて4年経つがやはりこの街のことは——道徳的にというより能力的に——まだ書けないという感じがする。日曜日が苦手なのは平日の昼に働きに出ている人が街の風景に加わってこの街のことが余計にわからなくなるからだろう。でも言うまでもなくそれもこの街の事実だ。この珈琲館の目の前にある、イセザキモールに並行する大通り公園ではおじいさんが集まって地べたで将棋を指している。下校する小学生たちの嬌声には日本語と中国語が混ざっている。考えているのはこの街のことであり、同時に、近所とは何かということだ。イセザキモールと大通り公園というふたつの「表」通りを軸に、あみだくじのようにそのあいだをぶらぶらして毎日を過ごしている。いつも何をしているのかと問われれば近所をぶらぶらしていると答えるのがいちばん実情に即している。間違いなくこの街とともにあるが、この街に帰属しているという感じは全くない。この街にいる多くの人がそうなのだろう。ライプニッツは都市の近景と遠景の違いからそれぞれのモナドに乱反射する世界と神の統一的な視点の違いを説明したけど、近所は近景に収めるにはあまりに異質であり、遠景に収めるにはあまりに雑多だ。

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4月10日

 友達の家でご飯をご馳走になって喋っていると遅くなってしまい、終電で横浜駅までしか帰れなかった。タクシー乗り場で前に並んだ若い男の人がいやマジもうそういうメンタルなんでと絞り出すような乾いた声で笑いながら、先輩にたぶん今夜会った女の人とうまくいかなかった、でもぜんぜん大丈夫なんだというような電話をしていた。どんなにダメなデートでもひとりで静かに帰りたいと思う。せっかくタクシーに乗るんだし。

 家を出る前に冷蔵庫に入れておいた、ピンクグレープフルーツフレーバーのペリエを飲む。ここのところずっと近所のまいばすけっとで買ったウィルキンソンのグレープフルーツばかり飲んでいたが、どうせ毎日飲むから箱で買おうとamazonを見ていたら見つけたものだ。いつもの緑のボトルにピンクのキャップが付いているのはどうなんだろうと思うけどとても美味しい。ウィルキンソンは粗くて強い炭酸でフレーバーの苦味も感じるソリッドな飲み口なのだけど、ペリエにはミント的な抜け感がある。あっさりして粒度の高い、砂浜を引く波のような感触だ。翻って思うのはコカコーラのあの、飲んだそばから喉が渇くような甘さと痛覚に達するような強い炭酸は何なのかということだ。コーラ、ウィルキンソン、ペリエ。これは好みの変遷というより拡張で、いまだに折に触れてコーラも飲む。ウィルキンソンまではコーラの代用品という感じだったがペリエまでくると何かひとつの軸ができつつある。塩味とか油分とかいろんな軸が食生活を貫いているが、コーラが教えてくれるのはそれが痛みという軸だということだ。水は痛くないコーラだ、と言うにはまだ至っていないけど。

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4月9日

 昼過ぎに起きる。グラノーラに牛乳を入れて食べる。コーヒーを淹れて日記を書く。2時間くらいかかって2000字も書いてしまった。着替えて近所の珈琲館で、しばらく前に読みかけてそのままにしていたクリプキ『名指しと必然性』を読む。そういえば勁草書房から最近立て続けに出た『プラグマティズムの歩き方』と『プラグマティズムはどこから来て、どこへ行くのか』のブランダムが書いた方が読みたいのだけどどっちがどっちだったか。珈琲館は道路に面した大きい窓があって、その向こうは大きい木の並ぶ公園で、いつもなるべく窓際に座る。もう暗くなり始めていて、気づくと傘をさして歩いている人がいる。帰って洗濯物を取り込む。前の日に買っておいた材料で麻婆茄子を作る。その前にトマトを切って冷やしておく。大蒜、生姜、葱の白いところを刻む。火にかけておいた油に切った茄子を入れてさっと素揚げにする。フライパンで挽肉を炒め醤油と甜麺醤で軽く味をつけてだいたい火が通ったら上げておく。同じフライパンに油を少し足して、大蒜と生姜、豆板醤と唐辛子にゆっくり熱を入れる。挽肉と茄子を入れて鶏ガラスープを加える。味を見ながら刻んだ豆豉と花椒粉を入れて、これでいいなと思ったら火を止めて水溶き片栗粉を入れてよく混ぜる。ふたたび強火にして葱を加えざっと混ぜ、最後に胡麻油を鍋肌に回しかける。ご飯は炊くのが面倒だったのでパックのご飯にした。とても美味しかった。洗い物をしてお風呂に入ってだらだらして寝た。

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4月8日

 言葉と冗長性について。昔から文章の冗長性を下げ過ぎるきらいがある。冗長な文章と言うとたいていそれは不要な繰り返しの多いダメな文章という意味だけど、いい文章は冗長性を上手にコントロールした文章のことだと思う。『アーギュメンツ#2』に佐々木友輔論を書いたとき、平倉さんが「高速でカッコいい」文章だと言ってくれたのをよく覚えている。確かに書いてからしばらく経った後に自分の文章を読み返すと速くてびっくりすることがある。冗長性が下がるのはまず、メタデータ的なもの、つまりなぜ、私が、今、ここで、この文章を書くのかということを書かないことが多いからだ。最初の段落でいきなり「今までこう言われてきたが、実はこうなんだ」みたいなことを言ったり、作品や展示の細かい描写から入ったりと、思い出したように書き始めることが多い。内容に対してメタな宣言文みたいなものを避けたくなってしまう。でもそういうのが逆に読み手に対するフックになるのも短い文章だからで、本単位の文章となると小説でもないかぎりそうはいかない。ひとつのセクションの初めにこれからなされる議論の概要を説明して、終わりに要約を書く、それを項、節、章、といった形式的な単位それぞれで繰り返すというやり方が最も確かに冗長性を確保することができる。それはひとつにはこうした入れ子の形式自体が多くの本で用いられてきた冗長なものだからだ。

 言葉にとって冗長性は、まず形式的で統計的な頻度を示すものとしてある。たとえば英語の形態素(言語記号の最小単位)のレベルであれば’e’という文字のあとに’a’という文字が続くのはどれくらいの頻度なのか、’eart’までくればもう十中八九’earth’だろう、というように、冗長性が高いということは与えられた要素から抜けている要素を予測できる可能性が高まるということだ。ある程度埋めればいちいちクイズを解かなくてもクロスワードパズルを完成させることができるように。形態素、語彙、センテンスといったそれぞれのレベルで、ある要素が別の要素と隣り合う頻度の分布の総体がその言語の冗長性であり、ある意味でそれこそが言語それ自体だ。自然言語の機械学習も基本的にこういう言語の捉え方によって成り立っているものだと思う。言葉が何を表しているかではなく、純粋に表面的な様々なレベルの膨大な「ああ言えばこう言う」を取り集め整理しているわけだ。

 ドゥルーズ゠ガタリも『千のプラトー』のなかで言語とは冗長性なんだと言っているのだけど、形式的で客観的な頻度とは別に、言葉の並びそのものには現れない主観的な冗長性があるのだと言っている。このアイデアはひとことで言えば、言葉の社会性を考えるために持ち込まれたものだと思う。首相の記者会見とか「忖度」とはどういう言語的な現象なのかとか、そういうことを考えればわかるように、偉い人ほど少ない語彙で物事を動かせる。偉いということは言わないで言うことができるということを意味するわけだ。社会的なポジションが言葉の冗長性を上げたり下げたりするということはさすがに機械学習ではどうにも分析できないだろう。

 ここから文学の問題に翻って考えると、文学的な発明とはたんに形式的な頻度の意味での冗長性を実験の対象とするものではないと言えるだろう。言葉のありようを変えるためには言葉遊び的な側面も必要だが、それだけではダメで、主観的で社会的な冗長性のありかたを壊さなければならないということだ。ドゥルーズ゠ガタリが言う「マイナー文学」の問題はこのふたつが交差する地点にある。マジョリティは冗長性の高い言葉を使い、たんに結果的に頻度が高まっただけのそうした言葉のあり方を、あたかももとからあった定数ないしスタンダードとして「公用語」とし我が物とする。それを壊すためには、それがたんなる冗長性の集積でしかないことを暴き、その勾配が中心化し固定化しないべつの言語のシステムを編み上げる必要がある。

 そして「本」という形式あるいは「著者」の権威、あるいは学問としての「哲学」という言説体系を変形するためには、ここでもまたたんに字面レベルでの新しさに拘ることは別の冗長性を温存することになるだろう。大事なのは定数と取り違えられた冗長性を動かすことであり、そのなかで新しい本のあり方、思考の運動性を、書くことを通して発明することだ。そしてそれはある意味では冗長性の上げ方の発明でもあるだろう。

 なんだか最近、あったことではなく考えたことを書く日が増えた気がする。日記でそういうことを書くやり方がわかってきたというのもあるし、たんになんにもない日が多いということでもある。2ヶ月先にふたつ締め切りがあるだけで、それ以外予定らしい予定がぜんぜんない。

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4月7日

 何日か前の夜こと、最近話題になっていて気になっていた『チェンソーマン』を読んでみようと思った。1巻を買ったつもりが最終巻の11巻を買ってしまい、もういいやと思いキンドルで全巻いっきに買って、朝まで一息で読んでしまった。思春期の男の子の年上の女性への幻想を極大展開して、そこにバトル漫画的な要素をひたすら突っ込んでいくところは『フリクリ』に通じるものがある。こういうのは「君と僕」の同期が世界の変革に短絡するセカイ系に対して何と呼べばいいんだろう。精通系と思い浮かんだが即座に頭から追い払った。ともあれ一方でいや増す性的な欲望の、他方でその対象が結局どういうものなのかわからないというわからなさを覆い隠し脱性化する幻想もまた肥大化するという循環があって、最終的に後者が勝らなければならないという少年漫画的なコードがある。しかしそれは「お約束」に留まるものでもなく現実の少年が生きるものを反映してもいるはずで、同時にその少年の心性にもある程度フィクションが食い込んでいるはずで、そこには別の循環がある。

 作者の藤本タツキとは1992年生まれの同い年で、そういえば彼も同い年の大前粟生さんに2年くらい前に藤本の『ファイアパンチ』を勧められたけどまだ読んでいない。大前さんの作品はぜんぜん精通系じゃないけど、ふたつめの循環を扱っているという点では共通しているかもしれない。フィクティブなコードが覆い被さっている現実に対して、「生の」現実を書くことによってではなく、固定化した循環を壊すほどにフィクションのコードを誇張的に使用しつつ「現実」を遠くまで投げること。ここまで抽象化すると何でも言えてしまうというところもあるけど、いぬのせなか座の山本さん(彼も92年生まれだ)の書くものにも、表現の形式を認識の変形に裏返すという一貫した関心があるように思う。こうした傾向はともすればコードと戯れているだけの自閉的な探求に見えてしまうのだけど、また浮ついた言い方をすればポスト・リアルのリアアリティみたいなもの切実さは間違いなくあると思う。

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4月6日

 渋谷を過ぎると人が減ったのでパソコンを出して書き始めた。横浜駅から東横線に乗ったまま副都心線、さらに東武東上線に乗り入れて埼玉の志木駅で降りる。そこから徒歩で15分くらいで立教大の新座キャンパスに着くようだ。乗りっぱなしで済むのは楽だけど2時間くらいかかる。今年から3年間、学振の受入教員としてお世話になる江川隆男先生のところに挨拶に行く。博論の審査では彼のコメントがいちばん厳しかったが、なんとなくそうなりそうなのはわかっていて審査員も受入教員もお願いした。博論を書き終わってまず思ったのは、哲学をいちから勉強したいということだった。これまで王道の「哲学科」的なものとは所属の面でも書き方の面でも距離を取ってきたが、これからは語学も含めそういうアプローチでも自分なりのやり方を見つけたい。江川先生ほど哲学史的な抑圧から遠い人もいないだろうし。博士課程に入るときに平倉さん——彼は先生と言うと嫌がるので——のところに行くことにしたのも、「指導」してもらいたいというより、近くで見てれば何か彼と違うことができるんじゃないかと思ったからだし、今回もそういう動機だ。

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4月5日

 トリスタン・ガルシアの「概念の羅針盤」(伊藤潤一郎訳、『現代思想』2021年1月号)が面白かった。現代の哲学を「実在論」の全面化、つまり実在論ではないもののなさによって特徴づけたうえで、そのなかでの対照的な「認識論的方向」と「存在論的方向」の内的な緊張を図式化することを試みた論文。たぶん博論の改稿で使うことになるだろう。全体的なマッピングのそう言われてみれば確かにという感じも面白いのだけど、散りばめられたフックから自分なりの議論を展開したくなるのも面白いし、この論文のキモはそっちだろう。わざとネジを締め切っていないのだろうというところも含めて喚起的ないい論文だと思う。

 一点だけ。ガルシアは実在論の全面化の要因を、20世紀の哲学が言語、意識、神話といった「主体の生産物」にさんざん付き合ってきたこと——これを彼は「哲学的ナルシシズム」と呼ぶ——への「疲れ」に見ている。くしくも、いちど同じ『現代思想』に載った「思弁的実在論における読むことのアレルギー」という短い文章で、現代の哲学にはポスト構造主義的なテクスト読解と哲学的思考がへばりついたようなスタイルへの「疲れ」があるのではないかと書いた。メイヤスーやハーマン、そしてこのガルシアの論文もそうであるように、テクストの読みというよりも複数のテクストから相対的なポジションを抽出したうえでそれらを配置することに重きが置かれている。

 ガルシアは論述対象としての言語への疲れを見ているが、論述(読み書き)に必然的にともなうものとしての言語への疲れもあるのではないか。ポスト構造主義にすでにあった「疲れ」に加えて、ポスト・ポスト構造主義になって現れた別種の「疲れ」もあるのではないか。

 ガルシアの分類に従えばこうしたアイデアは、言語使用によって実在に実在的に触れることを考えるという意味で、認識論的実在論のいちバリエーションである「副詞的実在論」だということになるだろう。ここに彼はプラグマティズムや後期ウィトゲンシュタインを数え上げているが、ドゥルーズの自由間接話法的スタイル、デリダの脱構築、フーコーの考古学といったポスト構造主義的な実践をその延長線上に位置づけるとどうなるのか。ガルシアは、言語は主体の関心のもとにあるが現代哲学において実在とされるものは主体に無関心なものだという前提を敷いているが、これによって、言語が主体の生産物なのではなく主体が言語の生産物であるという構造主義的な前提を採ったうえで言語への受動性を梃子にして主体の変容を考えるポスト構造主義的な可能性がブラインドされているように思われる。

 博論ではドゥルーズの『哲学とは何か』で概念創造が論じられるときにそこで『千のプラトー』での言語行為論がどのように変奏されているかということ、つまり概念創造=哲学とはどういう言語実践なのかということを書いたけど、「概念の羅針盤」はこのあたりの議論をより広い視野のなかに位置づける手がかりになりそうだ。

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4月4日

 髪が伸びてきて、次は短く切ろうかなと考えている。今は前髪のあるボブとウルフのあいのこみたいな髪型にしている。切ったばかりはまだいいのだけど、髪の毛が多いのですぐにぼわっと広がってきてしまう。服は好きだしいちど気に入ったら何年でも着るのだけど、髪型に関してはこれでいいなと思ったことがない。ちょっとでもまとまればとドライヤーをする前につけるヘアオイルを買って、それでいろいろ調べていると顔の肌まで気になってきて1500円くらいの洗顔料まで買った。なんだかわからないがわざわざ伊勢丹のウェブショップで下着と靴下まで買った。服は楽しみで買うけどそれより体に近いものには強迫的なものを感じてしまう。

 それにしてもルッキズムというのは本当に厄介で、他人を見た目で判断してはならないというのは守られるべき礼儀としてそうなのだけど、たとえば肥満やぽっちゃりが「プラスサイズ」と呼ばれ、それを「美しい」と言うことがモラルみたいになると、いつの間にか判断に帰ってきている。それはアンチ・ルッキズムではなく包摂的ないし拡張的なルッキズムなのではないか。とくにファッション、エンタメといった資本や広告と強く結びついた領域で起こっているのはそういうことだと思う。似たようなことはジェンダー、セクシュアリティに関する議論を見ても感じることがある。それはリベラルではなく拡張的保守なのではないかと。美しさや道徳的な善さ、社会的な幸せのかたちそのものへの批判的アプローチの余地が蒸発してしまう。そしてそういうことを考え、言うこと自体が、彼ら彼女らにとって「差し迫った」課題への足並みを乱すものとして敬遠される。そんな悠長なことを言えるということ自体がマジョリティの特権なのだとさえ言われかねない(言われたらどうすればいいんだろう……)。

 露わになった議論されるべき問題から個別の「失言」の指弾へと問題が拡散していき、属人的なレベルで「解決」され忘却される、政治とマスコミの関係を反映したような言論状況も、こうした拡張のプロセスで出てきたものと言えるのだろう。

 こうした、ほとんど不可逆的に進んでいるように見えるプロセスに対して物書きが取りうるアプローチはまずふたつ思い浮かぶ。ひとつには徹底して欺瞞を欺瞞だと言い続け、ひねくれ者であることを辞さないこと。別にあからさまに好戦的である必要はないが、イージーな野合には距離を取り続けること。ふたつめは、失言の忌避、拡張的な傾向への迎合(あるいは露悪への居直り)という大掴みな言葉のあり方に対して、極めて具体的なレベルにある書けないこと、言えないこととの距離で言葉を使うことだ。

 結局それぞれの書き手がどちらもやるべきなのだろうけど、この日記は第二のアプローチを試みるものだと思う。日記を始めて新鮮だったのは、こんなにも書けないことがたくさんあるのかということだ。論文みたいに主題に言葉を預けることもできないし、どうしてか——たぶんたんに要求される文章の長さから——ツイッターみたいにネタや自己演出のためだけに私生活から言葉を切り出すということができない。日記はもっとも確かに書けないことの手触りを感じながら書いている。日記は下着みたいなもので、ツイッターや論文はカジュアルだったりかっちりしていたりする服だ。なんでもないことだが書いてしまうと社会のなかでの自分や周りの人のあり方を決定的に変えてしまうこと、そういう脆さとの距離で書いている。なんでわざわざそんなことを? と聞かれてもはっきりとはわからないけど、今自分にはそういう言葉が必要だ、それもバイタルなものとして、と思う。そしてそれは確実に何かを変えている。それが読み手に及ぶかどうかは運次第だけど。

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4月3日

 しばらく前からしきりに彼女がミスドが食べたいと言っていて、店が川崎か根岸まで行かないとないので行ったことのない根岸の方に行くことにする。市営地下鉄で関内まで出てJRに乗り換えて南下する。駅を出るとすぐのところにミスドがあってドーナツひとつと坦々麺のセットを食べた。近くに大きい公園があるので行ってみることにする。山手の住宅街を横切って急な坂をぐねぐねと登ると根岸森林公園に出る。思っていたよりずっと広い。公園全体に大胆に起伏がついていて、芝生にはぽつぽつと日除けのテントが並んでいる。桜はもう見頃を過ぎているが気候もいいからか人が多い。公園を囲む遊歩道を歩くと馬の博物館があって、かつてここが競馬場だったことを知った。どおりで大きいわけだ。さっき歩いた瓢箪みたいに少しくびれた楕円の歩道は競馬のコースだったらしい。幕末のイギリス人が作って、明治にレースクラブへの日本人の加入が可能になり、天皇賞の前身となるMikado’s Vase——”cup”じゃないのか——が始まったりしたが関東大震災で被災し、太平洋戦争が始まると敵国外国人抑留所になり、終わると米軍に接収されゴルフ場になり、60年代に返還されたときには近代的な競馬場に求められる地形が変わっていたのか、公園として再整備された(いつか書いた横国大キャンパスの歴史に似ている)。博物館の隣にはポニーと遊べる場所があるがコロナのせいでポニーはいなかった。芝生の斜面に座って人がバドミントンとかキャッチボールとかをしているのを眺めていた。今は廃墟になっているスタンドから見下ろされ馬が競走していたコースが遊歩道になり、その内側でマスクをした人々がボールを投げ合っているなあと、なんか『奥の細道』の地の文(?)みたいな気分になった。バスで駅まで戻って、ドーナツを8つ買って帰った。

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