日記掲示板

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1,000件のコメント

  1. 生きるとは祈ることかな冬薔薇 井上芙美子

    ニューハーフと女装の違いを最近知った。通っているクリニックにはゲイの方も多いし、依存症者の中にもゲイの方は結構見受ける。LGBT に関しては普通の方…?よりも身近に接している…と思ってもいたが、ニューハーフの方は性同一障害(トランスジェンダー)であり、多く…女性ホルモンの薬を飲んでいるらしいので、裸にならないと分からないくらいである。そして恋愛対象は男性だとのことだった。一方女装、という方もいて男性が女装をしていて、必ずしも恋愛対象が男性とは限らないらしい。ただ見掛けはニューハーフより落ちる…と言うか、たまに見掛けるがいかにも男が女の身なりをしている、という感じらしい。

    世の中は空(むな)しきものと知る時しいよよますますかなしかりけり – 万葉集巻第五 783

    男性機能の低下に因り、ED に対する治療薬を飲むことになった。まあ三十代ぐらいの頃には戻った。ただ、遅漏だった。短い間、では果てるには至らなかった。そこで思い付いたのが〈狭き門〉だった。まあ自分としては相手がいる状態で成し遂げたいと願っていたので、色々と調べてニューハーフに辿り着いた。考えてみれば、自分が女性の立場になるのもどんな気持ちかと…一挙両得だなと期待していた。しかし、ニューハーフの方は薬を飲んでいるので、男性としての機能はかなり低かった。それに〈狭き門〉とは言っても、別に大した違いは感じなかった。恐らく商いとして日常的に使用しているからだと思う。結局女性気分をもっと強烈に味わいたいなら、女装の人がいいよ…薬を飲んでいないので、男性としての能力が高いからと教わった。しかし、高い交通費を払って出向き、今回もまた果たすことができなかったので、かなりがっかりした気持ちで帰宅して、数日は憑き物が落ちたかのようだった。

    Ryoji Ikeda (Dumb Type) – Forest Of Memories

  2. 紅白の 歌合戦の 有様を 音楽と呼ぶ 者は阿呆だ

    大晦日の夜、夕方は両親の元へと行き
    蟹などを振る舞って頂いた。
    はじめテレビは点いていなかったが、母が
    紅白を選んだ。本意ではなかったが、これも
    一興かと思い見ていたが、その内容には驚か
    されたのであった。役者が歌い踊ってい
    る…グループが多く、男はホストのように見えた。
    そもそも歌がダサい。安っぽい…甘ったるい恋
    や生、希望の歌詞…。ああ自分も歳をとっ
    たんだな…とつくづく感じた。一般に
    はああいうのが音楽と呼ばれているのだな、
    と皮肉なことに勉強にはなった。

    繰り返す 退屈な日々 目的も なく永らえる 意味を鑑み

    仏教では…「人身受け難し、今已に受く。仏
    法聞き難し、今已に聞く。」と言われている…ようだ。
    ウオークマンに確か真言宗智山派や浄土系の
    日課勤行の録音が入っていて、そこで耳にする時が
    ある。声明や読経、詠歌を音楽として聞くと、
    妙に癒される時がある。しかし、自分は人と
    生まれてしまったことは、全くもって喜べないのである。
    作業所は辞めることになり、それでその社会で
    の対人やシステムに対する悩みは尽きる、のだが
    独りになってみれば、それで悩みがなくなる
    訳ではないからである。今回、辞める決心
    をしたのも最終的には、独りでもがく方が
    苦しい…その苦しい方を選ぼうと思ったから
    である。

    竹筒に 吹き込む息の 如くなり 幽かな風の 立つ虚しさは

    かつては五本ぐらい所有していた尺八も
    今はただ一本を残すのみである。前の先
    生の所に二年程通っていて、十四曲
    は一応暗譜することができるようになった。
    しかし、演奏家の方なので月謝、交通費は
    それなりだし、自分自身プロになったり CD を
    出したりする積もりもなかったので、ある時
    重荷に感じ、別の先生の所へ通うことになった。
    月一回が基本稽古なのだが、先生の事情で今
    は二ヶ月に一度受けられるかどうかという状態。
    それで時間を持て余して、都山流の尺八をロー
    ンで買って別にもう一口習ってみようかと、悩んで
    もいた。しかし、それをすれば交際費…尺八
    以外に遊ぶお金を失い、生活の余裕
    が更になくなってしまう。

    奉納や 謹呈と書く その下に 己が氏名を 記す必要

    元々は美術が好きで、それを活動できれたら
    なあと願っていた。そんな気持ちが、この正月
    の間にむくむくと出てきて、スケッチ・ブックに絵
    を描いたり…再び陶芸をやろうかと悩んだり
    もしたのである。絵に関しては、Cy Twombly
    みたいにやれば、それ程お金は必要はない。
    一応障害者アート支援の団体に登録している
    ので、発表する場もある訳だ。陶芸は、か
    つて十年以上やっていた。また始めるとなると、
    窯を購入する必要があり、大きなお金が必要と
    なる。結局、時間を有効に使いそして個人
    である、ということを伝えたい。
    しかし、奉納の封、謹呈も含めるとこの
    八年ぐらい、あちこちに出していて被ってしまう
    恐れがある。それに個人をなくしたほうが、継続
    的に今の活動を続けられるような気もする。

    欲しい物 やりたいことを 数えれば お金が足らず 切りもないのだ

    この処、スマホで見漁っているのは…
    少し前は交通サイトだった。それも少
    し落ち着いて、今は時計と都山流の
    尺八になっている。昨日たまたま 007
    の映画を観ていたら、アストンマーチン
    の車が出てきた。物は試しにと、一台
    幾らぐらいするのか調べてみたら二千万円ぐ
    らいだった。昔、あるお寺のお坊さ
    んが確か…寝て一畳、座って半畳、飯
    食って二合半とか言っていたのを思い出す。

    T 字路s “暮らしのなかで” (Official Music Video)

  3. 晴天。
    昨日降った雪が溶け残ってエントランスの前で凍っている。滑り止め金具付きのブーツを履いて買物に出た。道路も日陰側はあちこち凍ったまま。近隣の自動車販売店の社員さんがスコップで掻いているが、どうも要領を得ないようだ。
    そうこうしているうちに松の内も今日まで(関東式)。
    晩ごはんは七草粥 - ではなくてアジフライの予定。こうして滝のように時が過ぎて行く。
    まだ若かった頃はもう少しゆっくり過ぎていたような気もするが、たぶん身体も精神も、沢山のことができたからなのだろう。

  4. 三が日もあっという間に過ぎた。
    近所の神社に初詣に行ったり、アマプラで映画を見たり。
    近くのスーパーが今日から開いているので買い物に行ってみたら、バイクの轟音。昨日大学生たちが走っていた道も今日は日常に戻っている。
    今日、仕事始めとか言ってた頃は何をしていたかな。
    歳が改まったからといって、何か抱負を決めたりもしないので、今年もゆるゆる暮らして行くのだろう。

  5. 年末は色々と忙しかったが、年が明けてみると独り身の自分にとっては随分と暇で、まあ気も緩んでいるから生活も乱れた。この現象は毎年のように思われるが、年始の過ごし方には悩まされる。寒いので、屋外での尺八の練習も難しいのく、せいぜい外に出て散歩するぐらいだった。尺八にしても室内でも寒いのと、お正月ということで隣人とかが部屋にいるから、出す音に非常に気を使う。成果としては、少々の散歩と、尺八、八十の歌の封といった処であろう。相変わらず夜中は酒を飲みながら、映画に浸っている。悩んでいたのは、作業所を辞める…それでいいのかどうかということ。それと異性に会う…日時や交通費…。大体この二点であろうか。悩んだ挙げ句、訳が分からなくなってぐったり横になる…ぼけっとしている…スマホをいじっている…そんなぐうたらな日を連日続けている。

  6. 部屋はボロボロ
    友人に
    作曲を手伝ってもらう
    用意したピアノ
    弾き始める
    窓から見える道路
    書割の街を歩く
    広すぎるレコード屋
    二階の試聴機
    興奮しながらレジへ進む

  7. お蕎麦に雪国まいたけ極を乗っけて食べました。おいしかったです。
    よいお年を。

  8. しらたまの/なみたはほほを/つたひけり/つつやみにたつ/ちぢのおもかげ

    帰国をして実家に住むことになったが、ある時友人とばったり会って少量の薬に再び手を出した。両親と襖を隔てた部屋で使用して、何とも遣りきれない思いだった。タイでの使用を以て、もう二度と…薬とは縁を切る積もりだったから、その時の気分の落ち込みは特に酷かった。それでリハビリ施設に入寮をする方向に動き、先ずは解毒入院を暫くしてから、晴れて両親や薬の誘惑から逃れることができると思っていた。しかし、寮に入っても苦難が続いた。特に入寮したばかりの時は、もう家に帰りたいと思うことしばしばであった。

    今は少し違うが、当時入寮した施設では、処方薬やアルコールも薬物依存の回復を妨げるものとして見なされていたのである。初めは六人部屋に入ったが、消灯時間になって暗くなると、近くのコンビニへと行って酒を買い飲む毎日だった。それに加えて、自分も含めて皆 何かしらやっていたから、経験のない薬物のお誘いを受けたりして、所謂 スーパー・クリーン…お酒も一切の薬物も絶つまでには時間がかかった。ネックは夜眠れないことであったし、周囲の仲間…はヤンキーだったり、どこかの組にいた方だったり…自分とはタイプが違ったので苛められたり…一日、一日を過ごすのが本当に大きな苦労だった。

    そんな時、入寮はしていない通所のある方に「すわる」ということを勧められた。その方は右翼の大物?の方で、当時五十過ぎで、二十年ぐらい刑務所にいたとか…いう方だった。書いて考える…マッカーシーが言わんとしていたのは、描いてその最後の形を言葉でばらすということだったと思う。しかし、自分は文章、の形で考えることをしていて、入寮当時にはそれすらできない、書けない状態だった。実際座禅をする、始めの頃はどちらかと言うと観相依りだったが、今では唇を少し空けていると声に出さないで考えることだできる。話がそれたが、不眠や周囲からのプレッシャーに対して、「すわる」ことで当時は自分の気持ちを鎮めることができたのだと思う。

    Then We Are Together – Let The Right One In OST 2008

  9. 今だに大学で受講している夢を見る。
    さっきも後期の哲学演習のノートが見当たらなくて、試験準備が出来ずに焦っているどころで目が覚めた。
    学食のカツ丼の話なんかしたからかな。

    大学に合格して下宿を探しに行った時に行った生協の食堂のカツ丼が、大学で食べた最初のごはんだった。
    どうやらこれを機にカツ丼が好物になったような気がする。
    懐に余裕がある時にはよく食べた。
    普段は安い定食かカレーだったけど。

    それにしてもノートが無いだの講義に遅刻するだのの夢は勘弁して欲しい。
    夢の中だとわかっていても気が気じゃない。

  10. 言霊ヲ・宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神 ②

    最近、感情がはっきりと表に出たのは、少し前ですがこの掲示板に、身の上話を長々と書き込んだ時に涙が流れました。それと交通費はかかりましたが女の子と会った時や、実家に行って父の態度に憤慨した時、が挙げられます。殆どの時間を独りで過ごしているので、映画を観ながらつい笑ってしまったり…感情が露になることは非常に少ないのです。日々散歩をしますが、子供たちが遊んでいるのを見掛けると、本当に生き生きとしていて羨ましい限りです。

    中間施設では主にグループセラピーが行われていて、話を聞いて貰いながらよく涙を流したことを覚えています。それ以前の自分は、今と同じように孤立していたし、自分が心の底で思っていることを、伝える場はありませんでした。今はこうして…ネットがあるので、昔よりは随分手軽に自分の心内を人に伝えることができる、それは有り難いことだと思います。座禅をしながら涙が出てきた理由ははっきりとは覚えていませんが、それまでの自身の人生をじっくりと振り返ることができたからだと思います。

    【IN THE CITY】青葉市子 IN Coci la elle (清澄白河)

  11. 昨日で仕事納め、で年内で退職になる先輩とは昨日が最後になった。その人は持病の関係で急に出勤できなくなってしばらく休んだりということがたびたびある人で、有り体に言うとクビだった。
    仕事はできる人なので、少人数で回してるうちの会社の中では貴重な戦略だったけど、性格がちょっとややこしいせいもあって会社の人たちからは大体好かれていなかった。時々ド直球のセクハラをかましてくるもんで私も好きではなかった。ただ、腹が立つので時々適当な返事をしたり冷たくあしらったりしても、全くケロッとしているし攻撃的になることもないので、そういうところは結構好きだった。ややこしいだけで完全に無害な人だった。

    空気を読まずいつでもよく喋るその人が、昨日は休憩中みんなで談笑してるところにあんまり寄ってこなかった。
    事務所の整理なんかが終わって、解散する間際に社長がその人が今日で最後であることと、労いの言葉を軽く述べて、それで解散した。普段ならそのあと駐車場までなんとなくみんな一緒に歩いて行って、そこで軽く話して改めてお疲れ様でしたと言って別れているから、昨日もそうしてたらちゃんと「お世話になりました」とかそういうことを言えたのかもしれないけど、私はまだ事務所でやりたいことがあったから、少し残っていて、本当にそれっきり最後ということになった。
    その人が辞めていくことに感して、本当に何の感情もなかったから、辞めるって聞いたその日から2ヶ月程何にも考えてなかったけど、花でも渡して送り出すことをみんなに提案しててもよかったのになとちょっとだけ思った。

  12. もう自分ひとりじゃ抱えきれない感情があって、赤の他人に話を聞いてほしくなった。でももはやツイッターなどにそれについて書く力も残っていない。ここから先に行けば、良くも悪くも変わっていくという線が見える。苦しくともこの線を越えるべきなのはわかる。でも越えるとき、知らない誰かに手を繋いでほしい。幽霊のように生きていたときにインターネットはずっと手を離さないでいてくれた。今は幽霊ではなくなったけど、現実とインターネットどちらも無いとまだ自分の輪郭すら掴めない。気を抜くとすぐぼやけて、いつまで生きたらいいのだろうとか考え出してしまう。今の自分は幽霊だった自分の手を繋いで二人で生きているような気がしている。二人で泣いている気がしている。まだこんなでごめんね、と思う。

  13. 映画を観に行った。暗くて狭い場所はどきどきして失神しそうになる体験をした2021年だったが無事見れた。久しぶりに友達と会ったが話すことがなくなっていて悲しかった。来年はきっと、ちゃんとしたい。

  14. もう二度と逢えない君へ伝えたい遥か遠くに散る星屑を

    二十ぐらいの時、高校が一緒だった女の子と短い間だったが付き合っていた。自分は何とか退学せずに卒業をして、そして派遣のウェイターの仕事をしていた頃だったと思う。嫌、一時期浦安のホテルを中心に働いていたが、そこを辞めて幡ヶ谷の知人の近所に引越した。そしてパチンコ屋で少し働いた後に、六本木の SM のショーパブでボーイ…の仕事を始めた頃だ。高校からの友人の多くは大学へ進んでいて、バンド活動をしていた。その仲間内でクリスマス会があって、再会した女の子と暫くお付き合いをすることになった。彼女はその頃、看護師をしていた。勤めていたクラブで一悶着あり、急遽店を辞めて、那須の温泉ホテルに住み込みで働らきに行くことになった。それで、別れを告げる為に彼女に電話をして、その旨を伝えた。しかし、考えてみると遠距離で付き合いを続けていれば良かったと、今更思うが当時から折角の縁を簡単に捨てる、と言うか切ってしまう癖があった。それは彼女だけに限った話ではない。その後、障害者枠で有楽町のでっかい無印に勤めていた…三十半ばの頃、十二、三年振りに彼女とばったり逢ったが、互いに気付かない振りをしていた。店内で作業している自分の姿を見て、びっくりしていた彼女はベビーカーを押していた。その後、無印も辞めて図書館通いをしていた。都内の各区共そうだが、葛飾区の中央の図書館も大きく…当時は色々な図書館を転々としたり、或いは大きな公園を歩き回ったりしていた。そんな時に、再び彼女とばったり逢ったのである。偶然とは恐ろしいものだ。彼女自身は確か墨田区の人だったと思うが、結婚して移ったのだろう。流石に道で擦れ違った時は、声を掛けたが昔の時分に戻れる筈もなく、彼女の態度は素っ気ないものだった。自分としては、昔のことを謝りたい気持ちだったのだ。そして、その十年どう自分が過ごしてきたのか伝えたい思いだった。しかし、家庭を持つ女性が十年前に短い間、付き合っていた異性と親密になれる訳でもなかろうと、そう納得するしかなかった。

    Portiahead – Wandering Star

  15. 生きているただそれだけで忙しい鳥獣たちの生態と似て

    月に一度、近所に住む両親の元へ行き、食事をするが今月は大晦日にも行くので、二度ということになる。自炊して食べている…以上の品を食べれるので喜ばしくもあるが、父が苦手なので可能な限りは、距離をおき会わないようにしている。

    食事をしながら…何かのバラエティー番組がやっていた。芸人の笑いがどうのこうの…こういう番組や、クイズとか食べ比べのような…のは虫酸が走るほど嫌いなのでチャンネルを換えたら、野性動物の生態を観察するようなものがあり、それをぼんやり見ながらビールを飲んだりしていた。

    動物は生きている…ことを悩みはしないのだろうな…と羨ましくも思ったが、本能のままに一年中忙しなく生きている姿を見て、ああ生きてゆくのも、それだけでも大変なことだろうな…少し酔っていたせいか感心させられた。そしてその様が自分自身と重なるようにも思われたのであった。

    ※ ※ ※

    言霊ヲ・宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神

    座禅を始めたのは、二十代の後半…の薬物依存症からの回復のための、中間施設に入寮をしていた頃で、正確に言うとある方に「すわる」ということを勧められた。それで先ず、夜、消灯時間になっても直ぐに眠れなかったから、布団の上に正座して目線を壁に向けて座っていた。

    正座だと長い時間がきつかったので、枕をお尻に敷いて半跏?趺坐…あぐらをかくような感じで、眠くなるまで座っていたのであるが、何が起こったのかは分からないが一番初めの頃は、理由もなく涙が流れてきたのであった。

    それから二十年弱は「すわる」ということを意識しているが、現在は一日に二十分を二回、半跏趺坐で臨済宗にて用いられている座布団の半分のサイズの品を使用して、まあ一応座禅の習慣がある…と言えるであろうか。

    初めての頃…何年かは、色々なことが起きた。先ほど述べたように、理由もなく涙が出てくる。自分の記憶を辿って、不在の人を現前させたり、嫌な人を殺めたり…。当初は不眠に悩んでいたから座禅…「すわる」ことをしていたが、やれば分かるが独特の高揚感があったので、それに浸っていた時期もあった。

    そんな不安定な状態を少しでも安定させようと、当時入寮していた施設の近くに、全生庵というお寺があり、座禅会が定期的に催されていたので参加して約十年ぐらいは、毎朝行ったり…或いは週に一回。月一回とか、思い立った時とか…まあ一応参加していた。ここ最近は全く行っていないが、今でも独り室内で座っていて、これでいいのかなと迷う時がある。

    Horowitz (Chopin) Ballade in G Minor (HQ)

  16. 子どもと遊んでいたら雪が降ってきた
    サラッとした粉雪
    近所の弁当屋のカツ丼が意外と美味しくてまた買おうと思った
    昨日から首が凝るのでマッサージに行った
    マトリックス新作の話しをしながらほぐされた
    夕食はやる気のないタイ料理
    忙しすぎて店員が苛立っていた
    ビールはいつになく美味しかった
    哀しいような嬉しいようなメールをもらった
    今日はそれくらいか
    今年はたくさん日記を書いた
    手書きの日記も書いたし掲示板にも書いたし日記を送ったり送ってもらったりもした
    とにかく日記を書き続けた2021年が終わろうとしている
    明日は渋谷で飲むのでこれから店を探す

  17. たまに街に出ると面白い人に会う。
    桜木町二丁目の広い交差点、横断歩道が無いところが一辺あるのだけれど、そこを走って渡ろうとしてべったり路面に貼り付いて派手に転ぶ男性。
    下手をすると命が無い訳で、面白いどころではないのだけれど。常識では考え難い行動をする人も居るものだ。
    いや、むしろ自分が必要以上に「常識的」なのかもと、得体の知れない不安を感じてしまう。

    今夜は久しぶりに夜遊び。
    ライブを聴きに行く。

  18. 未明にゴミを出しに行ったら掲示板に年末年始のゴミ収集予定が貼り出されていた。
    見ない人は見ないし、見ても無視する人もいるし、心が半ば幽冥界にあって見てもわからない人もいるだろう。
    全ての人のそれぞれの都合に合わせてくれるほど世の中は柔軟には出来ていないし、であればこそ「社会秩序」は維持されるのだろう。
    混沌と秩序の間のどこかでふらふらと日々暮らしているのは気楽だ。

  19. イヤフォンを外して耳を傾ける歩く周囲の細やかな音

    ウェブ上で語ると、肩が凝る。しかし独り言では済まないこと、もあり特に暇潰しで…思い付いた歌でさえも、その思いの丈を添える必要…。それを強く感じる。

    作業所を休み中…日々一万歩は歩き、尺八の稽古をし、そして九四と八十の封を仕上げて人に伝えることを、以前よりハイペースで行っている。

    今日も一万歩を歩いた。風が強かったので、尺八は持たずに万葉集とウオークマンを懐に収めて、都外の公園まで足をのばした。

    他人を見ると、歩きなとがらとか自転車に乗りながら、イヤフォンで音楽を聴いている人を見掛けるが自分の場合は、そういう風に音楽を聴いたりはしないのである。

    音楽を聴くのは大体、料理をしたり、洗濯物を片付けたり、夕食の後にぐったりしている時であったり、夜眠る時であったりと限られていて、散歩の時は周囲の物音に耳を傾けながら、考えごとをしていることが殆どである。

    今日も朝起きて用事を済まし、何をしてよいやら分からぬまま、とにかく時間があるから〈散歩に行くぞー〉と思って、歩きながら本を読んでみたり、ヒラリー・ハーンのヴァイオリンを聴くために、イヤフォンを耳に充てがう。

    しかし、周囲の音。車が走る音、風の音、川の水の流れ、鳥たちの囀り、歩いている自らの足音…等々を耳にしながらあれこれと考えているのが、性に合っているようである。

  20. 言霊ツ・大戸日別(おほとひわけ)の神

    振り返ると、この四十年半ぐらいでお付き合いした異性というのは三人ぐらいだと思います。それ以外は、お金を払って関係をもった方…それが殆どです。同性の…方との出会いを別にすると異性に関しては悔いが残ることが多々あります。

    特にお付き合いした訳ではない、オーという女の子と過ごしたのは非常に短く、三度程会っただけです。それでも彼女との思い出は深く心に刻まれています。

    借金をしてアメリカへと逃げ、三ヶ月程旅をしてからタイの北部へと渡った理由は、薬が安く手に入る為でした。自分自身の中でも薬、を味わうその快感を十分に味わって、それで止めにしたい。帰国したら新たな人生を歩みたいと思っていました。

    そんな折、オーと出会い自分は薬浸りだったせいもあり、彼女との契りは殺人的に…な快感でした。そしてまた、彼女自体もそういう性的な面だけではなく、当時精神的に追い込まれていた自分にとって、大袈裟に言えば女神のような存在でした。その彼女との別れ…その時の自分の立ち振舞いには深い後悔が残っています。

    Taeko Onuki & Ryuichi Sakamoto – 11.風の道 Kaze no Michi

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