日記の続き#19

4月22-25日
刊行予告のページにも追記したのだけど、5月1日発売予定で『日記〈私家版〉』に関することを進めていて、もう数日で完成品が届くぞと思っていたところで、印刷作業でミスが発生し納品が2週間遅れることになった。先行注文も受け付けてしまっているし、書店から発注もあったし、トークイベントの話も進んでいたし、多方面に迷惑をかけることになってしまって申し訳ない。同時に僕は謝られる側でもあって、腹が立つというより悲しいのだけど怒らないといけないし、こういうのが大人になるということなのだろうかと思うとよけい悲しい。こないだも別件で生まれて初めてくらいの説教らしい説教をして、僕は人が謝っているのを見るのが嫌いなのだが、謝られるわけで、なんだか疲れてしまった。さらに別件で友達と変な感じになったし。ロクでもないことばかりだなと思ってふて寝をして、思いなおして近所を走った。5分走って1分歩くのを5セット。走りっぱなしだと脚の疲労より先に呼吸がいっぱいいっぱいになってしまうのだが、これだとちょうどいい。帰り道、引いていく汗と弛緩する冷えた肺に、泣いたあとみたいだなと思った。

日記の続き#18

毎日書くのは大変なので、この「日記の続き」では去年の日記を貼ってそれで書いたことにしてもいいということにしていて、これまで何度か引用だけで済ませている。でもそれも良し悪しだなあと思っていて、今日はその話。日記のいいところは、毎日書くと決めていなければ書かないようなことを書けるところにある。それはある種のワンダーを運んできてくれることもあるが、同時にそれ自体結構ツラいことでもある。書きたくない、というか、書かないとしょうがないから書くわけで、そのしょうがなさを誰かに(誰に?)向かって言い訳したくなってしまうのだ。極端に言えばこれは僕が書いたわけではないんです、書かされているんです、と。これは普段「オーサー」めいた仕事をしている者にとってはなかなかの試練で、1年という長いんだか短いんだかわからない期間とはいえそれを続けられたのは偉かったと思う。それで、この「続き」から導入している引用についてだけど、果たしてこれはそういう試練からの逃避なのだろうか、というのが今考えていることだ。たしかにそれはサボることでもあるんだけど、そこにひゅっと去年の時間が入ってくるわけで、しかも少なくとも僕がそれを選んでいるわけで、サボればサボるほどこの「続き」の時間は重畳していく。文を今日に託すこと、いつか託した今日に託すこと。日々の側がヌーヴォーロマン的であるのだという、これもまた怠惰な言い訳。

日記の続き#17

この4月から立命館で非常勤講師を始めて、それで毎週京都に行っている。担当しているのは講義ではなく演習で、学生の発表を聞いてコメントするのが主な仕事だ。僕は学生として阪大文学部の美学と横浜国立大の都市イノベーション学府に通ったのだけど、共通するのは「イロモノ」というか、美術史だったら印象派とか哲学だったら近世とか、そういう王道の研究ではなくサブカルチャーや現代思想を含めたマイナーな研究をしている人が多く集まっていたことだ。日本では「表象文化論」がそういう傾向を概括する呼び名として一般的になっている。それで、僕が今担当しているのも立命館の先端研の表象領域の演習で、やはりいろんなジャンルの発表を聞くことになる。全体的な印象として思うのは、マイナーなことを地道にやってもしかたないよなということで、というより、これが古式ゆかしい文学部的なものに比してマイナーなものであるという意識がそもそもないのかもしれないということだ。確かに表象文化論的なもの、カルチュラル・スタディーズ的なものはマイナーなものを地道にやることを理論的・制度的に支援してきたが、第一にそういう枠組み自体が危うくなってきているし、第二にそうは言ってもメジャーなものに対する「カマし」があってこそのマイナーなのではないかと思う。フェルメール研究であれば絵から消されたキューピッドの復元は大事件だが、そんな「些事」が研究に値することの奇妙さを、自分のやっていることに跳ね返して考えることも必要ではないか。ということをこないだ発表を聞きながら考えていて、でもこれは今言うことじゃないなと思っていたのをさっき思い出してここに書いた。

日記の続き#16

丸亀製麺まで来たところで、もう暑いくらいで、蕎麦の方が食べたいなと思い少し野毛の方に歩いて蕎麦屋に入った。かき揚げの付いた盛り蕎麦。テレビで宮根誠司が喋っているのが聞こえる。センテンスレベルでしっかりした言葉で早口なのにいやらしくない。学者にこういう喋り方ができるだろうかと思うがよくわからない。道頓堀に中継が繋がれて、看板を少年に蹴り壊された蟹料理屋のリポートをしている。店長はもちろん腹が立ったが、確かに時短営業で迷惑をかけているし、自分はクリスチャンなので許したと言っているらしい。混乱しているうちにその大きな蟹の看板を作った人が紹介され、対して東にはこの人がと東西看板作家対決になっていた。混乱しているうちにCMに入り、小エビやグリーンピースが入ったかき揚げをかじりながら、夏が始まったのかと思った。(2021年4月20日

日記の続き#15

妻、という言葉を飲み込むタイミングを逸したホルモンみたいにもてあましているのだが(いちど事務的な電話を受けてそれは妻が、とか言っているのを彼女は目を丸くして見ていた)、とにかく妻が、急にキックボクシングを始めた。そういう突拍子もないところがある。昨年の大晦日に僕がRIZINの配信チケットを買って見ていると、結局彼女も8時間ぐらいずっと熱心に見ていて、いつの間にかいろいろ調べてサバットというフランスのキックボクシングみたいなやつの教室に通い始めて、そこは毎回体育館を借りてやっているので好きなときに練習ができないと言って別のムエタイ主体のキックボクシングジムにも通い始めた。グローブとかボクシングシューズとか、マウスピースとかがどんどん届いて、練習用のパンチングミットまで届いた。結婚もびっくりだがそのうえ妻のミット持ちをすることになるなんて。誰よりも気安い関係でもあるが、バイトの初日でたまたま一緒に新人研修を受けているみたいな、互いに対する無知が岸としてある吊り橋効果みたいな、不思議な関係だなと思う。

日記の続き#14

4月20日
京都。朝9時に家を出て、新幹線に乗って、京都駅の英国屋で昼ご飯を食べて、この日記を書いている。先週もここに来た。テラス席があって煙草が吸える。真夏真冬以外はここに来ることにしよう。新横浜の改札を通ると、上下ピンク色の作業着にピンクのサンバイザーと、ピンクのシュシュまで着けたおばちゃんがとても大きい声で「いらっしゃいませ!」と言って、片足をかすかに引きずりながら、しかししっかりとした足取りでゴミ箱まで歩いて行った。ゴミ箱には同じ格好のおばちゃんがいて、ふたりでゴミ袋を取り替えている。新幹線の改札でいらっしゃいませと言われるちぐはぐな感じと、その声の朗らかさに心を打たれた。待合に座ると在来線の改札を抜ける人々がガラス越しに見えて、しばらくそれを眺めていた。スーツを着た男がNew Eraのショップバッグを持っていて、この人も休日はキャップを被ってスウェットパンツに溶岩みたいなスニーカーを履いてるのかなと想像したりして、なんだかすべてが愛おしいような気がした。箱根あたりのトンネルがちな区間で、くぐもった走行音をヒーーという高音が切り裂くのをずっと聴いていた。新幹線の音は新幹線に似ている。

日記の続き#13

今年度の研究費をもらうための研究計画書を書いた。研究費を管理している大学の部署に提出するわけだが、誰が読むのかも誰か読む人がいるのかもわからないままに書くのはかなり変な感じがする。以下は変な感じがしながら書いたものの一部。

……このうち本年度の研究において中心となるのは、ドゥルーズにとって体系としての哲学はどのようなものであったかという問いである。彼は哲学の体系を、諸々の「概念」からなるネットワークのようなものとして構想した。これは論理やテーゼを哲学の本体とする考えからすると奇妙な主張だ。しかしドゥルーズは、哲学を概念の実践として捉えることで初めて、スピノザ哲学なりニーチェ哲学なりが、ひとつの体系として把握可能になると考えている。つまり、ひとつの哲学が「閉じられる」ためには、論理やテーゼには還元できないものとして概念が必要だということだ……

それで?という問いが振り切れないものとして頭にこびりつく。だから本を買わせてくれということなのだけど。この「だから」がすんなり通ってしまうことのほうが僕にとっては謎なのかもしれない。すごい変なことだ。

日記の続き#12

博士論文を書籍化するための改稿をやっていて、今日その第二章がやっと(やっと)終わった。この章はいずれもベルクソン研究の延長線上で映像論に取り組んでいるドゥルーズとエリー・デューリングの比較を扱っていて、2016年秋の表象文化論学会(青山学院大学だったっけ。くろそーと今村さんとろばとさんがわざわざ聴きに来てくれて、そのとき初めてひふみさんと話した。いぬのせなか座の山本さん、鈴木さんや大岩雄典さんと会ったのもそのときが最初だった気がする。三浦哲哉さんが喫煙所でああいう思い切った発表がいいよねと言ってくださったのを覚えている。それにしても6年前とは!)で発表したものがいちおうの初出になっている。それを紀要論文として書きなおし、博論に組み込むにあたってさらに書きなおし、今回できたものはしたがって4つめのバージョンということになる。そのつど決して小さくない改稿をして、6年かけてやっと本の1章ぶんになったわけで、我がことながら途方もないことだなと思う。自分はそういう途方もなさに付き合えるのだとわかったことは、とても大きな収穫かもしれない。

日記の続き#11

こういう偶然は案外あんまり重なるものではないが、数ヶ月前の季節外れに暖かい日に近所の小学校の前を通りがかると、敷地を区切る高い柵の縞模様の影が歩道に投げかけられていた。そこを歩くと、縞を横切るのに合わせて速いリズムのストロボみたいに陽光が目を撃つ。試しに目をつむって歩いてみると柔らかくて温かいものでまぶたをとんとんと叩いているようでとても気持ちよく、早く止めないと今にも蹴躓くぞ、そしてこれは気持ちよすぎるぞと思って止めた。80年代にはシンクロエナジャイザーという、目に光を当ててトリップするゴーグルがあったらしい。調べたら今でも売っているが、家で暗い部屋に寝転がって熱のない光を浴びるより絶対に季節外れに温かい日を散歩しながら陽光のストロボを当てた方が気持ちいい。(2021年3月13日

日記の続き#10

前回の続き。4つの小石と4つのポケットの理想的な循環は、それを舐めるモロイの行為の継続性や記憶の持続性に頼らないかたちで(いずれも彼に期待するのは難しい)、あくまで石とポケットを軸に形成されなければならない。だからこそ前回の後半に書いたふたつのツッコミは成り立たないわけだ。とはいえ、『モロイ』を読んだのは何年も前——ハタチくらいだったんじゃないか——で、ここで話していることがどれくらい作品に即しているのかぜんぜんわからない。ひとつ確かなことは、こうした試行錯誤を繰り返した挙句、モロイはあれほど執着した小石をあっさりと捨て去ってしまうということだ。有限な要素と、その組み合わせの可能性の走査。ドゥルーズはその果てにあるものを「消尽(épuisé)」と呼んだ。消尽されるのは可能性だけでなくモロイでもあり、小石を投げるより前にすでに彼は流刑者のように大地に投げ出されている。毎日1箱のハイライトメンソールとともにある生活のなかでときおりこのエピソードを思い出す。#7の話に戻れば、何かを数えることのなかでは自立も依存も区別できないということだ。あなたが日々数えているものは自立の手段だろうか、依存の対象だろうか。数えているとそれがふと小石みたいに素っ気ないものに見えてくるかもしれない。投げ出して横たわっても、立ち上がって別のものを数えるだけだ。