2019-2024年という時代について——2024年10月の近況

今年もあと2ヶ月、早いものだなあ、とはまったく思わず、とっとと終わってくれと思う。でもまあ、やっと区切りがついたのに終わったら休めないからこれでいいのか。

今日、「言葉と物」の第11回にして最終回のゲラを編集者に返した。この回はもともと8月末締め切りだったのをいまは書けそうにないとひと月延ばしてもらい、さらに9月末締め切りを2週間ほど延ばしてもらってやっと初稿が書けた。しかももともともう1回書く予定だったのを急遽最終回に変えてもらって。

どうにも書けなかったのは、まだ終わっちゃダメだと思っていたからで、二度目の締め切りのあとやっと、これまでの10回ぶんをじっくり読み返して、これはもう終わっているのだということに気がついて、気がついたとたんに自分を慰めてあげたい気持ちになり、これまで書いたことをひとつずつ集めなおして、それが全体としてどういう問題に応答するものなのかということを、新しい観点から書いた。必要だったのは新たな解答ではなく、これまで書いたものが解答であるような問題だったのだ。「言葉と物」というタイトルからして、それ自体はテーマというより方法論的な指針を指しているが、やっとこの連載がどういう問題にドライブされているかということに名前を与えることができてほっとしている。

少しさかのぼって9月、もうすぐ刊行される『ひとごと——クリティカル・エッセイズ』の序文を書いた。これももう、僕としては完全に「総括」で、2017年あたりからこれまで書いてきたこと、『非美学』も連載も単発原稿も日記も含めてすべて、8000字ほどのこの序文が圧縮・代表しているということでいい、これを読んでくれたら僕のことはもうわかったということにしてもらっていいと思えるようなものになった。総括なんかせずに「伸びしろ」感を出して引っ張ったほうが得という世界だけど、個人的にそういうタイミングだからというのもあるが完全に総括の季節で、そういう時期にこうしてモニュメンタルなものを書けてよかった。

今年の初めに最終章だけで半年くらいかかった『非美学』を書き上げて、6月に刊行されて——同月に日記が終了し——8月に新たな鼎談を付した『眼がスクリーンになるとき』文庫版が出て、来月『ひとごと』と「言葉と物」最終回が刊行される。あと日記と連載の書籍版が来年出せれば、それでひとつのチャプターが区切られるだろう。そのあとのことはそのあと考えようと思う。

もしかしたら、これまでのところの書き手としての自分のいちばんの功績は、「2019-2024年という時代をちゃんと書いたこと」になるのではないかと思う。コロナ禍以降と呼ぶのがいちばん手っ取り早いのだが、やっぱり2019年の京都アニメーション放火事件や「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展」を巡る騒動からひとつながりだと捉えている。生成AIの急激な発展と普及、ウクライナとパレスチナへの侵攻、リベラルな普遍主義の終わり……この時代のことを『非美学』、『ひとごと』、「言葉と物」、そして日記という4通りのしかたで圧縮できたことは、ラッキーと言うほかないが、これからどんどん折に触れて立ち返られるものになると思う(思う)。

なかでも、とりわけ僕にとっては、日記は日増しに不気味な存在になっている。2021年1月から2024年6月という、個人的にも『非美学』リライトの苦闘のなかで前後不覚になっていた3年間が保存されているというのは恐ろしいことだ。あれが本になるとはどういうことなのか。

ともかく、直近のものとしては来月初旬の『群像』に載る「言葉と物」最終回、中旬に出る『ひとごと——クリティカル・エッセイズ』をよろしくお願いします。いまちょうどフィロショピー第2期の講座も販売開始しているので、こちらもぜひ。来月・再来月にかけて書店トークイベントや書店フェアの開催もいろいろ予定しております。詳しい告知はツイッターで追っていただきたく。

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自由は自由でええけど、なんで文章なん?

ちょっと元気がなかった。というか、たんに疲れているんだと思う。『非美学』が出てからの2ヶ月、エゴサリツイート宣伝エゴサリツイート宣伝の日々で、無職だから誰とも会わないし、ぐーっと狭いところに入っていって、その反動が出ているのだろう。一人暮らしに戻ったように朝8時に寝て夕方起きて、夜中に街を歩き回って音楽を聴いて、妻にもいぶかしがられている。そういうのは僕にとっての帰省みたいなもので……という話を家族にするのはくすぐったいが、幸いにして24時間ジムに登録しているので真夜中に出かけても不自然ではない(たぶん)。


さっき、ベッドに入ってから2時間ほどで汗だくで目が覚めて、それで、自分が回復していることに気がついて、これを逃してはダメだと思って二度寝はせずに外に出て、珈琲館でこの文章を書いている。ここ2週間ほど、エディタというものをまったく開く気になれず、ちょうど昨日「言葉と物」の編集者に今月末の締め切りにはとうてい書けないと言って1号休載させてもらうことにしたのだが、こんなにすぐ元気になるなら書けたのにとも思うし、当のその締め切りが不調の原因だったのだという気もする。そういうのは結局よくわからないし、いちばん楽な合理化で済ましておけばいいようにも思う。どうせわかんないんだから。


目が覚める前に、夢を見ていた。スーパーのお菓子コーナーで「さやえんどう」を探しているのだが、ぜんぜん見つからないという夢で、もう「サッポロポテト」でいいやと思ってそちらを探すとようやく「さやえんどう」があって、しかしそれはパッケージも緑一色の「無印」化したもので、おまけの何かが剥ぎ取られた痕跡もあり、完全にがっくしきたところで目が覚めた。普段僕は夢をまったく見ないが、夢を見るときはいつも目覚めがいい。悪夢ならなおさら。たぶん寝汗をかくような代謝のありようと元気が連動しているんだと思う。


この間いろんなことを考えた。自分のことばかりだが。大半は流れ去っていったが、紙のノートにいまの気持ちを書いたりもした。紙のノートはよくない。いきおい元気がなくなるとパソコンを開かなくなり、それが何か着実な一歩でもあるかのようにノートにいろいろ書いたりするが、それだって逃避で、スマホもしっかり手もとにあるわけで、そんな状況で「自分のためだけに」と自己憐憫込め込めで書いたって体にいいわけがない。言葉なんだから他人の目がないと。やっぱりこうしてパソコンでエディタで、手書きの揺らぎや手応えなんかない、見るからに公共的な游ゴシックでぱちぱちと手放していくのが文章というものだ。どこを向いてもセルフケアの時代だが、それだって体のいい自己憐憫の口実が商売になっているだけだとも言える。甘えるな!というのはもはや《絶対に言ってはいけないこと》のカテゴリーに入っているが、それだってそのほうが儲かるから、とだって言えてしまうのだ(言えると言っているだけですよ、僕は)。


いやー、しかしやっぱりMacBookのペラペラのキーボードで振り返りもせずに書いていくと体にいい感じがしますね。とはいえこの数週間で悩んでいたのはまさにそのことでもあって、僕は『非美学』を出してディシプリンとしての哲学には(いったん)ケジメをつけて、ここ数年は美術批評みたいなジャンル前提の批評すら書いていなくて、「言葉と物」初回の冒頭に謳ったようにある種の純粋散文の実践みたいなものに舵を切っていて、日記もその延長にあったわけだけど、そういう、決まった読者がプールされたところに球を投げるのではないやり方を、ずーっとやっていくのはそれはそれでめちゃめちゃタフなんじゃないかということに、ひとことで言うとまあ、ビビっていたんだと思う。僕のあらゆる文章は、世の中に「言うべきこと」があるかのように振る舞い、そのゲートキーパーを自認しているような人間への憎悪によってドライブされている。かといって些細なことを愛でることこそが重要なのだという方向にもいかないし、そのつどめちゃめちゃタイトロープなのだ。しかしいったい誰がそれを喜ぶのか?


まあ現実問題として、哲学にせよ美術にせよ、べつにもはや打てば響くような業界でもなく、そのなかで仕事を回し合ってもしょうがないというのもあり、僕が自分の仕事としてこういう感じでやっていくのはたんに乗りかけた船ということでなく間違いではないと思う。だとしても、だとしても、だとしても、「ただの文章」で生きていくって、完全に虚業だし、音楽みたいに誰かと一緒に演奏したり目の前の人間を楽しませたりするわけでもないし、書いているときはひとりで、読んでいるときも読者はひとりで、それでずーっとやっていくってヤバくないか?小説ですらないし、と考え込んでしまっていたのだ。「言葉と物」の最初に書いた、批評は「もっとも自由な散文」なのだという言葉がベタにブーメランになって返ってきたわけだ。自由は自由でええけど、なんで文章なん?(岡山弁)と。


というようなことを考えたのは、こないだ菊地成孔さんと対談したこともきっかけになったと思う。生粋の非インターネットネイティブの、何十年も舞台に立ってきた人の空間を掌握する力はすさまじく、虚業者としてのレベルがぜんぜん違う。それは喋りの面白さとかそういう話ですらなく、音楽(あるいはセックス)というワイルドカードを持っているかどうかという構造的な話で、最後に菊地さんは僕は人類みんなが音楽家になるといいと思っているという夢を語ってらっしゃって、素晴らしいなと思ったのだが、僕は人類みんなが哲学者になればいいなんてまったく思ってないし(そんなことを言う人間は詐欺師だ)、むしろ『非美学』は「哲学しない」ことの領分を護るための本でもあった。彼のパワーに完全に当てられて、マジで自分は何らかの楽器をやるべきなんじゃないか、いま菊地さんはサックス初心者のクラスとかやってないかしらと調べたりまでして、しかしそれだって僕がもともと感じていた無力感に彼の言葉がぱかっとはまっただけかもしれず、どっちが先なのかはやっぱり問うても詮ない。


文章って、虚業にしてもあまりに半端じゃないか……そもそも存在が偉そうだし……という悩みは、構造的にはこの先も消えることはないだろう(ちょっと音楽をやろうがそれは変わらない。やっぱり自分の夢を賭けるかどうかは大きな違いだ)。悩みは消えないだろうが、いまはもう悩んでいない。なんかそういう気分じゃなくなったから。音楽のおかげで?

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やんわり移される

コンサータを処方できる病院にやんわり移された。うちでは出さないことにしているからと。覚醒剤みたいなものだからと良識的なことを言うが、要は紹介というかたちを取った厄介払いだ。それが昨日で、今日さっそく新しい病院に行った。有隣堂で柴崎友香さんの『あらゆることは今起こる』を買って読んで診察までの時間を潰す。たぶん僕もそうなんだろうなと思う。朝起きて椅子に座ると、これからやるべきこと、やりたいことが遠近を問わず頭に押し寄せてくる。いったんコーヒーを淹れよう。淹れて机に戻ると、またゼロから組み立てなおさないといけない。トイレに立ってもそう。スマホを開いてもそう。なによりまず、ご飯も食べないといけない。買ってきて食べるか、出かける準備をして外で食べてそのまま外で作業をするか。仕事をするために考えることが、どんどん自分を仕事から遠ざける。いっそのこと朝ご飯は抜いて、もう出てしまおうか。でもまださっき淹れたコーヒーは半分以上残っている。また遠ざかる。毎日そんな感じで、これはヤバいのではないかと思ってきた。柴崎さんは20年違和感を抱え続けていたらしい。予約の時間が近づいて、ベローチェを出るときに有隣堂の袋を店のゴミ箱に捨てる。受付で手渡される問診票に自己評価についてのアンケートがついていて書き込む。不思議なほどおどおどした医者が、診察室から腰をかがめて直接僕を呼びに出てきた。昨日の病院からの紹介状があったからか、すでにコンサータを処方する前提で話が進む。結局僕は、MBTI診断より設問が少ないようなアンケートしかエビデンスを採集されていないが、そんなものでいいのだろうか。柴崎さんは脳波の検査まで受けたようだが。症状を聞かれ、考えるほどにやるべきことから遠ざかってしまって、本来1日3-4時間は執筆だけに充てられる体力的・時間的余裕はあるはずなのだが、1時間できればいいほうなのだと言う。子供の頃は? 子供の頃はずっと上手くやっていたけど、宿題はまともに出せたためしがないし、仕事に要する思考のとりとめもなさが、そのまま仕事の手前に染み出してくるようで、ここ数年で酷くなった気がすると話す。まずは18ミリ。2週間後に増量を検討。どうして処方したがらない病院もあるのかと聞いてみる。依存性があるからと言うが、実際危険はそんなに大きくないし、バックアッププランがあるわけでもないからほっとくだけになってしまうのだと言う。コンサータ処方に義務付けられた登録証の仮のものをもらって向かいの薬局で薬を買う。自立支援に申請すると自己負担1割で買えるようになると伝えられる。ドトールに寄って1錠飲んでみる。「2024/07/02、17:12、コンサータ飲み始め」とスマホにメモした。

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12時間

昨日夕方、外を歩いていて、ふと煙草やめようと思ってコンビニに入ってゴミ箱にまだ半分以上残ったまま捨てて、それから寝るまで喉から肺までがじくじくと煙草を欲していて、しかし明白に脳の血流はよくなって口数まで増えていた。早めに布団に入って、このじくじくの中に入ってそれを裏返すのだとよくわからないことを考えているうちに眠っていて、5時間くらいで起きたのだが最近めっきりなかった完璧な目覚めとともに散歩までして、しかしこの渇きと覚醒に引き裂かれたまま丸一日を過ごすのかと思うととたんにめげてしまい、さっきコンビニで煙草を買って換気扇の下で吸った。結局やめていたのは12時間くらいか。肺と脳が下方で出会いなおす。脳に血を。肺に煙を。それは両立できないことなのか。

(6月30日のツイートより転載)

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日記更新終了のお知らせ

2024年6月1日の日記をもって、3年間書き続けた日記の更新を終了します。書き続けたといっても、丸1年が終わるたびに2ヶ月ほどの休止を挟んでいて、正確には、2021年1月20日から2022年1月19日まで、2022年4月7日から2023年4月6日まで、そして2023年6月2日から2024年6月1日までの3年ぶんの日記を書いてきました。

まあ、数十年単位で日記を書いているひともたくさんいるので、それ自体がどうということもないのですが、僕としては1年目の途中に決めた3年間書くということをつつがなく終えられてほっとしています。最後までどういうひとにどういうふうに読まれているのかははっきりしませんでしたが、ともかく、更新通知ツイートへの反応や、サイトのトラフィックとしてぼやっと現れる読者なくしては続けてこられなかったことはたしかです。たぶん、それぞれの勝手なそのときどきの疎密があって、こちらが続けているからこそそういうものとして関われるわけで、それが日記を公開することのよさのひとつなのだと思います。

これから日記をどうするのか、また本にするのか、するとして自分で作るのかどこかから出すのか、ということはまだなにも決まっていません。いずれにせよここにすべての日記があることは変わらないので、ひまなときに「ランダムに日記に飛ぶ」リンクをぽちぽち押したりしてみてください。

しばらく休みますが、このサイトは継続的になにか書く場としてまた別のかたちで使っていこうと思います。長いあいだお付き合いいただきどうもありがとうございました。

6月1日

昨日と似たような行程を、今日は妻と一緒に辿った。つまり、カラスの群れの声に起こされて、昼過ぎに外に出て、イセザキモールを関内のほうへ歩いて行って、昼食を食べて、カフェで本を読んで、本屋に寄って買い物をして帰る。違うのはサーティワン・アイスクリームでアイスを買って帰ったことで、土曜だからか家族連れが並んでいて、ようやくアイスを受け取った妻にアイスを買うだけで大事やったねとつぶやいた。帰ってシンクでドライアイスを溶かして遊んで、夕食にミートソースパスタを作って食べた。風呂上がりに僕はラムレーズン、妻は杏仁豆腐味のアイスを食べた。開けた窓から街の音が聞こえていた。

これで日記はおしまい。日記があってもなくても日々は続く、ということへの信頼みたいなものを育てるために、いつ終わってもいい書き方で毎日書いてきたのだが、1年目の途中に決めた丸3年でやめるということがこうして実際にやってくると、なにか恐ろしいような気もする。他方でやはりこのかたちで書くことにどこか狭苦しさを感じ始めてもいて、このかたちというのは、日記のことでもあるが、それ以上にたぶん、昨日のことについて睡眠というパテーションを挟んで今日書くことだ。でもそれによって日記を書く時間は、すでに昨日ではないがまだ今日でもないある種の人工的薄暮——国際線機上の夜のような——としてあって、むしろその手狭さは心地良いものであったこともたしかだ。だから結局のところよくわからない。いや、矛盾があると思うからわからないのであって、矛盾に見えるものが並んでいるという事実のほうが広いのだ。恐れているのもそのことかもしれない。信じているのものそのことかもしれない。

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5月31日

カフェドクリエで黒嵜さん、山本さんとの鼎談の構成を仕上げて、編集者にメールで送って、さて、と思った。さて…… さて…… いや、もうすることがないのだ。もう来月末の連載締め切りまで、細々したものをべつにすれば何も考えるべきことがない。隣のやよい軒に移って空いていたので4人席に座って、出てきた生姜焼き定食も、肉の焼き目とぱりっとした白さを残したもやしのコントラストが絶妙で、ここには炒め上手がいるんだと思った。有隣堂に寄って5階の人文書から下りながら本や文房具を眺めて、町屋良平の『生きる演技』が気になっていたんだったと見に行くと、そこに村上春樹の英語版短編集のセレクトを踏襲した『象の消滅』と『めくらやなぎと眠る女』が面陳で並んでいて、どうしていまさらこれがプッシュされているのかと思いながら、3冊ともレジに持っていって、紙袋に入れてもらった。ベローチェに移って3冊をテーブルに出して、暇つぶしに寄った本屋で買った本をこうして読むのはいつぶりだろうと思った。大きな窓をそのまま、京浜東北線が横切っていく。

『象の消滅』の最初の「ねじまき鳥と火曜日の女たち」を読む。僕も彼とほとんど同い年で、見ようによっては失職した身なのだと思う。スパゲティーのゆで時間ばかり話題に上がるが、そもそも日常的にスパゲティーを作る人間はそれを「スパゲティーをゆでる」という言い方では言わないのではないかと思う。作り置きのソースで作るにしても(実際たぶんそういうことなのだが)、麺をゆでることより作り置きのソースを再加熱することをまず言うだろう。いなくなった猫を探して入口も出口もない「路地」に入る。ドゥルーズ&ガタリはカフカの小説を「入口の多数性の原理」(どこから入ってどこから出てもよい)で説明したが、春樹の小説は袋小路ですらない閉域から始まる。突然10分くれという電話がかかってくる。10分くれと言われてしまうともうその10分から出られない。あるいは『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の、上がっているのか下がっているのかわからないエレベーター。ねじまき鳥は、猫のねじを巻かなくなってしまったのかもしれない。ちょうどいま読みかけのル・クレジオ『メキシコの夢』では、侵略前のメキシコの人びとが太陽(の神)に明日も戻ってきてもらうために血を捧げる儀式をしていたことが書かれていた。ヒューム的な懐疑に血で応答する。疑ってしまった以上それくらいしないとウソだよなと思った。その点現代の黙示録的な論調はむしろ、しゃかりきになって疑ってみせる白々しさと、それを指差されたときのためにわかってやっているんですという二重底のウソくささがある。

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5月30日

朝風呂に浸かりながらKindleで坂口恭平(漫画:道草晴子)の『生きのびるための事務』を読む。大学を出て1年目の著者がジムと出会い、10年後の「将来の現実」に向けた生き方を出発させる。自分が23歳で、なにができるのかなにをしたいのかわからなかった頃に戻って再出発させてくれるような、たしかな希望にあふれた本だ。僕は来年でそこから10年。ツイッターで感想をつぶやくと坂口さんが見つけてくれて、入眠のために『シネマ』5時間講義を聴いていたのだと教えてくれた。最初に彼の本を読んだのは、それこそハタチくらいの頃に出た『独立国家の作り方』で、そこからずっと見ていたので嬉しかった。なんでもやっておくものだ。この日記だって彼のパステル画の影響もあるだろう。宅急便で須山さんから台湾の烏龍茶が届く。こないだ飲ませてもらったものが美味しかったと言ったら、輸入販売をしている知り合いからもらっているものらしく、わざわざお裾分けしてくれたのだ。パウチに「lisan」とだけ書いてあって、調べてみると李山烏龍茶のことらしい。さっそく淹れてみると、こないだ自分で探して買った凍頂烏龍茶よりずっと、そのまま茶畑を歩いているようなフレッシュな香りがした。家を出てドトールで仕事をして、ひと息つきながら『生きのびるための事務』にあった、ノートに昨日の24時間と10年後同じ日の理想の24時間をふたつの円グラフで書くのをやってみた。昨日のグラフの下に印税(初版ぶん)、原稿料、フィロショピーなど今年稼げる(3月までもらっていた学振と非常勤は抜きにして)収入予定を列挙してみると合計700万くらい。仮にこれが10年後に1000万になるとするなら、そいつはどういう一日を過ごしているのか。書いてみたが変えたいところが読書時間を増やすことくらいで、あとはほとんどいまと同じだった。いずれにせよ書く・喋るだけで1000万目指すのはかなりしんどいということが判明した。今年の700万だっていろいろ重なってそうなっているのだし、いろいろ重なった状態を維持するだけでも大変だ。大学でも私企業でもいいからとにかくひとりでやること以外の何かがないと。でもそれがなんなのかまだよくわからない。いまこうなっているのだって、なんだかよくわからないまま嫌なことだけ避けてきただけなのだと思って、喫煙ブースに移った。

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5月29日

また吉住さんにサモアールに来てもらって、『非美学』の惹句とイベント企画、『眼がスク』文庫版の進捗とスケジュール確認、論集の今後の方針について話し合う。なんだか最近彼もどんどん元気になっているように見えて、自分の企画で何かしら希望を感じてもらえているんだったら、それだけでもやってよかったなと思う。こないだの撮影もみんな楽しそうだったし、いい波が来ている。ひさびさにサイゼリヤに行って、青豆の温サラダ、辛味チキン、ミラノ風ドリアにチーズが載ったものを食べた。ドリンクバーをつけてもこれで1000円。ジムで20分走って、懸垂とスクワット。80キロで6回を4セット。最初なんだか重いな、調子が悪いのかなと思って3回でやめてよく見ると100キロでやってしまっていた。100キロ持てるのだ。健康維持が目的の筋トレはスクワット(and/orデッドリフト)と懸垂を固定して、あとは一種目くらいその日の気分でやるので十分だと思う。小さい筋肉をちまちまやる時間があったら、ストレッチや体を大きく動かす有酸素運動に使ったほうがいい。

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5月28日

文庫化するだけだからほっとけば出るだろうというくらいに考えていたが、ここ数日『眼がスクリーンになるとき』のゲラ校正と座談会文字起こしの構成にかかりきりになっている。外は暗く曇っていて、小雨だが風が強く、傘を畳んで歩く。しかしまあ、この作業が終われば、連載も隔月にしてもらったし、週一のフィロショピー以外はほんとに暇だ。トークみたいなその場に行けば終わる仕事はなるべくたくさんやって、あとはなるべく自由を確保したい。日記ももう終わるし。でも露出としてはこれからしばらくむしろ増えるんだろうし、変なものだ。夕飯は鶏もも肉の梅と大葉のソテーと、きゅうりとマッシュルームの和え物を作る。ひと口大に切った鶏を焼いてフライパンから出して、そこにバターとすりおろしにんにくを入れて弱火で香りを出して、梅肉を加えて鶏を戻して和える。皿に盛って粗挽き胡椒をたっぷり、刻んだ大葉を肉が隠れるくらいたくさんかける。夜になると風がもっと強くなって、家がかすかに揺れる。スピノザは風とか陽光とか、そういうものがあるだけでぜんぶ哲学できちゃうひとだったんだろうなふと思う。僕はそうじゃない。

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