5月25日

ツイッターで蛙化現象についてのツイートが流れてきて、それは恋人のちょっとした行動で気持ちが冷めてしまうスラング的な用法についての話だったのだが、これは「哲学的ゾンビ」問題と似たようなことなのだろうなと思った。つまり、誰かが疎遠で機械的なものに見えるのは、自分が自分に対して疎遠で機械的なものになっていたことの自覚からの、無意識的な瞬時のすり替え・投影なのだろう、と。ちょうど哲学的ゾンビについて「言葉と物」で書こうと思っていたので、この話を導入にするといいかもしれない。往々にしてひとは、とりわけ哲学は、自分がぼおっとしていたことを棚に上げてそれを他人になすりつける。自分の意識について疑うときですら、それを意識的にコントロールする何かを導入せずにはいられない。その点やはりデカルトは偉いのだ。

この日記ももうあと1週間で終わり。1年目は本を作るために、2年目は引用するために、日記を読み返す機会があったが、ここ1年はそれもなくなり、何を書いてきたのかぜんぜん憶えていないし、最初の2年の記憶も遠くなった。3年やってやっと日記らしくなってきたのかもしれない。しかしこれを本当に書き捨てるというのは、どういうことなのだろうか。3年ぶんを本にするという、全体化への期待みたいなものがひとつの拠り所になってきた、つまり、僕でなくても誰かが思い出せるものになるだろうと思ってきたが、仮にそれが実現しなければ、本当に誰も思い出さなくなるし、日々の連続性も回復不可能になるのだ。テクストが消えるわけでもないのに。それはどういうことなんだろう。

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5月24日

家で撮影。写真家の金川さん、デザイナーの須山さん、編集者の吉住さんが朝10時くらいに来て、妻を紹介してコーヒーを出す。天気は明るい曇りで、南の窓から差す光だけで撮影できる。金川さんの手際がよくて撮影自体は一時間半ほどで終わって、この街のことを紹介しながら龍鳳まで歩いて昼食を食べにいく。家の周りのカラスとネズミとスナックのこと、横浜橋商店街のこと、イセザキモールのこと。日記を読んでいても僕がこういう街に住んでいるのは意外らしく、街のことを書くのは本当に難しいのだと話す。龍鳳は待たずに入れて、丸いテーブルで空心菜炒めや海老の包み揚げ、鴨の薬膳スープをみんなで分けながら食べる。家に戻りながら吉住さんと『非美学』最終ゲラの未解決事項である「本書」問題について話す。つまり、「本書」が『非美学』を指す場合と直前に言及した本を指す場合とがあって、僕としてはそれぞれ文脈から明白にわかるし、いいじゃないかと思っているのだが、吉住さんや校正・校閲チームのひとは一瞬迷うので言葉を分けたほうがいいと思っている。たぶん問題は僕のクセで、本を主語にしがちなんですよねと言うとなるほどたしかにという空気になって、個々になるべく自然なかたちで修正したりしなかったりしますと言う。英語の問題で代名詞の指示対象を探すようなちょっとした負荷はむしろあったほうがいいようにも思うのだが、どうなのだろうか。吉住さんは金川さんを車で送って、須山さんは電車で帰る感じだったのだが、まだ吉住さんと打ち合わせることがあったこと、金川さんの個展会場に送ること、須山さんが帰るのもその方角であることもあり、5人みんなで車に乗って恵比寿まで金川さんの個展を見に行くことにした。関内から高速に乗って、50分ほどで会場に着く。「祈り/長崎」という展示で、文字通り祈りと長崎の写真が並んでおり、その看板のいつわりのなさだけでも、そうだよなと安心して見られる展示だった。逆に言えば、いま展示を見に行くことはそれくらい変な緊張を強いられているのだ。ギャラリーのスタッフに記念写真を撮ってもらって、良い一日だったねと言いながら別れて、妻と横浜に帰った。

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5月23日

家にいると頭がわーっとするのでいつも外に出るのだが、今日の前半は頭がわーっとするのに合わせて家のなかでいろんなことをした。書き出すと仕事から家事まで細かく7つくらいやることがあって、それを頭からこなしていたはずが、気づくとそこに入っていない献本リストをスプレッドシートで作っていた。ここ、この空間にやること・できることが集中しているから、頭と体の距離が近くなって短期記憶に振り回され、部屋がほとんどそのまま頭骨みたいになっているのだ。結局外に出る。外に出るみたいに。

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5月22日

カヴェルの『理性の呼び声』をもらって、ぱらぱら読む。1000ページくらいある。やはりとても読みにくい文章だが、それを、段落ごとの着地点だけ拾って振り返らずにページをめくっていく。角川選書から出ているマルクス『資本論』の解説書をKindleで買って風呂で読む。しばらく風呂ではこれを読もう。Kindleで読むときは数段落単位でまとめてハイライトをつける。ハイライトだけ一覧して、気になったところの話の流れがわかるように。でも見返すことはない。ルーターの電源を抜き差ししたらネットが繋がらなくなり、見たこともない認証ページに飛ばされる。プロバイダーは妻が契約してくれているので電話で問い合わせてもらって、ユーザー名とパスワードを入れると繋がった。いままで3年間認証なしで繋がっていたのはなぜかと聞いても、回線ってけっこう適当なのでという適当な答えしか得られなかった。それまで部屋を片付けたり、夕飯の材料を買いに行ったり、いい感じで進んでいた一日が、それだけで2時間くらいロスした。夜に少し黒嵜さんと電話で話して、『非美学』はどうしたって敷居が高くて、論集が出てやっと広がりが作れると考えていたが、そういうことでもなく、『非美学』の段階からバンバン開いていけばいいのだと思えた。現にゲラを渡している黒嵜さんやいぬのせなか座山本さんは哲学プロパーではないがおもしろく読んでくれているようだし。

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5月21日

『眼がスクリーンになるとき』文庫版ゲラ。ラタトゥイユと白ワインビネガーソースの鶏もも肉のソテー。パーカーだと暑かった。

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5月20日

朝ご飯の献立は、しばらく同じものを食べていたと思ったら不意に変わり、こんどはそれがしばらく続く。こないだまでトーストと目玉焼きを食べていたのが、コンビニの菓子パンかトーストだけになり、気づくと使わなくなった卵の消費期限が切れている。次のゴミの日まで、冷蔵庫に入っているその卵を捨てることを、覚えておかなければならない。卵に貼られた日付のシールを見たとき、ここしばらくの忙しさとその後の放心が醒めて、生活のおぞましさがふたたび流れ込んでくるようだった。またここから始めるのだと思った。

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5月19日

大和田俊が横浜に来ていて、妻と3人でご飯を食べた。関内で待ち合わせて、サモアールでオムライスとアイスロイヤルミルクティーのセットを頼む。青森は楽しいらしい。自転車で一日に何軒もスーパーを回って、トマトがない店があったり、先週旬だったものがもうなかったり、そういう、季節に振り回される流通のありかたから、生き物の疎らさ、以前彼と話した、スピノザの、人間が20人だったとしてそれが19人になっても人間の本質は変わらないという話を介して、では生き物を数えるとはどういうことなのか、神の仕事でもなく科学の仕事でもないとしたらなんなのか、とか、青森に(たぶん)1年しかいないのももったいないなと思う。ちょうど犬と人の疎らな関係について書いたのもあって、頭のなかでそれを仮想的な添え木のようにしながら相づちを打つ。ともかく元気そうだった。

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5月18日

気づけば3日くらいぼおっとしてしまっているが、近い順に言うと、20日にフィロショピーのフーコー初回、23日に「言葉と物」ゲラ戻し、月末に『眼がスクリーンになるとき』文庫版のゲラ戻し、来月4日にエッセイ締め切りと、と数えてみたが、詰め込めば丸2日で終わる仕事量だし、かえってわりと暇だと思った。暇なのはありがたい。

夜、ツイッターを見ていると退職代行業者についてのツイートが目に入って、この話題について事前にキャッチアップして「いてもいなくてもよくなることについて」で話せなかったのは痛恨だったなと思った。取材とかできたら楽しそう。

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5月17日

連載を今後隔月の掲載にしてもらいたいとお願いしたらあっさりOKがもらえて、だいぶ気が楽になったと思ったら6月4日が締め切りのエッセイがあることを思い出した。テーマさえ決まればすぐ書けるが、エッセイの種になるようなものがさいきんあったか、何も思い浮かばない。そのことと、締め切りの日にはもうこの日記も終わっていること、しばらく前から「日記が長続きしない理由には、文学の謎のすべてが詰まっている」というまだ存在しない企画のキャッチコピーが頭に浮かんでいることの三つくらいが頭のなかで合わさって、「長続きしないこと」をテーマにしようかなと思った。続けようと思っても続けられないとき、それでもいいんだよと言うでもなく、その情けなさをそのままでポジティブに考えること。

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5月16日

何にもする気にならず家からも出ずご飯も作らず、ずっと『ONE PIECE』を読み返していた。やはり尾田栄一郎は本当にすごいと思いながら、今月末が締め切りの回を休載させてもらえないだろうかと考えていた。

こないだ書いて来月出るのが犬およびサイボーグについての文章で、次は人間およびゾンビについて書く予定で、そのあと2回くらいで「言葉と物」は終わると思う。『非美学』も手を離れて、先日の3日連続トークも終わって、あとはゆっくり連載とそのための読書に専念したい。さしあたりウィトゲンシュタインか。

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