5月10日

 まだ寝たいが起きる。昨夜水切りラックにかけた物を片付ける。バラして洗ったキッチンバサミを直そうと一方の穴に他方の凸を嵌める。閉じきらないなと思ったら向きが逆で、刃が背中合わせになっている。なぜか昨日読んだ千葉雅也の「オーバーヒート」を思い出した。一方をひっくり返すと静かに擦れて刃が閉じた。何も切っていないのに何か切ったようだ。直す前も後もそれぞれに危険な感じがした。いつも遠出する直前になると全てが面倒になる。だらだら支度をして地下鉄に乗って、スマホで新幹線のチケットを予約する。名古屋に行って本山ゆかりの個展を見る。往復2万円かけて無料の展示を見に行くのは馬鹿げているのかもしれないとふと思うが、そんな風にお金を数えるべきじゃない。定価の3倍になった本を買うこともあるし、3分の1の本を買うこともある。そういうものだ。新横浜で降りて注文カウンターだけのスタバでカフェラテにバニラを加えたものを頼む。スタバはどこも禁煙なので嫌いだがハワイの空港で時間潰しに行ったときに飲んだバニララテが美味しかった。日本には「バニララテ」という商品がないのでどう言えばバニララテが出てくるのかいつもちょっと迷う。ホットのスタバラテで、ショートで、バニラ追加でと言うと、作る人に向かってバニララテホットショートと注文を通した。あるんやんけと思いながらそれを持って新幹線に乗って荷物を置いて喫煙ブースに入った。片手で煙草とライターを出して火をつける。ブースは一人までしか入れないし、コップを置く平らな場所もない。座って台を引き出してパソコンを置くが揺れるので膝に置いて日記を書き始めた。もうすぐ名古屋だ。これだと5月11日の話ばかりだけど、それはこれから始まることにする。

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5月9日

 夏物を入れた段ボールを引っ張り出して、冬物と入れ替えた。ダウンジャケットとかをクリーニング屋に持っていく。そういう時期だからか店の外に3組ほど並んでいて、前にお母さんと3歳くらいの男の子がいた。彼が店のガラス張りの壁に貼られた「翌日仕上」という丸くて太い字体の「日」を8の字になぞっているのを見ていた。カウンターには3人のおばさんがいて、会員証はあるかとか、これは「エクセレント」じゃないととか、ここの皮脂汚れがとか口々に言いながら、それぞれためつすがめつ服をひっくり返していた。はいとかお願いしますとか言いながら、もうその場で誰が誰か忘れそうだった。晩ご飯の買い物をして帰って何かどっと疲れたので昼寝をした。たくさん汗をかいて起きた。彼女が母の日だからと花をくれた。

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5月8日

 もう部屋着は半袖Tシャツでよくなった。夜に窓を開けていても寒くない。前の家は目の前が大きい道路で2階の部屋だったので窓を開けると車の音がものすごくうるさかった。あまりにうるさいので友達と通話していて外にいると思われた。確かにほとんど外みたいな家だった。1階が薬局の倉庫で、2階に2部屋だけ単身用の賃貸がある。内装はリフォームしたてで綺麗だったけど、構造が薄っぺらいのでトラックが走り抜けるだけで揺れた。音と揺れで最初のうちはろくに眠れなかったので、これが家なんだと思い込むことにした。車と風と地震でそれぞれ違う揺れ方をする。泊まりに来た人が地震?と言うと車だよと言う。ちょうどその部屋に越してきたときに佐々木友輔の「揺動メディア論」についての文章を書いたばかりで、家が揺動メディアになったと笑っていた。つねに分厚い遮光カーテンを閉めて電気をつけて、せめて光のあり方を内部っぽくしていた。夜外に出ると暗くてびっくりするし、昼外に出ると眩しくてびっくりする。横になって目を閉じると波打つ音と揺れに家の輪郭が紛れた。

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5月7日

 依頼関係のメールが3通来て、ゴールデンウィークが終わったことに思い当たった。どれもそれぞれに悩ましいところのある内容だったので放っておいた。しかし依頼ってなんで来るんだろう。あれ読んで面白かったんで頼みましたという依頼が数珠繋ぎに続けばハッピーなのだろうけど、たいていはこういう専門であるとか、だいたいこういうポジションであるとか、誰の知り合いであるとか、やったことの内実より持っているものに動機の比重が置かれていることが多い。まあやりたければやるしやりたくなければやらないという態度を崩さなければいいだけのことだ。しかしいつの間にか置かれたポジションを内面化してしまう危険はいろんな角度からやってくる。キャリアステップ、貧窮、担ぎ上げ、孤独、義憤。このサイトはそうした外圧とその内面化をかわすためのものとしても機能するだろう。専門知を講釈したり、時事にコミットしたり、自分を戯画化したりすることなく書きたいように素で書いても読んでくれる読者がいるというのは、書き手の精神衛生にとてもいい。それに素で書いたものを素で読んでもらうことが非常に難しい状況にあって、メタメッセージやポジショントークを読み込むような「考察」に晒されることもないこの日記はとても恵まれていると思う。こういう言い方が道徳的で癪に障るのだとすれば、これは信用の問題なんだと言い換えてもいい。言葉を額面通りに受け取ってもらうには信用がなければならない。この日記は信用を得られるように毎日書いて、そのためにそれなりに努力もしている。例えばこれを継続して数百人単位の信用を得られたとして、どこかの段階でこのサイトの記事を——少なくとも今後2, 3年はそういうことをするつもりはないが——購読制にしたとしてみよう。月額1000円で200人登録すれば生活はできる。ここがニュートラルポジションとして機能すればこそ、外でやるべきことがブレないし、何かに怒ったときにこいつは本当に怒っているぞと思ってもらえる。

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5月6日

 ある文章に載せる図版の相談を5月の初め頃にしたいと言われていたのだけど、編集者から連絡がない。そもそもその文章をまだぜんぜん書いていないのでむしろ助かるのだけど。どうしてか図版は無しで済めばそれがいちばんいいと思っている。例えばウェブ版美術手帖によく書いている展評は、こちらが文章を送ると編集が写真を所々に挿入してページを作るのだけど、毎回無くていいなと思う。まあこればかりは仕方がない。卒論ではブニュエルの『欲望のあいまいな対象』の全ショットで映像がどう組み立てられ、そこにどういう音が重ねられているのか記述したけど、それも全部言葉で表にまとめて静止画は使わなかった。よほどのことをしないと図版が実効的な意味をもつことはないと思っている。よほどのことをしたうえで平倉圭とは別の「よほどのこと」を発明することはできそうにないからかもしれない。たんにインフォーマティブな使用だと割り切ってしまえばいいのかもしれないけど、それはそれで文章とイメージが互いに拘束し合う力を舐めているなと思う。そこには共依存的なものがある。サムネイル的にイメージが前に出たり、キャプション的に言葉が優位になったり。目を引くこと(これは何だ?)と理解すること(これはあれだ)。惹句が添えられた大きい扉絵とキャプションが添えられた小さい図版。むしろイメージから言葉を引き剥がして、それを読むだけでひとつの完結した経験が成立するようなものを書きたい。そのとき問題になるのは記述の正確性をどう保証するのかということだけど、ひとつには論述の対象となる作品が(程度の差はあれ)公的なものであることによって、その検証、保証を共同体スケールで担うことができるだろうと思う。そしてそうした検証可能性に対して予防的に、これはこうなってるでしょと写真図版を「有無を言わせぬ」ものとして掲げることに抵抗があるというか、そういう使い方では作品に何か応えたことにはならないんじゃないかと思う。

 いつの間にか厄介な問題に踏み入れてしまっている。以前ちょくちょく書いていた写真つきの日記が良かったという感想が雑談掲示板に来ていて、それについて考えていたんだった。これはこれで難しい問題だ。

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5月5日

 3日前にドンキをぶらぶらしていて、カルバンクラインの肌着の3着セットが安く売っていたので買った。白、黒、グレーのTシャツ。Sサイズでちょうどよかった。買った服はすぐ着ていちど洗濯しないと落ち着かないので、毎晩風呂上がりに1着ずつ新しいのを開けて着た。もうユニクロのTシャツにも降りてきているビッグシルエットの流行は早晩終わるだろう。2, 3年前はスウェットパンツと靴下みたいなスニーカーだった(勝手に「靴靴下化問題」と呼んでいたが、別に何を書くこともなかった)。今は溶岩みたいにボコボコしたスニーカーと大きいトップスだ。確かにいずれも民主的ではある。流行は挑発的なものでなく安心を与えるものになった。いったんお洒落の意味を、「その日着るものを気分に合わせて選ぶことができる」というところまで切り詰めるべきだと思う。この場合気分というのはたんに主観的な心情だけではなく体調から気候から出かける場所から、いろんなものを含んでいる。そうするとお洒落はとても気軽なものであると同時に難しいものに見えてくる。これもたんに民主的な定義だろうか。しかしここには表現の余地がある。表現とは気分を形にすることでそれがまた気分の素材になることだ。気軽なのはそれが必ずしも「自己表現」である必要はない——そもそもそんなものがあるのか怪しいが——からで、難しいのは気分を何かひとつの要因に帰すことはできないからだ。

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5月4日

 マックで遅い昼ご飯を食べた。いつもは新しい洋楽が流れているのに、宇多田ヒカルのAutomatic、ミスチルのシーソーゲーム、奥田民生の何か気の抜けた旅の歌が流れて、昔の親の車に乗っているみたいだった。aikoとかスガシカオとか、SMAPのらいおんハートとか、そういう時代で、そういう歌はだいたいダウンタウンのHey! Hey! Hey!で最初に聴く。自分でCDを買うようになる前の歌だ。山から石を運んで降りるオレンジ色の巨大なダンプカーが列をなして過ぎていく国道沿いの団地、ブラウン管のテレビ。国道を挟んで向かいにある市民病院で生まれたらしい。小学校までは徒歩5分だ。北に行くとずっと山で、南に行くと小さな山を越えて湾岸の工業地帯がある。でもたいてい車に乗せられて行くのは西に向かって福山方面に行くか、東に向かって倉敷方面に行くかどちらかで、どちらに行ってもあるのはイオンだった。去年と一昨年、友達と車に乗り合わせて福島に行った。いわきから浪江に北上する国道6号線の、洋服の青山の大きな看板や派手な仏具屋の並ぶ景色が実家から福山に行く景色とそっくりで、でも一方は南北に、他方は東西に伸びる道なので変な感じだった。日本は名古屋あたりで折れ曲がっているので、西日本と東日本で主要な動線の向きが違うのかもしれない。右手に海があって、左手の山の方に陽が沈んでいく。そんなこと今までなかった。富岡あたりから帰還困難区域に入り、道の両側がフェンスで囲われている。

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5月3日

 喫茶店で作業。衝立越しにそれはもはや匂わせじゃなくてお知らせだろと言う男の声が聞こえる。そういえばくろそーが「匂わせ」という言葉について、自分が受け取ったものを相手の能動的な行為に転化するときに嗅覚の比喩が使われていることに着目して文章を書いていた。「自分たちが「嗅ぎつけている」のではなく、当人らが「匂わせ」ている。発生した疑念はあくまでも受動的なものであって、ゆえにこの疑いが的外れかは関係なく、この疑念の発生自体が「被害」なのだと[……]」(公開されている黒嵜想のGoogleドキュメント「この距離でも匂う」より)。探偵が「これはクサイな」と言うとき、彼は犯人が意図せず残した痕跡を嗅ぎつけていたが、嗅覚はもはや痕跡をトレースバックする能力の卓越を比喩するものではなくなった。あらかじめ撒き散らされた痕跡への沈黙は共犯を意味してしまう。疑念は被害であり、潔白であるためには告発しなければならない。一方は匂わせ、他方は言わければならないというコストとリスクのギャップに誰もが巻き込まれ、互いに能動性をなすりつけあう。無臭であることが公共圏への参加条件となり、かつて漠として疎であった喫煙者の空間は公然と密になり、私性はあらかじめ明け渡され抵当に取られている。お知らせに向かう匂わせと陰謀に向かう告発のチキンレースはそのことから目を逸らす方便ですらあるかのようだ。匂わせから匂いを剥ぎ取ることはできるだろうか。そのとき人は犬にとっての犬がおそらくそうであるように匂いに「なる」だろう。蜜柑を焼いたようなハイライトメンソールの重たい煙の、削った鉛筆みたいな汗の、夜の川辺みたいな部屋干しのTシャツの匂いに。

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5月2日

 東浩紀がいつかのゲンロンカフェの動画で、メタな発言というのは決してそれ自体は高度なものでなくて人は易きに流れるとメタなことを言うんだと言っていた(いわゆる「経験的−超越論的二重体」としての人間の話だろう)。作文の題材に困った小学生が書けないことについて書くように。逆に言えばベタな発言——これを便宜的に原義を拡張して「プレーンテクスト」と呼び、「メタテクスト」と対比的に用いることにしよう——に留まるためには努力を要するということだ。たとえば論文の冒頭で研究対象の範囲を画定する文章は、それ自体はメタテクストであるが、それ以上メタにメタを重ねる自己言及を打ち止めにする機能がある(千葉雅也なら「イロニーからユーモアへの折り返し」と言うだろう)。ベタを守るためのメタがあるし、メタにそれ以上の意味をもたせるべきではないと思う。プレーンテクストなき世界は陰謀論の全面化したパラノイアックな世界だ。しかし言葉の地階とは何なのだろうか。それはたんにそれぞれの示す事実に立脚した言葉の集まるフロアなのだろうか。そうすると物理的現実→現実に即した言葉(プレーンテクスト)→言葉の現実についての言葉(メタテクスト)というフロアマップを描くことになる。言語を論理的に純化する試みは、自身をメタテクストとし、操作される言語=論理を完全なプレーンテクストとしようとしている(フレーゲ、ラッセル以降の意味論的言語哲学の系譜)。その後の哲学史ではこの意味論的な完全性の希求は、ウィトゲンシュタインにおける前期後期の分割に代表されるように、不可能だと明らかになったということになっている。問題は言葉が現実を指示するということの基礎づけから移行し言葉の指示対象は括弧に入れられ、ソシュール的に「ラング」の示差的な構造を炙り出したり、チョムスキー的に文法構造を分類したり、ともかくメタテクストはプレーンテクストの純粋に形態的な法則を規定するものになっていく。プレーンテクストはもはや、テクストブッキッシュな例文としてしか存在しないかのようだ。言語(哲)学者と言語の関係はマナー講師と「了解しました」の関係みたいなものになり、言語の正しさには社会的−政治的な正しさが滑り込んでいる(『千のプラトー』の言語学批判)。

 別の話。日記に書くことがまったく思いつかず、風呂に入りながら今日はもう寝て明日書こうと思った。どうしてか日記掲示板の更新もまばらだ。そういう日なのかもしれない。布団に入るとどこかで車の警報か何かがけたたましく鳴り始め、諦めて煙草を吸ったりしてやり過ごしていた。鋭いサイレンに何か詰問するような男の声が混じっている。やっと静かになって横になったがまだ何も思いつかないので、もう日記についての日記でいいやと思いながら寝た。日記についての日記を書くしかないような非日記的な日があるのは何かの救いかもしれない。

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5月1日

 地震で目が覚めてじっとしていた。収まってから昨日読んだ鈴木一平+山本浩貴「無断と土」のことを思い出した。近代以降の日本における地震や戦争と天皇との関係を、慰霊や動員の名の下に国民を束ねる象徴としてでなく、その装置のうちにあらかじめ埋め込まれそれを壊乱する怪異——出自の取り違え、ルビや掛詞における語の呪的な多重化、死角の凝視による共感覚的対象性の地滑り——が展開される。日露戦争や関東大震災の時代を生きた詩人と彼の作品を素材としたホラーゲーム、及びその実況動画群などにおける広義の二次創作の増殖を分析した学術的な研究発表という体で書かれており、おもに山本が書いたのであろうテクストに鈴木のルビ詩や質疑応答の場面での発言が挟み込まれる。いちばん近いのは『カラマーゾフの兄弟』だろう。美術館で迫鉄平とトークをしたときに、ただエンパイアステートビルを8時間撮影しただけのウォーホルの《Empire》の話をした。当時は映像自体がまだ新鮮で貴重なので退屈な映像を作るのにものすごい労力と物量(単純にフィルムのこと。8時間だと2kmくらいいるんじゃないか)が必要だったが、退屈な映像と簡易な装置が氾濫したあとで迫の作品は新鮮な退屈さを作っているように思えると。そしてそれにはやはり「無断と土」が遂行するものと類比的な撮影対象、撮影行為、編集、展示を貫く構造の多重化が関わっている。迫が当時8時間使ってやったことを今なら15分でできる——彼の映像作品はだいたいそれくらいの長さだ——と言っていたのが印象に残っていて、それに似た圧縮、折り畳みがこの短編にはある。

 ようやく布団から出る気になってベランダで煙草を吸いながら、口内は常に喫煙可能だというフレーズを思いついた。JTが言うべきことかもしれない。

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