5月1日

朝起きるようになってもう2ヶ月ほど経つんだと思う。一日が短くなった。夕飯を食べ終わってまだ8時なのに、今日はもう終わりなんだという事実にどう向き合っていいのかまだよくわからない。でも10時に薬を飲めば11時には眠くなるし、起きたらもう朝で、一日の重心が朝から昼にかけてにあるということにまだ慣れない。ストラテラは飲むのをやめてしまった。なんだか勃起障害というか射精障害というか、ぼやっとしたままだらっと出る情けない感じで、調べるとたしかにそういう副作用が出る場合もあるらしく、効果もあるんだかないんだかぼやっとしているし、仕事への取り組みに関しては環境と体調の要因が大きいのだろうから薬のことはまあ忘れることにする。それにしたってADHDの診断のいい加減なことよ。MBTIのほうがまだ設問が多い。あまり医療産業陰謀論みたいなことは言いたくないし、ある程度このSNS、スマホ、サブスクサービス、クソ広告の高度注意社会と付き合いながらやっていくほかない以上、医療化も避けがたいところはあるにせよ、ちょっと人の気持ちに踏み込みすぎ。人の気持ち。チーム友達くらい流行ってほしい。

投稿日:
カテゴリー: 日記

4月30日

そう、4月は30日で終わりで、つまり今日が、本来の締め切りの日だ。でもこないだ編集者と話したときにゴールデンウィーク明けの7日でもいいとちらっと言っていたことはずっと頭の片隅にあって、1日をかけてそれが頭のすべてを実効支配した。眼ががびがびになってもう画面を見たくない。ノートはあるがペンはなく、いっそのこと有隣堂で太字の万年筆を買って、そうすればばーっと進むのでないか。実際ガラスケースの前に立つともう気分は白けていて、高いし、試し書きで具合がよかった1200円のゲルインクボールペンを買って店を出た。それでもノート見開き2ページぶんは下書きが進んだ。ちくしょう、ちくしょう。紙のノートがいいのは、一歩一歩文として書くことと、それが行き詰まったときの数歩先にとりあえず石を並べてみることとが同じ面のうえでできることだ。でもそれは下書きで、そろそろ帰って夕飯を作らねばならず、時間切れ。夜は届いた本をぱらぱら見た。妻も疲れているようで、少なくとも原稿を切り上げてご飯を作ってよかったと思った。

投稿日:
カテゴリー: 日記

4月29日

家で妻とRIZIN観戦。もうすっかり恒例になっていて、お菓子を買い込んで、選手こそあまり覚えていないが彼女も消極的な試合に文句を言ったり、熱心に見ている。明日が早いからと言って早めに寝て、僕はYouTubeに出てきた朝倉未来と那須川天心がふたりで遊んでいる動画を見た。朝倉が天心を家に呼んで、手に持ったスマホだけで撮影して、寒いからと言って服を買って、東京タワーまでドライブして、フードコートでご飯を食べて、帰ってくる。それだけでよかったのだと確かめるように。それだけでよかったことを知っているだけでもラッキーなのかもしれない。

投稿日:
カテゴリー: 日記

4月28日

ここ数日、いつものようにイセザキモールを行ったり来たりしていると、ひとりで道ばたに座って何かを喋っているおじさんのメンバーが増えている。ひとりは関内側の端の、地下街の入口に座って、ビールのロング缶を5本置いているおじさんで、2日連続行きと帰りに同じようにそこにいるのを見た。立川談志みたいなダミ声で脚をテディベアのように前に投げ出して身振り手振りで話している。しっかり骨盤が立っていないと維持できない姿勢だ。もうひとりは、モール中頃のセブンの脇にある灰皿で煙草を吸っていると、背後から話し声が聞こえてきて、電話かと思ったがどこか内容が変なのでちらっと振り返るとひとりで壁を背にしてしゃがんで喋っていた。友達と話すような口調で、神奈川静岡県のほうが東京埼玉県より実は人口が多いのだと言っている。東京埼玉県は一見街が人だらけだが、タワマンは空室だらけで、それを隠すために外に人が出ている。神奈川静岡県は山だらけに見えるが、家がたくさんあるし、東京埼玉県も上のほうは実際山だらけだ。こういう間接引用において僕はいつも口調を地の文に均すが、そこで素通りされているもののことを考える。それは素通りしませんよという身振りが嘘くさくて嫌だからだ。でも素通りできるはずもない。それにしても東京埼玉県と神奈川静岡県とは、どういう観念なのか。東京と埼玉であることと東京埼玉であることが等価になっているのだろうか。僕もずっとラジオで言葉を頭に入れていないと頭のなかがざわざわしてくるが、摂食障害と同じで、言葉の出し入れもとても危うい均衡のうえに成り立っているのだと思う。

投稿日:
カテゴリー: 日記

4月27日

連載原稿を書きに家を出る。土曜日なので人が多いと嫌だなと思ったが、長年の勘で空いている時間帯の広い席を確保する。3時間ほど書いて集中が途切れてきたので、いったんマックに移動してキャッシュを削除するようにポテトをつまんだ。マックのポテトが頭を空っぽにするのにいちばんいい。コーラで糖分も取れるし。別のカフェに戻って続きを書いた。帰ると妻が晩ご飯を4品も作ってくれていた。

投稿日:
カテゴリー: 日記

4月26日

昨日と一昨日の船に乗っているような曽根さんとの時間のあとでちょっとゆっくりしたい気もしたが、自分はそちらの人間ではなく丘の閉じこもりがちな人間であることを確認するように、喫茶店で仕事をしてジムに行った。フィロショピー説明会のプロットと、『非美学』の再校ゲラ。連載は作りかけのドラフトを開いたときによそよそしさを感じてしまい焦点が合わなかった。ゲラははじめからではなく最後の6章から見ていくことにする。帰り道、大きな音がして大通公園を振り返ると公園の延長線上、山下公園あたりの空に花火が上がっていた。家に荷物を置いて妻と一緒に出て、やよい軒に向かいながら同じ花火を見た。

投稿日:
カテゴリー: 日記

4月25日

朝起きて、大和田俊と2階に上がると、曽根さんとご両親がテラスでくつろいでいた。挨拶をして、曽根さんがメキシコでアステカの神話に出会って、それが教養というかたちではキリスト教化された現地の住民に知られていないことに気づいてル・クレジオがまとめたミチョアカン・レポートの各言語の翻訳をそろえた私設図書館を作り、葦を編む現地の工芸を使って住民と一緒に作品を作り始めた話を聞いた。アメリカで作品を売って、黄金を取り返す。それにかかる10年という時間は、どういう感じなんですかと聞くと、だんだん太陽が速くなって、起きたらピューッ!と飛んで行ってしまうのだ、本を書くのだってそうだろうと言われた。たしかにドゥルーズを研究しはじめてもう10年だし、そういうものかもしれない。キッチンを囲むカウンターのダイニングでお母さんが作ってくださった朝ご飯を食べて、またテラスでおしゃべりした。駅前でラーメンを食べて、大和田さんと3人でタクシーに乗る。コレクターの家に行って、アントワープのギャラリストが持ってきた曽根さんの作品を渡すのに立ち会うらしい。アントワープに呼べるようふたりに僕を紹介したいということだが、なんだかよくわからない。国立競技場のすぐ隣に建っているタワーマンションに着いて、スーツを着た係員に導かれて停車し、壁みたいな扉のインターホンを押してエントランスに入ると、受付がある。普通壁は壁で、扉がガラスだが、壁がじゅうぶんガラスなので、扉は壁みたいなのだ。曽根さんが名簿に名前を書いて、部屋に電話をかけ、カードキーでエレベーターを開けてもらう。分厚い絨毯が敷かれた間接照明だけの廊下を抜けて部屋に上がると、正面の景色が上から競技場をのぞき込み、御苑の森を挟んで新宿の高層ビル群と向かい合っている。いやはや。部屋はテラスまで作品だらけで、白いタイルの床には3人の子供のためのおもちゃが散らばっている。コレクターはトレーダーで、仕事部屋には「約束の凝集」展で見た曽根さんと永田さんの共作の大理石で作ったパソコンがあった。たまたま彼が『眼がスクリーンになるとき』を読んでくれていて、本は出しておくものだなと思った。曽根さんと20年の付き合いのギャラリストのトミーとアシスタントが到着して作品を置いて眺めていると曽根さんのマネージャーの望月さんが来て、朝まで岩手にいた慶野さんも来た。曽根さんとトミーと煙草を吸いに出て、トミーが君が焚き火の前でレクチャーをする動画を見たと話しかけてくれた。なんでもやっておくものだ。スタバに入ったのに誰も財布を持っていなくて、僕がPayPayでいちばん大きいアイスティーをふたりにおごることになった。サイズの名前がベンティで、初めて聞いた。みんなで寿司を食べに出たが、僕はそのまま帰った。

投稿日:
カテゴリー: 日記

4月24日

夜7時前に大和田さんから電話で、曽根さんと飲んでいるから来ないかと誘われ、桜上水まで出る。横浜から新宿へ、新宿から京王線で桜上水まで1時間半。もうだいぶお腹が空いていて、思いつきで呼んでもらってお腹が空いたままこうして出かけることが、これからまだどれくらいあるのだろうかと思った。コの字型のカウンターだけの、去年(?)ふたりと詩の朗読を録音したときにも来た店で合流する。曽根さんと握手して、肩や背中をさすり合い、妻以外の人間とこんなに顔を近づけてスキンシップをすることもないなと思う。ウーロン茶とチャーハン、ウドの皮のきんぴらと若竹煮を注文する。ふたりはもうだいぶ酔っていて、回転する話のなかで覚えられないものだけが蓄積していく。ミケ、あるいはミケランジェラと呼ばれる色の薄いきれいな猫がカウンターに出てきて、曽根さんのお父さんの幼なじみだという女将さんも客席でビールを飲む。船に乗っているようだ。曽根さんがしきりに「あぶらーめん」が食べたいと言うので、こんなに酔っているのにそんなものを食べて大丈夫なのかと心配になりながら着いていって、こちらも50年前からありそうな、大学生だらけの店であぶらーめんを食べる。大男が二人がかりで空いたテーブルを、北野武的な静かな速さで片付ける。甲州街道を曽根さんの実家に向けて歩きながら、彼は石工は感情がないわけではないが、それは5時に仕事が終わってからのことで、それまでは石になっているのだと言った。路地を入ったところにある実家は建築家のお父さんが建てた家で、くすんだコンクリートに枯れた蔦が這っている。60歳の友達の、90歳近い両親が住む家に泊まらせてもらうのだ。プロジェクトごとのバインダーや本に囲まれたお父さんの仕事部屋に僕と大和田さんの布団をあらかじめ敷いていてくれて、曽根さんにまた明日と言ってそこで寝た。

投稿日:
カテゴリー: 日記

4月23日

フィロショピーの説明会動画のためにOBSをダウンロードして、ちょっと触ってみる。説明会も講座も、顔は出さずにworkflowyの画面共有と声だけでやろうと思っている(変換候補が表示されないプロテクトモードを使うのを忘れないようにしないと)。YouTubeスタジオを開くと、初回の配信は申請してから24時間待たないとできないようだった。2時から連載の編集者と電話して、こないだ渡した第9回のドラフトについて話し合う。第8回は生成AI、ADHD、アテンション・エコノミーを「アテンション」の一語でまとめて問題提起するといういい感じの入口が作れていたが、サイボーグ論でそれに対応するものを見つけられるか。そもそもハラウェイ自身が生体と機械のハイブリッドになること自体に転覆的な価値を見出していたわけでもないし、それはますます支配的な現実になりつつある。言ってみればサイボーグが問題にならないことが問題なのだが、それはあまりに迂遠な感じもする。まあ書いてみないとわからない。その事実を宙に浮かせたまま話に付き合ってもらっているようでちょっと申し訳なかった。いろいろやることはあるような気がしたが、ジムに行って晩ご飯の食材を買って帰った。

投稿日:
カテゴリー: 日記

4月22日

I am still alive.

投稿日:
カテゴリー: 日記