日記掲示板の投稿数が999件に達し、新規投稿ができなくなっていることに気づいたので新たに作りました(もしその間投稿できなかった人がいたらすみませんでした)。
ルールは同じで以下の通りです。
(1)以下のコメント欄に名前と内容だけを書く(アドレスは不要)
(2)名前は本名やどこかで使っているアカウント名ではなく、このサイトだけの通称を使用すること
(3)日記以外のものは雑談掲示板に投稿すること
ちょうど僕も1年続けた日記が終わって、新たに日記の続きを書き始めたところなので、みなさんもそれに並走するかたちで気軽に書き込んでいただければと思います。
2022/04/08 福尾
秋晴れの朝。9:12発の特急列車でも間に合うらしい。こう書くと遠出にでも出るみたいだけど、単に横浜まで出るだけだ。高円寺まで晴れた秋を楽しみに行こうと思ったけれど、現金の持ち合わせがあまりにもないので難しそうだ。弘明寺で湯屋の夕を過ごしたのは週末の前で、DAISOの若い男女の店員が仲よさげに話しながら無人レジの点検作業をしている横を通り過ぎる土曜の夜も、雨の合間に光が差すなか、地域のイベントでベーゴマを初心のこどもたちに教えてまわる日曜も、2日とも過ぎ去った。過ぎたことをだらだらと羅列する必要はないのだけど、どうしてもスカスカな「今日」に向き直ることができない。エッセイ講座が行われているらしい隣で、ひとりで駄文を投稿しているコントラストが辛い。でも、この寂寥が1年くらいは必要なんだと言い聞かせている。
ハードカバーで手に入れた『エンディミオン』の冒頭は鴨捕り猟のガイドからはじまる。一斉に飛び立つ水鳥の美しさの描写に、弟と浜松の方まで車を出して旅館の昼風呂に入った一日のことを思い出した。その近くに岬のようになっている陸続きの島があって、島全体が神社になっている。その突端から水鳥の群れが湖面を飛び立つ景を臨んだのだった。冬の西陽が強かった。今ぐらいの時期だったのではないだろうか。
立冬。12月14日を思わせる12時14分。携帯の表示が今日という日を記号化して味付けする。並んでいる列の後ろではガソリンスタンドのような制服を来た女性が自動運転やEVについて話している。すると、昨日のモビリティショーの話をしていることに気づいた双方が列に並んでいる同士で話し始めた。それぞれヤマハとフォルクスワーゲンの人だと自己紹介しはじめた。そぼろ丼のキッチンカーの列で商談が始まるとは。
何度目かのはま未来ウォーク。横に長く短いおかげで比較的ゆっくり降りれるポルタのエスカレーターを老夫婦を前にして降りると、しばらく歩いたらグランモール公園にたどり着く。見上げるようなオフィスビルに挟まれた空間が渓谷を思わせるのは、いつかの土曜朝のNHKラジオ「山カフェ」で冒険家が地図を持たずに北海道の奥地で出会った渓谷の情感について話していたことからの導きだろうか。秋のちょうどよい光加減なので、ヤマハ前の天蓋も見上げるし、ベイクォーター(昨夜妹が学生支援課の人と夕飯を食べたと語っていた場所)の臨む湾も広角で心に入ってくる。大きなコントラバスのような楽器を背負って歩く初老の女性ふたりの午前を思ったし、日産へと帰っていく社員たちと並んで歩くように感じるのも、どれもこれらの広い景色のなかの点景としてである。日差しが暖かいことを寝ぼけながらゴミを出しに行った朝に感じたあと、月報を打って洗濯を干してから出てきたら、金曜の昼前の時間帯(つまり午前の終わり)を過ごす人びとの姿が今日はよく見える。路地裏では庭に投げられたペットボトルや空き缶を集めている人、駅のコンコースでは青年になった障害を持つ息子としゃべりながら帰る母親、高架下では自転車置き場の掃除を終えて金網から出てくる職員のおじさん。自分の関心領域に関わらずに市井の生活が目に入ってくる。とにかく光の具合がいい。
ウルフやプルーストが描く女主人(ホスト)のように、「身ぶりと言葉」の両面において、自分が周囲のひとびとに及ぼす影響を自覚するために、周囲のひとびとが自分に与える印象をメタ的な≒少し上の空な視野で受け取っている人というモデルがふと降りてきた。場づくりする人のモデル。いつ現場から離陸するのかという話題を昨夕持ちかけられたのが今も引っかかっていたけれど、数年かけて(同じスパンをかけて)読んでいる『失われたときを求めて』こそがこのキャリアと並走してきたのだと考えたなら、まだまだ続ければよいという気がしてきた。場の全体を大仰に引き受けるのではなく、何度も自分のふるまいと場の間で起きる入力と出力に立ち返ること。「彼らがどのような論理で関係性を築いているのか私にはわからない」地点に立ち戻ること。日吉で列車を降りようと思って仕度をすると、それをチラと振り返って見た人がいて、自分が立ち上がると案の定その席に代わりに来るのだけど、その速度は案外にゆっくりで焦っていなかった…というような「印象」を現場の外にまで広げて数える練習をこの日記ではしているんだと思う。その本分をいつも忘れてしまう。
8:15のアラームで起きる。昨日とは打って変わって曇り空が冷え込む朝。舗装された路のまんなかでハクセキレイがゆっくり歩くのが珍しい。そのすぐ後、マンションに囲まれた線路の空間に響いた鳥の声はまたしてもガビチョウだろうか。PRONTOに入ろうとすると今朝も小学生の列が課外授業に出るところ。踏切を待つように彼らが通り過ぎるのを待ったのははじめてだ。昨夜のゼミでは新大久保と高田馬場に挟まれたエリアの活動史を聞く。スタバで受講していたら、すぐ上の大戸屋に入っていたらしい妹が大学の同級生を連れて挨拶に来たので、急なことでまごついてしまった。よく話を聞かせてもらっていたからひと目会いたかったのだけど、タイミングは大抵の場合いきなりだ。あとには取り残されたような余韻だけが内臓に宿され、その腹のままもとのタイムラインに戻るのもいつものことだ。
(1)ハンノキ:池の畔に立っている。オオミズアオと近縁種のオナガミズアオの好物。後者はテント式に翅をたたむことで見分けられるらしい。(2)イラガ(幼体):ムクロジの葉裏にいたところを埼玉から来たレンジャーの「虫の眼」によって発見される。もう少しで蛹になるようだ。触れると3日間痺れが取れないと聞かされた。(3)ノアザミ:スズメガの仲間が蜜を吸いに来ている。今日の大池公園にも群生している。秋の花だとは知らなかった。一帯にはススキも広がっている。長老がミミズクにして飾るもの。(4)カラスウリ:綺麗に真っ赤な実がスギに掛かっていたのでもらって帰る。野菜のような見た目だが味はひどいらしい。(5)チョウゲンボウ:庭で洗濯物を干していると飛んでくるという話を聞く。双眼鏡を部屋から取ってきて戻ったらもういない。(6)オリオン座:数日前、前を歩いていた学生が足を止めて、右頭上の低い空に向けて写真を向けた先に登っていた。学生時代は冬のバイト帰りに自転車で裏道から帰るとよく見えてなじみ深かった。(7)ケヤキ:さちが丘線の並木道にポテチのような落ち葉を敷く。紅葉を間近に秋が来た。(8)ヤモリ:倉庫をひっくり返すと冬支度をしているところを起こされる。昨日はムカデや野ネズミと同居していた。(9)アラカシ:倉庫修理(の勉強)に向かった公園の上で、東へ伸びた20mくらいの太い幹が倒れているのをみんなで確認しに行った。魅力的でアスレチックな橋を誕生させていたが、次の週末にはチェーンソーでバラされるらしい。
四半世紀の記憶をたどり直す学生時代を折り重ねてなお貫くような一瞬の懐かしさが、地元まで往復する今日のなかで3度訪れた。晴れた晩秋の休日に身体は想うところがあったのだろう。店や場所がいつ行ってもあたりまえのように同じ配置で広がっていることは、むしろバーチャルで実在の薄いことのように感じてきた。これは全部つくりものだと言われても納得できるような感覚。昨夜『ゼイラム』を観た余波だろうか。束の間の休息。
三ツ池公園へ。8年ぶりにかまどが使えるということで遊び場開催の運びになる。ハンモックを編んだ大先輩や斜面の大型遊具など、昔の記憶をスタッフたちが自ずから語りだすのを聞く。午後、縄の遊具に関心を持ってくれたファミリーに樹木の見極めなどについて話しながら、一緒に枯れている太い枝を引っ張って打ち落としてターザン式のブランコをかける。軸として挟む枝を切ったり養生を縄に巻いたりしていたら1時間くらいかかる。その過程で会話をしていると、家族で過ごす日曜日の時間が想像されてくる。パークセンターでお昼を食べて、自転車に乗って、車に乗って帰る…というように。転じて、トレッサ横浜の南広場では大きなクリスマスツリーの周りで発光する円形のパネルをぐるぐると跳びながら踏んでまわるこどもたちの列ができている。踏むとオルガンピアノのよう音が再生されるようになっている。その隣では小さなスケートリンクも出ている。1回で1300円くらいするみたいだ。走りまわる/滑ってまわるこどもたちの表情は晴れやかだ。頭上は満天の蒼いイルミネーションで満たされている。輪の列は入っていきやすいみたいだ。昨日の講座でテーマとなった「こわせる/つくれる」のお手本のような事例だ。でも、これもまた彼らの生きるリアルな環境だし、自分もまた「東京セサミプレイス」のような形で思い起こされる家族で過ごした記憶があるわけで、この平面的でペラペラな環境で育つ想像力もあるんじゃないだろうか。あるいは、3日前くらいにはここでダンボールで空間を満たしたイベントをやっていたはずで、金曜のケアプラザでも自分は似たようなイベントをやっていた。平面の上で「こわせる」を仮構することもできる。今目の前でバスケットボールのドリブルをしながらわが子を見守る親の様子はのびやかでなかなか良い。風船でできた魔法少女を抱えて歩く子も満足そうだ。
大きな朴葉をつけたホオノキや、紫の大きなアザミに似た花を横目に片づけに追われ、帰りに夕焼けを湖面に映した公園を眺める。親しい間柄で過ごす日曜日は気ままにあちこちを移動しながら、「お出かけ」の時間を過ごす。公園も商業施設もそのひとまとまりの一日のなかの部分として経験されるプレイリストに入ったある一曲のようなものだ。そのすぐ外にはパチンコ屋や葬儀屋が隣接していて、そもそもこのトレッサだって元は自動車の試験場だった。そういう町の姿を混淆する郊外として称えるのか、囲われた資本空間と地に根差した生活との分離として批判するのか、どっちつかずのままこの市で活動している。
神保町で3月の補講の日。古書まつりの賑わいを横目に、持ってきたブラッドベリにも結局手をつけず、昼休みに九段下のマクドまで歩きながら川崎高津の奮闘を聞き、夜の小さな飲み会で目黒の子育て系ネットワークのコーディネートと日野の森の日常を聞く。その場ではジャズセッションのようにこどものなかの呼吸を読み、息継ぎをするときにすっと言葉をかける技を聴き、帰りの田園都市線では低音が魔術的な講師から「ベテランのおまえがビギナーのこいつにそんな態度を取るなんてどうなんだ、と俺ならそいつに言うね」というアドバイスから、「おとながあそびの場にいること」の最大の強みがすべてのこどもが遊びの世界(環境/イメージ/ルール/関係性をこわせて、つくれる)の入口に立てる場をつくれることで、逆に純然たる(大人不在の)こども集団をその場で維持しつづけることはできないということが弱みであり限界である、と膨らんだ話までしてもらった。僕からは描かれた木の樹形や標本(ピン留めの時代から真綿の時代へ、誰に抑圧されているのかわからない時代へ)のイメージが「感じる」練習として取っ掛かりになるという話をした。簡単に今日の講座のふりかえり。
横浜側から飲み会で話したのは同僚たちの「チーム」の土台ができつつあることについて。昨日クライマックスを感じたのはむしろその自主研修の方で、リーダーを務める彼が帰りの電車の数分間、親しいものにしか見せないような安堵した表情を意外にも見たからだろう。今夜の自分が新宿戸山や日野や川崎の同業者たちと本格的に連携を取っていくステップに進んでもいいかと思っているのもそのクライマックス感を感じたことが理由だろう。10月は終わり、いよいよ冬が来るのだ。
どこかで活動するあの人に関心があるということ自体が稀有なわけで、同じタイミングにこの世にいてこの平面上で僕たちは自由に動いて出会える、物事を動かせる、どの遊び場の現在のこどもたちにもアクセスできる…のだから「運動」を起こせばよいのだ。身体を持っているものとして。
こどもにもらったビー玉の飾りを毎日首から提げていたら、いつの間にか現場にはかまどでビー玉を焼いてアクセサリーにしたものを首から提げている子が増えていることに気づいたこと(知らぬ間の伝播)をはじめ、もろもろの子どもに季節を跨いでおきた変化や影響を記録に残して意識化したいという気持ちが最近はある。
また、あるいは、湯船の湯を暖かいまま流した先がもう見えない生活から考えて、穴が掘れたり水を流す道を作れたり火を育てられる「自然に根ざした生活とあそび」はオーガニックでスピリチュアルなものとして捉えるのではなく、「事実性」という概念的な岩盤に生活/あそびが刺さることに価値があるのだと捉えなおすことができるんじゃないかと思った夜がある。
どれもワンアイデアで、そのまま日記に書くのは無茶だけども、速めの自転のなかで生活しているから今はこれでよい。あそびの場づくりとは何なのか。
秋の嵐のハロウィーン。月末で金曜日なのでクライマックス感が強い。さっきまで学祭を控えた妹から夜な夜な話を聴いていた。ワードウルフでお題を口ずさむ姉、こどもの頃に乗り回した一輪車、バレーボールを3人でしていた高校の昼休みなど、記憶を語られる珍しい夜だ。今は『記憶理論の歴史』講義のアーカイブを滑り込みで聴いている。帰りは暖房の効いた列車のなか、まるで『sleep my dear』の曲調のように、聴き慣れたプレイリストの曲が疲れ果てた変性意識状態のなかに流れ込んではじめてのように聴いた。ELLEGARDEN, JUDY AND MARY, YUI…とアーティストの名で保存して聴いている曲たちが、ふいに解凍される瞬間がある。「heaven」と名づけたそのプレイリストは次の日になっても聴きながら(『IRIS OUT』『忘れてください』『Mine or Yours』『オトノケ』…)帰ってきて、改札前では教員の飲み会帰りのような集団(男女と年代の構成からの想像)が解散し、そこから別れた一人が別で喋っていたふたり組の中年女性のところに声をかけて合流した。土曜夜の改札前は人がよく出会う。そう、もう翌日になってしまったのだ。弓道の練習風景を撮った動画を観ているのが意外で、頬のほくろが印象的な人などと乗り合わせる小田急線から帰ってくるのはもう次の日の帰り道だ。3人はまだ前で立ち話をしている。こんな時間に。
「娘に日記に書くことは一日のことではなくて数分間のことを200字くらいで書いてと言ったら〜」というようなツイート(古賀及子さんだったか)を読んでぱっと視線を上げると、車両の左奥からはふたりで並んで座るビジネスマンがまっすぐ前を見ながら低い声で話す姿、マスクをした一人がどうなんでしょうね…と呟いたら、ふたりで少し斜め上を見上げる間があったのち、眼鏡をしたもうひとりが顔いっぱいに皺をつくって低い声のまま静かに笑うのが見える。車両の右に視線をうつすと、四人組の洒落た装いの中年女性たちがさわさわと音を立てるように、こちらはもう少し音量が大きめでしゃべっている。それは特急への乗換を待ち合わせている間のこと。車内は例によって坂道グループの「新参者2025」の広告で内装が統一されている。この車両は櫻坂の新メンバーをフィーチャーしている。引き続きtwitterをスクロールしながら次の次の駅で降りたら、一瞬目の前に広がったホームに顔をあげて、そのままゆっくりと足を進める。すると、自分が柱を軸に曲がる「内輪差」に小柄な女性を巻き込んで立ち止まらせていることに数秒遅れて気づき、慌てて横にズレる。改札を出ていつもの裏道の階段を降りるまでははてブの投稿を読みながらボーっと歩いていて、踏切に差し掛かったところで寒さを自覚してカバンと携帯を置きダウンを着る。そこで後ろを歩いていたらしい女性に追い越され、歩き出すとさらに駆け足のもう一人にも追い越され、彼らが川の橋の分岐で右の斜面の住宅地へと抜けていくのが見えて、見えなくなるまで目で追う時間ができる。そっちの小路は一度しか通ったことがなくて、どういう風につながってるのかもよく理解できていない。見える範囲だけでもこういう風な道の折れ方なんだなとぼんやり思いながら見る。
あとはセンター南駅前の正面に見える109シネマズの看板の「1」の電灯切れてきたのが久々に見たら直ってるってことを人と話しながら歩いている夜、とか。
日誌を書く朝が続いている。橋の欄干にはカラスウリが成って、ヒイラギ(柊)も実をつけ始めた。ミズヒキがあちこちで見られて、キンモクセイの匂いも落ち着いたか。冬支度をしているヤモリが姿を見せる週でもある。「部活着」になってから行き帰りの道はゆっくり歩けている。10月の終わり。ハラウェイの『樹上性マイマイ宣言』を頼んでいることを思い出す帰り道、一連の騒動のやりとりを見て『ラッセンとは何だったのか?』を読んでみようと思った。
先週の面談の日に通り過ぎた晴天のはま未来ウォークを辿り直すようにして、浜美前のソファでのうたた寝から馬車道のベンチでの「とり多津」まで一日をゆっくりと過ごした一昨日と打って変わって、昨日は目が眩むような放課後の現場を終えたら、そのアドレナリンのままセンター北まで往復した後に綱島街道を下ってEDIONにも行く、通勤特急のような夜。一昨日に行き着いた先は地元の公園で(先週のお祭りのふりかえりと来週の作業の約束をして)、昨日たどり着いた成果はマグネット式のライトと『ブリリアントダイヤモンド』(そして喧嘩をグラデーションで見られるようになるためのゼミ)だった。
ついさっきまで今朝の夢のなかにいた。余韻を寝床に引きずって、心地の悪いシチュエーションではなかったという感覚だけが今もかすかに残っている。ウルトラライトダウンの上からHELLY HANSENを羽織って、強豪校のコスプレをしているような気分の朝。昨日一緒になった運動会の振替に向かう隊列が、今朝は影も気配も見せない。通学通勤の潮はほんの少しのタイミングのズレで引いてしまうのだろう。
明けてしまえばもう次の日で、今さらこの3日間をフラットな現在形で書こうとしても遅い。その日に日記を書くことの意味はそこにありそうだ。時制は面白く、『記憶理論の歴史』は一向に手に入らない。
乗客がほとんどいなかったのに新横浜から先、気づいたら席が埋まった。今朝も霞のような雨。日曜なのに玄関先からは次々と出掛けの人が出てきて朝の隊列を組む。夜の新横浜では通り過ぎる双子の射抜くような瞳に打たれる。『片想い世界』のこどもたちが眠るフライヤーをもらって、机に飾った。残酷な夜を通り過ぎて、机には名残のように『環状島=トラウマの地政学』が置かれている。藤原さくらの西湖でのレコーディングやアレキサンドリアでのライブの話を聞きながら、グリーンラインから降りてくる人波も大きい。
いつもの1本前の16分発に乗り込んだら、「坂道」の広告車両だった。新参者2025というLiveをやるみたいだ。昨夜寝る前に階下まで降りていってゴミ出しをしたときに降っていた霧雨が、土曜になった今朝もまだ続いている。平日の忙しなさが週末に入ってしんとする、その繰り返しのなかで部活のような恰好で出勤する日々だ。レイ・ブラッドベリ『10月はたそがれの国』よりジュブナイルな「みずうみ」「使者」「びっくり箱」の3編を読んで、ここから労働に戻れる自信がない。「みずうみ」は暗いなかで読んでいたときには晩夏の湖畔の眩しさを感じていたのに、部屋で明かりをつけて読み返すとコントラストを浴びたかのように「哀愁」や「寂寥」といった語が目立って感じられた。短編のなかにすでに書き込まれている明暗が反射/反転して読んでいるこちら側に跳ね返っているように感じるのが面白い。内容も相まって、こどもの頃に読んだ『はてしない物語』が文字通り実現しているかのよう。
長引く雨で気温がぐっと冷えこんだ。耳がかじかんで痛む。人の手が入った町:鶴ヶ峰の駅に向かう小路には、公文式教室に向かうこども、八百屋で鋏をいれられている野菜、花屋を物色するスズメガ、谷の川沿いに作られた自転車置き場の上から聳えるケヤキの樹形、雨よけの暖簾をさげた肉屋…と小さな風景が展開していく。いつもの喫茶『YOKOHAMA』に入ると、通路には白い花の花瓶がかけられた青い窓から遠くの海を臨む絵が掛けられている。こういう町に自分は住んでいる。屋久島の山師の密着取材、穂高岳山荘のドキュメンタリー、週末フィンランドのVlog…と立て続いてYoutubeで観ていたからそういうことを思った。神田の『喫茶穂高』や馬車道の『サモアール』に心が寄せられる。都市と山林のあいだでうろうろと彷徨う熊のニュースに、自分の心象が重なる。市街戦のように民家に猟銃が鳴るなかで。
「もっともパルム大公妃は、自分のサロンよりもゲルマント夫人のサロンのほうがはるかに人気のあることは百も承知だった。公爵夫人の「招待日」は押すな押すなの大盛況であり、そこでは三、四人の殿下と出会えることも珍しくないが、その殿下たちが自分のところには名刺をおいてゆくだけであるのは認めざるをえなかった。そのうえ大公妃は、オリヤーヌの名文句を憶えたり、そのドレスを真似てみたり、ティーパーティーには同じイチゴのタルトを出したりしたが、そんな努力も功を奏さず、自分の女官とさる外国公使館の館員と三人きりで一日をすごしたことも何度もあった。…そんなわけで私が招かれているという事実は、果物を花綱の代わりにしてテーブルにかざる新しい手法に優るとも劣らず、大公妃の注意と欲望を刺激した。大公妃は、オリヤーヌのレセプションの魅力のひとつ、その好評の秘訣が、テーブルの飾りかたにあるのか私の存在にあるのか判然とせず、そんな戸惑いのなか、こんど自邸で開催する晩餐会にはその両方を試してみようと心に決めた。そもそもパルム大公妃が好奇心に駆られてうきうきと公爵夫人邸を訪れるのを至極当然に思っていたのは、そこには愉快にして危険な刺激的環境があるからであった。大公妃が、危惧しながらも心惹かれ、うっとりとわが身を浸らせ…、活力を与えられ、幸福な気分になり、若返って出てくるそんな環境こそ、人がゲルマント家の才気と呼ぶものである。」(M.プルースト『ゲルマントのほうⅢ』、吉川一義訳、岩波文庫、2014(1921)年、250-252頁)
先週の面談から昨夜のMTGにいたるまで、地域の担い手が増えていかない現状について目を向けすぎたのがよくなかった。運動および「集まると使える」(羽鳥嘉郎)の実践であるはずの場づくりが機能していない。手始めになるような夕方にはじめる「釜飯」の方法も教わっているのに継承ができず、自分の仕事ぶりにうんざりしてしまっている。雨で濡れた薪を燃やしながら、火を育てるプロセスはそのまま場づくりの(または心の回復の)技法なのだと酩酊しながら考えていた。風を通すために手を入れ、一段太い薪を入れるタイミングを探る。
あるいは、「自然と文化を超えて」(P・デスコラ)とは言うけれども、その実践として郊外での野外活動を続ける日々はどうにも「(都市の)文化」とは連続せず(それゆえに二項対立をより深め)、現場前/後に駅前の喫茶店でプルーストやホワイトヘッドを読むような生活には引き裂かれるような気分がする。生活の切り替わりがあまりにもデジタルだ。『喫茶サガン』に集う大学生たちに囲まれていたから、そういう思いがより強くなったのだろう。
今朝は「倫敦」(ロンドン)に留学か何かを理由に行かなくてはならなくなる夢を見た。不慣れなので間違えて沖縄の開発が部分的に進んだチグハグな町で降りてしまう。少しでも西に近づこうとしたのだが、ここからヨーロッパに出られる便はない。向かうべきは成田空港だったんだと気づいたところで目が覚める。そのまま川崎まで出てきて、立ち寄った古本屋で買ったのはダン・シモンズの『ハイペリオン』、つづく丸善でその参照元となったジョン・キーツの詩集(を買い)、予約した映画館で観たのは『機動警察パトレイバー2』の復刻上映だった。前者は89年、後者は93年の作品。平成初期の想像力から、お前は戦争というものをどう考えるのか、と突きつけられるような心地がする。帰りのボックス席に並んで座ったのはむしろひと回り下の学生たちが多く、彼らともまた同世代だとは言えない微妙な年齢を自分に感じている。
物理現象として坂を下っていくだけのわたし。自転車の車輪だけが回って、俯瞰した映像で風景のなかを移動する自分を感じる。刻々とうつりかわるなかで、駅前に群生するヨウシュヤマゴボウだけはいつまでも実を成らせている。路地では一株しかないようなハゼランは、金曜に賑やかで日当たりのいい別の道に出たら川沿いに群生しているのを見つけた。気温は上下するけれど、野草の繁茂と枯れは不可逆なので指標になる。
竹あかりのお祭りの日。年に数度しか会わない子たちと過ごしたことで押し寄せた「歳月」の時間軸に戸惑って、夜には爪を噛み切って床でぬた打ちまわっていた。
朝の15分のティータイムで若きオリヤーヌ(ゲルマント夫人)によるロシア皇帝への暴言の節を読むも特急には間に合わず、代わりにいつもの若い店員が慶應大のパーカーを羽織ってフードも被り、少し肩を浮足立たせながら昼休憩に出るところと一緒になった。昨日、夜のバレーボールの合間に鼻歌を歌っていた中学生の姿と重なった。
面談の日。待ち時間に同僚の3歳の娘と挨拶する。別の同僚から『Z-A』の話を聞く。面談ではキャパシティを超えすぎだと言われる。芝のソファで寝そべりながらプルーストを読んで、昼寝をし、また少し読み進めた。BLUE BOTTLE COFFEEのテラスに入ってホワイトヘッドを少し読み進める。ラテは少し苦い。景色の色味がいい。港南台に移動して世話になっている家族にささやかな誕生日
のごちそうをする。お金の話が随所に出てきて、様々なファミリー・エピソードを3時間笑いながら聞く。老酒で幸福に酔う。家まで見送ったら、玄関先で真白で体温の温かいトイ・プードルをわしゃわしゃさせてもらう。プードルを家に迎えるまでに、ベイスターズのパレードにゴネた弟と、2泊3日のレンタルを終えた店先でポロポロと涙をこぼした姉のふたつのきっかけが繋がったエピソードを聞く。安心とバイオレンスが噛み合っている生活が伺い知れる。改札口で手を振って別れる。ラジコで「Here comes the Moon」を再生すると、予告されていたギリシャとイタリアの特集はすでに終わっていて、今週は韓国特集だった。エジプトにも行ってきたらしい。
キンモクセイだろうか。この小路には昨日までの雨上がりのツンとした匂いがする。
「一族の精霊には、そもそもほかにも役目があった。たとえば教訓を語らせることである。たしかにゲルマントの一族には、なかんずく聡明な人たちと、とりわけ道徳好きの人たちがいて、たいていの場合それは同一の人ではなかった。しかし聡明な人のほうが―たとえ文書の偽造や賭け事でいかさまをしたことがあっても、だれよりも人柄がよく、正当であればどんなに斬新な考えでも受け容れるゲルマントの一員のほうが―、道徳好きの人よりもみごとに道徳について語るもので、しかも一族の精霊がこの老婦人の口を借りて考えを表明しているかと思えるほどヴィルパリジ夫人とそっくりの口を利いた。状況が同じであれば、どんなゲルマント家の人でも、いきなり老候爵夫人と同様の年寄りじみた人の好さそうな口調になって、ただし候爵夫人よりも相手をほろりとさせる魅力を備えているおかげで、女の召使いのことをこう言えるのだ、「きっと心根はいい子なのよ、ありきたりの娘ではありません、ちゃんとしたおうちの娘にちがいないわ、きっと正道を踏み外したことのない子でしょう。」このようなとき一族の精霊は、その抑揚に乗り移っているのだ。」(M.プルースト「ゲルマントのほうⅢ」、吉川一義訳、岩波文庫、1921、218-219頁)