日記掲示板の投稿数が999件に達し、新規投稿ができなくなっていることに気づいたので新たに作りました(もしその間投稿できなかった人がいたらすみませんでした)。
ルールは同じで以下の通りです。
(1)以下のコメント欄に名前と内容だけを書く(アドレスは不要)
(2)名前は本名やどこかで使っているアカウント名ではなく、このサイトだけの通称を使用すること
(3)日記以外のものは雑談掲示板に投稿すること
ちょうど僕も1年続けた日記が終わって、新たに日記の続きを書き始めたところなので、みなさんもそれに並走するかたちで気軽に書き込んでいただければと思います。
2022/04/08 福尾
出典が分からなくて、もやもやしてる今日の一言。
「はったったらええねん」
メッセンジャー黒田さんがラジオで言ってた言葉で、確か人から不利益をもたらされたって話に対して、その相手を「はったったらええねん」ってコメントしてた。
「はる」って…久しぶりに聞いたし、なかなかのパワーワードやし、私も使いたい(使いどころないけど)。
もう一度聞きたいけど、ラジオのアーカイブが膨大すぎて探すのは無謀。いつか出会いたい。
思いついてGoogleとAIで「はる」を検索してみたけど、意味が出てこない。大阪弁にしぼっても、「〜してはる」の「はる」しか出てこん。
こーやって言葉が消えていくんか。もったいない。
「よろしゅうおあがり」とかも、使えへんし、意味も捉えちがえてるみたいやし。
ごちそうさまに対しての返事(お粗末様的な)かと思ってたら、いただきますに対しての返答らしい。
ほんまかいなと今だに納得し切れてない。
訂正)
「よろしゅうおあがり」は、逆だ!
はいどうぞ的なことだと思ってたら、お粗末様的な使い方だったから驚いたのに…
すでに血肉になってたのか、もう記憶力が死滅してんの、どっちかやな…
YouTubeに投稿するため楽曲ファイルを動画に変換する、それが終わったら過去に録っていたピアノのリミックス。
ファミマでころじゃがを買って食べた。
夜はうどん。
老眼だ、空っぽのロックンロール。
小雪。土曜の夜。2年ぶりに来て5歳になった女の子がロープや鬼ごっこなどの集団あそびにすっかりプレイヤーとして参加していて驚く。現場後は綱島まで歩いて喫茶『アデリータ』にはじめて入る。丁寧に焼き色をつけられたピザをいただく。その足でBOOKOFFに向かい『ベルリンうわの空』と『恋しくて』を450円で買う。最近持ち歩いている古典が全然読めないので趣向を変えようと物色して手に取った2冊。2020年ごろの店頭に積まれていた本が時を超えて庶民の手元に届いたみたいで不思議な気持ちがする。地下までのエレベーターに珍しく駆け込む乗客がいたので閉まりかけたドアに「開」ボタンを押す。すみませんと会釈するふたり。片方はスーツケースを持っている。新横浜に行くのだろうか。掲示板を開いたら投稿が少し増えはじめていてうれしい。
投稿失敗したっぽい?
人様の日記にコメントした形になってるのかな?
ここは投稿が時系列に並んでるんだよね? ランダムなんてことはないよね?
まぁええかと思いつつ、蛇足で追加日記も書いとく。
今日は近所の河原を歩いて、隣町のショッピングモールまで往復。色々と回ったので、2万歩以上歩いてて、昨日の京都より歩いてる。
出町柳で朝倉世界一さんの個展を見て、一乗寺に行ったけど、ロクに歩かず乗り物ばっかり利用してたから。
お寺とか紅葉のあるとこに行かなかったので、思ったより人は少なかった。とはいえ、普段の叡電よりは混んでたな。
恵文社で見て気になった漫画家同士のファックスのやりとりを本にしたものを買った。ほぼ知らない漫画家さんだったけど、荘子くんが音楽担当した映画の原作漫画の作者さんだった。
時系列でふりかえれば、「前」には充実した研修からそのまま八王子に向かった夕方に見つけた『あしたば』という名前の古い喫茶店で「今年もあと3回で終わる」相撲中継と「買い出しに行ったマスターが帰ってこない」店主の軽快なトークが流れる贅沢な空間で過ごした時間があり、「後」には清陵高校らしい私立学生たちが今風の雰囲気で男女7人が仲よく輪になって帰る横浜線の車内の時間がある。横浜線から根岸線への乗り換えが面倒だという話を互いにしていて、まだ打ち解けて間もない集団のような印象を受けた。しかし、それらの「前後」を押して返すほどに「今」を迸らせていたのが旧八王子市民会館で行われた私立恵比寿中学×Juice=Juiceの対バンLIVEだった。数年前に始めて行った幕張メッセから2日前の武道館まで、これまで素人なりに気まぐれに追いかけてきた2グループの公演のすべてが報われた。別々の時空からそれぞれに思い入れのある曲で交互に殴られて、無茶苦茶な感情になった。互いへのリスペクトをファン同士も見せる気持ちの良い空間だった。両キャプテンの真山りかと段原瑠々はおそらく同世代で(調べたら後者はまだ21歳だった…)、彼らのプロ精神と心底から楽しんでいる様子に明日からもがんばろうと思った。最近はこんな風に素直になる日も多い。
研修へ向かう道中。青葉台の現場の代表とメールを交わしているなかで、自分の組織に「体」がなく、それはつまり事務所がないってことなんじゃないかと思い至る。事務作業をしているところに、「おつかれさまですー」「おつかれさまー」と挨拶を交わす、そういう日常がこれだけの規模で展開するネットワーク事業には不可欠なんじゃないかと思う。ゲリラ的に活動してきたという歴史はあるにせよ、事務所を持たないなんていつでも解散して逃げられる詐欺グループみたいだ。それがカッコいい時代もあったのだと思うけど、20年を経て維持・運営・継承のウェイトが上がっている今、拠点がないということがアキレス腱になっている気がする。集合から啓発まで野良でやってきた理事たちの身体性に依拠したスタイルなのだろうな。その身体性を獲得できない我々が「サラリーマン」と詰られるわけだ。
昨夜の武道館LIVEに脳を溶かされて、街ゆく若い女性がみんなjuiceのメンバーに見える。新しく駅まで通された道路は少し混んでいて、黒いスーツのホワイトカラーたちが橋の上から視察に来ていた。風が冷たい。
打って変わって快晴。今日でインターチェンジまでの新道路が開通する。深夜に母娘で出てきて、道路の真ん中で写真を撮っていた景は3日ほど前だったか。PRONTO前には今日も大池公園へ遠足に行くこどもたちの行列。川には木洩れ日。昨夜の通り雨で濡れた路面も乾いた。まだ草花たちが光の中に顔を見せる。日誌も報告書も間に合わないなか、日記の投稿は後回しになる。瞬間的に書きたいなと思う場面は次々に「過去」になってしまう。果実が次々に熟していってだめになってしまうように。セブンイレブンで今夜のLIVEのチケットを受け取ったら、帰ってきてオルファのナイフをどこかに落としたことに気づく。見つけたあそび(落枝のスティック、輪投げのシュート、焼き餅、松ぼっくりの編み物、山のおにごっこ…)を日をまたいでモノにしていくこどもたちのプロセスが同時にうずまく現場のなかで、それらをリアルな生として感じながら共にうずまくことを望んでいるのに、いまだひとり遮蔽した不安の次元で溺れている気分がする。
日月と快晴の日を過ぎて、起きたら意外にも曇天。改札をひとつひとつ丁寧に掃き掃除する青年と彼に付き添う職員の女性。カートの荷物番をしながら見守っているもうひとりの職員と掃除をしているもうひとりの女性とが点々と散って全部で4人いることが順番にわかってくる。それらと結んで三角形をつくるように、向かって右端から2番目の改札を遠足のこどもたちがひとりひとりpasmoをタッチしていく列、改札左の窓口の入口付近に3人で輪になって話し込んでいる女学生たち(こんな時間に?)といった点景が目につく。寝不足なのか脚に力が入らないなか、偶々座席に座れてしまったので、網棚に置いてきた細長いダンボールを忘れないようにしないといけない。日曜は港南台バーズの無印前の通路に入った瞬間の匂いが、月曜は喫茶YOKOHAMAで14時半から18時まで『記憶理論の歴史』の復習などをし終えて、全席喫煙の店を出た瞬間の通りの匂いが、それぞれ強烈に懐かしさを呼び出した。
大学のデッサン課題をついに提出する。正しくいえば、ウンザリしてきてギブアップしてきたに近い。芸術制作に完成はなく中断しか許されない。今回のデッサンも、修正点が自覚しているだけでも5箇所はある。しかしもう書く気が起きない。あらゆる「完成」は諦めが熟成された結果だ。
長らくデスクワークしてたから、身体が満身創痍。重たい身体を引きずるようにして郵便局に行った。
昼にチャーハン、夕方にコカコーラ、夜にガトーショコラ&バニラアイスを食べてようやく生命力を回復する。
学園アイドルマスターに新キャラクター雨夜燕さんが新登場した。さっそくプレイしてストーリーを読む。かわいかったから、彼女のミニキャラぬいぐるみを買おうか悩んでる。
さて、明日と明後日はさすがにゆっくり休もう(労働以外の時間は)。ひさびさにビールが飲みたい。立派な料理とかじゃなく、あえて安っぽいスナックで一杯やりたいな。柿ピー、アーモンドとか。
昨日予告したとおり、今日は一日中カンヅメで作業。思ったよりデッサン課題の進みが悪く、やや危機感を憶える。筆の進みが遅い!
今から夕飯のキッシュとシュトーレンを食ってすぐ寝て、朝6時に起きて作業再開する。マージで締切がやばい。
一日中フォロワーや大学のご学友と通話していた。
愛とは何か。演じること、ごっこ遊びに本気になることだ。相手に本音で向き合うこと、寄り添い合うこと、どちらも愛の絶対条件ではない。愛とは優しい嘘をつき続けることだ。その嘘がバレても一向に構わない。それでもなお嘘をつき続けるその迫真性にこそ説得力が宿るのだから。まるでSPY×FAMILYのフォージャー家のように。
そんなことをフォロワーと話した。
土曜夜20時、塾帰りのこどもたちが講師に見送られて改札から帰っていく。登り電車の乗客は少なかったのに、改札階に出ると待ち合わせている人も急に増える。後ろから呼ばれて抱き合う冬服の恋人たち。なんて安心する駅なんだろうか。『高慢と偏見』を読み始めて、5人姉妹の長女ジェーンが別の家で高熱に伏せている場面を読む。青葉台から妹の通う大学をぐるりと反時計回りに周回するような形で乗り継いで帰る電車のなかで読む。背中に熱を感じるのは、一日ロープを張っていた疲労なのか、風邪を拗らせているのか区別がつかない。最近は訃報に始まって、第3子で産まれた子がダウン症かもしれないとか、いつも遊びに来ていた4姉弟の真ん中の子に何かしら「しんどい」ことが起きているとか、そういうぐらっと来るようなニュースを現場で又聞きすることが続いている。震えない大地としての世俗性を現場(職場)のひとびとに託して身を預けてきたけれど、6年も働いていれば彼らの生が不動ではないことにも気づかされる。こちらも揺さぶられる。
「またきてね!きをつけてねー!」とフェンスからホームに向けて幸福な声を投げる少女とその家族の背中を通り過ぎて、列車は発車する。家族は右に曲がり、左の線路には見送られた女性が空いた車内に腰を下ろしてかばんを膝に置く列車が北東へと向かった。
東急百貨店はまだ開店前の照明。こうしてモーニングに700円もつぎ込んでいることが家計を逼迫させているのだけど、それは仕事≒開かれた社会の領域が生活のなかで占める割合が多いために、閉じられた文芸の時間を確保せんとするがためなのだった。自然の表象という観点で言えば、土筆、薄、鈴懸といった語をあしらった駅名が並ぶ田園都市線はその恰好の事例だろう(幼稚園のクラス名などもそうだ)。その駅から次々と乗ってきて合流する都会的な親子たちと各停で一緒になって、長津田で急行に乗り換える。彼らの方はそのままこどもの国線に乗り換えるようで、そのホームを見るとずらっと遠足やファミリーで来たこどもたちがあふれかえっていた。晴れた土曜。部分と一緒になって、たどり着いた先で全体に出会う。
今日は出勤できた。朝〜昼はまだちょっと苦しかったけど夕方には具合が回復して、夕飯にはキャベツ豚丼を食べることができた。お腹いっぱい米をかきこむ幸せを数日ぶりに噛みしめる。
土日は作業に費やす。家にカンヅメになり、デッサン課題を完成させなきゃいけない。ついでにZOOM会議にも出席しなきゃならない。そのぶんご飯は贅沢しよう。パン屋で食パンとキッシュを買ってきたし、なんなら出前でとんかつとかも頼んじゃう。とにかくここが正念場。
批評家・福田和也の気持ちがよくわかる。制作するためには食物もカルチャーもドカ食いしなきゃならない。しかし、この無茶はいつまで保つだろうか。こういうポトラッチ的なやりかたでモチベ上げるのは、一定の年齢になったらムリになる気がする。
昇ってきたエレベーターから降りてきた小さな少女が僕を見上げる。頭が痛いのは珈琲のせいというよりも、6+1時間しゃべり倒していたからかもしれない。(1)現場を「家」とする限りは当然「待つ」気持ちになるだろう、(2)そうして居場所としての場に立ち続けた先に「冒険」をつくる技術は育たないだろうという占いをもらう。今週渦巻いた特定の常連(候補)たちへの過剰な思い入れはそこに端を発する。でも、ねじれた形でそこに住まない者が居場所(地域)へと深く鎮もうとするときにできる力学にこそ「新しい場」への突破口があるのではないか、と夢想して自分を慰めた。活動≒労働しながらも、自分のなかで(人文的な?)妙な理屈は持っておきたい。
夕方には金曜のこどもたちに挨拶してまわりながら、綱島上町の奥地の公園を案内してもらう。そのまま川沿いや風呂屋の路地を抜けて時計台のある広場まで出たら、BOOKOFFで『高慢と偏見』の上巻を買った。未知の綱島に踏み込む日かと思って、周年記念を掲げている喫茶店にも上がってみたけれど、客で賑わっていたのでまたの機会に見送る。地下に残る「天一書房」にも入ってみる。塾だろうか、自転車で待ち合わせる中学生たちを横目に広場を抜けて、いつも通り「サガン」へ。角には観音像が立つ。美大系の学生カップルが今日も煙草をふかしている。閉店より少し早めに店を出て、新綱島駅のエレベーターのボタンを押した。ちょうど下の階に降りていったところだった。
1週間前くらいから聞き始めた「シットとシッポ」が面白くてたどり着いた。
先日Yちゃんが言ってたジャーナリングを、その場ではあぁアレか的に流したんだけど、その後厳密にどーゆうもの?と疑問を持って調べる。調べるほどよく分からん。商売にしてる人がそれぞれ好きに言ってる印象。
「シットとシッポ」でもジャーナリングに言及してたけど、誰のメソッドでのことを指してるんだろ?
最初2人の声の聞き分けができなかったけど、区別がつくと、キャラクターのちがいも分かってきてどんどん面白い。
昨日恵文社に行った時も、みんな日記書いて売ればいい的な本があったけど、日記はやってるのか…?
昔からミュージシャンの日記が好きだし、日記本の人気シリーズも沢山あるので実感が薄い。
写真家の日記は面白くない印象。
自分もずっと日記を書いてるけど、今の書き方に行き詰りを感じてるので、福尾さんの講座も気になる。
あんまり晴れているので、ミーティングには間に合わないけど上の尾根道を散歩しながら出勤することにする。新札の一万円を交通系チャージの機械にいれるのが尺だったので、ホームのtoksで軽食を買ったら、レジ袋が無ければ払えた小銭が526円であぶれてお釣りをもらう手間ができる。エレベーターを挟んでtoks側にあるエスカレーターの方まで来るかたちになったので、気持ちとしても流れのままあがって改札までのぼる。チャージをして改札を出ると、駅の階段のところで何度も立ち上がろうとしては挫けているめかし込んだおばあちゃんを見かける。晴れていたので、おのずから立ち寄って声をかけて、東急百貨店の入り口で開店を待って座っている人たちのところまで肩を貸す。因果の流れは善悪のどちらに傾いたのか。
体調、天気、環境などなどで一定周期でインプットが滞ることがある。好きなはずの小説音楽映画ドラマが受け付けない中で、最近わかってきたのがPodcastは聞いていられる。人の会話の流れに促されてポツポツと連想ゲームみたいに自分の思考が芽生えるのが心地よい。耳より心の声に集中しすぎて、音声再生を戻して、を繰り返しても何故かストレスに感じない。最初にあげたいわゆるコンテンツ対しては、一分一秒を無駄にせず受け取らないと、という強迫観念めいた前提が自分の中にあるせいか。
体調を押して出勤。「ゲルマントのほう」にて、因縁関係にあるパルム大公妃と帝政貴族イエナ家の人びとを「大胆に」引き合わせようとする公爵夫人の口説を読む。地下鉄から東横線に向けてふたつの改札を走り抜ける人びとの苦悶するような表情を脇の精算機から見送った。
今朝もPRONTO。いつもの学生店員が久しぶりに入っていて、この人の鼻にかかったようなよく通る声にはじめて気づいた。別の店員は休日で息子を連れてモーニングを食べに来ていて、生活と一体になっている職場のあり方が垣間見える。この空間にはどこか人の家にお邪魔しているような安心感がある。しかし、ここで毎朝594円を使い続けるほどの金銭的余裕はもうない。奨学金を払ってた口座が底をついたらしい。いよいよ財布の中身も空になって、正常に循環していた家計が崩れようとしている(①)。加えて、いつもの通勤路に新しい通りができる。信号もできる。都市空間の時間が切り閉じられた地区のなかに流れ込んでくる。小川が結界となって通りを南へとねじ曲げてくれるけれど、駅までのショートカットが開通されることは間違いない。抵抗としての小川≒路地はどのくらい変化を被るのか(②)。また、重低音として活動仲間の老賢たちの訃報が相次いでいる。直接会ったことは数えるほどしかないけれど、団体へのダメージは大きい(③)。何より、左上奥歯が虫歯で崩落している治療に行けていない。ボロボロになっているのは歯だけでなく、普段履いている登山靴も靴下もそうだし、メガネの調子も万全ではない。点検と修繕が必要な身の回りのものが多い(④)。以上4つの「崩れ」が自分の地盤を揺さぶっているんだと思う。課題と対処の季節から離れて久しいなか、何とからせん状の生活のなかで鎮めていけないか/ギア・チェンジが図れないかとタイミングをうかがっている。最近はこのモーニング・タイムが日誌も含めた「課題の整理」の時間になっているのもよくない。余白であるべきだ。
PRONTO。休日は長く、今朝になって逆に疲れが出ている。朝に月イチで通っている「きき屋」のセッションが次のステップに入る。この半年こちらがしゃべり続けてきたことを受けての「印象」を返してもらい(意外だった)、異なるレイヤーの話をバランスよく話せるようになることがそのまま心の整理になる、話すこと自体が練習であり実戦なのだ、ということを教わった。この場はテクニカルに調整されている場だったのだと明かされて晴れやかな気分になる。午後は上星川で降りて、腹痛に休憩を取りながら陣ヶ下渓谷へ。人の歩ける領域が単線でしかなく、渓谷の全体像は荒々しい倒木や渓流の姿を垣間見るほかは掴めない。道もずっと狭く、空間がデカいのは最初の環状2号の高架下だけだ。よく評価されるスケールへのワクワクよりも人を拒むような茂りへの恐ろしさが勝つ。山の上に抜けると太陽がよく当たっているも人気のない団地があり、そこから降りていくともう鶴ヶ峰駅のようだった。その麓の大病院の裏に、保養所といった体なのだろうか、中央にニ度盛り上がった芝の築山にいい具合に遊具と園路が施された椚谷(くぬぎやと)公園を見つける。落ち葉がシャクシャクと鳴るなか、放課後のこどもたちが自分たちの楽園として公園いっぱいで遊んでいる。サイズ感もこどものサイズ感で目いっぱい広く、伸びやかだ。この近さでこの落差はなんなのかと考えずにはいられない。日誌のノートをそこで書き、山の上のセブンでスキャン、そのままおでんを買って家まで帰る。帰ってきたらいまだ妹は風邪に伏せっていて、大根の葉を入れた麻婆豆腐を作ったら、部屋に入ってjuice=juiceの動画の沼にハマった。来週末の対バンLIVEのチケットを持っているからだ。知っている曲を漁るところからはじめて11人になったメンバー名を覚えてまわり、卒業した稲場愛香がエースに至るまでのドキュメントを見る。4時間くらい見ていたようで、今朝になって脳がjuiceで溶けたような面持ちなのだ。駅までの路地では今日も新築の木枠を大工が打ち込んでいる。朝からさっぱりした資材の匂いを嗅ぐ。