日記掲示板の投稿数が999件に達し、新規投稿ができなくなっていることに気づいたので新たに作りました(もしその間投稿できなかった人がいたらすみませんでした)。
ルールは同じで以下の通りです。
(1)以下のコメント欄に名前と内容だけを書く(アドレスは不要)
(2)名前は本名やどこかで使っているアカウント名ではなく、このサイトだけの通称を使用すること
(3)日記以外のものは雑談掲示板に投稿すること
ちょうど僕も1年続けた日記が終わって、新たに日記の続きを書き始めたところなので、みなさんもそれに並走するかたちで気軽に書き込んでいただければと思います。
2022/04/08 福尾
珈琲舎に寄港。さっきまで自分の部屋のなか。高度に交わされる社会的なふるまいが描かれた『高慢と偏見』を遂に読み切る。エリザベスが御局キャサリン・ダ・バーグ夫人、婚約者ダーシー氏、姉のベネット嬢=ジェーン…と立て続けに交わす「利己的」な応酬に魅了された。駅前に出て出納のあれこれをして回るに至るまで、歩いていると通りぞいの家々の庭先が気になった。半屋内のテラス席(ロッジア!)として設えられた空間にゲーミングチェアと作業机が置かれている家。L字型の庭先に線路に平行になるように物干し竿と洗濯物を並べた家。ラジオが聴こえてくる家。こういう眺めも構造と呼んで差し支えないのだろうか。八百屋が賑わっている時間帯に来たのが久々でうれしかったので、「おいしいよ」とポップに書かれた大ぶりの蜜柑を並んで買った。国会中継のラジオが流れていた。
暖々寒々の日々。ふきのとうを見たという知らせを受けた。火曜はゼミで運営の混乱を整理してもらった上で現場に集中すればよいと言ってもらい、水曜は臨時の集会でイベントも普段の現場と同じように動かせないものとあそびの入口から考えて作ればよいのだと言われた。夜が忙しい。最近の朝は藤原さくらの『uku』を聴きながら出勤していて、駅で電車で乗るころにちょうど『深海』がかかるようになっている。V.ウルフ短編集の『同情』という掌編のことが時々頭をよぎる。昨夜入った夢庵で席に置いていった革手袋を店員が外まで届けてくれて、帰ってきた家では洗い物とシンクの掃除を妹が黙々とやってくれた。こうやって書くといろんな人に助けられながら歩いている今週だなと思う。助けられながら、現場に立って、研修を受けて、日誌を書いている。
みんな花粉の話をしている。観梅には行けずとも、祝日の臨港パークで擬似的な家族の時間を過ごさせてもらい、九段下まで出てきて藤原さくらの周年ライブにも参加した。豊潤なバンドメンバーと奏でる楽曲たちのなかで、Vulfpeckにも今井美樹にもノラ・ジョーンズにもなるのでどれだけの音楽的なルーツが彼女の作曲に流れ込んでいるのかと驚嘆しながら座席で踊る2時間だった。「薄着でみんなの前に立ちたい」と言い続けた彼女は、白い半袖のシャツにデニムを履いて裸足でアラビア絨毯の上に立って、歌って踊っていた。プロとして緊張感を持っていた長い夜の時代を抜けて、今やdaybreakとしての春の時代を迎えたと語っていた。武道館の中央の舞台でアコギひとつで座り、足元からオレンジ色にライティングされた藤原さくらが姪に捧げる歌を歌うのを聴きながら、午後まで会っていた甥っ子(的なる子)のことを思い出していた。
半年ぶりにパトロンの邸宅に来て、低反発マットレスに寝転び、DAZNをつけて、ミャクミャクのぬいぐるみに囲まれながら好き放題過ごす夜。2歳半になった甥っ子(的な子)もすごい喋るようになった。時間が空いても、こちらの存在は相変わらず許される。
日中は「けろけろけろっぴ」や「お母さん葬式終わったって」という声のなかに。じゃれ合う連休日曜日の親子たちと街のあちこちで一緒になった。昼に起きて洗濯を干してから家を出て、ベーコンと目玉焼きのサンドイッチを食べ、『高慢と偏見』でダーシーが想い人エリザベスの妹の駆け落ちの不名誉を何とかするために奔走するのを読む。あざみ野市民ギャラリーで沖縄と台湾を舞台にした写真展を見る。先週の日曜の竹林に逃げた午後の日誌を書いて送る。
歌のように生きている。この2月は今何を「歌って」いるのか見失うことが多い。空間も構造もわからない。光があって、色があって、カテゴリー(カント)があって、遊び場があって、雇用体制があって、旧植民地の歴史があって、財産分与があって、町喫茶がある。10周年記念ライブがあって、職業選択の自由があって、革命(『OBAA』)がある。「いつも帰ってくる場所」がある。そうやってひとつひとつを数えることはできる。こどもはどんどん大きくなっていく。
春めいて怖ろしい二月の末。二度の寝坊。珈琲と同僚からの電話を待っている。現場を渡り歩くプロセスのなかに身を置きながら、自分の内に張った「テンション」を一本ずつ張り直す作業がつづく。テラス席に出る。電話は介入が問われる状況に対峙したときのことで、振り返ると手を抜いたかもなと自分に感じたことにたどり着く作業だった。夜のロータリーで踊る親子たちの姿がよぎる。
朝、ドイツにおける観光地と遊び場の連続性の質問が浮かぶ。昼、フェスにおいて自分の内に置く日常と非日常の天秤を話す。夕方、ゼロから巻き込んで場を作ることを求められる横浜の環境を確認する。夜、『OBAA』における革命家の娘ウィラの射抜くような眼差しと絶え間なく押し寄せる波のような逃亡劇を浴びる。そして、前日になってもレイアウトさえイメージがつかない明朝の神社イベントに不安になっている。独楽、けん玉、羽根つき、福笑い、竹とんぼ…、いや、道具云々ではなく、自分が自由にイマジネーションを働かせる場にしてよいのか、それとも敬老会を立てるコミュニティ・ワークの場にするのか、蓋を開けてみないと見えないから困っているのだ。たったの2時間だけど。「不安に呑まれるな。やるべきことを1個ずつやるんだ」。
谷川俊太郎の生前最後の詩集を友人から贈ってもらったのが少し前の事。なんとなく手元の茨木のり子の詩集をぱらぱらやっていたら、それが谷川俊太郎選だったことに気づく。出来合いの思想や出来合いの宗教には寄りかかりたくないというような詩があって、最後の一節が「寄りかかるとすれば椅子の背もたれだけ」というものなんだけど、これは実在論的なあれなのか、関西人的なオチなのか。真面目に受け取ったらいいのか、ちょっと笑った方がいいのか。読むときのテンションというか距離みたいなものがまだあんまりわからない。実感を書き連ねたというかんじで、小洒落た言葉とかおもしろいリズムとか、そういうことに抑圧的な何かを感じる。
東の空に朝日がのぼった。玄関が東向きなので、ドアノブに手をかけたときにほんのり暖かい予感があって、開けたら陽がわっと差し込む。線路沿いの道も穏やかに明るい。昨日ぶり返したメニエール症の頭痛も、打ち合わせにケリをつけてよく寝たら晴れてくれたみたいだ。少し前の現場後に話していた時間にアオバズクの鳴く声が宵の森に響いていたことも思い出せるくらいにはクリアーな頭だ。昨夜は、仕組みづくりとはまず会議の話の進め方と自分の役割を知ることであり、聴き取り班などの枠を作って人を募ることであり、図面を引くことであると教わった。現場を渡り歩くなかでリニアかつ斑状のイマジネーションと言葉を紡いでいくような今の僕の仕事の時間とは真っ向からぶつかってしまうし、経験値としても場違いだと悟った。
散る梅と咲く梅のまじる2月中頃。また投稿を飛ばしてしまった。ちょうどランチセットが届いたところ。マスターや常連客の抑えた笑い声が店に鳴る。熱海の梅園や伊東の別荘にまた行きたいと願うとき、梅屋敷、九段下、元町…と繰り出す最近の休日は小規模に「観光」(東浩紀)をやっているということで、それなら今出前事業の準備にジョインするかと迫られている現在もこの文脈で考え直せる。(自分にとって)観光地ではないが、地元と呼ぶには規模の大きな行政区で「お前はどんな横浜にしたい?」という問いが鳴り響く。「腹を括れ」(仕組み)と「絶えざるプロセスのなかに身を置きつづけよ」(現場)というふたつの命法を天秤にかけながら、急に立ち止まった老人と彼を避けて前に出る学生と主婦が演じる月曜の小路を歩く。3日間の病み上がりを経て、土日の日誌も残し、夜には「ラグナロク」や「シビル・ウォー」を寝ぼけまなこで観る日々。こうして逆から書いてみてもなかなか面白い。
ようやく担当事業が終わって一段落したたところだったので、鮮魚売り場で見つけた4割引のあんこうを迷わずカゴに入れる。欲しがりません勝つまでは、ではないけど、大口の終わるまでは手間のかかる料理を平日に作る気にはなれなかった。レシピどおり、身は湯通しして、肝は炒めて味噌󠄀と合わせて出汁をつくるなど、自分にしては丁寧に下ごしらえしたつもりだったのだけど、いざ出来上がったものは微妙に生臭さが残りがっかりした。しいたけのほうが美味しいのはどうしたものかと思いつつ、料理下手の手にかかってしまったあんこうのほうが不憫だろうと思いながら器を洗った。
朝7時頃まで仕事をしていたからか、一日中顔色が悪かった。トイレやエレベーターで鏡をみるたびに、目が窪んで頬がたいそう土気色で、なんでこんな今日病人みたいな顔色なんだろう、ああそうだ寝てないんだったというボケを毎回繰り返すことになった。寝ていないと頭も回ってない。明日は担当事業の最終日だが、公演内容よりもさいきん入った中関管理職のひとが導線やら何から何まで決めたがる人なので、その人に内心どう思われるだろうかというほうが、気がかりだ。いい加減だと思われるだろうが、少ない人数で回しているのだからそこはご容赦いただきたい。
鼻風邪に倒れる。ゼミでは青森の三内丸山遺跡の話が出る。貸駐車場に3日間置かれたままになっている車両について電話で話している男がいた。ボルダリングジムからはこどもの姉妹が出てきた。歩きながら歌っている知的障害の若者たちとは、この3日間くらいで5度くらいすれ違っている。エントランスの雪だるまはとけ、朝の光だけは春めいているので気味が悪い。八百屋で蜜柑を買って帰ったら、妹が麻婆豆腐などで看病してくれた。
ひとよりも自分はものを考えており、そしてそのぶん、世界の実像が見えていると、誰しもが思いたがるものだが、それは考えた方向の分だけその人にとっての世界像が形成されるだけで、見えるようになったというより描けるようになったというだけではないかという気がする。各々の置かれた状況と経験を下絵にしてつくられた像はおそらく各々重なりあう部分と重ならない部分があり、それらを持ち寄って実世界なるものが形成されるとしたら、おそらくより多く重なり合った部分が濃く影を落とし、きっとそれに近いひとたちの共有している像が世界に成るだろう。だが、それはその世界と別様の世界が存在しないということを意味しない。アマゾン奥地で暮らす人々の世界と我々の世界は物理的には地球上という同じ空間で起こっているはずだが、じゃあ同じかというとおそらく全く異なった様相を呈すだろう。とはいえ隕石がおちてきたら両方の世界が同時に消えるわけだから、やっぱり同じなんじゃないのというかんじもするが、その消滅でさえきっと違った重ならない形で経験されるだろうから、やはり全く縁のない他人のような世界どうしというほうがしっくりくるんじゃないだろうか。というようなことを世界制作の方法の文庫版の日本の読者へのまえがきを眺めながら思っている。ざっと目を通しただけだけど、これ〇〇とちゃうの、ほなそれはちゃうかーという結構前に流行った漫才を見せられてる感じがちょっとする。テンポ的な話として。
カウンセリングを終えて神大でゆっくりした後、梅屋敷で降りて喫茶「琵琶湖」へ。蒲田の方まで歩き、放課で賑やかな一丁目公園で『千年の愉楽』と江藤淳の「「路地」と他界」を読み終えた後、中古屋に寄る。フォークナーの短編集と梅原猛の柿本人麿論を買う。日も暮れて「井戸屋」に来た。
公民館で投票を済ませた後、展示に使っていた機材を取りに地下鉄の御堂筋線に乗り込む。阪急梅田駅から地下鉄梅田駅へ向かう通路がまるごと改装中で、新しいルートのほうを歩かされる。大きい河川の流れを変える際、新しい流路を掘削しておいて、旧路を塞いで一気にそちらに流して川の形を変形させるわけだが、ちょうどそれに似ている。生まれたての通路を歩きながら、なんとも思っていなかった前の通路のことを無駄に思いだして、記憶を確かめにかかっている自分がいて、これはなんの努力なんだろうと思う。
日曜日。大雪のなか、タリーズへ。日本大通り駅のホテル口から出ると、一団となった乗客たちが朝から賑やかに会話を交わす。階段を登りきったところで、強まっている雪にわっ!とふたりで顔を見合わせる友人同士の女性ふたり。外は本当に寒いからねと言われている中年の男女も、母親に連れられたいくらかのこどもたちも、みんなスキーにでも出るような恰好をして、山下公園の方へと歩き去っていった。ホテルのエントランスから出てきたカップルは、両親らしきふたりを出迎えて「こんな雪なのに来てくれたの?」と歓待しているところだった。朝は雪化粧の屋敷や神社を写真に撮って、選挙へ寄ってから出勤。町に誰もいないと思っていたら、モールからは塾の授業中らしき中学生たちが出てきて、公園にいそいそと出かけていった。
光、色、それは時間。黒い地の上にぼおっと浮かぶ三角形の図は、飾られた掛け軸の空間との境をなくし、鏡に映った誰かの肖像のように見える。幽体/霊魂。あの礼拝堂のような地下空間。そして、この一面の雪の降り敷く大通り。映像にうつるデニーズの光、満開の八重桜、かざす左手、裸体。琉球、松前…、NHKドキュメントで見たのは珠洲の海沿いの銭湯と北陸新幹線を通すために掘られた新潟の大トンネル。『千年の愉楽』が差し掛かるは「天人五衰」に響くブエノスアイレスへの憧憬。夢で見たのは銃撃戦、カウンセリング、淫靡な誘惑。大木のナラが雷鳴のようにゆっくりと倒れる。火、縄、草花…と感覚をひらくには、こどもたちの手つきをよく見よ。イメージの海へ。
梅、転じてkudan houseの大楠の庭にしんしんと白雪降る。展示の感想を打ち込んでいたら画像認証が書き換わってしまって、投稿できなかった。圧縮すれば、1階の戦後絵画(特に永井清の描く溶鉱炉の男たち)、2階の大木祐之の映画における「光…、色…、風…、それは時間…」と繰り返すフレーズと映像群、朝鮮白磁の内から照り返す光と青白さ、3階の雨宮庸介のVR作品における果物−惑星−幽体離脱−『死者の奢り』のモチーフの連なり…までの経験のよってできる「体が物になり、心は霊体に浮かぶ」(ノーベル賞スピーチにおける「うつくしさ」とthe ambiguous)感覚を携えて地下空間に降りることで、五月女哲平さんの絵画たちがそれぞれに実体化する、切り立ったエッジ、流体化、奥に見える部屋の裏面、鏡に映った肖像…といった空間の信じられない別様を受け取ることができた(それは僕にとっての悪魔祓いにもなり得た)、という記述だった。携帯を開くとたくさんの連絡が来ている。霊魂は現世へと戻っていく。
11時間勤務を終えた帰り道だったからか、普段は寄らない成城石井に足が向く。お惣菜はだいたい500円から1000円、甘い物は400円からというかんじで、最近の物価高でコンビニもたいがい高い昨今、こっちのほうがお得に見えてくる。台湾風カステラやらピスタチオのチョコやら、どっかで見たことはあるがどこでも食べなかったちょっと小洒落たかんじのラインナップが並んでいたが、結局は普通のチーズケーキにした。バスクチーズケーキと記載されていたのでけっこう楽しみに食べたのだが、どこからもバスクみを感じられずがっかりした。焦げてないし。硬くないし。ケーキとしてたある意味正解なんだけど、と微妙な気持ちになりながら残した半分を冷蔵庫にしまった。
妙蓮寺。かっとはうすぐりーん、生活綴方、そして、菊名池公園の陽だまり。鳩が芝をついばむ。誕生日にもらったHydro Flaskには熱い黒豆茶。パン屋や和菓子屋もこども服屋も、通りの店はみんな開いていて、今日のこの町は気合が入っている。二月の光が凍てつく奈落をネガに照らし出すように感じていたけど、この公園には女学生たちが放課の休憩に立ち寄るほどの穏やかさで包まれている。選挙演説が聞こえてこないからだろうか。昨夜から泥のように眠り込んで抜けられなかった懊悩さも、丁寧な散髪とマッサージ、そして手仕事とGINEの空間によってさっぱりと払われた。結界が崩れても、中井の蝸牛図のような仕方で、正気の水脈を捕まえなおすことは何度でもできるはずだ。
多様性を受け入れるにも限界があると友人が書いているのを見て暗い気持ちになる。受け入れるも何も、最初から世界は多様であり、それは受け入れるとか受け入れないとかそういう対象のものではない。あなたが多様性を拒否した後も、世界は依然として多様である。あなたが受け入れようとなかろうと、誰かは誰かのことを性別関係なく好きになるし、誰かは異なる文化のルーツを背負いながら生きていかないといけないし、なんらかの障害やハンディキャップと折り合いをつけながら誰かは暮らしていく。そういう人間が、この社会に現にいる。これは本来は人が人としていきていくという権利の問題であって、個人の好悪の問題でははない。ましてや受け入れるとか受け入れないとか、そういうマジョリティのお気持ちの問題でもない。ただ、おそらく思うに「多様性にも限界が・・・」という人の多くはさほど実生活で多様性のことを考えたことも、現実で対応したこともなく、単にマイノリティのやつらが正義っぽくなってて面倒くさいというふわっとした嫌悪感みたいなものしか根っ子にしかないような気もしている。そういう、周りにハブられないようになんとなくの雰囲気に合わせて行動するというのが大衆の特徴であり、先の大戦は明確な理由ではなくその空気によってこそ惹き起こされたことを鑑みるに、時が流れても人間はそのまんまという感はある。選挙はしあさって。