3月16日

 昨日の続き。「ここ」や「昨日」がシフターであり、かつ、指示対象がその発話の(めちゃめちゃ広い意味での)物理的な条件に規定されているという意味で指標的であるということを認めたとしよう。しかし「私」はどうだろうか。たしかに「私」にとっての「あなた」や「彼・彼女」が誰を指すのかということはそのつど変わる。しかし「私」はずっと「私」と言い続けなければならず、この「私」の固定をスキップすることによってしかシフター=指標説は成り立たないんじゃないか。つまりシフター=指標説を唱えるとき、誰もが「私」を背負わされているという事情に対する批判的視座がブロックされる、というより、すでにそれを解決済みの問題として打ち遣ることになるだろう。

 「私」もシフターだというのは、当人が「私」と言う必要が一切ない地点からでないと言えないことだ。そしてその地点はたんに知的な媒体に「理論的」な書き方で書けば到達できるようなものではない。アルチュセールは「おい、そこのお前!」という警官の叫び——今やこういうことをやるのは広告ばかりだが——が「私のことか?」と後ろ暗さを擦り込みつつひとを主体化させる作用を権力の呼びかけと言ったけど、「私」という語には、ひとを言葉の「主体=主語」のなかに拘束する働きがある。そしてその作用を、物理的因果作用の痕跡だなんて言うことはやっぱり言葉の社会的・政治的側面を甘く見過ぎなんじゃないかと思う。

 そして「私」への拘束から抜け出すということは、小説、詩歌、哲学、批評などあらゆる言語実践の最大の賭け金であり、それは「私」はシフターだとメタで非人称的な地点から言うことによってではなく、「私」をシフトさせる言葉を連ねることによって初めて到達できることだろう。しかしこれを美術の問題に折り返すとどういうことが言えるんだろうか。

投稿日:
カテゴリー: 日記

3月15日

 「指標(index)」はパースが考えた記号の分類のひとつで、物理的因果関係によって成立する記号を指す。煙は火の指標、足跡は歩行の指標で、細いガラス管の中の灯油の膨張・収縮は気温の指標になる。戦後の芸術学の分野では感光剤の化学的変化によって光を記録する写真の指標性がよく論じられて、じゃあデジタル写真も指標なのか、スクリーンショットは写真なのかとかいろいろ議論がある。ともあれ写真=指標で、それを20世紀の芸術を串刺しにする視座として考えようとした文章がロザリンド・クラウスの『アヴァンギャルドのオリジナリティ』に収録された「指標論 パート1・2」だ。

 しかしクラウスはここで指標に「写真的なもの」を代表させるという操作を議論全体の前提として置くだけで、写真自体はほとんど論じられず、あらかじめ概念化された写真的なものがデュシャンの作品や論文と同時代の70年代の作品にどのように見出されるかということを書いている。

 気になるのは彼女が指標という概念とシフターという概念をくっつけていることだ。シフターはローマン・ヤコブソンが考えた言語学の用語で、発話の状況によって指示対象が変化する言葉を指す。「ここ」とか「昨日」とか「私」とか、確かに誰がいつどこで発するかによって何を指示するかが変化する。しかしシフターは指標だろうか。シフターも指標だと言うことによって物理的因果作用を言葉の網の目の方に吸着してしまうことこそが目指されているように見えるし、むしろ指標のほうがシフターの変種だと考えているんじゃないかとすら思える。指標とシフターの関係が整合的なものなのか、あるいはそこに何らかの「無理」があるとして、それをたんに取り除けるのではなくその意味を探るためには、この論文ではなぜしきりに「キャプション」が取り上げられ、作品の「インスタレーション」としてのあり方が語られるのかということを考える必要があるだろう。

 そもそも狭義のシフターでなくても言葉の意味は状況に応じて変化するし、そこには社会的権力関係が刻まれている(言われていないことを言われたことにする忖度とか)。そうだとすれば一方で「物理的現前」や「実在的現前」という概念を元手にイメージの選択の必然性を担保し、他方で固定的な対象をもたないシフターの「空虚さ」を特権的なものとすることは、言語そのものの社会的・政治的側面を無視する方便になりはしないか。

投稿日:
カテゴリー: 日記

3月14日

 外に出て煙草を吸って携帯灰皿を開けると見知らぬフィルターが2, 3本入っていてなぜかどきっとしたがすぐ五月女さんのものだと思い出した。このあいだ髪を切ったあと彼と友人ふたりと中目黒のジビエのお店に行った。おとなしいメンバーだし誰も酒を飲まないので静かな会だった。葡萄ジュースにハーブやスパイス、種類によっては昆布やたまり醤油まで入っている凝ったノンアルコール飲料を飲んだ。美味しいけどこれでボトル5000円くらい出してるんだろうかと思うと、上品な酒飲みの価格感覚をインストールできていない下戸には厳しいなと思う。まあこういうときに料理も含めこういう贅沢ができて楽しかった。ひとしきり鴨、鹿、猪のグリルを食べて店の人に煙草外で吸っていいですかと聞くと申し訳なさそうに出てすぐの高架下のところまで行ってくれと言っていた。店先で吸ったらクレームが来たりするんだろうか。こんなに誰もいないのにと思いながら吸っていると誰かに名前を呼ばれ、名前が呼ばれているなと思いながらぼおっとしていると五月女さんだった。店に戻るときにこれ使ってくださいと灰皿を差し出した。

投稿日:
カテゴリー: 日記

3月13日

 こういう偶然は案外あんまり重なるものではないが、数ヶ月前の季節外れに暖かい日に近所の小学校の前を通りがかると、敷地を区切る高い柵の縞模様の影が歩道に投げかけられていた。そこを歩くと、縞を横切るのに合わせて速いリズムのストロボみたいに陽光が目を撃つ。試しに目をつむって歩いてみると柔らかくて温かいものでまぶたをとんとんと叩いているようでとても気持ちよく、早く止めないと今にも蹴躓くぞ、そしてこれは気持ちよすぎるぞと思って止めた。80年代にはシンクロエナジャイザーという、目に光を当ててトリップするゴーグルがあったらしい。調べたら今でも売っているが、家で暗い部屋に寝転がって熱のない光を浴びるより絶対に季節外れに温かい日を散歩しながら陽光のストロボを当てた方が気持ちいい。

投稿日:
カテゴリー: 日記

3月12日

 眠りに落ちる前の半分夢を見ているような状態で何かいいアイデアが浮かぶことは誰しもよくあることだと思う。そのほとんどを起きたときには忘れていて、覚えていても十中八九なんじゃこりゃとなるだけなのも含めて。日記はとりあえず1年間続けることを考えている。その日あったことを羅列するタイプのものではないので——じゃあどういうタイプなのかというと、まだよくわからないのだけど——それ以上このやり方で続けるのは無理があるし、別のものを始めるとしたら写真とか俳句・短歌とかそういうぱっと出せるものにしようかなと思っていたのだけど、昨夜眠りに落ちる前に思いついたのは全く別のことだった。

 1年続けると365日分の日記が溜まる。来年の1月20日から2年目が始まる。思いついたのは2年目(以降)の日記のふた通りの書き方だ。ひとつめは、来年の1月20日の日記は今年の1月20日の日記を書き換えたものにし、以降も1年前のその日の日記を書き換えることを繰り返し、1年分の日記の別バージョンを作ること。この場合問題になるのは、書き換えの方針や規則をどのように設定するかということだ。書き換えているその日の何かを書き換えられるものに混ぜ込むというのがまず思いつく。

 ふたつめは、来年の1月20日には今年の1月20日の日記の続き、つまり虚構の2021年1月21日の日記を書き、以降も同様のことを繰り返すというやり方。これを1年続けると365日それぞれの「次の日」が出来上がり、さらにその次の年の1月20日には「2021年1月22日」の日記を書くことになるので、1年ごとに1日ずつ書かれる日と書く日の日付がずれ込んでいくことになる。これを365年続ければ、2021年1月20日から2022年1月19日までのそれぞれの日を出発点とする365通りの、365日分の日記が出来上がる。問題はひとは365年生きないということ、そしてそんなものが出来上がって何が嬉しいのかということだ。

投稿日:
カテゴリー: 日記

3月11日

 美容院。ドライカットなので座るなり切り始める。ひとりでやっているところで、こっちが黙っていると黙っていてくれる。こないだは博論で滅入っていて最初と最後以外ずっと喋らなかったが、髪を切るとそれだけで気分が軽くなる気がした。強く集中してるのが伝わってきて、そういう高度な集中の対象であるというのがただ髪の生えた物体になったようで心地よかった。今日でちょうど10年みたいですね、と言うので、ああ、その頃も横浜にいたんですかと聞いた。すき家が2時間待ちになっていたらしい。横浜駅にできたnewmanがつまらないという話からなんで横浜の若い人はひと昔前みたいな服なのかと聞くと、この街が半端に自足しているからだと言うので、逆に相模原とかの方が尖った感じの人が多いんですかねと聞くと、相模原は広くなっちゃったからねと言っていた。市議会議員の選挙になるとポスターが50メートルくらい並ぶんだと。

「昔の町田は黒人とギャルしかいなかったですよ」
「へえ」
「なんか厚木がいま住みたい街ランキング1位らしいって」
「そうなんですか」
「子育て支援がしっかりしてて、意識高い家族が都内から引っ越してくるみたいです」
「厚木、行ったことないです」
「僕の地元なんですけど、治安めっちゃ悪いんで、どうせそういうのって悪い方に流されるじゃないですか」
「ああ」
「だから10年後には意識高い系の親の子供と地元のどうしようもないのが一緒になって悪さするだけなんすよ」
「それは、明るい未来って感じがしますけどね笑」
「あー笑、確かに」

投稿日:
カテゴリー: 日記

3月10日

 煙草を吸いにベランダに出ると、陽の光で熱せられた黒いビニールのサンダルが裸足に気持ちいい。夏は火傷するくらいになるだろうなと思う。サンダル自体が溶けてしまうかもしれない。窓を開けると黒い塊がベランダの床に張り付いている。とりあえず煙草を吸おうと思うがサンダルがなく、そうしてやっとそれがサンダルだったものだと気づく。さすがに溶けたりはしないと思うが、非現実的なものの現実感と現実的なものの非現実感が追いかけ合うようなマジック・リアリズムが夏にはある。思われる夏はそれがどんな夏であれリアルだけど、実際に生きられる夏はいつもアンリアルだ。

 ベランダから戻ってエディタを開いて日付を確認したとき、3月11日とあって、あれ、3月9日までしか日記を書いていないんじゃないかと、昼寝から起きて夕方なのか朝なのかわからなくなるときみたいに混乱した。10日を飛ばしてしまったのではと焦ったが9日の日記を書いたのが昨日だと確認して今「10日」を書けばいいのだと安心した。3月11日と見て何か今日のことを書かなきゃと反射的に思ったのかもしれない。でも今日はこれから始まるし、書くべきことは大して起こらないだろう。今日は髪を切りに行って、それから友達とご飯を食べに行く。それだけだ。

投稿日:
カテゴリー: 日記

3月9日

 ツイッター情報なのだけど、「#春から○○大」というハッシュタグを付けて投稿する新入生を装ったアカウントによるカルト宗教や悪徳商法への勧誘が行われているというニュースを見た。大学1年生のとき、阪大の豊中キャンパスの図書館の前にはひらけているわけでもなく入り組んでいるわけでもない、中途半端に鬱蒼とした庭があって、そこでよく生協で買ったパンとかを食べていた。歩いて近づいてきたおばちゃんにいきなり韓国語で話しかけられ、道にでも迷ったのかと思って何ですかと言うと日本語に切り替えてパンフレットを差し出してきた。今度は向こうが何か学生生活で困っていることはないですかと聞いてきて、すらすら喋るのを聞いていると韓国の留学生が多く入っている宗教ということで、日本人学生もいるから心配ないと。いいですと言うとパンフレットを置いて去って行った。大学ではずっとひとりで、その後4年間いちども誰かとキャンパスで昼ごはんを食べたことがなかった。留学生ではなかったが彼女の見る目は正しかったと思う。

投稿日:
カテゴリー: 日記

3月8日

 長めの原稿の依頼が来て、長い原稿だ!と思って安請け合いしてしまったのだけど、今になって書けるか心配になっている。まだ決まってはいないがたぶん締め切りは3ヶ月後で約6000字。それだけだと何とでもなりそうだけどテーマを決めるのが難しい。次に長めの自由度が高い原稿が来たら「日記の現代思想」みたいなものを書こうかなと思っていたのだけど、テーマ自由とはいえ美術の雑誌なのでそれはさすがに難しそうだ。インスタレーション論は去年もう書いちゃったし、大和田俊論も書いたばかりだし。何か他に作家論が書けるほど誰かを追っているわけでもなく、とりあえず「今美術にとって言葉とは何か」みたいな感じで書くかもですと言ってはいるが、こういう大きいテーマをいい感じに串刺しにするトピックなり事例なりが準備できるかどうかは運任せだ。絵画について書きたくなりそうな気もする。今までリー・キットと五月女哲平についてはそれぞれ展評を書いた。ピーター・ドイグ評は気持ちに余裕がなかったのとさすがに適任が他に山ほどいるのではと思い断ってしまった。言葉か絵画どっちかになりそうな気がする。

 それにしてもここ2年ほど商業誌からの依頼で言えば文芸誌と美術雑誌からのものばかりで、思想誌とか他ジャンルのカルチャー誌とかからぜんぜん話が来ない。いちど原稿料を倍にしろと言って喧嘩したからだろうか。安いだけでなく、まだ見てもいない映画について3週間で8000字という狂った依頼だった。どのみち原稿料で生活できるわけでもなく、楽しければタダで何字でも書く。この日記がそうだ。

投稿日:
カテゴリー: 日記

3月7日

 先日出たロザリンド・クラウス『アヴァンギャルドのオリジナリティ』の改訳版を読んでいる。何か張り切ってしまい原書まで一緒に買った(これもすぐ届いた)。旧訳を読んだのは学部生の頃だったろうか。あの頃は確か松岡正剛経由で高山宏にハマっていて、それでストイキッツァとかディディ゠ユベルマンとかそういう哲学寄りの美術史が面白くてぽつぽつ読んでいた。ゼミや読書会——小倉さんや米田さんや平田さんといった、檜垣ゼミの院生がやっている読書会にキャンパスをまたいで押しかけていた——でドゥルーズを読みつつ映画研究をやっていたのもあり勢いポストモダン系の芸術論を手に取ることが多かった。のちのち美術批評を書くなんて露ほども思っていなかった。

 ともあれクラウスを読んでいると何か懐かしさを感じる。内容はまったくと言っていいくらい忘れていてむしろ新鮮な気持ちで読めるのだけど、彼女が闘っているもの、その手口に、こういう闘いの先で書いているのだなと、個人的なものでもあり同時に世代間に拡張されてもいる夜空ノムコウ的な気分になる(「あのころの未来にぼくらは立っているのかなぁ……」)。

投稿日:
カテゴリー: 日記