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*随時更新(最終更新2024/05/09)

刊行物

『非美学——ジル・ドゥルーズの言葉と物』河出書房新社より6月24日刊行予定(*各オンライン書店で予約受付中

『眼がスクリーンになるとき——ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』河出文庫より8月刊行予定

『ひとごと——クリティカル・エッセイズ』(仮題)河出書房新社より10月刊行予定

「言葉と物」(『群像』で連載中)

アンヌ・ソヴァニャルグ『ドゥルーズと芸術』(小倉拓也+黒木秀房との共訳)月曜社より刊行

イベント等

5月13日 「ドゥルーズ/フーコーの一章」初回 @フィロショピー(*申し込み期限5月12日)

5月14日 「帰ってきたひるにおきるさる:いてもいなくてもよくなることについてvol.2」 中森弘樹+黒嵜想+福尾匠

5月15日 福尾匠+黒嵜想+山本浩貴(いぬのせなか座)「リテラリティ」とは何だったのか——福尾匠『眼がスクリーンになるとき』文庫版追加コンテンツ公開収録」 @PARA神保町

注目記事

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カテゴリー: お知らせ

5月17日

連載を今後隔月の掲載にしてもらいたいとお願いしたらあっさりOKがもらえて、だいぶ気が楽になったと思ったら6月4日が締め切りのエッセイがあることを思い出した。テーマさえ決まればすぐ書けるが、エッセイの種になるようなものがさいきんあったか、何も思い浮かばない。そのことと、締め切りの日にはもうこの日記も終わっていること、しばらく前から「日記が長続きしない理由には、文学の謎のすべてが詰まっている」というまだ存在しない企画のキャッチコピーが頭に浮かんでいることの三つくらいが頭のなかで合わさって、「長続きしないこと」をテーマにしようかなと思った。続けようと思っても続けられないとき、それでもいいんだよと言うでもなく、その情けなさをそのままでポジティブに考えること。

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カテゴリー: 日記

5月16日

何にもする気にならず家からも出ずご飯も作らず、ずっと『ONE PIECE』を読み返していた。やはり尾田栄一郎は本当にすごいと思いながら、今月末が締め切りの回を休載させてもらえないだろうかと考えていた。

こないだ書いて来月出るのが犬およびサイボーグについての文章で、次は人間およびゾンビについて書く予定で、そのあと2回くらいで「言葉と物」は終わると思う。『非美学』も手を離れて、先日の3日連続トークも終わって、あとはゆっくり連載とそのための読書に専念したい。さしあたりウィトゲンシュタインか。

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カテゴリー: 日記

5月15日

いやー、疲れた。この3日で1年ぶんくらい喋った気がする。PARAでの黒嵜さんと山本さんとのトークのあと、打ち上げで朝まで喋っていた。トークは50人ほどお客さんが集まって、懐かしいひとたちにもたくさん会えた。3時間以上話したので構成は大変そうだが、われわれはまだ、この、勝手に集まって勝手に作ることの続きをやれるんだと励まされた。会場を出たらもう10時半で、打ち上げに向かいながらもう終電は諦めていた。12時閉店の店なのに1時過ぎまでなにも咎められず、行き場がないのでそのまま布施くんの知り合いの美大生がやっている根津のアートスペースに2台のタクシーに分かれて移動した。朝まで話して、始発が出始めたので小雨が降るなか不忍池を突っ切って上野駅まで歩いた。

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カテゴリー: 日記

5月14日

元気になってきたからか、不思議とさいきんまたよくコーラを飲むようになった。中森さん黒嵜さんとの鼎談の収録で飯田橋へ。昨日来た神楽坂のすぐ近くで、明日トークをする神保町も近い。ぜんぶの移動に家から片道1時間半かかる。神楽坂は坂だらけで道が狭くて人が少なく、飯田橋は駅から出ると川の上に立っていて、人も多かった。広々としたベローチェでちょっとだけ時間をつぶして会場に移る。編集者がルノアールの会議室を借りていて、そこに10人だけお客さんを呼んで公開で収録する。関内のルノアールで収録した初回はもう4年前。何を話すのか、「いてもいなくてもよくなること」をいま自分がどう引き受けるのかぜんぜん定まらないまま始まったが、3人ともそれを正直に話すところから始まったのがよかったのか、なんとかかたちになりそうだとは思う。黒嵜さん、梅ラボさん、ジョージさんと4人で(例によって中森さんは直帰した)焼き鳥屋で打ち上げ。帰ってツイッターを見ると梅ラボさんが書いたトークのメモとイラストが一緒になったノートの写真が投稿されていた。

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5月13日

朝、二度も締め切りを延ばしてもらったのもあって、『非美学』再校ゲラを自分で出版社に持っていく。河出はさいきん神楽坂に移転したらしいが前の社屋を知らないので感慨もない。再校の最後はほとんど、一周目であとでもうちょっと整えたり補ったりしようとつけた付箋を、ただ外していくだけの作業だった。もういい。見たくない。でもなんだか悲しい。そういう気持ち。会議室で編集者に渡して、いくつか全体のチェック事項を伝えて、ビルを出た。神楽坂。何もない。本当に何もない。まずどこも煙草を吸えない。ドトールすらない。喫煙所マップのアプリを開くと、駅の反対側の入り口付近のファミマに喫煙ブースがあるということで、そこに行った。2階のイートインの脇にあるブースで一服して、たぶんここが神楽坂の上限なのだと思い、1階でサンドイッチとファミチキ、カフェラテを買ってそれを昼食にすることにした。店員は中南米系のおばちゃんで、名札に「サラダ」と書いてあって、ポイントカードはありますですかと丁寧に話していた。やはりここが上限なのだ。煙草を吸うと自動的にその街のいちばん優しい空間に行ける。実際、イートインで隣のおじいさんがアイスティーをこぼして、今度は「サビナ」という女性が片付けにきてくれた。帰るともう夕方で、いそいでフィロショピー初回のレジュメを準備した。2時間喋りっぱなしでへとへとになって、しかし頭が冴えて眠れそうになかったのでコーラを買いに出た。

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5月12日

「思考にとって第一のもの、それは不法侵入であり、暴力であり、それはまた敵であって、何ものも知への愛=哲学philosophieを仮定することなく、一切は知への嫌悪misosophieから始まる。思考されるものの相対的な必然性に居座るために、思考をあてにするなどということはやめよう。反対に、思考するという行為の、また思考するという受苦=受動の絶対的な必然性を引き起こし、しっかりと立たせるために、思考するという行為を強制するものとの出会いの偶然性をあてにしよう。真の批判の条件と真の創造の条件とは同じものだ。おのれ自身を前提とするような思考のイメージの破壊と、思考自体における思考するという行為の発生とは同じものなのだ。」
ジル・ドゥルーズ『差異と反復』、上巻372頁

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5月11日

一日中ゲラをやって明日ゆっくりなおすところの目星を付けて、夜にフィロショピー勧誘の配信を1時間ほどした。終わってすぐにそれをひととおり聴き返す。ちょっと変かもしれないが僕は自分が喋っているのを聴くのが好きで、イベントのアーカイブとか、自分の動画をいちばん見ているのは自分だと思う。声は僕が自分で聴くものより薄く乾いている。その声が考えていることが手に取るようにわかる。

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5月10日

再校ゲラのチェックを進める。表記統一についての判断にいちいち足を取られるのもどうかなと思う。わりとあらかじめ決まっているほうだとは思うが(たとえばこの「ほう」を僕はいつも開く)、「あつかう/扱う」とか「つながる/繋がる」とか「おこなう/行う」とかに揺れがあり、それはそのときどきの気分で、文章の内容とも無関係ではないのたから、それでいいではないかとも思うが、たとえば同じ見開き内で揺れがあったらそこに気分以上の意味を勘ぐられそうな気もするし、だったらやはり統一するのが無難なのか、とか。他方で「あらわれる/現れる/表れる」は僕のなかではわりと意識的に使い分けているのだが、校閲から開いて統一する提案が入っており、いやー、それはちょっとイージーすぎる感じもする。ややこしいのは、やっぱりこうしようの「やっぱり」と、でもさっきこうしたしの「でもさっき」が毎度衝突することだ。

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5月9日

外でゲラ。決断を後回しにするための付箋を家に置き忘れたことに気づいてがっかりする。iPhoneのメモで代用する。

夕飯に鰺のパスタを作る。とてもおいしかった。また作ろう。小倉知巳のペペロンチーノをベースに、アンチョビとパルミジャーノを加えて奥行きを出したレシピ。彼のレシピ動画がいいのは、基本の食材が銘柄とともに固定されていて、それを絶やさないようにストックしておけばあとはその日食べたいものや家にあるもので作れること、そして具材を足すときに必要な工夫も合わせて紹介されることだ。和食は多様な食材がまずあって、それを基本の「さしすせそ」で収束させる傾向があるように思うが、イタリアンの基本食材(パスタ、唐辛子、にんにく、トマト、チーズ、オリーブオイル、ハーブ類)はむしろ、そこからそのつどのメイン食材によって味を発散させるためのものとしてあるように思う。だから「イタリア料理はムラの美学」であるわけだ。こちらのほうが僕の性に合っている。なによりパスタを茹でるのは米を炊くよりずっと早くできるし。

鍋で塩を加えた湯を沸かしながら、材料を着る。にんにくとイタリアンパセリはみじん切り、おろした鰺を一口サイズにする。パルミジャーノをたっぷりすりおろしておく。冷たいフライパンににんにくと唐辛子(ペペロンチーノ・ピッコロならなおよし)とオリーブオイル(安物)を加え、中火で温め始める。鍋にパスタ(ガラファロ1.5ミリならなおよし)を加え、別のフライパンで鰺の身を皮を下にして強めに焼き始める。にんにくの香りが出たらアンチョビのフィレを加える。ゆで時間が残り1分くらいになったら鰺の身を、あとで上に載せる何切れかを残してソースに混ぜ合わせて粗く身を潰す。茹で上がった麺を合わせてパセリ、パルミジャーノ、オリーブオイル(いいやつ)を加え、茹で汁で水分を調節する。皿に盛って切り身を乗せ、粗挽きの胡椒をかける。

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5月8日

朝8時までかかって原稿を出して、2時間だけ寝て、7日には原稿が終わっているはずだったので11時から予約してしまっていた鍼灸院に行って、1時から新しい企画の打ち合わせで編集者とサモアールで話した。鍼灸師に右の股関節のこわばりは古いものですかと聞かれ、そういえば高校のころサッカーで軽い疲労骨折になっていたのを思い出した。いまだに右足だけちょっと太いらしい。打ち合わせはゼロからなのでいろいろカードを出して結局3時間くらい話して方向性は見えてきた。夏頃にもういちど話して企画として固めたいと言われたが、枠組みに引っ張られるのも嫌なのでもうしばらく寝かせてほしいと言った。帰って、妻に悪いが夕飯は適当に何か買ってきてくれと連絡して寝た。

それにしても気づけば、ゴールデンウィークに入ってから来週あたりまでめちゃめちゃ忙しい。連載原稿はやっと手放せたが、『非美学』再校ゲラももう戻さなければならず、週明け月曜はフィロショピー初回、火曜は「いてもいなくてもよくなることについてvol.2」公開収録、水曜は『眼がスクリーンになるとき』文庫版追加鼎談の公開収録…… ぜんぶ頭の使い方がちょっとずつ違うし、これらが終わってももう2週間後には連載次回の締め切りで、今回の校正も並行してあり…… まあフリーになってこれだけ仕事が詰まっているのは喜ぶべきことでもあるのかもしれないが。

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