7月10日

夜中、眠れないので台所と風呂の掃除をした。風呂の床には細かな網状の溝が走っていて、そこに白い水垢のようなものが溜まっていて、歯石のように固まっていてなかなか取れない。調べると風呂の汚れには金属石けん由来のものと皮脂由来のもの、そしてカビの三種類があり、それぞれに適した洗剤を使わないとなかなか落ちないのだという。それで、白くなった金属石けんカスについては酸性のもので落ちるというので、いつか買っておいたクエン酸の粉を水に溶かしてスプレーしてしばらく置いてからブラシで擦ってみたもののどうにも取れない。今度はYouTubeで風呂掃除の動画を調べて、おすすめされていた「風呂職人」という洗剤をアマゾンで注文した。何かに負けた気がした。もう明るくなっていた。

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7月9日

UFCの平良達郎の試合を見たついでにメインイベントのフェザー級タイトルマッチを見たら、最前列にドナルド・トランプが座っていたが、いちどもカメラは寄らなかった。金網越しに映り込むだけで、誰も何も言わない。明るい金髪と赤いネクタイが画面の隅にちらつく。そのシルエットだけで彼が軍人の前でそうするように目を細めているのもわかった。それはなかなか素敵な瞬間だった。こういう人生もあるのだ。

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7月8日

妻と映画を見に出かけたのだが、歩いていると風邪がぶり返して咳と鼻水が出てきたので僕だけ映画を見るのは止めて、そのあいだ近くのベローチェでドストエフスキーの『白痴』を読んでいた。

出かけたのは桜木町のショッピングモールで、映画の前にふたりで店をぶらぶらしたりご飯を食べたりした。有隣堂が始めた本と雑貨の店があって、バースデイブックという、365日それぞれに生まれた作家の文庫本を集めたコーナーを見ると、彼女の誕生日はウィリアム・バロウズで、僕の誕生日は中原昌也だった。牛タン定食の店でご飯を食べていると、後ろの席の男女がよく喋っていて、僕は相手と同じくらい喋るということがぜんぜんできないなと思っているとちょうど、妻がわたしたちってあんまり喋らないよねと言った。喋らないのは僕なのだが。映画の後合流して帰った。

長いこと「たくみ」という名前でツイッターをやってきたが、いい加減それもなんだかなあと思って「福尾匠」に変えて、アイコンも写真にした。「たくみ」にしていたのは、たぶん、僕がここ7年ほどのあいだ、弟っぽいポジションで自分を捉えてきたからで、実際僕を「たくみくん」と呼んでくれるようなひとたちに甘えつつ、彼らに話せば笑ってもらえるという安心のもとで方々で生意気なことを言ったりしてきた。でももう僕も31歳だし、どんどんみんなツイッターをやらなくなっていくし、僕が僕に思っているそういうポジショナリティみたいなものはとっくのとうになくなっているのだと思って、本名と自分の写真に変えた。

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7月7日

風邪がおおむね治って、今日は調節の日にしようと思って風呂とトイレと洗面台の掃除をする。郵便を出してスーパーに行く。夕飯を何にするかなかなか決まらず店のなかをぐるぐる回る。スペアリブが目について、その場でレシピを検索してビール会社のサイトに載っていた、焼いたスペアリブを黒酢と蜂蜜とオイスターソースを煮詰めたタレとからめたものを作ることにして、卵とブロッコリーと食パンを買って帰った。先にブロッコリーを1分ほど茹でてザルに上げて、同じ鍋でゆで卵をまとめて4つほど作っておく。それをタッパーに入れて冷やして、妻が帰ってきてからスペアリブを焼いた。連載2回目の『群像』が届いて、ぱらぱら見返したがその面白ささえ他人事のようだ。書いているときはたくさん読んでほしいと思うが、出てしまうとまあ読まない人は読まないのだと思う。当初はちゃんと読者がつかないと書く気になれないだろうし、この連載を「事件」にするべくあらゆる手を尽くして宣伝しようと思っていたが、やってみるとそんなことを気にしている余裕もない。書いたものが出たときはもうその次の初稿を書き終えているし、さらにその次の締め切りのカウントダウンが聞こえている。

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7月6日

風邪で頭がぼーっとするので、家で本を読んでいた。ここのところTwitterは閲覧できるツイートに上限が設けられ、次はどのSNSにするべきなのかという話題で持ちきりになっている。そこにMetaが作ったThreadsというアプリが出てきて、僕もアカウントを作ってみたのだが、メインのフィードがあらかじめおすすめで埋め尽くされており、厳密なタイムラインもなく、フォローの意味もない。そのくせインターフェースはTwitterそっくりで、よくない未来のTwitterみたいだ。フォローとタイムラインという概念が同時に骨抜きにされ、好みと広告は区別できなくなる。誰に向かってつぶやいているのかわからないので、「Twitterのパクリやんけ」とか「誰だ、君たち」とかつぶやいていると、雑踏に向かってつぶやく狂人になったような気持ちになる。自分のつぶやきがメインのフィードに流れないということも大きいかもしれない。自分がフォローしているひとたちのツイートと自分のツイートがひとつのタイムラインを作ること、それはおままごと的な小世界を作ることだった。ポスト「フォロー」のSNSには大きな世界の幻影とそこからの疎外しかないのかもしれない。

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7月5日

冷房で喉がやられたなと思ったら、寝不足もあいまってかそのまま風邪を引いてしまった。枯れた声で立命館で2コマ授業をして、そのままトンボ返りする。授業はどちらも修士の学生の研究発表にコメントするだけのもので、準備がほとんどいらないので楽だ。1年半ほどやってきて、ボリュームの再配分と具体的なタスクの提示がないと、内容的にどれだけ穿ったことを言ってもあんまり研究自体には響かないなと思うようになった。まんべんなくやろうとするべきでない、外側の話が多すぎる、と口酸っぱく言っている。こういう話だと理解したんだけどと言って太い筋を強調して要約し、それを三つのタスクに翻訳しなおす。あと、何がしたいのかすらわからなくなってしまっている人には、トーク番組のMCになったと思ってインタビューをする。

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7月4日

朝まで書いてやっと原稿ができた。もう先月書いたものが出る頃だが、難儀だなと思うのは書いたものが出るときにはもう次のものを書き終わっており、つまり、もうその次の地獄をくぐり抜けたあとなので、どうにも腰の入った宣伝ができないということだ。そのまま準備をして家を出て京都行きの新幹線に乗って、いま、ちょっと寝て起きて、めずらしくスマホで日記を書いている。

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7月3日

まだ原稿はできず。どうなることか。だけで2日連続終わらせるわけにもいかない(?)ので、免許の更新に行った話でも書いておこう。

6月4日が誕生日なのでもう更新期限ギリギリで、昼に弘明寺の警察署に更新の手続きに行った。家を出てコンビニの軒先の証明写真機で写真を撮る。カーテンを閉めると中はものすごく暑くて、汗だくになりながら写真を撮っていると、前もその前もこうだったし、これからもどうせギリギリになって暑苦しい写真機に押し込められるのだと、正面の鏡面にだんだん老けていく写真が連なっていくようだった。これほど不快な惑星直列もない。警察署の場所を調べると口コミは応対態度のクレームばかりで、嫌な気持ちになったら嫌だなと思っていたが、実際は普通だった。教室ですらない、広いオフィスの片隅に設けられたスペースで3人で30分の講習を受ける。ビデオの冒頭に小学校1年生の息子を事故で亡くした母親のインタビューが流れ、事故の後で子供が鏡餅の台にアサガオの種を隠していたことに気付き、母親はそれを学校に持っていって植えてもらい、今では夏になると満開の交通安全アサガオが校舎を覆っているということだった。

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7月2日

締め切りを延ばしてもらっている原稿を書いていた。しかしまだ半分くらい。どうなることか……

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7月1日

改装のためにしばらく閉まっていた、家からすぐのセブンイレブンがオープンした。昼間に見るとのぼりが立ってドアの脇に風船まで飾られていて、パンは30円引き、弁当は50円引きになっている。「開店請負人」と言うのか、普段見ない背広の社員とシャキシャキした店員がいて、いつもの日本人店員も外国人店員もひとしなみにくたびれたセブンが好きだと思った。夜中に行くと開店請負人はいなくなっていて安心した。

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