1月20日

なかなか寒くならずこれはこれで締まらない感じがするなと思っていたが、実際寒くなるとやっぱり嫌だった。馬車道のサモアールで編集者と打ち合わせ。第5章までの白ゲラができていて、持ってきてもらう。白ゲラはまだ校正が入っていない素読み用のもので、来月受け取る校正済みのゲラに赤を入れていくことになる。刊行までのスケジュールを逆算するとなかなかタイトなようだ。なによりまだ第6章の原稿を渡すことができていない。いやはや。

夜、マッサージガンが届いて、妻と背中に当て合った。

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1月19日

感想で自分の名前が言及されているのを見て、葉山莉子の『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』を買った。ティンダーでマッチしたひとと送り合っていた日記をまとめた本。日記を始めた理由のひとつに僕の日記があって、それで感想にも僕の名前が出ていたようだ。ぱらぱら読むと、僕はこんなふうにごろっと自分を投げ出すような書き方はできないなと思う。それはたんに、ひとから見れば僕の日記もそのように見えるのか、あるいは交換日記という性格がそうさせるのか、わからない。ここに並んだ日付と同じ日に、僕も何かを書いてる、そのことが不思議だった。前から、たとえばnoteでエゴサーチをすると、いろんな日記で僕の日記が言及されていて、誰かの日記の理由になっているのが嬉しかった。それにしてもどうして日記は、「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」ではないが、誰かがやっているからという理由で始められがちなのか。日記を書く。誰かが日記を手紙として受け取る。その日記が手紙であったことにするために、日記を書く。その日記を手紙として受け取ることで、私の日記が手紙となったことを知る。

夜、もうハンマーの音で起こされるのは嫌だと思って買った10セットのスポンジ状の耳栓が届く。指のあいだですり潰して耳に入れると、左耳は素直に入るのに、右耳のなかは途中で上方に折れているようで、入りにくかった。

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1月18日

散髪と整体の日。散髪はいつものところで、整体は初めてのところ。横浜駅の近くの雑居ビルにある整体院で、エレベーターで5階に上がるとそこがもう靴を脱ぐところで、ドアもなくベッドが並んだ部屋が開けている。ひとりの整体師がもうひとりの整体師をベッドの上で後ろから羽交い締めにするようにして、胸椎の矯正かなにかの練習をしていた。受付はその部屋の奥にあり、ペラペラのジャージを渡されて更衣室に入る。受付の椅子でカルテを書くタブレットを渡されて入力していると、となりにいた60歳くらいのおばさんがふうふう言いながら、入力しにくいと文句を言っている。たしかにそうだ。スマホを持っているひとは自分のスマホからGoogleフォーム的なものへの入力、そうでないひとは紙に手書きでいいじゃないかと思ったが、あとからわかることなのだが、そのタブレットはわれわれの姿勢の写真を撮るのにも使っていて、だとするとカルテと写真を一括で管理するためにそうしているのかもしれず、難しいものだなと思った。いやいや、だとしてもべつにデバイスを固定する必要はないのだ。ぜんぶクラウドで管理するんだから。整体師はがっしりした女性で、おばあさんは院長らしき男性が担当で、われわれはあいだに仕切りもなく並んだふたつのベッドを挟んで、同時に施術を受け始めた。立った姿勢と座った姿勢の歪み、両脚の長さのズレをチェックして、どうして負担が偏るか説明を受ける。マッサージが始まってうつ伏せになっていると、いつのまにかおばあさんがイラン人の夫とイランに行ったときの話を始めていて、どうしたらそんなにいろんな話ができるんだろうと思った。

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1月17日

最後の京都への出勤。もう2年も働いた。移動さえこれほど長くなければ来年度もやりたかったが、こればっかりはしょうがない。学生それぞれの研究発表を1学期に2回ずつ聴く。合計30人くらい見ただろうか。それぞれがイチから自分の研究を立ち上げて、苦闘しながらそれにかたちを与えていくのを見ることができていろいろ勉強になった。自分と自分の内なる「先生」との葛藤が先行して、彼らには読者がいないのだと、僕は読者でいることを見せ、読者がいうることを示すべきなのだと、途中から思うようになった。四条烏丸で黒嵜さんと合流して、ホーリーズカフェでまた長話をした。『非美学』の内容をわりと詳しく話す。つねに僕の話すことの一歩先まで理解していて、僕の仕事をいちばんよく知ってくれているのが彼でよかったと思う。こんなにストイックな内容が出てくると思わなかったので、誰も喜ばないと思うんですよねと言うと、どういうひとがこれを自分のことだと勘違いして使ってくれそうなのかと考えてくれる。『眼がスクリーンになるとき』のときもそういう話をしたのを思い出した。

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1月16日

朝、寝ていると家の外壁の工事が始まって、業者が足場を組み立て始めた。もうすぐ外まで上がってきているのが声でわかる。壁を直接叩いているかのような重いハンマーの音が響く。カーテンを閉める。ソファに腰掛けてしばらく音、上と下でやりとりされる声を聴いていた。明るい部屋が見えない音で満たされる。住んでもう4年が経つこの部屋が、箱なのだということを初めて意識する。

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1月15日

日記の授業。デリダの「プラトンのパルマケイアー」の話がしたいのだが、ドゥルーズやフーコーと違ってそのひとの書いたものだけから理論を抽出するということが難しいので『パイドロス』の解説をまずします、と話す。恋と言葉というふたつのテーマが話されていて、言葉のほうの話がしたいのだが、今日は恋のほうの話までしか進みません。二重に主目的から遠ざかってはいるが、これだけで面白い話だと思います。リュシアスの「恋をしている者は狂っているので自分に恋をしていない者にこそ身をまかせるべきだ」という、「最古の恋愛工学」とでも言うべき賢しらな主張に、ソクラテスはどう応答するのか。それを見る前に、ちょっと各自で自分ならどう応答するか考えてみてください。本当の愛はそんな自分勝手なものではないと言うでしょうか。僕がリュシアスなら、あなたが「本当の愛」と呼んでいるものは、僕が推奨しているものと何が違うのかと返すでしょう。あるいは、そんな口説き文句が通用するわけがないと、プラクティカルな観点から反論するでしょうか。僕がリュシアスなら、あなたは恋が「技術」であることを認めるのですね、僕も同じですと返すでしょう。あるいはべつに、リュシアスの肩をもってもいいわけです。彼はある意味アナーキストで、今風に言えば「本当の愛」なんて結局結婚して子供を作ってというイデオロギーの道具なのであって、互いを縛らず割り切った後腐れのない関係を場合によってはポリアモリー的にやっていくのがいいんだという立場だとも言えます。さて、ソクラテスはどのようにして恋する権利を護るのでしょうか。

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1月14日

どこの家にもその家だけの言葉というのがあると思うが、わが家ではたとえば、部屋が散らかっているのを「モノタロウになっとるね」と言ったり、アマゾンの箱がたまっているときに「またダンボールワンや」と言ったりする。その小さな痛快さは、それが合い言葉であることの閉鎖性と、商標でもあるその名の無場所性のギャップにあるのだと思う。モノタロウやダンボールワンは一方で家の外の社会にあり、他方で家という社会のなかのひとつのミニチュアとなる。われわれはほとんどの時間ふたりでいるときふたりでしかいないので、そうした言葉や、散歩中に見かける犬や猫などに、ある種の回転扉としての機能を託す。

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1月13日

やよい軒に夕飯を食べに妻と外に出ると、暗い大通り公園から「WOW WAR TONIGHT」のカラオケが聞こえてきて、10人ぐらいがそれに合わせて踊っているのが見えた。なぜいま「WOW WAR TONIGHT」なのか。松本人志の騒動と関係があるのか。からあげ定食を食べて帰っていると大和田俊から連絡があって、いま慶野さんと関内にいるから合流しないかということだった。いちど家で着替えてから地下鉄に乗ってベイスターズファンのためのバーで合流する。大和田さんは慶野さんのお母さんにもらったというマルニのセーターを着ていた。彼らの終電までのコーラ2杯ぶんのおしゃべりだったが、いつも友達に会うのは僕が都内や京都に出ることが多いので、近所で遊べて嬉しかった。帰りには自分で版元でも作ろうかなあという気分になって、名前をいろいろ考えていた。

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1月12日

イセザキモールの人間模様。妻と一緒に出かけていたのだが、僕はもう少し仕事をしてから帰ると言って、彼女は先に家に帰った。ドトールに入って作業をしていると目の前のおじさんふたりのうちひとりは体を小刻みに震わせてiPadから聴いている歌をときおり声に出して歌っており、もうひとりはパソコンをいじりながら『ロード・オブ・ザ・リング』のゴモラのような声でずっと嬉しそうにひとり言を言っている。このふたりは互いをどう思っているのだろうかとしばらく見ていたが、隣に大量の紙袋を持ったおじさんが座ったのでもうこれは河岸を変えようと思ってベローチェに移動した。喫煙ブースに入るとおじさんの肩に日の丸がモチーフの「OPERATION TOMODACHI」という文字が入った、東北の震災のときのトモダチ作戦のワッペンが着いていた。右翼なのか、能登の震災を受けてのことなのか。

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1月11日

チェックアウトの時間まで2時間ほどしか寝られず、よっぽど電話して延長しようと思ったが、結局起きて荷物をまとめて出た。三条河原町。上島珈琲でだし巻き卵のサンドイッチとオレンジジュースを頼んで、席に着いてからここが黒嵜さんと初めて会って『アーギュメンツ』1号を買った店であることに気がついた。京都駅までのバスを待っていると、待つ場所が違うのか待っていた17番のバスが通り過ぎていってしまい、結局烏丸まで歩いて地下鉄に乗った。明るいうちに新横浜に着くのが新鮮だった。

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