立教での非常勤の日。電車のなかで「今日は非常勤。ひとり立教ヌーベルバーグをやってます。」とツイートする。池袋駅から大学までエチカという地下街を通るのだが、立教でエチカなのでいつも江川隆男の名前が頭にポップアップする。江川さんは池袋ではなく新座キャンパスにいるのだが。
前回の課題についてのフィードバックを終えて今日の内容に入ろうとすると、ひとりの学生が前回のトピックがまだ途中で終わっていたと教えてくれる。課題のリアクションペーパーは、おそらくけっこうな数の学生が資料をそのままChatGPTに流して書いていて、喋っていない部分についての感想をたくさん読むので、僕もぜんぶ喋ったと思い込んでしまっていたのだ。AIの使用自体は気にならないのだが、喋っていることとはべつにAI大学生による受講と感想が並走していることにちょっと頭が混乱した。170人くらいの注意が点滅するのをぼんやり感じながら話す。「自己実現、自己管理、自己分析、自己肯定感、セルフケア、セルフネグレクト、そういうもののすべてがくだらないという気持ちになってくることがあるとして、それはぜんぜんありうるわけです」という言葉をそのナンセンスを喉のあたりで自覚しながら許してしまう。
帰り道、関内で『群像』連載書籍化の作業を2時間ほど。疲れたので早めに風呂に入ってニコラス・ローズの『魂を統治する』をぱらっと読んで日記を書いている。ローズが参照するエストライヒというひとの論文から孫引きされたプルードンの一節。
「統治されるということは、取り締まりの監視下にあること、検査され、素行を調べられ、指図され、法の下に埋められ、統制され、包囲され、思想を吹き込まれ、說き伏せられ、支配され、算定され、検閲され、命令され······記録され、登錄され、捉えられ、鑑定され、印をつけられ、調査され、評価され、課税され、特許を与えられ、免許を与えられ、正当性を認められ、推奨され、忠告され、阻まれ、刷新され、一直線に並べられ、罰せられるといらこと、それらがすべての行為、すベてのやりとり、すベての動作においてなされるということを意味する。」
ドゥルーズが『フーコー』で、フーコーの権力論において権力とは物理的な強制(暴力、身体的拘束)や精神的な強制(洗脳)に宿るのではなく、無数の関係の発明それ自体なのだと言っていた話そのままだ。これだともはや曾孫引きだが、それはそれでいいものだと思う。まだ11時だがもう寝る。