20世紀の本が読みたくなって、レヴィ゠ストロースの『野生の思考』を本棚から引っ張り出す。訳者あとがきに野生の思考(la pensée sauvage)というタイトルは野生のパンジー(la pensée sauvage)のダブルミーニングになっていると書いてあってびっくりした。なんでこれまで気づかなかったんだろう。堂々とパンジーの絵が表紙で、その脇にPenséeと書いてあるのに。このタイトルに組み込まれた自然と文化、野蛮と文明のキアスムだけで、ある意味この本の主張と方法が一挙にわかると言ってもいいくらいで、スマートだなと思う。『アーギュメンツ#3』に載った山内朋樹さんの「なぜ、なにもないのではなく、パンジーがあるのか」という論考は、復興期の福島県浪江町の駅前に並ぶパンジーが植えられたプランターを見て、なぜここにこうして花を植えるのかという問いに撃たれて書かれたものだった。動機としては僕の「左手のない猿」に似ているかもしれない。野生ではない荒野のパンジー=思考。