そういえば先日のトークで、「オルタナティブ」であることと「インディペンデント」であることを分けて考えたほうがいいのではないかと提案した。登壇者の涌井智仁さんが運営するWHITEHOUSEというスペースの運営方針についての話が面白くて、それを聴いてふとそう思ったのだ。WHITEHOUSEにはスタディーを積み重ねるラボ的な側面があり、場合によっては来場者の枠を絞り、実験途中のものを大きく開くことで作家の思考が希釈されてしまうことを防いでいるらしい。それは美術館でもなく、コマーシャルギャラリーでもなくという外側からの二重否定に依存したオルタナティブというより、インディペンデントという言葉のほうがふさわしい実践なのではないか。めっちゃ保守的なことをインディペンデントにやってもいいわけで、ふたつの言葉が指す範囲は本来ぜんぜん違う。しかし往々にしてオルタナティブという言葉は、インディペンデントになりきれないことへの引け目のようなものを無意識的にマスキングする方便として使われているのではないかという気もする。そもそも「オルタナティブ」は日本のカルチャー全般において、もはやほとんど和製英語的なアウラを帯びてしまっているのではないか。