3月3日

 しばらく前のことだが、ろばとさんが書いたPornotopia: An Essay on Playboy’s Architecture and Biopoliticsという本の書評が面白かった。それでこの本も出しているZone Booksが最近何を出しているのか気になり、出版社のサイトを覗くと近刊にダニエル・ヘラー゠ローゼンのAbsentees: On Variously Missing Personsという本があった。去年「いてもいなくてもよくなること」について『失踪の社会学』の中森弘樹さんとくろそーと3人で鼎談記事を作って、そこで喋ったことがその後の仕事にいろいろ影響している。『不在者:様々にいなくなる者らについて』とでも訳せるだろう本書もとても気になる。それでそういえば彼の『エコラリアス』は積んだままになっていたなと思いここのところぱらぱら読んでいる。喃語の音声的な多様性・柔軟性に着目し、インファンス(言葉をもたないこと=幼年)から言語へと向かうことで抑圧されるその多様性が、言語の死に際に回帰したり他言語に残響したりする。それが断章形式でいろんな時代のいろんな言語を例にとって語られて、特にロマンス諸語のhの位置づけについての部分は面白かったのだけど、他方でシニフィアン/シニフィエの固定(ドゥルーズ゠ガタリが「シニフィアンの帝国主義」と呼んだもの)から逃れる記号の剥片を拾い集めているだけでかったるいなとも思ってしまう。要するにシニフィアン批判なんだからそれを正面からやればいいのにと。でも著者からしたらこの「要するに」が受け入れられないのだろう。そういう書き方もある。

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3月2日

 コメダ。ジロウさんと呼ばれる老人とそれより若そうな女の声が衝立の向こうから聞こえる。サントロペ、ハリウッド、PIA、どれも近所にあるパチンコ屋の名前だ。20年以上前なんじゃないかという「いい思いをした」今はもうないパチンコ屋の釘や列の話。片目が見えなくなったが、両目で見るのは75年でもう懲りたという話。喧嘩をするとき見える方の目を殴られないようにすればいいだけだと。小学1年の頃、同じ団地に住んでいた同級生のひろ君が高熱が原因で片目を失明したのを思い出した。これも同じ団地で同級生の、悪辣なゆう君が見える方の目を手で覆ってからかっていた。とはいえゆう君は親も悪辣で、弟と妹と彼が全裸で3階の部屋のベランダに出されているのをたまに見かけた。20年以上前の話だ。

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3月1日

 1ヶ月かかった引越しの諸々にやっとひと区切りがついて何も運ばなくていい日だった。そういえば展評も書いた4年くらい前の「Surfin’」展は、永田さんが引越しのあと、1ヶ月契約が残っているもともと住んでいた部屋を会場とした展覧会だった。ウェブで事前登録をすると初めて正確な住所を知らされて、そこに向かうとごく普通のアパートで、恐る恐るインターホンを押すと無言のままオートロックが解除され、5階まで上がって部屋に入ると誰もおらず作品だけが並んだ単身者用のワンルームが広がっている。エントランスで部屋番号を押すと自動でドアが開く仕組みをわざわざ作ったと聞いた気がする。展示というパブリックな行為をプライベートな空間に埋め込みつつ、とはいえホームパーティ的な気安さに居直るのとは反対にむしろその埋め込みにかかる摩擦を最大限生かすような展示だった。それに誰だって、知らないアパート、特に廊下とかの共用部にいるときに謎のよそよそしさを感じて、何かわからないが何か誰かに咎められるんじゃないかという気がしてくるだろう。プライバシーが密集すると公共性は殺伐としたものになる。じゃあバッファとしていわゆる中間共同体があればいいんじゃないかという話になるわけだけど、それはそもそもインフラが物理的にも情報的にもメガプラットフォーム的なものに吸着されているという問題に介入するというよりその問題を払い除けているだけになるだろう。公共性はマンション管理組合の張り紙みたいに誰の目にも明らかに殺伐としているくらいの方がいいのかもしれない。そういえば先日、新居はオートロックなのに置き配指定のままにしちゃってたなと思いながら帰宅すると、すでに部屋のドアのところに置かれていたんだけどあれは何だったんだろう。

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2月28日

 自粛と補償はセットだろというハッシュタグがあった——もう聞かなくなった——が、空が広いのと山が見えるのはセットだろという感覚がある。昨晩も一昨晩も煙草を吸いに出たベランダからきれいな月がよく見えた。前の家より空が広くて嬉しいが山が見えないのでどこかスカスカした感じ、身の置きどころが定まらない感じがある。横浜、とくに関内より海側はビルの向こうには空しかなくて近くと遠くのバッファがない。最近はオープンワールドのビデオゲームでさえマップ外の遠景を空気遠近法まで使って描き込んだりしているのに。現実感というものを山が見えるということから調達しているところがあるらしい。

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2月27日

 春風社からメールが来ていて、『都市科学事典』が近日ようやく刊行されるとのことだった。「ドゥルーズ゠ガタリにおける都市」という項目を書いたのが1年半ほど前、校正を返したのが1年ほど前だった。1項目見開き1ページで476項目。編集は大変だっただろう。所属先の横国大都市イノベーション研究院が中心になって作っている。

 ドゥルーズ゠ガタリと都市について2000字ほどで、ということで困ったのは、そもそも彼らが都市というものを主題として書いた部分がほぼないんじゃないかということだ。しかし恐ろしいことにDeleuze and the Cityという本がすでにあって——「ドゥルーズと〜」の「〜」には何でも入るという状況は危惧すべきだ——ぱらぱら読んでみるとリゾームとかノマドロジーとかコントロール社会とかそういう観点からの都市社会学的な、実証的とも思想的とも言えないような論文が集められていた。こういうラストワードとしてあまりに通りの良い概念を中心に置くのは避けた方がいい。結局「アレンジメント(agencement)」という概念が構造主義における「構造」に対するどういう乗り越えになっていて、それをどう都市に対する批判的な思考に使いうるのかということについて書いた。博論の内容に繋がるところでもあり、この段階で非専門家向けの解像度で書くことができたのはよかったと思う。

 博論は本論が全6章で第2章と第5章はもともと独立した論文として書いたものだけど、それ以外の箇所も学内のゼミを含むいろんな場所で発表してきた。いちばん古いのは2017年の夏にろばとさんに誘われて参加した台北のイベントで発表したもので、このときの発表のDeleuze’s Anestheticsというタイトルがそのまま博論に使われ、議論の深度はぜんぜん違うが内容的には第1章と第6章に対応する。2020年の夏にこれもろばとさん(と曽根裕さん)に呼ばれて高松の山奥で発表した「地層と概念」(動画)は第3章のもとになっている。一方はアーティストがプレゼンやライブをするあいだに発表して、絶叫しながら皿を割ったりするパフォーマンスをしていた台湾の女の子に「歴史って大事だと思った」と言われ苦笑することしかできず、もう一方は焚き火に文字通り体を焼かれながらの護摩行みたいな環境で、すでにしたたかに酔っ払った石工のおじさんが痰を吐いたりする音を聴きながらの発表だった。

 どちらの発表も内容的には粗く部分的には不正確ですらあり、かといって聴衆に合わせることもできていなかったと思うが、とにかく数千字であるアイデアを素描してそれなりに話の筋も通す機会になったのでよかった。ゼミも哲学研究者がいるわけでないし、ピアレビュー的な厳しさに萎縮せずにいろいろ試せるのはいいことだ。何より自分のやっていることに一切の興味をもっていない人がいる場で発表することは研究者にとってはあんまりないことだろう。別にそういう人をも惹きつけるべきだとは思わない。敬して遠ざけるみたいな感じとかルサンチマンとかそういう感情的な負荷のかかっていない、それ以上でもそれ以下でもない無関心に触れると安心するという話だ。それらしい感想より皿を割っていた彼女や痰を吐いていた彼のことの方が鮮明に記憶に残っている。

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2月26日

 今日起きてからのこと。タイトルの日付は昨日のものだが気にしないことにする。朝6時、起き抜けに煙草を買いにコンビニに行くと店員がじっと顔を見てくる。マスクしてないからかなと思ったら年齢確認をされ、携帯しか持っていなかったので結局買えなかった。寝起きでふだんに増して寝ぼけた声だったからかもしれない。これから毎日のように行くだろうししばらくすれば顔を覚えてくれるだろう。早起きしたのは8時に引っ越し業者が前の家に来るからだ。僕より若いだろう男の人が3人で来てせっせと運び出していく。リーダーっぽいひとは背が低くて引き締まった体で、マスクと黒縁メガネのあいだに見える頬骨のあたりの少し焼けた皮膚は子供みたいに薄そうだった。不用品回収も一緒にやってくれる業者で、もういらない家具や家電も引き取ってもらう。やっとウソみたいに内壁に霜がつく冷蔵庫ともおさらばできる。あっという間に部屋が空っぽになる。あ、と言って天井に付いてる照明も持っていきますと言って、でも踏み台になるものがないなと思ったら畳んである段ボールを組み立てて、もう一枚を天板のようにその上に乗せて作った即席の台に乗って取り外していた。搬出から搬入まで5分くらいしかあいだがなくて、歩いて新居に向かうともうさっきのトラックがアパートの前に停まっていた。3人が運転席と助手席に並んで座っているのが見える。搬入が終わったのが10時。とりあえず本の段ボールを開けてみたところでやる気を失くし昼ご飯を食べに出て帰ってきた。

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2月25日

 ふだんやっているAPEXというゲームの実況を、ふだんよく見ている弟者というゲーム実況配信者がやっていたので見た。ゲームをしたり、ゲーム実況を流しながら細々したことを片付けたり家事をしたりしている。すっかり(特に映像の)始めと終わりがきちっとあって全部見られることを想定している「コンテンツ」というものを見なくなった。映画もそうだし、サブスクのドラマとかでさえ2時間なり40分なりを画面の前に座って見るということが、なんだか生活に関係のないことになってきた。いつ見ていつやめてもいいものに囲まれていると落ち着く。数年前実家に帰ったときに親が家でずっとテレビを見ていて、この人たちは大河ドラマ以外に作品めいたものにふだんの生活でほとんど触れることがないんじゃないかと思い、アマゾンのFireスティックを買ってテレビに刺して操作方法を教えて、自分で選べるしこっちからなんか見た方がいいよと言った。おそらくもうぜんぜん使ってないだろう。大きなお世話だったと思う。仕事をしているときに仕事以外できず、家事をしているときに家事以外できないのに、やっと終わったそれらの後で何かを選択し、それを見ているときまで見る以外できないというのはかなりキツいことだろう。なんとなく見ながら喋ったりお茶を飲んだり居眠りしたりできなければならない。テレビがいちばんいい。YouTubeは実家の居間には向かないだろう。何かをしながら別の何かをする方がひとは落ち着くんだと思うし、それが生活というものの基調にあるんだと思う。反対に、仕事であれ家事であれ読書であれゲームであれ映画であれ、何かに没頭するには生活への憎悪が必要なんだろう。

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2月24日

 昼寝をして夜寝られないなんて子供みたいだが、寝ようと思えばいつでも寝られるとそういうことはよくある。朝起きて作業をして外で昼ご飯を食べて、前の部屋に着いたとたんにものすごく眠たくなって2, 3時間寝た。片付けを進めて新しい部屋に戻って晩ご飯を食べてだらだらして布団に入ったがしばらくして目が覚めてしまい、朝までゲームをしていた。明るくなった部屋で日記を書かなきゃと思いながら博論の誤字を修正していたが、また眠くなって布団に戻った。日の当たるベッドが気持ちよくて起きたら12時過ぎ。やっと日記を書き始めたがまだ眠い。それにしてもどうしてこうも日記に強い思い入れをもち始めているんだろう。エディタを開いたときには書くことが決まっていることもあるし、今日のように先延ばしにしつつそれでもはっきりしないこともある。変な話だがいまこれが仕事だと感じるのはこの日記だけで、しかもそれを何か——誇張なしで世界にとって——いいことだと思っている。博論のいろいろは恐ろしくキツかったが結局は学生としてやっているし、依頼原稿も好きだけど、締め切りを過ぎたら叱られるとかそういうこととの距離感でやっている部分はどうしても入ってきて、宿題を出す出さないをアイデンティティとするような、大人をどう出し抜くかばかり考えるガキっぽさと裏表だなという感じがする。その点この日記は誰に頼まれたわけでもお金がもらえるわけでもないがまっとうに自立した大人の仕事だという感じがする。

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2月23日

 まぶしくて目が覚めた。まだ窓にカーテンが付いていない。昨日はアマゾンで買っておいた台車に生活に最低限必要なものを載せて新しい部屋に持ってきた。こっちの部屋の契約が始まったのが1月末で、あっちの部屋の契約が終わるのが2月末なので、今月はつねに少しずつ一方で家具を買い組み立て、他方で物を捨て箱に詰め、という感じでとても緩慢な引っ越しをしている。今ちょうどあっちの欠け具合とこっちの揃い具合が釣り合っているくらいのところだ。どっちにも住めるが、こっちにはまだ本がないし、あっちにはもう椅子がない。半分ずつの部屋。昨夜は久しぶりに大前粟生さんと話した。半分ずつの部屋。彼の掌編のタイトルみたいだ。

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2月22日

 日記を書かずに寝て9時に起きて朝ご飯を食べてコーヒーを入れて10時。久々に夜寝て朝起きた。ここのところしばらく晩ご飯を食べると急激に眠たくなり、2時間くらい寝て朝まで起きて日記を書いて寝て昼過ぎに起きるというのが続いていた。

 昨日は手書きの書類を書いたりした。字が汚いのでペンで字を書くのはあまり好きではない。昔から好きではなかった。原稿用紙に書いて編集者に送るような時代だったら絶対物書きにはなっていないと思う。何より手書きは時間がかかるし、急いて書いていると余計に汚くなってそれでさらに捨て鉢な気持ちになって内容すらどうでもよくなりと、どこまでも悪循環がドライブしてしまう。そこには学校教育にまつわるいろいろへの嫌悪が染み付いてもいる。

 そういえば4,5年前に「紙ツイッター」というのをやっていて、それは手書き嫌いを癒してくれるものだったかもしれない。B5のノートに水性のサインペンで書いたつぶやきの写真をツイッターに上げていた(画像は2016年6月7日のつぶやき)。太いペンでスペースを大きく取って書くと多少汚くても気にならない。最近は文章の構成を考えたりするのに使うノートもA4にしている。

 紙ツイッターを始めたときの、ツイッターをやりすぎて自分のための言葉が干上がってしまう感じへの危機感はこの日記にも引き継がれているかもしれない。でも今は、自分のための言葉もそういうものとして楽しんで読んでくれる人がいるから書けるのだなと思っている。それにこの日記の文章は絶対に手書きでは書けない。

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