4月8日

日記より連載を読んでくれ!

だけで済ませてしまいたい気持ちなのだが、フィロショピーもリリースしたのでそのことについて少し。結局最後まで迷ったのは決済と購入者情報の管理、講座運営への動線をどうするかということで、5つくらいのサービスに登録してテスト商品を作って自分で買ってみたりしたのだけど、結局講座の情報はすべて店のサイトに集めて、支払いだけSTORESの物販テンプレートを通し、メールで講座運営のDiscordサーバーに招待するというかたちになった。きれいではないが、まあひとりでやるにはこれくらいが限界かなとも思う。講義資料のアーカイブや感想フォームはせめて店のサイトに限定リンクで設置するといいかもしれない。

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4月7日

非常にのんびりした日だった。朝起きて、昼は簡単なパスタを作って食べて、妻と近所をぶらぶらしてお茶をした。帰り道、イセザキモールの真正面に太陽があって——4時頃はいつもそうなる——まぶしいので道を変えたいと妻が言って、家に近づく道はぜんぶ並行なのだから結局同じことではないかと言うと、道の広さと建物の高さが違うので影になるのだと言った。実際通りを1本変えると影になっていた。帰ってふたりで筑前煮を作った。

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4月6日

珈琲館が珈琲舎になって、炭火珈琲が炭焼珈琲になった。いくつか花が贈られていて、看板が取り替えられている。でも変わったのはそれくらいで、店長は常連に珈琲館は以前から基本禁煙だったのだと話していた。お互いはにかみながら炭焼珈琲と頼む。『非美学』のあとがきを書き終わった。この店で書いてきたんだと思った。家と駅のあいだにあって、全席喫煙可で、進んで4人テーブルに通してくれて、通りに面したガラスから公園の大きな常緑樹が見えて、2杯目のコーヒーが半額になる。そして僕も独立した。これからはこの味なんだと思いながら炭焼珈琲を飲む。会計のときに炭焼もおいしかったですと伝えると、そう言ってもらえてよかったですと言った。

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4月5日

また別のオンライン打ち合わせで、黒嵜さんと恵汰さんと話す。打ち合わせと言っても、何をするのかもまだ決まっておらず、ばらばらと組み立てては壊すように話が転がっていく。もうちょっと準備をしておくべきだったなと思う。いや、準備というより覚悟というか、ふたりが進めてくれるものに対してアイデアだけ投げればいいという、肚の据わっていない態度だったなと反省した。恵汰さんが別の打ち合わせで通話を抜けて、黒嵜さんとふたりでしばらく喋った。日記の本をどうするべきかぜんぜん決められないと相談して、彼が手元にあった私家版をぱらぱらめくっているのを見て、ランダムに日記を表示してそれについて話すイベントとかができればいいですねと言った。それは絶対楽しそうだ。遊びや実験は本のあとに取っておいて、本はなるべく素直なかたちで出してしまうのがいいかもしれない。でもどこから?

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4月4日

夜から仮眠を挟んでずっと書いていた、午前中締め切りと言われていた原稿を、12時から10分ほど遅れてメールで送る。まったく自信がなかったが、編集者もそれを察知したのかすぐに読んで感想をくれてひと安心して浴びていなかったシャワーを浴びた。2時からは共著のオンライン打ち合わせで、それが終わって寝て起きると夜だった。妻が帰ってくるのが遅く、そういえば職場でご飯を食べてくるという話だったかもしれないと思い、しかしはっきり覚えていなかったのと、何を食べたいかわからないので待っていた。ちょうど同じタイミングで黒嵜さんの『P2P』と山本さんの『新たな距離』が届いて嬉しかった。妻が帰ってくるとやはりもうご飯は食べたということで、ひとりでデニーズに行って食べることにした。店に入ると11時半ラストオーダー、12時閉店となりますがよろしいでしょうかと聞かれ悲しかった。ここは『眼がスクリーンになるとき』を書いていたとき毎晩のように来た店で、24時間営業で、席で煙草が吸えて、コーヒーはおかわり無料で無限に店員が注ぎに回ってくれていたのだ。帰り道、今日はこのまま寝るだろうから、昨日のぶんの風呂を今日昼に入って、明日は明日のぶんとして入るので、風呂に入っていないのは昨日なのに今日のぶんを飛ばしたことになるのだと思った。

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4月3日

しかし、この日記はそもそも日記アゲ、日誌サゲという意気込み(?)で始まったのに、今回の原稿があんまり厳しかったので、やっぱり日誌が大事なのではないかと思い始めている。日記は書くそばから忘れるし、昨日の日記の続きを今日の日記に書くわけでもなく、そういう気楽さがいいと思っていたのだが、その切断の気安さは寝起きする私の持続への信頼と裏表になっているわけで、今日から明日への私の申し送りが、日誌という外部記憶に依存してしまうことのほうが、考えようによってはラディカルなのかもしれない。

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4月2日

思うように文章が進まず、散々な気分の一日だった。夕方にちょっと寝て起きて、困ったら誰かに相談すればいいんだと思った。それでもう相談した気になって気持ちが楽になってまたパソコンに向かった。結局字数は増えても、どこからどこに向かっているのかわからないままだ。書けないときに、それが能力の問題として自分に跳ね返ってくるのは、とても幼稚なことなのではないかと思った。僕の能力がどうであれ、仕事なんだから納品せねばならず、そのクオリティは僕が僕について思っている能力とは関係ないのだ。勝手に宿題モデルで考えて自分をジャッジしようとしているのは僕のほうで、しかしこれは宿題ではなくプロダクトで、僕のちっぽけな自尊心のためのテストではない。計画、分割、相談だ。計画、分割、相談。具体的にはたとえば、毎月末の締め切りの前、20−25日あたりにプレ締め切りを設定して、そのタイミングで編集者の意見が聞けるようにあらかじめスケジューリングしておいて、月初から毎日時間を決めて、作業のログと明日の自分への申し送りとともに書いていけばいい。毎月1万字のまとまった論考を書くなんて、それはもう「事業」なのだ。初稿を自分のものだと思うところからあらためたほうがいい。

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4月1日

YouTubeで流れてきたNON STYLE石田と令和ロマンくるまの漫才についての対談動画を見た。細かい体の使い方を含めた漫才の技術論は、いかにウソをつかずにエンタメをするかという話として聞けて面白かった。そのなかでくるまが——M-1のときに僕より年下と知ってびっくりした——日本でこれだけ漫才が浸透しているのは、欧米におけるような政治、宗教、セックスという人びとを束ねる大きな形式とそれへのカウンターとしてのお笑いというかたちが日本では機能せず、小さな「あるある」を元手に共同体意識を作るしかないからだと話していた。そうだとして、そのあるあるがどんどん「お笑いあるある」になっていくことはどうなんだろうと思った。やっぱり人間を見せるしかないということで、最初の話に帰ってくるのかもしれない。それはぜんぜん他人事ではない。

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3月31日

前回は問いを先に立たせることをやめて(なくすわけではない)、今回はトピックを先に立たせることをやめて(なくすわけではない)書くことを試みている。挑戦であり、試練だ。あらかじめ読者を囲い込むことも、あああの話ねという了解を取り付けることもせず、書き終わるまでその文章の価値が確定しない状態で、問いというフックが、トピックという島が浮かび上がってくるのを、べつになきゃないでいいよとうそぶきながら書き、待つ。あいかわらず僕は、リラックスするために頑張っているどうしようもないマシーンなのだと思う。そういう性分なのだろう。でも「強がり」や「やせ我慢」って、すごく大事だと思うし、それを取り上げられたらどう生きればいいのかなんてわからなくなる気がするんだけど、その大事さをすくう言葉もいまはなくなってしまった。

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3月30日

暑いくらいの日和で、ドトールで冷たいルイボスティーを頼む。抗いようもなく眠たくなってきたので帰ってすぐにシャワーを浴びた。

案の定連載原稿がまたつっかかっていて、しかしいつもはworkflowyでぽつぽつと2、3行書いて、行間の心許なさに耐えられずすぐにエディターでのベタ打ちに移っていたのだが、今回はworkflowyに留まりながらブロックの立ち上げとその育成を行きつ戻りつ進めて、ある程度の量と密度を作ることができている。

今回は「理論」について書いていて、いまのところのタイトルは「ポジショントーク原論、あるいは「アテンション」時代の理論」になっている。前回が「置き配写真論、あるいは「コンテンツ」時代の芸術作品」なので、それに対応させたかたちだ。アテンションとコンテンツの時代のなかで、理論と作品について考えること。枠組みはまっすぐでとても気に入っているのだけど、その「枠組み感」がかえって窮屈になっていることもたしかだと思う。いやはや。まあ飛び飛びにでも石を置いてみるしかない。

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