日記更新終了のあいさつ、『日記〈私家版〉』刊行の予告

2021年1月20日から毎日書いていた日記が、丸一年を区切りにして終わりました。誰かが読んでくれているという支えがなければとうてい続かなかったので、何よりまず読んでくれた方々にお礼を申し上げたいです。どうもありがとうございました。また、当サイトの「日記掲示板」で僕の日記に並走するように書かれた、誰とも知らない誰かの日記を読むことも励みになりました。掲示板は書いてくれる人のいるかぎり続けるので、どなたでも気軽に書いてください。

終わってしまったことが思いのほか寂しく、そのことに動揺しているのですが、しばらく考えてまたこのサイトを使って何かしようと思います。とりあえず日記は終わりましたが、このサイトは動かし続けようと思っているので今後もよろしくお願いします。

それと、いま1年分の日記を表記レベルの修正以外はすべてそのままで本にまとめた『日記〈私家版〉』(仮)を制作しています。完全自主制作で、365部限定で今年3月ごろに販売することを予定しています。値段は3000-3500円のあいだになる予定です。

私家版は少部数発行なのもあり、もともと日記を読んでくださっていた方に優先的に行き届くようにしたいと思っております(読むだけならここにすべてありますし)。そこで、まだ値段もデザインも確定していないのですが、それでもほしい、出たら買うという方がもしいらっしゃれば、取り置きを承ろうと思います。本記事下部のGoogleフォームのリンクから申請してください。この取り置きは在庫確保のためのものであり、発売後に別途購入手続きをしていただいたうえで発送作業を行います。したがって本申請は発送の優先順位には関わりません。もちろんいつでも取り置きを解除することも可能です。

取り置きはあくまで発売開始までの幅を取ることで「もともとほしかったのに買えなかった」ということを最小限に抑えるための方策です。365部というのが多いのか少ないのか僕もよくわからず、すぐにぜんぶなくなっても100部余っても不思議ではありません。しかし少なくとも増刷はないので、心配な方は申請してもらえればと思います。

私家版については情報が揃い次第こちらでまたお知らせします。続報をお待ちください。何か問い合わせ等あればtakumi.fukuo@gmail.comまでご連絡ください。

↓取り置き申請フォーム
https://forms.gle/nVVnV9sDsovC8fZR6

追記(2022/04/10)
取り置きの受付は4月20日24時までとします。翌日から4月末までを取り置きしてくれた方のための先行注文期間(発送は4月末以降)とし、5月1日から一般販売を開始する予定です。その後も取り置きは継続しますが、改めて事前にご連絡したうえで5月末で取り置きを解除させていただきます。

追記(2022/04/25)
前回の追記で5月1日発売予定としていたのですが、印刷の工程でミスが発生し刷り直しとなったので2週間ほど発売が遅れます。楽しみにしていただいた方には申し訳ないのですが、今しばらくお待ちいただければと思います。

【お知らせ】『美術手帖』の絵画論と『webちくま』の読書エッセイ

 お知らせも使わなければと思い。サイトを始めた頃は9割以上ツイッターからのアクセスだったけど、最近はブラウザから直接来てくれる人も増えているのでこのサイトだけでまとまった情報が見られるようにしておいたほうがいいだろう。

 ということで最近書いたものがふたつ。ひとつめは『美術手帖』8月号に書いた「ジャンルは何のために?——絵画の場合」という絵画論。千葉正也、ロザリンド・クラウス、本山ゆかりを取り上げて絵画とその外の接面について考えた文章です。出て数週間経つけどまったく評判を聞かない。読んでほしいとしか言えないのが歯痒いですが。

 ふたつめは今日公開されたwebちくまの読書エッセイ。このサイトで書いている日記のスピンオフ的なかたちで滝口悠生の『長い一日』という長編について書いています。支離滅裂とは言わないまでも低徊気味の文章で、こういう成り立ち方もあるのかと書いてみて新鮮でした。記事も小説もぜひ読んでみてください。

 総じて、単発の仕事でちくちくやっていれば何かやっている風になるのも今年いっぱい持つかどうかだなあと思う。去年も博論を書き上げるのに苦労したけど、今年はそれを本にするのに費やされることになるだろう。2年も人に見えないところでひとつのものを仕上げるのは結構大変だ。多作な人を見て焦ったりする。手軽にアテンションを稼げそうな話題がごろごろ転がっている。そういうのを無視して日記を書いていると今度はノンポリでアンニュイな「そういう人」みたいになっているんじゃないかという気もしてくる。まあやるしかないのだ。 JUST DO IT. 馬鹿にできない言葉だ。

『現代思想』について:白江幸司氏への応答

 以下は先日から僕の5月29日の日記に批判を寄せている白江さんへの応答です。彼の意見が「整理」されたものがツイートされたのでそれに応えるかたちで書いています。

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 何よりまず当該の日記は明確に編集方針について述べたものです。それはひとことで言えば研究者ないしもともと現代思想の動向をフォローしている人にしか向けられていない縮小再生産的な方針であり、それを「回覧板」だと言っています。しかし白江さんは、「「ポストモダンって言われたので」みたいな」という寄稿者の態度について述べた点が最も引っかかったようなのでそこから説明します。


 これはたんに、白江さん含め寄稿者の誰もが俗流化した意味での「いわゆるポストモダン(ポモ)」を積極的に擁護するわけではないという、防衛的な身振りから始めていることを指しています。そしてこれについては、学的に完全に正当なものであると思っています。僕でもどこかでそういう予防線を張るでしょう。僕が言っているのは、そうした枠組みのなかでどういう立場が作られてどういう新しい知見がもたらされるかなんて、いったい誰が興味あるんだ?ということです。学者と現代思想フォロワーだけでないでしょうか。だからこそ僕は個別の記事の良し悪しとは別に、特集全体の枠組みとその意義付け(いっそのことマーケティングと言ってしまってもいいですが)は、こうすればそういう人は読むでしょという非常に内向きなものであると思っています。


 繰り返しますが寄稿者が「いわゆるポストモダンとは別に誰々にはこういうポテンシャルがあって」という書き方をするのはいいし、学者的な態度だという以上の感想をもちません。しかしやはりそれは外から見れば「ポストモダン」という厄介なお題目をめぐって何かの義務感に駆られた人が集まり、固有名を持ち寄って小さい差異のゲームをしているようにしか見えないということもまた事実ではないでしょうか。問題はそのゲームを大きく見せる演出が全くなされていないということです。ポストモダンが誤解されて困るのも研究者だけです。これなら思弁的実在論とか人新世とか、とにかくこのトピックは新しいんだとゴリ押しする方がまだ少なくとも野心は感じます。


 商業誌として出している以上、研究者をいかに外に引っ張り出すかということを編集者は考えるべきだと思います(雑誌書籍問わずそういう優れた編集者はたくさんいます)。同時に、専門家が集まればそこで取り交わされる議論は必然的にどこか回覧板的になるし、それ自体はいいことでも悪いことでもなく、そういうものだと思います。研究者としてやりつつ自分で学界の外へのプレゼンテーションも作れる人は事実上稀だと思うので、基本的には編集者がそれを導くべきです。以上が僕の考えです。


 そのうえで先日の議論における白江さんの、福尾は「アンチポリコレ」で日記のリツイートはそういう「シェア体制」になっていて、福尾のサイトこそ回覧板で、日記で実存を売って掲示板でSNSでの共感を集めているといった発言は、まったく日記の内容と関係ないうえに不正確で失礼です。そしてそれを自分は善意で言っているというポーズを取るのはそれが事実かどうかと関わりなくパターナリスティックで不愉快です。

【お知らせふたつ】大和田俊論、『都市科学事典』

「お知らせ」ページも使わなければと思い。こまめに書いてればどういう仕事をしているか遡りやすいし。

ひとつめ。大和田俊の個展「破裂 OK ひろがり」の批評がウェブ版美術手帖に掲載されました。ぜひ読んでください。

ふたつめ。こないだ出た『都市科学事典』(出版社リンク)に「ドゥルーズ゠ガタリにおける都市」という項目を書いています。高い本なので「使う」というひとは買った方がいいと思うけど、そうでなければ近所の図書館にでもリクエストしてみてください。

これも含め近々プロフィールも更新します。今活動一覧しかないし、4月から所属も変わるので。
しかしプロフィールに活動一覧があればお知らせの蓄積も意味ないんだろうか。まあ考えます。

【2月18日】博士論文公聴会のお知らせ

昨年末に提出した博士論文の公聴会がZoomウェビナーで公開されます。

見学希望の方は以下のリンクから詳細を確認のうえお申し込みください。

http://www.ygsc-studio.ynu.ac.jp/2021/01/2021218.html

参加可能人数はかなり多めに取っていただいておりますが、いちおう早めの登録をお勧めします。

なんだか大事になってしまった。緊張する。