日記掲示板

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1,002件のコメント

  1. 「こた」というハンドルネームは、実家で母親がやっている英語塾の、ある生徒の名前にちなんでつけた。他の投稿者のHNがザ・適当なのを知って、こたもそうすればよかったと思った。

    こたは自分のことを「こた」と呼ぶ。

    男の子で一人称が名前なのは意外と少なくない。ぼくも、二十歳を超えた今でも、家では名前呼びのまんまで、だからその生徒「こた」に親近感を感じていた。というか外で「僕」か「俺」か、「私」か、すらっと使える一人称がない。今では一応ぼくというけど、使うたびに若干困る。できれば名前で通したい。ちょっと、『NARUTO』に登場するとあるキャラクターの真似で、「オイラ」と言ってみたい時期もあったけど実際一度も使ってない。名前呼びどころか、地元のノリ的に「僕」も言いづらいので、けっきょく小3~4にかけて、高校卒業まで「俺」を使うようになった。それはとてもがんばった。小3の昼そうじの時間に何かのどさくさに紛れてはじめて自分のことを、

    おれ

    ……と言ってみたとき、底抜けの恥ずかしさにおしっこをもらしちゃいそうだった。あれは今でもよく覚えている。

    大学で同級生の女子に聞いたけど、彼女は昔は名前に「ちゃん」をつけていたのが学校では「ちゃん」を外して名前だけで呼ぶようになった、と言っていて面白かった。「僕」が使えたら自分もそれくらいの感覚だったかなあと思った。「俺」はヤバい。

    4月から祖母家に移って実家と両方を往き来する生活で、そういえば、あの鳥のさえずりのように甲高い「こた」のはしゃぎっぷりを、最近は聞いてないな、とおもいだした。「こた」は、名前呼びだけでなく、舌足らずな鼻声や過剰な自己アピールとしてのしつこいイタズラなど(ほんとーにしつこい)、性格も小さい頃のぼくそのまんまだと感じていた。
    英語塾は自宅が教室なので、毎日昼過ぎになると生徒がズカズカ家に入ってくる。玄関にはよそ子の靴が、2足から多いときで6足もある。高校生の大きめでオシャレに気を張った靴があると少しギョッとする。それで授業中の様子がリビングで晩御飯を食べているところまで聞こえてくる。男子中学生が声変わりしたてでヘラヘラ喋るのを聞くのが楽しい。女子は、「いたのか!」というくらい静かな子が多い。あと、母はかなり贔屓をする。生徒がかわいそうだ。「こた」のイタズラも、だからこっちまで筒抜けでぜんぶ知ってるのだ。どんな顔か見たことないけど。

    あるとき、こたはピンポンせず、ドアは音を出さないようにして、しのびこんできた。ぼくは寝室で寝ていて、たしか起きかけでうとうとしていて、そのとき、音はないが何かごたごたしてるのがこっちの部屋からもわかるので、あー、またこたがイタズラをたくらんでいるなとわかった。母が「何してんの」と怪しみながら玄関に行った。
    授業がはじまる。出席確認でこたは無視される。
    いや無視というか、母は意図的にQ.Kota?→A.Here!のアンサーの暇を与えない。呼んでも透明マントみたいに返事しないのがわかっているから。こういうとき、こた自身は、「え! え? こたどこ!?」ってびっくりされたいのかな。こたのイタズラは、今日はいつもより雑に片付けられておしまいになった。それで、出席確認が終わった直後、

    Here!!

    ……とうるさい、ほんとーにうるさい声でこたは声をあげた。

  2. 9時に仕事が終わり、そういえば午後から水分を摂っていない事に気づきペットボトルのお茶を一気飲みしたら頭痛が治った。
    帰り道、雨は上がっていた。車でデヴィッドボウイをシャッフルで聴いていたら「Heroes」がかかり、途端に映画ジョジョラビットのラストのダンスシーンが浮かんでグッときた。帰宅したら今夜も妻と猫が仲良くソファーで寝転がっている。音楽をかけずに静かに缶ビールを飲む。そうだ、ジョジョラビットの眼鏡の男の子の名前はヨーキーだ。

  3. 今日は新居から初の出社。
    朝は遅めの時差出勤で座れてよかったけど、帰りはやっぱり早くお家つきたくてソワソワしちゃった。
    でも、会社で仕事して帰ってきたら、新居がめっちゃ落ち着くな、と感じたのは良いことだった。
    今日はテレビ会議で英語喋ったら通じて嬉しかった。英語ぺらぺらの海外営業担当のおじさまと英語について語り合ったのも嬉しかった。
    帰ってきてニュースウォッチ9をみて、やはりNHKのアナウンサーはとても恥ずかしい存在だと思う。自分の所属する組織がどういう来歴でどういう社会的影響があってどういう収益構造か知っていたら、あんなに表面的に深刻そうなふりをするニュース読みや、成人男性にも関わらずスポーツの結果を伝えるだけで生計を立てている偽善者は、自分が恥ずかしくてたまらなくなるはずだ。

    今日の帰りは「結婚しているときはもっと早く帰れたのに」と離婚して自分の状況が変わってしまったことが悲しくなった気もするけど、それは結婚してたことに付随する都合が良くて便利な生活(世帯年収が多い的な)を惜しんで悲しくなったわけで、相手の不在を悲しんでいるわけではないのか。そうなると、離婚したのは、自分の本心、つまり見栄とか世間体とか世帯年収とかを抜きにした純粋な気持ちに適っていたのかもしれない。
    相手が好きで好きでたまらないのに、浮気されていなくなったら、今みたいに落ち着いて過ごせず、気が狂いそうになっていただろう。
    そんな好きだった女も2014年にはいたな。最後は警察沙汰にまでなったけど、肉体的精神的に没入していたな。

    今日まいばすけっとでレジ終えたら、点滅ギリギリの信号を走ったら渡れて、夜ご飯持ってこぼさないようにテトテトテトーって走っている自分はなんか健気で可愛いなと思った。

    今日の日記本文下部のひらがな4文字は まよひつ
    迷いつつ新生活が始まっている自分の状況だ。

  4. ぼんやりとした一日だった。朝、川崎から念願のメールが届く。ありがたかった。それから出勤したけれど手書きで手紙を書くのがメインで穏やかな一日だった。子供の頃から手紙を書いているときがいちばん落ち着く。そのせいで大人になったいまはプライベートできつい手紙が届くこともあるけれど、やはり手書きの手紙や葉書がいちばん落ち着くし、それを自分は求めているのだと思う。ここ数日、これまですっかり忘れていたことを思い出すことが続いていて、そのひとつは、小学生のとき、ホームセンターで観葉植物や苗木を買うのが好きだったことだ。数百円程度で買えるちいさなアジアンタムやソテツとかパンノキとかを、自分の部屋に置くだけでなく、友達の誕生会でプレゼントしたりしていた。いまから考えると人にいきなり植物を贈るのは迷惑だけれど、うまく育てられるかは別として、そういう観葉植物が好きだったことを思い出す。しばらく緑を部屋に置いていないので、丈夫なのをなにか育ててみようかな、という気持ちになったりする。植物といえば、ほうき草(コキア)が好きで、いつか自由にそういうのをどこかに植えられる日が来たら、いっぱいほうき草の種を蒔くと思う。きょうは裏工作ゼロで仕掛けた案件がひとつうまく進みやや安堵している。問題は刃物である。わたしがきょう思いつきで会議で嗾しかけたので、外注した刃物案件に対する素朴な関心が高まっているのを肌感覚で感じている。もちろん万が一のことが起こったときは立場上わたしが外注した仕事を引き取る。それは最初から決めているし覚悟している。だけれど大丈夫だと思っている。このご時世なのでなにが起こるかわからないとはいえ、刃物のことを信じている。ただ、刃物は数字にめっぽう弱い。あと朝に弱い。それを職場の人たちもやや懸念しているように思われる。ただ、それは本質ではない。明日は夜、お米が届くので、早めに帰宅して受け取るのを忘れない。

  5. 昨夜は娘がスーパームーン、月食を見たいというので20時過ぎに外に出たが、曇り空で見えなかった。日食だか月食だか忘れたが、ローリング・サンダーは見てはいけないと言っていたので、私にとっては見えなくてむしろ好都合だった。
    今朝は雨だったので駅からバスを使う、会社最寄りのバス停までわずか4分ほどだった。編集部でアルバイトをしている大学一年生から「合格体験記」の原稿を受領。文章が大変うまく、読ませる原稿でとても感心した。
    帰りの電車で澤野雅樹『起死回生の読書!』言視舎を耽読、ウェーバーについて述べている章が難しくて、何度も読み返す。昨日から聞いているTUNEINは、レゲエ〉The Dub Loungeのチャンネルに合わせてある。

  6. 今日はペインクリニックの日。
    胸椎の辺りに軽い麻酔薬を注射する。
    注射の後、15分ほど安静にしている時間があるのだけれど、だんだんと慣れてきて退屈なのでデッドバグとかやってみる。こんなことで、ここ1年の怠慢で増えた皮下脂肪がすぐに減るわけではないけれど。
    ところで、何故みんな注射された後で
    「今日は入浴しても良いですか?」
    と訊ねるのだろうか。全国のワクチン接種会場でこの質問が大規模に繰り返されているかと思うと(不謹慎なのは承知だ)少し面白くなる。
    今日は猫さんには会わなかった。
    おやつはドーナツ。
    入浴剤には「くつろぎの宿」。
    因みに僕の場合、注射後6時間経過すれば入浴可だ。

  7. 尾崎真理子『大江健三郎全小説全解説』(講談社、2020年)を読む。雨。お腹すいてないのにコンビニでシュークリームを買う。意味なく食べる。どたどた走る小学生の足音にびびる。おならを笑われる。とろろうどんときゅうりの黒こしょう炒めを食べる。寒い。CHAI『WINK』(34分、2021年)を聴く。GRAPEVINE『新しい果実』(43分、2021年)を聴く。本多猪四郎『ゴジラ』(97分、1954年)を観る。

  8. 昨日の夜、お酒を買いにスーパーに行った。2匹目のゴールデンレトリーバーを見た。外に繋がれて、しっぽを振って、あっちを見たりこっちを見たりしてた。可愛かった。
    お酒コーナーをウロウロした。キリンの醗酵レモンサワーを買った。いつも飲んでいる宝チューハイと悩んだ。宝レモンのロングが売り切れていたから、いつもとは違うのにしてみた。いつもと同じ店員さんに会計してもらった。卵買うの忘れた。
    朝起きると雨の音がした。休みだからゆっくり過ごそうと思った。はらぺこあおむしの作者が亡くなったと知った。保育園に通っていたときに読んだ絵本の中で、唯一記憶にあるのがはらぺこあおむし。話は全く理解できなかったけど、ペラペラめくりながら、果物の色を面白がった。
    夜はほっともっと。ネットで注文して、支払いはチャージしたお金で前払いした。お店に行くと、お待ちしておりました!って元気に迎えられたのに、二重に金額を取られてしまった。帰り道で気づいた。

  9. かなり久しぶりに旧友ふたりに会う。家族や恋人、同僚以外と最後に話したのはいつだったか。妙に緊張した。もう20年以上の付き合いだけど、年に一度も会うことがないし、かなり境遇も違ってきた。けれどもふたりは「やる気がない」ので、話も噛み合わないまま心地よく続けられるし、会うとそれなりに楽しく、けっこうよかった。「噛み合わない」といっても、お互いの聞いてもいいこと、触れてはいけないこと、話さないことと話すことの選択をうまくやれているのかもしれない。
    昔の話をしていると、思った以上に自分の暮らしていた環境はおかしいというか、いわゆる「育ちが悪い」といわれてしまっても仕方ないようなところだと知った。あまり知らなかった。
    いろいろな変な話を聞きながら、家族が昔、子供が不登校で苦労している近所のおばさんと話したときに、その人が「この辺りは昔墓場だったかららしいよ」といっていたという話を思い出した。
    近所のあの人の家には病気の子供がいるし、あの家は上のお姉ちゃんが非行に走っていて・・・。それはこの辺りが墓場だったかららしい。
    墓場とそういった出来事に関連性があるのか。自分の家だけじゃなく近所まで不幸認定してオカルト現象にしてしまうのか。墓場ってそんなに簡単に住宅街になるのか。とかいろいろ、常識的なことは言えるだろう。
    不本意なことだったろうけど不登校によって苦しみから逃れられたなら、必ずしも不登校は悪くないのでは?とか、全部墓場のせいにしてしまうことで、割と切実な状況だったであろうそのおばさんが自責から逃れられたならそれもいいかも、とか、配慮あるコメントもできそうだ。
    と、そのたくさんの多面的なあれこれを全て捨象して「墓場」をひとまず笑った。今日はそんな日だった。

  10. ここ数日、急に精神が不安定になりイライラしたり泣いたりで疲れている。数少ない友人と会えば、必ず誰かの悪口ばかり言ってしまう自分がとても嫌いだ。昨夜もバカになるまで深酒して、布団に入りそのまま気絶。目覚めたら外は暗く雨音がうるさい。地獄。血液と尿検査の結果を聞きに病院に行ってる親からの電話で、糖尿病になったとの報告。大変なこった。明日がこなければいいな。

  11. 5/27
    寝不足で軽い頭痛がしたので午睡。肌寒いけれど布団を出すのが面倒で息子のベッドへ。教科書、ノベライズ本、楽譜、科学雑誌、脱いだ服、ヘッドホンが壁際に乗ってて寝るのに狭い。
    昨日は母親の悲しい物語を読んだ。うちの子は本当に優しく、私は幸せだ。このベッドに私が寝るのはもうとっくに悪いことだろう。
    玄関のポストの下、去年と同じ場所にアシナガバチが巣を作っている。とても弱々しい女王蜂で、じっと巣にしがみついて動かない。去年は部屋が5つくらいの時に巣を落とした。今は不憫に思えて放ってあって10部屋くらい。息子が心配していたから、そろそろ隙を見て落とすかもしれない。

  12. 夕食後に息子と海まで散歩した とくに皆既月食を見に行ったわけでもなかったが月は見えなくて「残念でしたね」と月を見に来ていたおじいさんに声をかけられた 見ず知らずの他人に気軽に挨拶みたいに話しかけることが自分にはできない 話しかけられるのは別に嫌いじゃないし社交的に応答もできるが自分からはむずかしい 今日は今日こそやろうとしていた仕事には全く手をつけられなかった 数日前から写真館で撮った家族写真を部屋の見えるところに飾りはじめたら家族というのはやはりかけがえがないものだという気持ちになった 鬼滅の刃の新しいウエハースをセブンイレブンで見つけて娘にひとつ買ったら義母は四つも買っていてこれは明日渡そうと思った 給食の牛乳をはじめて残さず全部飲めたご褒美のつもりだった Mさんのスケジュールの連絡が今日もまだないが何かあったのだろうか?

  13. 何につけても不器用、不作法が前景化しがちなので、自意識が他人を気ぶっせいにするというか、自分はことごとく間を気持ち悪くするなあ、ってことが多くて、思い返しては悩む。今日はよく胸につっかえる。
    環境を変えても、相手が変わっても、「出来なさ」はいつも自己の問題に戻ってくる。自己への執着は「出来なさ」への愛着と言ってもいい。逆に「出来る」ということは、言語に自意識を固着させない作法なのではないかとよく思う。自意識は消去できないけど消臭することはできる。それにしても、一旦ハマった自分自分の沼からどう抜け出すのか。煩悩というには、自制のきく人にとってあまりに無関係な感覚かもしれない。自制心のある人も、ちゃんと「自分を制」しているからこそいじましい気がするのだろうと留めおいても、やはり翻訳不可能な「できなさ」のリアリティというのは常に横たわっている気がする。

    当然できる/できないを着地点なしに論理的に分別することはできない。
    けれど、肌感ではちゃんと存在する、異なる他者間の放任と無関心と嫉妬の相補的な関係を、感情の上ではより「できる」ものをきちんと選り分けてしまう集団あるいは個人的直感を、素朴に認めたくもなる。デイヴィットソンの「寛容の原則」が、「まさかこんなことはしないだろう」という、異なる他者への基礎的信頼の枠組みなのだとしたら、その寛容さの基準値を引き下げることは、「できなさ」への幾らかの保障になるだろうか。「まさかこんなことはしないだろう(とは言い切れない)」の原則。しかし、「できなさ」への保障は、ある枠組み内における「できる」他者の負担を暗黙裏に増やし続けることと表裏一体な気がする。でも、自分の「できなさ」を認めてと主張したいわけでもないしな。

    多分、自分には何か言いたいことがあり、それは適切に内語されているのに、なぜか発話できないという状態が苦しいのかもしれない。適当な発話というものを諦めきれないから、執着するのかもしれない。

  14. 今日も在宅勤務。
    テレビ会議とか長電話が多くて自分の仕事は進まなかったけど、たくさんコミュニケーション取れて嬉しかった。
    ダメな上司の話で、ダメさが部長とか役員クラスまで伝わっていそうな噂を聞いた。外堀から埋めていく作戦が成功したのか。はっきり言って追い出せれば万々歳である。(とか赤裸々にかけるのもここだからかな)

    仕事終わって、パン屋さんでフランスパン買ってビストロドゥの鳥のブラウンソースとサラダで夜ご飯。新居で初料理だったけど、結構美味しかった。
    パン屋さんでフランスパンを1センチにスライスしてもらったんだけど、商品受け取る時に「フランパン1センチはスライサー使わないといけなくて、店主の僕はできますけど、アルバイトの子には危なくてスライサーじゃなくて手切りだから、今後断ることあるかも」って半分注意?なのかなんか言われた。
    なんの気無しに言ったけど、意外と話がゴチャついて怒られちゃった。別に1.5センチでも2センチでもよかったのに。

    最近あんまり見てないけど、NHKのアナウンサーって顔芸だな。コロナとオリンピックで浮き彫りとなったけど、今日本で一番恥ずかしい団体だNHKは。
    国民から収奪して人事権と予算権を政府に握られていて何が「公共」放送か。言葉をごまかして欺瞞はやめなさい。国営放送であり、政府の意向が大きく反映されているプロバガンダだと正直に言いなさい。
    NHKのアナウンサーとか、自分だったら矛盾が恥ずかしくて死にたくなるけどな。馬鹿か恥知らずかどちらかだな。

    今日もあの人と人に言えない姿で堪能した。
    明日は出社で明後日は年次休暇だ。

    手の傷は治りかけると、一旦表面の皮膚が剥がれていく。
    セックスは小さい死とフランスでは言うんだ。
    ソーシャルディスタンスが求められる社会では、セックスもできない、小さくも死ねない社会になったのか。

    ゆっくり喋る。たくさん水を飲む。ゆっくり歩く。
    早く喋っている時、早く歩いている時は、あえて早くやっているのだと忘れないようにする。

  15. 家に帰ると、同居人が唐揚げを仕込んでいた。嬉しくてこころ躍った。ビールを飲めば良かったなと今更ハッと思い出した。いつも飲まないが、唐揚げにはビールがよく合うという想像だけで、もう幸せだ。次の唐揚げの時にはビールを飲もう。餃子でも良い。
    今は揚げ物の名残りで、めちゃくちゃ目が痛い。実家にいた頃は「そんなことを言うのは、家族で1人だけだから気のせいだ。」と言われていたけど、私だけでも気のせいじゃなかったので目が痛いなりに嬉しい発見だ。
    総じて、嬉しい日だった。

  16. 七時過ぎにした仮眠があまりにも深くて、目が覚めた瞬間は夢なのではないかと思うくらい満たされていた。やわらかいタオルケットにぬくぬくと包まれている感覚が優しい。だけれど天気のせいなのか鈍い頭痛がはじまって、ついでに眠気が強くなり、あまりなにもできない感じだった。在宅だったからかもしれない。身体のリズムのせいかもしれない。嫌な感じはなかったからそんな日もあると思ってゆったり過ごす。仕事が落ち着いていてよかった。再配達を頼んだ重めの郵便がお昼近くに届いて開封する。五月の残りはこの郵便物と一緒に過ごすことになるだろう。夕方、職場のオンライン会議の頃には気持ちも身体もだいぶ落ち着いていて、集まった人が少なかったからか、上司がおもむろにはじめた十数年前に徹底的に人生を狂わされた話を聞いたりする。それはそれなりにヤクザな話なのだけれど(川崎が絡んでいる)、そうはいっても、もはや感覚が麻痺しているのか、身近なよくある話のようにしか聞こえなかった。もっと驚く心を養うか、さもなくばしみじみと頷く術を身につけなければ、自分の挙動のすべてが嘘になるような気がしてくる。きのうは食欲がなかった、というよりは料理をする気持ちが生まれなくて、買ってきた鶏肉のお惣菜をビールと一緒に食べたのだけれど、きょうはきょうで何かを作る気持ちが生まれなかったので、卵を茹でてアボカドと一緒に食べたりネギを齧ったりした。それからチョコパイを凍らして食べたりした。これ以上体重が減るのが怖いという無意識が働いているのかもしれない。日が暮れるにつれてそこそこ動きたい気持ちが出てきて、とにかく外に出たい、スニーカーかサンダルがほしい気持ちになって、夜になる頃には急に新宿に行きたくなったけれど、きっと雑踏の中で酸欠になるように思われて、最寄駅に着く頃に電車に乗るのをとりやめて、あたりをほんのすこし散歩した。帰宅していくつかメールの返信をして、NIKIのlowkeyを聴きながらそのMVを見つめながら、煙や水蒸気は綺麗だな、という気持ちになる。炎とおなじくらい好きかもしれない。ずっと見つめてしまう。自制しなければ、一日中どころか、何ヶ月も何ヶ月も、何度も何度もただひとつの同じものを繰り返し見たり聞いたりてしまうから、そうして生きていることを感じてしまうから、なんにもいらなくなってしまうから、諸々のルーティンに救われているのだと思う。

  17. 仲の良い友達に月に一回は必ず遭遇していたことを思い出す。付き合った人が自分とは違うマンションの同じ部屋番号に住んでいたことを思い出す。一日の終わりに今日の星座占いを見て、その日に起きた出来事との関連を見出したことが何度もあるのを思いだす。そういうことを、しょうもないとは言えないし、思えない自分がいる。
    何かを鑑賞する時に、そのコンテンツ内のつながりを見出そうとする姿勢と同じなのか、分からない。
    ただ、そういうアンテナをそこら中に、日常に張り巡らして生活するのは良くないな。日記は淡々と書くべし。
    と、いつも朝に聞いているラジオを今日は消したままに、食パンをかじった。冷凍していたものをレンジでチンしているので、水気があってモチモチしてる。今日も晴れて嬉しい。
    犬のいる家に行った。大型のゴールデンレトリーバー。撫でた。目がトロンとしていて、年をとっているのかもしれなかった。家主のベルトが素敵な花柄だった。毛がたくさんスーツについた。帰ったら、コロコロで取らなきゃ。
    昼はほっともっと。いつもの、のり弁当は330円(税込み)。今日はご飯が柔らかくて好みじゃなかったから、ハズレだ。ほっともっとのポイントを貯めるのが楽しい。
    祖母のコロナ予防接種が無事に終わったとラインが来た。

  18. 5/26
    仕事で駅の近くの喫茶店へ。はじめて入る小さな店。ほぼ個室の状態で事務的な打ち合わせが終わって同じ銘柄のアイスコーヒーを飲みながら世間話をしていて唐突に、「ところでオリンピックどうですか?」と聞かれて答えに困って黙ってしまった。「私は立派に開催して、日本の底力を世界に示して欲しいんですよ。」と言われた。私より一回り上の世代、脱サラして丁寧な暮らしを推奨するような雰囲気の男性から、こういう意見を聞くのが初めてだったので驚いた。「野村総研が試算を出して」云々と、私は自分の意見を弱める感じにして、反対の意を伝えた。その後も彼は持論を淡々と述べていた。自分の周りはコロナ禍のオリンピックに良い感情を持っていない人しか見かけないし、SNSを通して嫌悪感いっぱいだったから、なんか彼の素朴さか、彼にとってのリアリティが新鮮だった。毎日プールに通ってるそう。今日の皆既月蝕を見逃さないようにと教えて貰って別れた。(今曇ってて見えないけれど。)
    体の大きな人で、重さを伴っていることって大事だなって素朴に思う。

  19. 昨日は久しぶりにラーメンを食べ、いまだにそれが消化されていない感じがする。あまり早く起きられなかったし、あまりやる気のない一日だった。
    自分の問題はやる気があるかないかに委ねているところで、たいていの人はやる気があってもなくても、淡々と日々の生活を送れているのではないかと思う。今の立場上、やる気に委ねるならそれもそれでよく、「やる気がないからやらない」と泰然としていればいいのに、なかなかそれも難しい。「問題」なんていってしまうところがいけない…また「いけない」といってしまった…のだろうな。
    そういう考え方になってしまうことが結構多いのもあって、問題意識ややる気をあまり感じさせない(けれども実は凝っている)感じの映画が最近好きだ。一見ささいなこと、単独の出来事がものすごく大きなスケールの出来事の一部になっている…という割と基本的で単純なことは、客観的には簡単にいえるけど、それを自分の文章で人に説明するのはものすごく難しい。スマホでは写真を2本の指で広げて細かいところを見たり、またそれをもとに戻したりできるけど、その行き来ができない感じ。なぜそんなことができないんだろうというくらいできない。

  20. 6時15分に起きて娘の弁当作り。照り焼きチキン、シラス入り卵焼き、塩ゆでブロッコリー、ミニトマト。
    昨夜、ネットワークCDレシーバーにLANケーブルを挿すと、インターネットラジオが聞けることを発見。今朝はそれでTUNEINのサービスでチルアウトを流している。
    今日は有休で読書に耽ろうと思うが、昼からビール飲んで寝るだろうな。

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