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5/30
昨日若い母達について日記に書いたことをなんか後悔して、その前にいわゆる女性枠についての話題でモヤモヤすることがあって、何か言える訳でもないのに怒ってて、その代わりに彼女達を昨日の出来事だったからだけど、持ち出したような自分の思惑に後で気づいて嫌になった。
昨日をやり直すと、宇宙規模のガソリンの夢を思い出したところから、宇宙戦争的なのって、銀河鉄道999が最初位かな?みたいな話から、ジュール・ヴェルヌをググって、Wikiで著作のタイトルを読み上げて、その面白そうな題材と量の多さに驚き、宇宙の時代はもうちょっと下るなとH.G.ウェルズをググって、またそのタイトルを読み上げて同乗者と感心する車中だったな。
今朝、Facebookの野の花のグループを覗いたら、管理者の人が怒っていた。ここには在来の野生種しか投稿してはいけないルールなのに、この頃外来種や園芸種の投稿が多く目に余ると。そういう投稿は見つけ次第管理者権限で削除し、繰り返す投稿者は退会してもらうと。花の名前もわからない人が写真を上げて、古参の人が名を教えてあげるが繰り返されていた癒しのグループが悲しい空気になってた。そんなに怒らなくてもと思ったけれど、大切な場所が雑な外来園芸種に侵食されるような心持ちなのかもなと。私は一度も投稿してないけれど、これからも見ていきたい。
洗濯物を干し、布団を干し、掃除機をかける。
散らかったものを整える。散らかすよりも元に戻すほうが不自然、つまりアート。そしてケア。
「洗濯槽の洗浄」をしてみる。洗濯機には洗濯槽洗浄機能がついている。だから、スイッチを押してしまえば I don’t care でよい。
5時間半。人工自浄を終えた洗濯機は、一体どこがどう綺麗になっているのかわからなかったけど、埃と洗剤がぬたぬたになったのが大量に排水フィルターに引っかかっているのを見て、洗浄は完了したのだと思った。
散らばったものを移動させて、一箇所に集めて、別の場所に移す。
それが不自然で、自然で、日記を書くことも散らばったものを箒でさっとはくような感じ、いや、全然違うなと思った。
昼寝か散歩か。今日は散歩。日傘いる日差し。風は気持ちいい。スイカバー食べる。おいしい。目薬買わないと。須磨の海を見に行く。鳥だと思ったら凧だった。足が痛くなるまで散歩する。からあげクンひさしぶりに食べた。Missy Elliott『Under Construction』(56分、2002年)を聴く。
5/29
高速に乗って、ギャラリーのある街に出る。車に乗り込んで、あ、昨日見た夢の中で、宇宙規模に遠いところに行くのでガソリン満タンにしなくちゃ、でも満タンにしたくらいで足りるのかな?って思ったことを思い出した。
出産直後の若い女性作家の個展。ずっと熱心に制作されてて、みるみる作品が良くなっていく人。今回の作品もそうかどうかは判断つかなかった。でも十二分に力作揃い。オーナーが秋に個展する作家も乳児を抱えていて、思うように制作ができないらしいと心配していた。彼女も力のある人で、旧作を多く持って来ても十分な個展になるだろうと思う。慌てず焦らずにと祈る思いだけれど、幼な子を育てる頃、制作も本当にずっとたくさんしたいだろうと思う。
先日急に連絡をくれた脚本家の友人は、随分と落ち着いてから、娘さんが今4歳。いづれ育児からも解放されるよと私が伝えた代わりに勧めてくれた本は、悲しい母親の物語だった。娘と過ごす彼女の日々が、確実に物語を紡ぎなおす心を育てているのだろう。彼女の強さをその本に重ねて受け取り、自分の日々を顧みる。体力つけたい。
朝起きると体の凝り、筋肉痛がなくなっていた。早めに寝たのが良かったのかもしれないし、水をたくさん飲んだのが良かったのかもしれない。それよりも、待っていれば良くなると信じていたのが良かったのかもしれない。
自分のこれからを自分は待っていると思うと、少しは心穏やかでいられる。よく、自分が年老いたり、事故にあったりして、体が変わること想像するのと関係があるのかもしれない。あんまり考えたくない。
疲れが取れたので嬉しい。晴れてくれたらもっと嬉しかった。気温はちょうどいい。
お米五キロが無事に届いた。なんだかんだで八年くらいおなじ農家さんに頼みつづけている。ぜんぜん高くないのにここのお米は甘くて美味しい。なんとなくしばらくお米を炊いて食べようという気持ちになっている。お米は農家直送で、いつも適当な段ボール箱に米袋が入れられて届く。緩衝材には新聞紙が使われていて、きょうは2020年11月15日(日)の読売新聞の11面と12面がくしゃくしゃになって入っていた。開いてみると、11面は本よみうり堂で、書評コーナー。池澤夏樹『ワカタケル』、星野博美『旅ごころはリュートに乗って』、室橋裕和『ルポ新大久保』、杉本博司『江之浦奇譚』、川中伸一郎『標本バカ』。金原ひとみ『fishy』と鉄芳松『潜水士の道』。下の方には小さく、おぷうのきょうだいの漫画『俺、つしま3』。『江之浦奇譚』はすぐに読んでみたくなった。書評欄の下はONKYOの補聴器の広告。12面はジャパネットたかたのAQUOSスマホ広告。ずっしりした玉ねぎ二個が包まれていた新聞紙を開くと2020年10月19日(月)の読売新聞の25面と26面。25面は1面のつづきで「あれから Vol.7 初代原子力規制委トップ」と題されて「3.11 地に落ちた信頼」の文字が大きく踊っている。イノハナの炊き込みご飯の放射性セシウムの話が下の方にあり、「イノハナご飯を70キロ以上も食べることはない」という一文があったが、これは炊いた後のごはんの重さなのだろうか。26面はオリックス生命の70歳からの死亡保険の広告で、赤字で大きく保険金額200万円と書かれている。これは75歳まで申し込めるらしく、左下には85歳まで申し込める保険も説明されていた。資料請求者の中から抽選で100名に丹馬牛のすき焼肉500gがプレゼントされるとあったので、すき焼きが食べたくなる。「あなたは誰ですか?」と思う出来事が静かに発生し、AwichのWHORU?を大音量でリピートしているときにピンポンが鳴って宅配の人がきたので、やや気まずかった。それで不意に思い出したが、ドアの表札の名前が違う人になっているのをそろそろ直さないとまずい。この部屋に十年くらい前に住んでいた前住人のものと思われる。ぱっと見、名前がちょっと似てるからいいだろうと思ってそのままにしていて、放置したままずいぶん時間が経ってしまったが、客観的に考えて、いつも宅配の人には怪しまれていると思う。よく見ると違う、っていう。明日直そう。炊いたごはんは美味しかった。カレーペーストとかなり合う。カレーペーストを教えてくれた同僚はいい人。『これまでのヱヴァンゲリヲン新劇場版』をYouTubeで繰り返しみている。2:01から2:21を延々と繰り返してしまう。綾波を・・・返せ!
水を飲む量が足りないらしく、今日は意識的に大きめのタンブラーに3回水を入れ、1.5リットルほど飲んでみた。気分は変わらなくても、身体的なところから交換してみるのは悪くないかもしれない。
夢と現実が混じりあい、みているとその境がよく分からなくなってくるタイプの映画をたまたま2本みた。全体的に倦怠感と不毛さが漂うけども、はたから見ていると滑稽きわまりなく、なんとなく笑ってしまう。制作者の不安、自信のなさがうまく昇華されているようだったけど、それはつい自分を重ね合わせてしまったからそう思っただけかもしれない。
どうも暗いことばかり考えてしまうし、毎日不安が続いている。これは病気なのか?と思うけど、病気と病気じゃないのの境がよく分からない。まあまあふつうに食べているし、まあまあふつうに寝ているので、ただの暗い人なのかもしれない。冷静に考えてみると、今年はわりと人生の中でも重大そうな出来事が複数あるので、いつも通りでいられる方がおかしい気もする。その大きなうねりの中にいる自分を楽しめるような人はすごい。
1本目の映画をみたあと、主人公が飲んでいたカフェラテがおいしそうだったのでラテも飲んだ。水分摂取しすぎかもしれない。喫茶店でブラックコーヒー以外のものを選ぶことがほとんど全くないので、なかなか新鮮だった。
特に誰にも会ってないけれど、外のものに自分が重なったり、変えられたりしてせわしない一日だった。
まわりの人間にケンカを売ったり迷惑をかけたり終いには消息不明になってしまった友達のことを思い出していた。本当にめちゃくちゃなひとだったけど、彼女はわたしに優しかったし遊びに連れ出してくれたし、いつも気にかけてくれていた。一昨年の大晦日は一緒に過ごしたんだった。
彼女の実家で飼っているマルプーが老衰死したらしいのを彼女のママのインスタで知った。あの子はちゃんと生きているのかしら。
新緑は目に鮮やかに、川面を渡る風は皐月の清しさ心地良く、などという季節は疾うに過ぎ去り、ただ暑さのみ。
例えば水泳の後の午後の教室。
セーラー服の隙間から覗く女生徒の素肌ももはや劣情を唆るに足らず、ただ重く粘り着く空気の中、襲い来る睡魔に敗北する。
夏である。
ファミマの紅茶と水道水を交互に飲む。アフタヌーンティー監修。600ml。無糖。わりと濃くていい感じ。コーヒー飲まないので紅茶の充実が助かる。お昼に近所で500円のミニ野菜天丼を買う。まぶしい。別にうまくはない。紅しょうがの天ぷらひさしぶりに食べた。寒い?たこ焼きはとろとろ派。カリカリのたこ焼きは「カリカリのたこ焼き食べるぞ!」ってテンションのときしか許容できない。「たこ焼き食べるぞ!」ってときにカリカリのたこ焼きしかないとカリカリか…となる。本屋の新刊コーナーで瀧本哲史『読書は格闘技』の文庫を見つける。レジが長蛇の列で買うのを断念する。映画館が夜閉まるようになってから本屋が混むようになった気がする。光る犬を見た。初。友人と河川敷で話し込む。“空洞”。ひとと話すとすっきりする。CHAI『WINK』(34分、2021年)とGRAPEVINE『新しい果実』(43分、2021年)を聴く。
5/28
夢を見た。
夕食後、ダイニングテーブルとキッチンが丸見えの位置にある黒い皮のソファーに寝転んで、ツルツルしたソフトカバーの物語を読んでいたら眠くなってしまって、仮眠のつもりで入眠する。このソファーはお古で貰ったもので、前の持ち主の家には猫がたくさん居たので、爪で引っ掻いた痕もたくさんあって、触ると小さくボツボツしてる。
意識が視界とともにこっちに戻って来た時、幾つかの時空を網でさらったみたいで面白いから日記に書こうと思って、また入眠してを繰り返し、4つくらいのごく短い短編に仕上がっていたのに、書かないうちに布団で寝てしまったので覚えていない。
本を読んでも映画を見ても、面白くても内容をすっかり忘れてることが殆どで、夢を見てるのと変わらないなと思った。
どうも同じものを同じところで一定期間連続して食べる傾向がある。パラノイアというより、ただ考えるのが面倒なだけなのだが。
学生の頃によく夕食を食べに行っていた喫茶店ではひたすらカレーセット。ある時期にはほぼ1か月毎日同じ。お店が移転することになったらコーヒー券10枚綴りを頂いた。
夜食のラーメン屋では大盛りにおにぎり。しまいには入るなり、「今日はおにぎり切らしてる」とか言われるようになる始末。
院生の頃にはアパート前の画廊喫茶でホットサンドばっかり、とか。
なんなのだろうな。なんか憑いてるのかな。
(2018年5月28日の某所投稿より抜粋。
今日たまたま思い出したのだが、現在も殆ど変わっていないので日記として上げておく)
仕事中に頻繁に「アサヒコム」や「ヤフーニュース」をチェックし、オリンピックの話題ほとんどに腹を立てている。実施しか口にしない菅を筆頭とする自民党政治家、最近影が薄くなってきた小池都知事はバカなのだろうか。それともバカを圧倒的に乗り越えた、常人には理解できない「知性・判断」があるのだろうか。よくわからなくなってきた。
何に腹がたつのかって、オリンピックにかこつけてこれまで決定してきた法律・制度などだ。「共謀罪」「受動喫煙防止条例」「祝日移動」「サマータイム(?)」。祝日移動なんて、都内が混雑しないように家から出るなってことだろう。本当に頭にくる。
精神衛生上よくないので、日常の些事はさっぱり忘れて、『純粋理性批判』に集中するのがよいかも知れない。
今日はあんまり体調が良くない。この前歩きすぎたからか、右足の指の付け根が筋肉痛。首の右後ろの筋も痛い。
水筒を会社に忘れて、ブラックコーヒーしか飲まなかったので、胃が荒れた。昼はイチゴマーガリンのコッペパンとあんこがたくさん上にのった団子を食べたので、甘味でさらに胃が荒れたかもしれない。
電車を降りるときに、入れ違いに目の不自由な方が乗車してきた。電車の乗降口は幅がそんなにないので、ぶつからないか少し怖かった。こういうときどうすればいいんだろ。
帰宅して水を飲み、激辛ラーメンに卵とキャベツを入れて食べた。元気になった。
急いで帰宅したけれどお米が届くのは明日だった。明日の夜七時から八時の間にお米が五キロ届く。忘れない。水曜日あたりから上司の気まぐれな焦燥感の強さから二次被害が発生しているらしく、いくつか手を打ったけれど、どうなることやら。ただ、このスピード感覚で一緒に動くことを求められていることそのものはどこまでもありがたい。問題はその感覚でいくとついていけなくなる人が少なからず出ることだ。そのせいで残機概念が消える気配がない。自分は鈍感な部分があるのと、そこそこ指の動きが早いのと、むかしの上司二人が彼の数億倍狂っていたのと、なんでもゲーム感覚でやっていることもあり、相対的にはまだ元気なのだけれど、流石にこれだけ廃品処理や手紙書きを大量に手動でやっていると、美味しい中華料理やさんとかできんきんに冷えたビールを大量にあけてぱーっとやりたい気持ちになってくる。そんな思いがちらつくくらい手動の作業が多すぎる。はっきり言って人間がする仕事ではないのだから。うだうだしつつ怒涛の出張手配は完了。来月はふかふかのベッド眠れる。素直に嬉しい。布団のほうが好きだけれど、ときどきふかふかのベッドで眠るのは本当に幸せ。でもなぜか子供の頃からベッドに寝ると落ちてしまう。落ちて目が覚めたときの記憶がときおりフラッシュバック。同僚に、朝岡スパイスのカレーペーストが美味しいと教えてもらい、帰り道に急ぎ足でスーパーに寄って見つけ出して買い、帰宅して味見したらすこぶるおいしかった。林檎と玉ねぎの甘味がねっとり濃厚。明日の夜にごはんを炊いたらこのペーストで野菜と一緒に食べようと思う。二ヶ月くらいずっと探していた生のライチがたまたま売られていたので、僅かの量だったが、ライチも入手。皮を剥くのが愉しい。ぷるぷるの果肉は、歯応えと甘味ももちろんだけれど、最後に舌に残るなんともいえない清涼感が癖になる。もうすこし生活を穏やかにしたい。
起きた瞬間、あ、今日は絶対に無理だなと思って仕事を休んだ。ものすごく怠かったので休んだのだけど、別にどこが悪いわけでもないのでずる休みかもしれない。14時くらいになってやっと身体が起きてくる。8時くらいにははつらつとしているのが理想だが、いっそ無理だと割り切って14時に起きる人として生きていったほうがよいのかもしれない。
今日食べたもののなかでは、イカとニンニクとブロッコリーの炒め物が美味しかった。妙に食欲がある。
今の自分は色々なことに手を出すのではなく、ひとつのことにじっくり取り組むべきだ、と思いながら、最近ある言語の勉強を独学で、完全なる趣味として再開した。一貫性のなさに自分でも驚くけれど、漢字でもアルファベットでもない文字を使うことには不思議な楽しみがある。まだ一文字一文字のかたちや、文字と文字との間隔がうまくとれない。字が「上手」、「下手」の違いさえよくわからない。いつまでも出来るようにならなくていいし、いつ止めてもいいものがあるのはうれしいことだ。そんなことを、仕事を休んだ日にやるなんて。
月末までの色々な支払いを済ませていないことに気がついた。3つくらい。今日やらなかった仕事、やらなくちゃいけなかったこと、やりたかったこと、精算、生産、週末に後回し。
風邪が治った。昨日、古い米を炊いた。
古い米を炊くのは久しぶりで、決して美味いわけではないと思うが、古米のあの古さを味わうのが、けっこう楽しみだ。
数時間後には机にハヤシライスが載っているだろうか。時間的に難しそうだが、数日以内には載っているだろう。
ステイトメントがかなりすすんだ。ステイトメントというよりはもう研究ノートのまとめに近い。こんなに文章に悩み続けたのは久しぶりだ。八枚くらい白紙のパネルが転がっている。
自分の投稿が目に入った。SNS、というか、投稿というのはある種、たばこと同じ嗜好品なのだなと思う。
やっぱり、ツイッターにつぶやくとなんか消耗する。やってしまったという気持ちになるのでなるべくしないようにしているのだけど、考え事に耽って色々進まないとつい何事か書いてしまう。
朝起きて、ゴミを出して、洗濯物を回して干して、パスタを食べる。
誰もたずねる者はいない。
背景色とか、明朝ではなくゴシックなところとか、平仮名を入力するところとか。Please input characters displayed above.
このサイトのちょっとしたところがなんか好きだ。
私の会社には少しずつ壊れていくもしくは壊れてしまった人間しかいないような気がしてならない。広告代理店で働き始めてから、元より映像が好きだったからという理由で入ったわけだが、ここまでひとを酷使してまで広告をつくることに限りない恐ろしさを感じる。それこそいまは多くの広告代理店がオリンピックへ向けて広告をつくっているだろう。私はそんな中でこころを病まないひとがいないのかと不安になる。考える頭さえ失われて誰のために、誰に向けて広告をつくっているのかわからない。
久しぶりに日記を書く。割と地道に続けていたのにめんどくさいことが重なってしまって書けなくなってしまった。
逆流性食道炎の症状が出てしまって、夜もまともに眠れなくなっていた。症状が出たのが明らかにストレスがかかることがあったあとなので、体の正直さと自分の精神の弱さに思わず笑ってしまう。とりあえず病院に行かないといけないなと思っていたらバイトが急遽休みになったので病院へ。
今の家の近所には病院が割と沢山あって、その中のひとつに消化器官に強い内科があるようなので、そこに行くことにした。
自転車で向かったらあっという間に着いた。院内はスカスカだったのですぐ名前を呼ばれる。40代くらいの女性の医師に症状を伝える。いろいろと検査をされる。身体のあちこちを触ったり観察したり。同時にこの検査はどういうものなのかしっかり説明をしてくれる。とても端的にいまの自分の状態を説明され、必要な薬の種類の説明を受け、受診完了。
初めて受診した病院だったので、会計をする時に新しい診察券を貰った。薬局で薬をもらい家に帰る。
家に着いてからバナナとピーナックリームと食パンでホットサンド的なものを作った。食後に薬を飲んだ。
この数日間、他人の敵意というものに沢山さらされて、疲れ果ててしまった。文章をまともに読めない人の敵意というのは本当に理不尽でうんざりしてしまう。人の文章のパフォーマティブな要素を抜きにして文を読んだり、単語に鉤括弧が付いてるか、付いていないか、論点がどういう連関を作っているか、そういうことを気にしないで文を読む人がいるということが、まったく、感覚的に理解できない。そういう人はピーナックリームをパンに塗る時にどんなことを考えるのだろうか、バナナを切る時にどういう手順で作業に当たるのだろうか。