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今日は気持ちのいい気候で絶好の仕事サボり日和。サボってないけど。逆に働きすぎているけれど。
午後、職場の駐車場に子猫がいた。まだ小さくて車の下でミャーミャー鳴いている。近寄るとさっとかくれた。車の下やまわりを探すけど見えなくなった。すばしっこくて警戒心がつよい。植木鉢を受けるプラスチックの皿を洗い、水を入れて日陰に置いておいた。しばらくして換気している窓の隙間からミャーミャーと声が聞こえた。
家に帰ってからも子猫のことを考えてぼんやりしている。今日で5月は終わり。
明日、毛布を洗うべきか悩んでいる。
いや、洗うべきだ。むしろ遅い。
今日は完全に夏だと思ったので、夏の服装で職場へ向かった。とても快適で、仕事が捗った。気温を見誤って変温動物のように動けなくなることも少なくないので、珍しい日だった。
しっかり疲れて、すごく眠い。お腹が空いた時と似た独特の幸福感が、体の内から滲み出ている。この気持ちをアンパンマンのようにちぎって誰かにあげたい。
6時、抗議の声で目を覚ます。8時、ストレッチして、途中でやめて起床。
洗濯機を回す。いつもは食べない朝食を食べる。
泣きながら訴える。訴える相手がいるから。
あらかじめ持っていた結論が無効だとわかると、だんだん相手が呆れ顔になっていくのがわかる。
「命令しないで」という命令。
もうこんなになる前にどうしていたか、忘れてしまった。
大変なのはあなただけじゃない、というのの、何が慰めになるのか。
いつもは食べる昼食を食べない。
縦画面に向かって、時々顔文字のような顔をしながら「もういいです。もう本当に無理なんです」と訴えている人の映像をみた。少し早口で、テロップが付いているから、文字通り言葉が吐き出されているように感じる。
早めに夕食を作ってほしいと言われて、ハンバーグを作る。
尊重されることに失敗した生活。「もういいです」
スマホの操作を教える。作動しないことにイライラしたことがほとんどないことに気が付く。意志の力、思うがまま。
勝手に生活する人の勝手さを尊重できたらいいのに。
近頃は毎日残業。忙しくて周囲の風景に何も感じなくなってしまった。帰り道、コーギーが舌を出しながらハアハアと散歩している顔に癒された。
明日はようやく休めるので飲む。夜遅く近所のスーパーは閉まっているのでセブンに寄った。やっぱり、大好きなタカラ焼酎ハイボールが売ってない。仕方ないのでまいばすけっとまで歩いて、タカラ焼酎ハイボールシークワーサーを買った。
今はカフェインレスコーヒーとタカラとジンジャーエールをランダムに気が向くままに飲みながらリラックスしている。
今日はバイト。妙に仕事がつつがなくいく。「現場」との無駄がない連携、同時に礼を忘れないやりとりの応酬。きっといいことなんだろうと思う。こういう時、何かが妙に上手くいく時、下っ腹のあたりに変な違和感を感じる。逃げ出したいような気持ちが微妙に、薄く、溜まっていく感じ。なんだか昔を思い出す。
ぼくの家は共働きの家だったので、夕ご飯というのは大方兄とぼくと祖母の3人だった。父や母を交えた家族団欒というのは週末の夜だけだった。小さい頃はその時間が好きだったんだと思う。それでも、その時間の屈託のなさに微妙な居心地の悪さを覚えていた気がする。
あるいは、放課後、友達と遊んで帰る夕方。その日が楽しければ楽しいほど、家に帰るのが不安になった。不安になるような要素はなにもない。何もないはずなのに、なにかを「してしまっているのではないか」、「バレてしまっているのではないか」という感覚がずっとあった。
だからできるだけゆっくり帰る。屈託のないリビングの会話を抜けてそっと二階の自分の部屋に戻る。それで、今もオフィスを抜けて便座に座りながらこれを書いている。
遅さ、子供部屋、トイレ。現実に辿り着く手前に仮設された場所や時間。下っ腹に溜まった居心地の悪さをならしながら、何をするでもなく、そこで一人過ごすこと。
午前中は返品伝票の入力と、アマゾンにおける自社商品の在庫チェック。正確には覚えていないがアマゾンがバックオーダーを止めると、なかば出版社を脅し?にかかって三年くらい経っただろうか(だからアマゾンと直取引しませんかという営業をかけてくる)。その時から週一回在庫チェックをしている。
本日も通信教育の『純粋理性批判』のテキスト、澤野雅樹『起死回生の読書!』を読んだ。
今日は在宅勤務。
ゴールデンウィークやら離婚やら引越しやらで月曜日から金曜日まで通しで働くのが久しぶりなので、今週はペースを取り戻すべく着実に頑張らなくてはならない。今日から徐々にペースを取りもどして、6月は5日連続勤務を4週間続けなくてはいけない。
今日は25分集中して5分休憩するメソッドがうまくいって、日中の仕事はうまく過ごせた。
派遣社員が、マネジャーに向かって許容範囲を超えていると怒りのメールを送っていた。あそこまで仕事ができない人間も珍しい。というか、常人の理解を超えている。
日中、ロバートグラスパーのアナログとダイソンの掃除機が届いてホクホク。
ハウスダストはないとは思うんだが、部屋を綺麗にしてアレルギーの原因と疑われる要因を減らさなくてはならない。
火曜日と金曜日はzoomで飲み会の予定が入った。
成城石井で買い物をすると、必ずレシートが3枚とおしぼりが入っているが、何にも使われずにゴミ箱に直行する。
突っ張り棚が何の前触れもなく落ちていた。
蕁麻疹が出て痒い。
大坂なおみが憎い。
もう5月終わりやん。はやい。毎月言ってる。ひさしぶりにゴキブリっぽいちっちゃい虫に遭遇してあせった。ほんまにゴキブリやったかはわからんかったけど気分は完全にゴキブリに遭遇した。「ゴキブリ」の予測変換でゴキブリの絵文字出てくるのやめてほしい。井戸畑机「ゆけ!日果さん」(第84回ちばてつや賞ヤング部門準優秀新人賞、講談社、2021年)と梶谷いこ『『恥ずかしい料理』制作日記』(趣味の店文庫、2020年)を読む。井戸畑机「ゆけ!日果さん」まじですごい。暑い。ぎっくり腰になってからくしゃみがこわい。くしゃみで腰抜かすのは避けたい。ジュンク堂で渋谷秀樹『憲法を読み解く』(有斐閣、2021年)を買う。素人でも参照可能っぽい憲法コンメンタールを探していたので書評を待たずに購入。2段組239頁1,800円+税。Missy Elliott『Under Construction』(56分、2002年)とPharakami Sanders『Dynamic Exercise』(31分、2020年)を聴く。寝る前にカレーを食べる。
きょうは早くに仕事終わってぼんやりしている。明日から六月。五月はGWに大きな仕事がひとつ終わったからかそのあとが早かった。週末にかけて静かに進めてた仕事も無事に郵送まで終わって安堵している。システム構築の案件も一山越えたし七十点くらいなんじゃないか。六月はGWに仕上げた仕事の詰めをしたらだいぶ楽になれる気がする。この感じだと今年は八月にゆっくりできるのかな。だとすればすごく楽しみ。しかしあっというまに第1四半期の三分の二が経過。季節柄、いろんな書類というか表をぱら見してるけど、けっこう動きあって驚く。この状況なので仕方ない。先読み間に合ってる部分と間に合ってない部分あって、後者については率直にやばいなと思う。まだまだ自分は相対的に見れば若造だからそんなこと考えてるなんて(考えられると思ってるなんて)と思う人いるかもだけれど、いかんせん時間がない。しかし人生はわからない。ついこないだまで都の最低賃金の時給で書店バイトしたりしてたから(FAXと了解返品しかしてなかったと言っても過言ではない)、いまの職場に来れてよかった、という気持ち。いつまでここで働けるだろうか。あとすこしで子供のときに住んでた家を除くといちばん長くこの部屋に暮らしてることになる。こないだグラスを回しすぎだと怒られたことを思い出して回しすぎない練習をしている。昨日の夜、六月はお酒飲むのやめようかな、と一瞬思ったけど、思っただけで、やめることはないと思う。こないだ教えてもらったバーの出てくる漫画をちまちまと読んでいる。わたしが通ってるお店も看板はない。こないだの時間軸が壊れているなと思う。
久々の遠出ですっかり疲れる。マスクをしていてやや酸欠気味なのか、軽微な熱中症のようなものなのか、はたまた単に疲れているだけかもしれないけれど、頭が痛い。
出かけている途中、もう2〜3年は会っていない旧友から連絡があり、夜に電話で話したいと言われた。
こんなことが起こるのは、なんと今月3回目。悩める人を引き寄せる奇妙な気でも発しているのだろうか。
1回目は5〜6年ぶりのコンタクトで、ほとんど話したこともないような人にメッセンジャーで仕事について相談をされた。同業でもなく、なぜ自分が選ばれたのかよくわからなかったし、実際大して役にも立たなかったと思う。
2回目も3年ぶりの連絡、相談ではあったがまあまあポジティブなもので、自分に相談してくるのも妥当かもな、という内容だった。
今日は何の用なのだろう。いい知らせにこしたことはないが、宗教やマルチの勧誘だったとしても断ればいいだけで、元気ならばそれもそれでありかもしれない。貸すお金はないので、どうするか悩む必要もない。もし陰謀論にはまっていたら、説得する自信はない。一番やなのは、思い詰めていたり、病気だったり、なにか鬼気迫った状態にあったりすること。未確定なことがあると、いつも悪い想像を極限まではたらかせてしまう。心配するので、連絡の際は要件を書いてほしい。
ノートパソコンが固まってしまった。きっと暑さのせいだ。
日本の夏にノートパソコンは適切でないのかもしれない。
作業をやめてごろんと寝転がった。気持ちいい風が吹く。
昼寝には良い季節だと思った。
何度も歩いたはずの道を始めてきたときのように歩いている。昔からずっと。今日もまた、雨が降っていた。だから今日もまた、眠かった。部屋の掃除をして、ようやく炬燵を片付けた。もうすぐ夏が来る。二十二回目だ。
山に霧がかかっている。黄色い電線が張り巡らされた道を歩く。ガストで昼ごはんを食べた。人は少なかった。読んでる途中の本を開いた。雨は止んでいた。家に帰ると黄色いゴミ袋が七つも溜まっている。ようやく明日、捨てられる。
何日か前のはなし。
1歳8か月の子どもに「あっち行きたい」と言われるようになった。昨日も夕食のあとで風呂に入れるため、子どもの脇の下に手をさしこんで持ち上げ浴室に立たせたとき、こう言われた。以前は「行きたいねー、でもねー」と声をかければそのうち収まったが、最近はそれでは自由に移動したい気持ちがエスカレートしていくばかりになってきたので、「行こう!」と強く言い切ってみることにした。でも、実際には浴室から出さずに適当な童謡を歌ってごまかす。うまくいった。3回くらい「あっち行きたい」「行こう!」とやりとりをしたが。言葉を使い始めた当初は「行きたい」とか「行こう!」とかの意志をあらわすような表現はできなかったわけで、それがどのように獲得されていったのかが不思議に思われる。
明日自分の制作のプレゼンをすることになっている。自分の制作がどんどんペダンティックな方向に行っている感じがあって、専門外の人にどう紹介したら良いか。自分の制作のわかりやすく面白い(であろう)部分って、見ればわかるやん、って思ってしまって、すっ飛ばしてしまうのだが、その中のいずれかに絶対言っておいた方がいい前提があるらしい。なんかそういう感覚だけ話している空気でわかる。
プレゼンといえば、カウンセリングでもそういう共有すべき前提のようなものを難しく感じることがある。10回くらい通って、お互い「ようやくスタートラインに立てた」と認めあったのがやけに印象的だった。その時すっ飛ばしていた前提は、中学校の時のトラウマをすごく詳細に話すことだった。外から見ると、特に治療者にとっては自分は自分が思っているより普通に見えるみたいで、いくら話しても、被害妄想で辛くなってる人くらいの印象に留まっていたようだ。
少しの話し方で、同じ内容でもずいぶん論点が変わってしまう。いや、話の途中で、違うと気づいてもっと話しすぎてしまう。って感じか。
以前「できなさ」のリアリティみたいな話を勢い書いたけど、これも「できる」ひととの対比で語るべき問題では無かった気がする。「できる/できない」の対比で話したら単に優秀な人への嫉妬のように見えてしまうだろう。でも、自分は「できない」けどそこにいなくてはいけない。そういう状況が強いる気遣いとか、申し訳なさとか、そういう不完全さの理十全な理不尽について考えたいのだった。他の人が「できる」かどうかは——まあ誰もができんみたいな状態ならある種安心にはなるだろうけど、あまり関係ないことだった。その場所は合わなかったから場所を変えよう、みたいなことでも無いんだと思う。
そういえばリモートで会話してる時に発生してる気まずい空気って、どれくらいみんなで共有しているんだろう。
昨日、5/28金曜日と5/29土曜日の日記を投稿したつもりだったけど、できていなかったみたい。
長すぎたんだろうか、それともオリンピックとNHKに呪詛の言葉を書き連ねたからだろうか。
5月28日
朝旧居区役所、新居区役所、布団掃除家電検討、カレー、家でのんびりしつつ仕事が気になっちゃう、夜はサッカー見て、あの人のあられもない姿1時間たっぷり堪能して、シャワーした後もダラダラと夜更かしして寝る。
5月29日
朝寝坊、恵比寿でデニムリペア受け取り、渋谷まで歩いて雑貨を買い物、よく通ったコンビニで最後の買い物、旧居のガス閉栓作業立会い、ゆで太郎で遅めの昼食、帰宅、コーヒー飲んでる時の風が寒い、夜は成城石井でお惣菜、親と電話して掃除機を買う決断してすぐにビックカメラのネットショップで発注。
5月30日
朝起きて不用品引き取り、家出て郵便発送、旧居に寄って接着剤、モスカフェでご飯、退去作業立会い、横浜で買い物、帰宅、サッカー見てテレビ見てご飯食べてテレビ見てシャワーして今。
旧居は1週間だけで随分よそよそしい匂いがして声ががらんと響いた。
もうあの街のあの通りに行くこともあるまい。
意外と寂しくなるものだと思った。元の奥さんもあの街もあの家も、嫌いになったと思ったのに。
マンション向かいの空き家に放置してきたサボテンは、ちゃんと育っていた。
9年前に買った自転車は、随分カスタムしたのに、最後は旧居のそばに放置してしまった。
ずいぶんいろいろなことが片付いた。粗大ゴミになるものを3週間家に置いておけず、1500円くらい余分に払って引き取り手配した。
久しぶりにアナログレコードを聴いている。
携帯とPCとテレビを見ている時間がとんでもなく増えている。自分の気持ちから目をそらしたいからだろうか。
目の周りが、薄く青あざになっているようなクマができた。
そういえば、手書きの日記はしばらく書いていない。
ダンボールで切った指の傷は随分塞がってきた。
今日瞬間接着剤が手に張り付いてすごく気持ち悪かったけど、いつの間にか取れていた。
洗濯物で靴下だけ乾いていなかった。
テレビを見ると、出ている人間が大抵とんでもなく愚かに見える。
これから、自分の気持ちや状況はどうなっていくんだろうか。
無目的に無為に退屈に過ごすのも、悪くないかもしれない。
自分と向き合うのを避けるため、自分を見失っていくために仕事をしていくのも悪くないかもしれない。
今日の4文字は、んいいす。
こんな自分のことも肯定してくれているんだろうか。
今日は気分良く起き、松本人志の番組を見て珍しくリラックスした。ウォーキングまでする。昼からはある話をウェビナーで視聴。ちょっと面白く高揚。特に何が残るわけでもないが元気な一日だった。
夕方、YOASOBIの曲がYoutubeから消されたと知り、どんな曲だったかApple Musicですぐ聞いてみる。なんでもすぐ出てくる。
サブスクっぽい曲だと思った。すごく暗いことをすごく軽快に歌うのがこの曲、というか音楽全般、芸術全般によくあるいいところだと思うけど、音楽の内容、ことば、MVっていうのは全体的な曲の印象よりもそんなに大切なことなんだろうか。音楽のことも、Youtubeの削除規定とかも知らないけど。
なぜかそのあとTOKYO No.1 SOULSETの「Sunday」という1998年の曲を思い出し、検索するとバージョン違いしかない。ないものを見つけると嬉しくもある。サブスクっぽくはない曲ではある。
さらにその流れでGRAPEVINEの新譜があることを思い出し、聴いてみた。サブスクっぽくない、というか曲から受ける印象が90年代とあまり変わらない。自分はあまりリズム感もなく、耳もさほどよくなく、音をとったり曲を覚えるのも苦手なので、音楽やダンスに精神的な距離感がある。なので、地道に続けるというのはすごいし、偉いなあと素朴に思えてしまう。
反対に、ちょっと距離の近いことに関してはそうもいかず、なんでこの人は、こんなにつまらないことを…?正気か!?とばかり思う。ここ2〜3年はさらにそう思うことばかりだ。明らかに自分より経験も知識もあるはずの人が驚くようなことを言ったりやったりすると、もう世の中に面白いことなど何ひとつないのでは、と思い絶望的な気分にさえなる。あまりそういうニヒリズムに陥ってもなとも思うけど、わりとなる。
それでも今日のウェビナーが面白かったように、1000回に1回くらいはいいものに出会えるのではないかと、まだちょっと思う。自分が与えられるようになるとは到底思えないのが情けないところ。
昼寝か散歩か。今日は昼寝。城定秀夫『覗かれる人妻 シュレーディンガーの女』(70分、2018年)とホン・サンス『自由が丘で』(67分、2014年)を観る。今日観た映画はどちらもスイカを食べてた。氷を入れた水道水をぐっと飲むとおいしい気温と湿度。山下商店のキムチを食べる。おいしい。夏。食べすぎた。長らく会ってないひとばかり。
朝、会社までの道でゴールデンレトリーバーに会った。飼い主とは真逆の方向に行きたいらしい。無邪気な顔でグイグイと進む。
最近忙しい。考えても考えても考えることばかり。吹きこぼれそうな気がする。周りの景色が見えない。散歩が成り立たない。
朝の電車の中、ピシャンと音がした。女が男の頬を笑いながら叩いた。電車のドアがちょうど開いた。
帰りの電車の中、向かいの男二人がテンポよく楽しく仕事の話。
朝の犬の顔が恋しくなった。
三ヶ月に一回の歯科医院で歯の掃除、メインテナンス。13時に帰ってきて焼きそばを作った。歯医者のときいつもは弁当・惣菜を買って帰ってくるのだが、今日は焼きそばを作ってよかった。
アマゾンや丸善及びジュンク堂(リアル店舗)でも在庫がない『基礎英文問題精講3訂版』が近所の未来屋書店で面陳で売っていた。思わず買ってしまう。
ネットで見かけてカツオが食べたくなったので、生のカツオを柵で買ってくる。厚く切った刺身と、めんつゆごま油につけた漬けを作る。カツオの刺身が美味しかった。
20時から「BUCK-TICK SUNDAY LIVE STREAMING」を視聴するため、Macの前で待機。
朝方、たしかに夢を見たのに、うまく思い出せない。電車の夢だったと思う。電車で琵琶湖のあたりに着いた。ところが駅前はほとんど水浸しで歩けるところはほとんどない。どこかに行こうとしてるのだけれど、行き先に向かう道がわからず、湖を見遣りながらほとんど水に沈んだ街で堂々巡りをしている。そんな感じの夢。晴れていたことだけはたしかに覚えているけれど、どうして琵琶湖のあたりに行ったのか、なにも思い出せない。思い出すもなにもなく、そもそも設定のない夢だったのかもしれない。九時過ぎにきちんと起き上がってから、五十年くらい前の古いヤクザ映画を観た。ドキドキしながら観たが、意外とかなりよかった。それから外に出た。場所が取れたので趣味の一部を再開。趣味は公認になっているのだけれど、微々たるものとはいえ、やはり活動レヴェルを上げるとなにもかもおかしくなってしまう感じ。なんにもいらなくなってしまう。正直、もっと活動レヴェルを上げられるなら、失職してもいいと思った。でも失職したら活動できなくなる。こんなことになるなんて。それで満たされてぼんやり帰宅。でも帰りの電車は泣いていた。なんとなく刃物と他愛のないおしゃべりをしたい気持ちになる。刃物とおしゃべりって物騒だけれど。電信柱に転移するなみにありえないといえばありえない。帰宅してアボカドを食べるとアボカドが美味しすぎる。アボカドを食用にした人に感謝の念が湧いて絶えない。アボカドは世界を救っている。アボカドになりたい。雷の音が時計の針みたいだと思う。刃物に会いたい。