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用事で出かけたら、暑くも寒くもなく、けっこう人が多かった。必要なものを買い、休憩にアイスコーヒーを飲む。猛烈な勢いで何枚もの便箋に手紙を書いている人がいた。ファンレターか何かなのだろうか。たまにこういう日があるといいなと思う、おだやかな一日だった。うかれて本を3冊、久々に洋服も買う。
今日は(も)とても眠くて、ブランチを摂ったあと、16時過ぎまでごろごろしていた。薬を服む時刻を間違えてしまった。なんとか起き出して近所のスーパーまで買い物に。いつもの場所のいつもの猫さんたちが勢揃いでご飯を貰ってた。良い。
夕食は冷凍ミックスベジでオムレツ。
妻が医療従事者枠でワクチン接種して帰ってきた。少し筋肉痛がするらしい。
自分自身はいつになるかわからないけど、まぁ少しは安心。
四時過ぎに起きる。夢を見ていた。小学校の校舎の二階の教室で放課後ぶらぶらしている。玄関で自分を待っている人がいるとクラスメイトが言うからその人を教室に呼んでもらった。連れてこられたのは人には一度も言ったことがないけどすごくすごく好きな音楽家だった。そういう夢。夢っぽいなと思った。そして五月はあまり夢っぽい夢を見れないくらいに緊張していたんだなと思う。中途半端に眠れるようになってきてよかった。きのうは雨風強くて職場も壊れそうだったので同僚の勧めもあり早めに退勤した。先週の複数会議のあれこれでの立ち振る舞いに対して夜中にフォローメッセージ届く。多数派には雑草刈りや廃品処理してるやつがなに言ってるのかしらんと思われているのかもしれない。こちらはもちろん正論通るとは思っていないので七捻りくらいして言葉のナイフをひゅんひゅん投げててそのときニコニコしてるのがよくないのかもしれない。それじゃあただのサイコパスじゃないですか。どうしたらいいんだろう。やんわり頭痛残っている。きょういちばん触れて痛いのは両耳の上の付け根のところ。それでふわふわ揉んでいた。背中をさすったりしていた。仮眠を挟んで片付けを継続。いまお昼休み。朝のうちにぼちぼち家の修理とあわせて部屋の片付けできてよかった。寒いわけじゃないけどほっとしたくて、白菜と鶏の煮物を作って食べた。おいしかった。まだしばらく住むだろうこの部屋の居心地をもっとよくしたい。もっとよくなると思う。具体的には床上浸水しないようにしたい。配線から火花が散らないようにしたい。長らく不穏で休ませていたスピーカーの調子が戻ってよかった。低音ちゃんと聞こえると安心する。来週には新しいスピーカー来るけれど。アボカドおいしい。ぼんやり刃物のことを考えている。視力がよくないのとそもそも記憶力がよくないので刃物の顔を思い出せない。だからなんとなく会いたいのかもしれない。週末感強い。ドアの上の表札の名前の修正をしていなかったからそれをやる。午後は散歩しようと思う。オフって感じがする。急に暑くなってきて死にそう。
6/4
家人が宮沢賢治についての研究の本が課題図書になってる読書会に参加するので、『銀河鉄道の夜』を書棚から探してあげた。
うちには2冊あって、岩波文庫は1951年に第一刷で、1996年65刷。新潮文庫の方は(カバーの絵が加山又造)「新編」となっていて平成元年発行、平成21年(2009)54刷という膨大な刷数に改めて驚く。
2冊もあるのに私はきちんと読み通したことがなく、近いうちに読めたらなと思う。同じもの読んで話す人が近くにいるのは嬉しいから。
岩波の方は「‥‥(この間原稿五枚ナシ)‥‥」とか、「(一字空白)」という原稿の状態についての詳細が唐突に入っている。気になって新潮の方のその箇所を探すと何もない。物語の中から急に不案内ながらも時空を行き来をする(/させられる)のはあっという間のことだった。
インターネットの海に自分の日記を流したことで気づいたけど句読点をつけない癖がついてしまったなあ あとやっぱりネガティブなことを言ってしまうなあと 自分の「好き」にはちゃんとこだわりがあるし他の場所では整理して推敲して自分なりの思想を広げているけど、心の中では常にいろんなことをぐるぐる考えているからそれをぜんぶ記録できないことにもどかしさを感じる 残念なことに自分は記憶力が悪かった お風呂に入っているときなんかは顕著で こうやって日記に残そうとしても打つスピードが頭に追いつかなくなってなにかが溢れる感じがするのがかなしい 今日の講義でも自分の課題は「言語化」だと感じた
そのあと買い物に行った 仲良くなった子がついてきてくれたのが嬉しかった 好きな作家さんの詩集と新しく出た歌集などを買えた 嬉しいかばんの重み 最近はもっぱら詩集や歌集しか買わなくなってしまった 積読を消化しなければ
自分は人の好きな音楽や映画や本などを知ることが好きで、なぜかというと多分いちばん解釈の歪みなく「その人がどういう人か」という部分について触れられるからかな、と考えた 逆に言えば自分の好きな作家さんや本などをひとに教えるのはあまり好きではなくて、自分だけのものにしたいという気持ちもある(都合が良すぎる) 自分に近い人とはこういう趣味も合うことが多いけど、ここのあたりは好きの共有が難しいなと思った
よくわからない日記になった
洗い物を、2日くらい放置し、洗剤をつけたまままた2日放置し、さすがにやばいと思ってイチから洗い直した。
洗濯物も取り込みっぱなしと干しっぱなしのものが散っている。リビングのゴミだけはなんとか頑張っているが、床に本が増えている。
最近あまりにも鬱がひどい。夜更かししてもはやめに寝ても、用事に遅刻するまで寝てしまう。遅刻癖の問題と思っていたが、ちょっとおかしい。
なにもしていないのに全身がやたら疲れている。突然呼吸がしんどくなって、立ってるのがつらくなる。
カウンセリングにも通っていてこれはちょっとまずいかもしれない。
職場の仕事が少なめでよかったと思う。
あまり良い記憶がないけど、ちゃんと病院に行こう。
昨日終わらせるはずの仕事がついさっきまでかかってしまった。昨日の集中しない集中法のせいなのか。もともとのスケジューリングがおかしかったかもしれない。出来栄えもあまりよくない。
それにしても、ひとつ仕事が終わった後の疲れは、仕事がうまくいかないときの疲れよりもずいぶん安心感がある。こういう安心感を感じるとき、何か別のものごとの小さな「やり直し」をしているような気がする。うまくいかなかった大学受験、就職試験、喋れるようにならなかった外国語、最後まで読めなかった本、そういう穴を、別のことで埋めようとしているような。早くやり直しを終えて、目の前のものごとそれ自体に取り組んでみたい。
今日食べた、茹でたそら豆は心から美味しかった。明日は何かさわやかな、リフレッシュ的なことをする。
いまの会社に入って十年くらいは一生懸命だったが、その後やる気が失せた。正確に言うと、最低限のことはこなすのだが、それ以上のこと、例えば自分で「仕事を創っていく」ことをやらなくなった。
理由は二つあって、いまの社長が、部下や外部から持ち込まれる企画をすべて却下するから。まあこれは大したことないが。
もうひとつは哲学に興味を持ったこと。要するに中島義道の『人生を〈半分〉降りる』である。中島、永井均、カント、ドゥルーズなどを読み耽っていて、仕事には全く興味が持てない。
久しぶりに『エンデ全集13 自由の牢獄』を読んでいるが、非常に面白い。大人向けの上質のファンタジーといったところか。ファンタジーという一語では表せないか。わからない。晩にはサッポロクラシックを二本空けた。
ひさびさにゆっくり友達と喋った。同じときに就活を諦めたその人が、こんどの機会では内定を取った。ここならいいかなって最初からそういう感じがしてて、ほんとにあるんだなって思った。と言われて、嬉しかった。親しい人がいう言葉は信じられるな。私もそういうめぐりあわせを目指して頑張りたいと思えた。
2021.06.03 晴れ
気持ちがいい天気だ。半袖だと少し肌寒いがそれがちょうどいい。洗濯した洗濯物を干す。昨日から遠くで草刈り機の音が鳴っている。多分公園とか空き地の草を刈っているのだろう。切られたばかりの草のむわっとした匂いがいつもこの季節の空き地や公園からはしてくる。今日は燃えるゴミの日だから忘れてしまう前にごみを出しに行く。お昼ごろに彼女が父親の病院への付き添いから帰ってくる。歩いて数分の場所にあるガストへ行きお昼ご飯を食べる。コーンの沢山乗っているピザとガパオライスを食べていた。ビールとレモンサワーを頼んで飲む。天気が良かったので、この時間から飲むのは気持ちが良かった。帰宅して、家で少し休み、散歩へ出かけた。川の河口にある中州へ行った。風が少し冷たかった。帰り際、川沿いで釣りをしている友人を見つけたので、平屋から釣り竿を二本持ってきて一緒に夜まで釣りをした。彼女は網で餌をとり、針に付けてハゼをつっていた。帰りは焼き鳥屋によって少しだけ飲んでから帰った。肌寒さがちょうどいい。家についてからは歯を磨いてそのまま二人とも寝てしまった。
昼休み。きょうは出勤後、午前中、仕事が落ち着いていたので、休み休み、耳と耳まわりを強めにほぐしたりしていた。毎年六月は、雨の日に頭痛が酷くなって気持ちが塞ぐことが多い。はじまったな、という感覚。思い切り耳をひっぱったり、耳の周りの骨の境目をぐいぐい押したりすると、押してるときはけっこう痛いけれど、そのあとかなり楽になる。いま、だいぶ楽になっている。梅雨になると、子供のときに痛めた右足のくるぶしの周りも変になりやすいから、よくよく揉んでおこうと思う。本当は温泉にしっかり行きたいけれど、地理的な制約で、しばらくお預け。なのでなるべく身体を動かすようにしている。きのうは午後に銀行に両替に行ったら、両替機の隣にビニール袋の中にクシャクシャの千円札を大量に抱えて持ち込んできた人がいた。その人は警備員の人と札が五百枚を越えると云々というやりとりをしていた。よくわからかないけれど、うまくいってほしい、という気持ちになった。それから、家に帰って、夕方にかけて、いくつか電話対応をしながら、頭痛を感じながら、ごはんを炊いたり、アサリのパスタソースをごはんにかけて、ちぎった三つ葉と一緒に食べたりしていた。でも気がついたらアボカドを食べていた。一休みしてから、夜中にもオンラインで打ち合わせ。楽しかった。しばらく雨がつづくんだろうか。なるべく水を飲んで、汗をかいて、お線香をたくさん焚いて、乗り切りたい。なんとなく、ぜんぜん知らない曲を聞きたい気分になっている。仕事は、ようやく廃品処理が本格的に動き出しそうなので、心が躍っている。自宅がまた壊れそうなので、週末に対応するのを忘れない。
6/3
朝起きて前日の日記を書いている。夢を見たけれど、誰かが出て来て何か言っていて私はそれに同意したということしか思い出せない。昨日何をしたかもあまり思い出せない。ぼんやり考えるか、朝から時系列に思い出そうとするか、逆再生するか。
朝出掛けたまま美術館に寄ろうと思ったけど、溜まった家事を先に済ませたくて帰宅。妹から連絡が入って音声通話しながら洗濯物を干したり掃除したりした。家族とは喋れるのに他所とは自信ないよねって話をした。あと勉強の話。
その前に、展示の計画をまだ誰にも具体的には話してなくて(主旨は主催者に話してはあるけれど)、私以外が知らないのでこの世に無い、まだ存在してないことのような状態なわけだけど、急に誰かに打ち明けたくなって、仕事の出がけで時間がないのに家人を呼び止めて模型を見せて説明。出勤先へ車で送る車中で、寄せるテクストや設営の状態について私とは異なる意見を聞いて、急に膜が一枚とれて外に出た感じがした。
そこから家に戻って洗濯、妹と話す。
おもしろいものを見つけた うれしい
やっぱりどこか思ったように描けないところがあるかもしれない もっとのびのび絵描きたいよ 今まで描いてこなかったのは自分なのにね
苦しいときにそれをエネルギーにして絵が描けるほどわたしの人生にとって絵は大事じゃないし血肉でもないことが苦しい
躁鬱の躁の状態になると過食も爆買いも止まらなくてほんとうにダメ 気持ち悪いなと思いながらなにか食べるのやめたい
なんだかんだ言って受験期は食べてたのかもしれない メンタルが大丈夫になってきても自分がなにもできなくて無力であることは変わらなくて、それがぜんぶ自分の努力不足や能力不足であることに気づいてしまうのがこわい
ぼくの方が落ち着いたと思ったら今度は同居人が腎盂腎炎という病気になり、昨日の夜は40度まで熱が上がり、結局救急車を呼んだ。
救急車のなかというのは本当に実用的なものしかない。そこで彼女に「実用的な」質問が延々と繰り返される。適切な処置を確定するための機能的な言語が飛び交う。呼んでおいて失礼な話だとは思うけど、まるで尋問のようだと思っていたら、彼女がポロポロと泣き出す。その時ベタに手を握ることしかできなくて驚いてしまった。ぼくが「実用的な」ものに取り囲まれた人にできることは、体温という身も蓋もなく現実的なものを差し出すことだけなわけだ。
結局近くの病院に搬送されたものの、特別な処置をされるようなこともなかったので、二人でタクシーをつかまえて帰った。救急車を呼ぶ前に並べた二人分の箸がテーブルのうえで待っていてなんだかホッとした。
今日も同居人は熱が下がらない。でも昨日よりは元気だ。豆乳と鶏肉と白菜のスープを作ったらちゃんと食べられたようで一安心。夜ご飯を食べながらアニメを観た。お風呂のあと、浴槽を水で流すのはいつもは彼女なのだけど、今日はぼくがやる。外では雨がチラチラ鳴っている。
通信制の大学に4月から編入した。5月に初めて課題作品を郵送して、その添削結果が今日返ってきた。90点でS評価だ。添削のコメントもあって、読んでいて久しぶりに生なましい感情で「嬉しい」と感じた。
日記や記録をもとに制作した作品だった。iPhoneの日記メモに雑多に何でも書きこんでいて、掲示板の投稿は、いつも、そこから素材を見つけて日記をつくっている。掲示板にも投稿しない、自分だけ用の記録性に特化した日記があって、作品はそっちをもとにした。自分だけ用の記録日記を書いているときは「書く」ことをしているなという速度感なのだけど、掲示板の日記は粘土で「つくっている」感じ、1個のぶったいをこねていると感じる。ピザとか、カレー屋でパンパン叩かれるナンみたい。
返却された作品をパラパラ見てみる。作品に使った記録日記の短い断章を読んでみると、こっちのほうが投稿しているぶったい日記より面白い。自分が書いたのか?と疑うほど面白い。シャープだった。掲示板のほうも、粘土的なオブジェに「書く」速度感を吹きこんでシャープな軽さを導入しようと思った。
有給。「アメリカン・ユートピア」を観た。希望の塊のようなすごい映画だった。何よりもデイヴィッド・バーンの伸びやかな歌声が希望そのものだった。様々なつながりが提示されストレートに身体に届いた。これは身近なここで起こっていることでもある。自分に出来ることをしよう。そう思った。いま布団に入ってアイフォンでサントラを聴いてる。
猫に手を振る。川の音を聴く。サンダルがほしい。Pharakami Sanders『Dynamic Exercise』(31分、2020年)まじでいい。「それはもはや窓ではなく、ガラスによる透明なカーテンウォール(壁)なのである。」五十嵐太郎+東北大学五十嵐太郎研究室+市川紘司編著『窓から建築を考える』(彰国社、2014年)35頁。Jam City『Pillowland』(32分、2020年)最高。
YouTubeで”cafe noise”、”cafe sound”などと検索すると、その名の通りカフェの雑音を録音しただけの動画がたくさん出てくる。話し声、有線放送、エスプレッソマシンや食器の音が騒がしく混じるのみ。最初の緊急事態宣言のころから使い始めて早一年以上になった。
これで集中できるし落ち着くなんておかしいことだ。前にも、70%くらい好きな映画を流しながら作業するといいみたいなことを書いたけれど、あれより集中度高めを保てる。けど”cafe noise”も、結局目の前のことを直視しすぎたくない、集中しすぎたくないからかもしれない。もともと海外の飲食店へのノスタルジーがあったり、騒がしいカフェのがちゃつきが好きなのもある。もはや海外じゃなくて地元のスターバックスでもドトールでもどこでもいい、けどファミレスは近所の店舗が老朽化しすぎていて悪い意味ですさんだ気分になったので、一回しか行かなかった。
ともあれ”cafe noise”はちょうどよく、スターバックスでも無意識のうちにイヤホンをつけて再生していたことがあってびっくりした。カフェよりも”cafe noise”の方が好きなのかもしれない。
フランツ・カフカは1883年7月3日に生まれて、1924年6月3日に亡くなった。大学の時の環境がやたらカフカに近かった。自分が好むと好まざると、ある作家を避けて通れない、(というより、包囲されているような感じだった)なんて、後にも先にもないんじゃないかと思う。
カフカみたいな人がもっとも遠いと思う。
いま、遅い昼休み。年長のどうしようもない人たちに対する憤りみたいなものが生まれたときのやり過ごし方がうまくわからない。きのうはそういうあれこれが交錯して、ひたすら踊るしかなかった。午前の会議でも同様のことが生じて、とはいえ、はたから見ても、自分は淡々と処理しているように見えるらしく、拘泥しないでドライにやりすごしている、とあとからわざわざ同僚がメッセージをくれた。感情で動かない人、という評価をえている気はする。感情はあるのだけれど。とまれ冷静に場を見極めてそう言ってくれるのだから、上司と同僚には恵まれていると思う。上司は立て込んでくると食事のことを「めし」と呼ぶ。彼が「(会議が)十一時からになればめしが食える」とか「二時からは空いてるけどめし食わないといけないからな…」とか発言するそのたびごとにぐっとくる。わたしは小学五年生の頃の一時期、ごはんが好きすぎて、正確な経緯は思い出せないが、自分のことを「めし」と呼んでいて、みんなにも「めし」と呼んでもらっていて、書くときは「冥糸」という漢字を当てていた。完全に黒歴史だが、いまも思い入れのある言葉である。それで、先月、職場の近くのツツジがいっぱい生えているところで、枯れかけのツツジたちを、「めしべちゃん…」と言いながら摘んでいるおじいさん、一言でいえば不審者がいて、なんとなく名前を「めしべちゃん」にしたことを思い出して、いまは気持ちが落ち着いている。この世界は狂っている。それくらいでちょうどいい。