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福尾匠の個人サイト
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六月を半分生きた。すごいなと思う。生きてるだけですごい。梅雨になって雨になると不意に胸がきゅうとしめつけられるように痛くなるときがある。じっさいしめつけられているんだと思う。それで涙止まらなくなる。なにが哀しいというわけでもないのに哀しい気持ちで身体が貫かれていっぱいになる。自分じゃないみたい。せつないというかさみしいというか希望がなにもない感じ。ぐしゃぐしゃになった部屋の片隅、傾いた本棚、散乱する書類、すごく古い壁板、目の前の世界が怖くなってくる。ちょっとだけゲシュタルト崩壊に似ている。若いときは怖いままだったけれど最近は綺麗だなと思うようになった。一年くらい前からそう。怖いくらい綺麗ということなのかな。人生は短いと言い聞かせてなにもかも合理的に進める人に切り捨てられてゆくモノ・コト・人たち。正論通じないのでひたすらはかる日々だけれど結構悔しさ募ってきている。それが頭痛の原因なのは知っている。仕事の忙しさの波が烈しい。きょうは凪。ただ早ければ金曜日に大量の手作業発生する。ふつうに安全でない感じがする。しばらく会っていない同僚ばかり。一人はデュアルスクリーンの片方にいつも魔除けの画像を表示している。わたしもデスク周りに魔除けをいっぱい貼ろうと思い、「結界」「張り方」で検索すると予想よりはとんでもは出てこなかった代わりに引っかかったのが微妙なページすぎてブラウザごとそっ閉じ。そういうこともある。おとついの早朝はぼろぼろの状態だった一局面をYouTubeの自動再生ですごく好みの曲に出会って乗り切った。そんなときがあった。そのときラッキーと思った。世の中やはり砂金盗り精神でいく方がいいのかもしれない。きょうもお酒を飲みたい気持ちがない。外では飲むけど家ではまったく飲まない人の逆で、自分はここ数年は飲み友が断酒したりいなくなったりした影響もあり外でも家でも一人で飲むことが多いので、家で飲みたい気持ち起こらないのはおよそ三年ぶりなのでは。昨日は十一時寝で今朝は二時半起きで仮眠なし。音楽にあわせてゆらゆら踊ってる時間は睡眠なのかもしれない。八百屋で買ったアボカドおいしい。お線香を焚いている。
6/15
大きな文具店へ。小さめの白いクロッキー帳、大きな罫線の入った付箋、無地の白い付箋、青い付箋、出金伝票と宛名印字用のプリンタラベルを買った。
朝、妹と音声通話をしながら家事。その後文具店へ。
午後も妹と音声通話をしながら宛名シール貼りや、補修パテを塗ってあったカ所の仕上げ削りをするなどの単純作業をして過ごす。
こんな喋り通すことも珍しい。昔の家族の事件などを振り返って自信を取り戻すなど。
二の足を踏んでいた重たいと感じている仕事を引き受けることにした。
夕食後、梅酒を飲んだだけで眠気に襲われて早く寝た。体調はあまりよくない。うつらうつら夢をたくさん見たのにまた覚えていない。夢の中でもたくさん喋ってたような感じだけ残ってる。
相変わらず6時に目が覚めて10時に行動開始の日々。やめたい。皮膚科で初めてかかった先生にめちゃめちゃ商品の勧誘される。もうずっと使っているものだったのでテキトーに返事してしまった。ごめんな。そしてこんなことでもきっと人は悲しみ、怒り、トラウマになり、人を憎むようになるんだろうな。自分の気持ちを自分の力で全部処理できたらいいのに。いつまでも子供みたいにすぐ嫌な顔してしまう。いろんな締め切りがひと段落して、物思いにふけっている。自分を否定したところで自分の存在価値も、何もかも変わらないし、そんな不毛なことに今までどれだけのエネルギーを使ってきたんだろうなあとか。自己卑下に使う時間を自己投資に使えたらよいですよねえ。わかっちゃいるんです。
帰り道の一号線。でっかい入道雲が空のあちこちに浮かんでいて、夏ーー!!といい気分だった昨日の夕方とは一変して、今日は灰色の雲が重く地上に降りてくるような空模様。閉園している遊園地の止まったままの観覧車の灯りがついていた。
帰宅してベランダの洗濯物を取り込んで、缶ビールを飲みながら畳む。ポルトガルの白ワインをあけてカマンベールチーズとトマトソースのスパゲティで簡単な夕食。録画していた竹野内豊のドラマを観る。最終回。遅出の妻は帰るなりケーキを2個食べていた。ソファーの上で横になっている猫は黒目がちでやけに可愛い。風呂上がりにモーツァルトのピアノ協奏曲15番を聴く。ゼルキンのピアノとロンドン交響楽団の演奏。指揮アバド。指揮者によって楽団の演奏がまったく変わるというけれど、分かるほど演奏を聴いていない。いつかコンサートで生音を聴いてみたい。
時間と気力を傾けていた「締め切り」をすっ飛ばして、すべてリセットしたらとてもすっきりした。
家に帰ってから久しぶりに美少女ゲームをやる。隠しルートをプレイするために、美少女ゲーム然とした日常パートを読み飛ばしつつ、キャラクターの関係性や回想シーンの雰囲気だけは掴んでいく。ここで単に読み飛ばしてしまうと、隠しルートのストーリーの含意がわからなくなってしまう。
途中でゲームを進めるのも飽きて知り合いとラインのやり取りをする。機材のことや録音のことなど諸々の話。その間もゲームのBGMだけがかかっている。この感じも懐かしい。
夜ご飯を食べる。昨日作った麻婆豆腐の残り。最近同居人は仕事が忙しくて帰りが遅い。一人でご飯というのは自由で楽しい時もあるけど、いまはそうでもない。
風呂から出てると「今から帰る」という連絡がきていた。これだと帰ってきてぼくが寝るまで1時間も顔を合わせないかもしれない。寂しいというより、彼女がいない状態でこの時間を過ごす仕方を忘れてしまった。それはいいことなのか悪いことなのかはわからないけど、とにかくソファに寝転んでぼやんとしている。
赤井さしみ『たそがれにまにあえば 赤井さしみ作品集』(HARTA COMIX、KADOKAWA、2021年)とゆざきさかおみ『作りたい女と食べたい女 1』(it COMICS、KADOKAWA、2021年)と切畑水葉『阪急タイムマシン』(BRIDGE COMICS、KADOKAWA、2021年)を読む。どれもおもしろかった。植田実もレム・コールハースも抜き書きするとなんてことのない文章なのに文章の連なりのなかにあると異様にかっこいいものが多い。もちろん抜き書きしてなおかっこよさを失わない文章も多い。Slayyyter『Troubled Paradise』(36分、2021年)とNEI『NEYOND』(25分、2020年)を聴く。坂元裕二脚本『大豆田とわ子と三人の元夫』第10話(カンテレ、2021年)を観る。
きのうの夜は八時過ぎに寝たらゼロ時半にすっきり起床。あいまに踊りつつ七時過ぎに仮眠したけれどこれがお酒を飲まなかったせいなのか季節性のものなのかそれ以外のせいなのかわからない。午後は得意でない分野の仕事で助けられてばかり一日だった。時間歪んでるのは土日月火と連続で心の奥底でおなじテーマを反芻しつづけているのでただそれだけのせいなのかもしれない。雑念は消えない。明日は香を焚きしめる。火照ってて体温調節むずかしい。帰りの電車に傘を忘れた。きょうもお酒飲みたい気持ちゼロなので様子を見つつ寝る。アボカドおいしい。It’s party stuff!
お昼から配信準備の続き、OBS Studioの音声フィルタリングに難儀していてマイクの音が途切れる原因がわからない。脱毛サロンの予約時間が近づいてきたので切り上げ、自転車で向かった。レーンを走り、沿道から飛び出す紫陽花に道を譲ると歓びをかんじた。いつもは折れた傘や枝、氷塊、潰れた空き缶などが落ちていて危ない。落下物とアスファルトのコントラストは都心に近づくほど増していく気がする。このまえの秋葉原では手打ちっぽいうどんが落ちていて、真っ白な麺の描く幾何学模様に目を奪われた。
すこし汗ばんで到着すると担当のSさんがにこやかに迎えてくれた。彼女は痛みを制御するプロなので安心して施術台に仰向けになる。人肌温度の水あめワックスを手際よく毛流れに塗りつけて一気に剥がすと、すぐに指の腹をあてがい痛みの残響を鎮めてくれた。これは音声フィルタでいうところのコンプレッサー効果である。無駄な痛み(ノイズ)を拾わず、トーク(指向性)に集中させる。シートを剝がすベクトルとスピードの加減は、ノイズゲートの閾値を1㏈ずつ探りながら調整するに等しい。痛みをその痛み以上に振幅させず、ただクリアに響かせる領域を短時間で見抜くのは手練の技だと思う。マッチングアプリなどにいる自称サディストの人は見習ってほしい。かれらはたんにノイジーで、おのれの声がハウっていることにも気づかない。痛いの痛いの飛んでけ、と静かにおまじないをかけて本当に飛ばすほうがずっと「マスター」だ。
帰り道はなるべく施術箇所がサドルに当たらないよう立ちこぎをしてみたりした。なぜだかおしっこに向かう猫を連続して見かけた夜で、そういう地帯なのだろうかと思った。猫たちは確かな足取りで草むらに向かうけど、砂地に入ってもすぐには排尿の姿勢をとらず、からだが保護色に包まれるのをいったん待つようにして留まる。苦痛をやわらげるためか、自らゴロゴロ音を鳴らす振動子となって、じっとして傷を癒す。痛みとのコミットメント=甘受とはどういうことなのか、猫たちを見るたびに考え始めてしまう。
最近知ることについて興味がある 去年までより心に余裕があるからこのように思えるのだと思うけど…あとやっぱり去年までの環境がよくなかったのだろうし、今おもに学んでいることと直接的に関わってくることではないから逆に自分から学びたいと思えるのかも
だんだん心に余裕がなくなってきそうなので今のうちに(?)いろんなことを吸収したい 購入を迷っていた本を見に本屋へ行こうかな
地方の自称進にいて勉強も中途半端にやさせられてきたせいで大して勉強もできないくせに変なプライドだけ育ってきてしまった モチーフとかテーマに関しても自分のなかにある程度これ、というものはあるけど 凝り固まっているとも言える ストックが尽きて行き詰まってしまったらどうなるのかがわからなくてこわい そのうち経験することになりそう 失敗しないままそれなりにうまくやっていけてしまったとき、それがいいことなのかがわからない
お昼、喫茶店で作業していたら白いシャツのお腹に虫が動いていた。蜂だった。窄まった細身。たぶんトックリバチだ。びっくりして店を飛びだしWCへ駆けこんだ。……いや、焦ったのだけど、急に動いて蜂が驚いて刺してきたら困るので、ゆっくりゆっくり腰を上げてそーっと扉を開けて外に出た。そしたら日差しが白シャツをサッと照らしたときにはもう蜂はどこかへ消えてて、服の中に入ってるかもしれないから不安で、トイレでちゃんと確認することにした。
午後は市役所へ用事があって電車に乗った。
2021.06.14 晴れ
夕方、打ち合わせ中に花火が打ちあがった。街中では毎年夏祭りがある。この場所で花火の音を聞いたことは過去にも何度かある。今日の花火の音は明らかにいつもより大きい。打合せを中断して道路へ出た。音のなっているほうを見ると、かなり近い場所で花火が上がっている。平日のなんでもない日に花火が上がっているのは初めて見た。普段打ち上げの場所に使われる中州の方へ行った。道には花火の音を聞いて外へ出てきた人たちが何人かいて、みんな音のなるほうへと歩いていた。川の反対側から見ているといつもより近い場所で打ち上げているのわが分かる。マンションにはベランダで見ている人影がある。あそこから見れたら気持ちいいだろうなと思った。花火が終わると拍手とともにみんなその場から解散していった。どこかの会社の周年記念で打ち上げられた花火らしい。今年は祭りが開催されないからこれが最初で最後の花火かもしれない。そのまま打合せ場所へ戻り話し合いを進めた。
バイト先にいる30代の男性は週3日の一日6時間のアルバイトでそれ以外の時間はゲームか映画鑑賞に費やしている。お金は家が裕福らしく、工面してもらっているそうだ。僕は僕が知らない彼の人生をすっ飛ばして心底羨ましいと思った。これはなんて浅はかな羨望だろうかと1分も経たぬ内に自己軽蔑の観念がやってきた。
今日店長と2人でラストまでの勤務だったが、店長は自分の人生に疲れ果てているようだった。
「ずっと毎日が同じことの繰り返しだ。」
と自嘲的な笑みを浮かべては見慣れた紙類しかないゴミ袋を縛っていた。僕はその様子を見て人間の生を支えているものとは一体なんだろうかと考えていた。
本日休刊日のため朝から本が読めて幸せ。それなら新聞読まなければいいじゃないかという話だが、新聞読むのも仕事の一部なので。
昨日に引き続き『百年の孤独』をひたすら読む。朝も昼休みも帰りの電車のなかも。
明日は県民の日で子どもが全員休み。妻が仕事に行くので、私が代わりに有休を取る。
梅雨入りしたということなので、これから雨の日が続くだろう。
グミ、買っておいたこと、歯磨き済ませたタイミングでおもいだすなんて。
6/14
小さい頃から小さくて痩せていて、痩せているから体が軽かった。
風呂の脱衣所の洗面所の上の棚にカゴを並べていて、取り出すのが億劫でついつい色々な物を入れて忘れてしまう。使わないクリーナー系のボトルがたまっていたから不要なものを捨てたくて、でも中身の廃棄に困ってしまい、今日は風呂と洗面所の排水溝にパイプクリーナー1回分づつ消費するくらいしか出来なかった。カゴを戻すのに椅子に乗った時、バランスを崩して無防備な体制で臀部から落ちた。凄く大きな音と痛み。自分の体の重さをリアルに感じたのは久しぶりだった。こんなに重かったんだ。少し目が覚めるような、我に返るような出来事だった。(アザになるだろう程度のことです。)
歯の検診に5年振りくらいに近所の歯科医へ。お久しぶりの先生の背中が曲がっていて老けていた。お互いにお疲れ様ですという心持ちになった。そこの歯医者は一度行くとなかなか治療が終わらず、少しづつ少しづつ長期にわたって通わされるのが嫌で足が遠のいてしまっていた。でも今回は通うのそんなに嫌でない気がしてる。体のこと丁寧に診てもらえるのが嫌じゃないタイミングなのかもしれない。
数十年前に貰ったけれど、ずっと気に入ってなかった大きくて多機能の体重計を捨て、小さくてシンプルなものを注文した。
ねむい。前髪が邪魔。Skyzoo『All the Brilliant Things』(55分、2021年)を聴く。レム・コールハース『S, M, L, XL+ 現代都市をめぐるエッセイ』(太田佳代子・渡辺佐智江訳、ちくま学芸文庫、筑摩書房、2015年)とスーザン・ソンタグ『反解釈』(高橋康也ほか訳、ちくま学芸文庫、筑摩書房、1996年)はどことなく佇まいが似ているような気がする。レム・コールハースは冗談みたいな文章がたくさん出てきて楽しい。日中ねむくてねむるべき時間には眠気が落ち着くよくないサイクルにおちいってる。ある程度あわてて撮ったほうがいい気がしてきた。NEI『NEYOND』(25分、2020年)を聴く。
前触れもなく急にお酒飲みたい気持ち失われた。自分も季節の変化と同期してる生き物なのかな。これを機に夢見よくなるかもしれないし様子を見ていこうと。今朝はひさしぶりに中学のときの校舎と高校のときの校舎がくっついたような林の中の木造建築の二階の渡り廊下で窓の外を見ている夢を見た。いつもあの建物が夢に出てくると終電を逃して翌朝始発に乗るパターンになだれこむけど今回は夢の中で朝になる前に目が覚めた。酒量減ったら睡眠減るか減らないかはいまのところ読めなくて心配。減らなくていいから集中力もっとあげたい。八月は穏やかに過ごせるという予測当たるかな。当てにいきたい。どこも寒暖差不安定になりつつあるので手持ち無沙汰なときの左手首ケアと最適化の際の左中左薬のなまけ管理をする。朝の打ち合わせでは上長がどんな武器でも捧げます発言のち偶然装って突発会議を発生させる案がショートコントの台本みたいに仕上がりフィクションすぎてアンインストール。ところでオンラインでしか会ったことがないという表現はしっくりこない。会ったうちにカウントできないまま。子供のころから人の顔をちゃんと覚えられないことを何気に最近かなり悩んでいる。それなりに会えば思い出せるときが多いけど思い出せないときもおなじくらい多い。関連するもうひとつの悩みはテレビとかであってさえも画面の中で動いてる人を生身の人の姿として視認できないこと。そのせいなのか子供のころから好きな芸能人がいない。あとアニメや漫画のキャラにのめりこむこともない。妹もおなじらしい。何年か前に言っていた。ただ妹はテレビゲームはできていた。自分はゲームもうまくできなかった。いろいろ闇を感じる。そのようなわけで一部のオンライン化にぜんぜん適応できていないという話。梅雨入りショッキング。
昨日はほとんど寝ていて日記を書かなかったが、今日はさすがに目が覚めた。
色々な人と話をしていると他人のしゃべり癖が憑依して、その次にしゃべる人とはいつもと違うしゃべり方で話してしまうことがある。テンポや声色まで変わって、いつもよりたくさん言葉が出てきたり、逆にゆっくりになったりもする。歌とか外国語とか、そういう耳や舌を駆使する技巧的なものになるとうまくできなくなるのだけれど。
書き文字も同じで、いいなあと思う文字の形をまねるのが、自分は結構得意なほうだと思う。この間写経してまねてみようとした文体はうまくいかなかったが、ネットでよく見る「村上春樹文体」みたいに、ずっと読んでいたら表面的なまねっぽいことはいずれできるようになるんだろう。大学生のころ一時期町田康にはまって、中途半端に町田康みたいなメールやブログを書いたりしていた気がする。
生身の人間にふれると、こういったいろんな癖みたいなものが五感にガツンとくる。久々にそういう刺激を受けて先週はとても疲れた。モチベーションにつながる、みたいな比喩的な意味での刺激ではなくて、本来の意味での刺激。かくいう自分のしゃべり方、書き文字は相当に癖があるらしい。
事故防止のためにコンセントに嵌めている小さなキャップを1歳8か月の子どもが取りたがる。「取りたい……、取りたい……」と泣きながら訴え続けられて収拾がつかない。自力では外せないので一緒に外すことにして、その代わり「穴には触らない」「穴は危ない」「びりびりする」「僕もびりびりってなったことがある」と真剣に伝えた。大事な話だと認識してくれたようで、風呂から上がってきた妻に「そうると(触ると)、びりびり、トトも(パパも)」と言い、情報を共有していた。感電したことがあるのは本当で、高校生か大学生のころ、延長コードに差してあったプラグを片手で引き抜こうとして、中途半端にしか抜けず苦戦しているうちに金属部分を握ってしまった。二の腕のあたりまで電気が走り、右腕全体が筋肉痛みたいになった。
昨日は物凄い倦怠感で、ほんとに半日寝ていた。スマホの気圧計アプリの表示で1004hPaあたりが一番辛い。
そう言えば、大学の必修科目の体育(ってよその大学にはあったのかな)の時間に、いわゆるグルグルバットで派手に倒れて、教官から「三半規管が子供」と言われたのを思い出した。この歳になっても変に敏感なのかも知れない。
因みに、受講していた50人(くらいだったかな)の中でぶっ倒れたのは僕だけだった。まぁ、体育関係で恥ずかしい思いをするのは子供の頃からずっとのことなので慣れっこではあったが、入学直後でまだ誰とも親しくない状況で目立ってしまったのはちと悔しかったかな。
そんな訳で、少し遅めに買い物に行き、いつもの猫さんの様子を窺っていたら、前を歩いていた全身黒ずくめの(僕もそうだ)長身の女性が足を止めてスマホを取り出して、寝そべっている猫さんを撮影している。
少し離れて後ろから見ていてら、撮影を終えたところでこちらに気付いて、軽く会釈をして歩き出した。
僕も猫さんに睨まれながら(この猫さんはいつも睨む)何枚か撮影。
晩御飯は麻婆豆腐と餃子。
少し余っていたじゃがいもでポテトサラダも作った。
ただいま5:33AM。
ガビチョウが鳴き始めた。