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福尾匠の個人サイト
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6/23
たぶん4年くらいの付き合いになる人に1年ぶりに会うために仕事を休んでホテルに行くと平日のお昼だけど若者がちらほらいていい感じだった。
少し雨が降ってた。その人も「雨に降られちゃった」と言っていた。
ずっとテレビをつけている。(「世界ふれあい町歩き」パリ編)
前にここに来たときも雨が降ってたのを私は覚えていて、そのときはモンゴルに住む兄妹のドキュメンタリーをやっていたと思う。
今日はもうやることがないような気持ちになった。少し時間が経って夕方近くになるとビルに夕日があたっているのが見えた。
8時半に起きて友達と9時から電話。お互い30歳無職。傷を舐め合って空元気を出して2時間話す。とりとめのないことを。
12時まで腹筋をする。両親が仕事から帰る。自営業67歳と65歳。
お昼ご飯を3人で食べる。
食べたら部屋で横になる。これと言ってすることもないのは3人一緒で大した話題もなくそれぞれの部屋で過ごす。外出自粛。自粛する必要がなくても私たちはどこも行く宛てもない。
母の夕飯の買い出しに付き添う。デパ地下をぶらぶらして欲しいものがあれば何でも買う、何が食べたいかと執拗に聞かれる。親子の関係は10年経っても変わらない。
帰り掛けにクリーニング屋による。連れ立って店に入ると店番のおばちゃんが「娘さん?」と訝しんで聞く。母が同意するがそれ以上は聞かない。マスクをしていても若くはないとわかるだろう。大量に預けていた私のクリーニングを母と2人で家に運び入れる。
夕飯を食べる。食べ終わるとランニングに出る。
帰り掛けに子供のころよく来た神社でお参りする。
仕事も恋人も捨てて地元に帰ってきた。
すっからかんの30歳だ。地元にいた友達はもう2、3年前に順番にこの町を出て嫁いでいき、慣れない地で母になっているそうだ。また残っている友達は安定した仕事について専門分野を高めている。
好きな仕事ではなかったから辞めた。結婚できないから彼氏も捨てた。10年前と何も変わっていない私だけが残った。何者にもなれなかったなあと思う。
快晴。午前中、電車で移動。車窓から入道雲を見ながらヘッドホンでフガジを聴いた。ビル街にある大きな公園の半分をフェンスで囲って工事している。昔よく友人たちと一服していた公園だ。たぶん高層マンションが建つのだろう。敷地にある何本もの大木たちも根こそぎ切られるのだろう。残り半分の公園の木陰では保育園の子供たちが砂遊びをしていた。
夜、帰宅して白ワインと缶ビールを飲んだらねむたくなって本の続きを読めずにCDをかける。バックハウスのカーネギーホールのライブ盤。音質がわるくてはじめはあんまりだったけど、ベートーヴェンのピアノソナタ32番の第二楽章がすばらしくてDISC2を繰り返し聴いている。アンコールの一曲目がシューベルトの即興曲なのもいい。この音だからいいのかもと思いはじめている。冷たい水を飲んでねる。
6/22
黒い靴を探したのだけどどうしても見つからない。いい歳して黒い靴が家にひとつもないなんて。
手紙用の引き出しの中で、昔買った施設で作られているという点字の封筒を見つけた。点字の凹凸に無理のない分厚く上質な紙で出来ている。これは一種の古紙利用で、元は地域の行政の広報誌の内容を視覚障害者の為に点字にしたものだという。真っ白で本当に美しい。何度か使おうとしたのだけど、そこに書かれている内容を知らぬまま、ただ白くて美しいというだけで送っていいものかという気持ちがよぎってやめてしまうが何度か。今日も。
Twitterで目が見えない状態は真っ暗闇とは限らず、白い人もいるという投稿を読んだことがある。
就寝後夜中に、凄く大きな音が「パンパン!」と鳴って飛び起きた。隣では家人がぐっすり眠っていて、夢だったのかもしれない。
パジャマみたいな服で出かけたが、たいして誰にも会わなかったので問題なかった。まわりを見ていても、そんな人ばかりに見える。霞ヶ関とか、あるいは表参道とかにいくと気持ちが引き締まるのだろうか。
最近写経をしている本の著者1と著者2について、著者1はものすごく淡々としつつも激しく美しい文を書く人で、著者2はものすごく明解なことを書くが、裏切りがなさすぎる人だと思っていた。
なんとなく著者2を検索していると、20年くらい前にネット記事で著者1が、2のある文章について舌鋒鋭く批判しているのを見た。ひとつの文章だけに対する批判なので、べつに敵対しているわけではないと思う(ふたりの関係性などはよく知らない)が、ここでの論点は確かに、ふたりの普段の書きっぷりのちがいを象徴的にあらわしているなと参考になった。
そしてそれよりも、別々の「写経対象」が変なところで邂逅しているのをおもしろく思った。同じ漫画雑誌に連載されている漫画が、巻頭カラーの見開きとかで一緒に描かれているようなのと同じかんじだ。ルフィと両津勘吉が会話している、みたいな。どちらもあまり読んだことないけど。
・・・
「半分外」というのは店名ではなく、屋内と屋外の間みたいな席のある店ことでした。ずっとそういう喫茶店に行きたくて日記に書くばかりしていたのですが、やっと一昨日行けました。ほんとうの店の名前は忘れてしまいましたが…。
柴田聡子『愛の休日』(47分、2017年)と大和那南『Before Sunrise』(31分、2021年)を聴く。暑い。ねむたい。サンダルほしい。洗いものはいつか終わる。大石まさる『うみそらかぜに花』(少年画報社コミックス、2021年)を読む。アイスを食べる。阿部和重『シンセミア』(講談社文庫、2013年)を読み始める。MIKE『Disco!』(43分、2021年)を聴く。
6/21
夏至だった。女の子に会う。テレビでニュースがやってて、明日からは日の出が1分ずつ遅くなると言ってた。女の子がテレビを消した。僕は毎日野球ばかり見ている。バカみたいだ..。
「半分外」ってカフェの名前なのだろうか
音楽を聴いて歩く..
6/21
昨日は私に仕事の引き継ぎの相談のメールを下さっていたHさんの訃報が突然届いて動揺した。状況は悪そうだと思ってたけれど、そんなに早くとは思ってなくて、最後のメールのやりとりから4日後に亡くなられたと聞いて、悲しさが増した。
私の仲の良い友人たちは彼女のことをそれほど知らないし、他にも病気の子が居るのでこの話はしない。
そもそもここに書くのはどうなのか?違うように書けないか?
子供の頃からずっと、人々が疑いもせずに纏って引き摺り回している背景のようなものがそれぞれだいぶ異なることによく疲弊した。違う場面で会っている、AさんとBさんが一緒の空間にいるところは、時空が歪むほどあり得ない感じがするのは何故だろう?
1人で作品をつくっている分にはどんな奇妙なことが起きようと大丈夫。他所の人と何もかも違うのに大丈夫なくらいにならないと外に出られないじゃない。本当は美術にはそういう能力があるだろうに。
夏至。きれいな夕焼け。帰宅途中のひと時みんな空を見上げていた。週末に図書館で借りたマルタ・アルゲリッチの伝記を面白く読んでいる。風呂上がりにパピコを食べる。カーステレオで聴くこの夏のプレイリストを考える。
6/20 念願の「半分外」でアイスコーヒーを飲んだ。モヒートを飲みたい陽気だったけど、駅まで自転車できていたし、そもそもどこもアルコールをやっていない。近くにいたおじさんが「明日からついに解禁だ」とうれしそうに話していた。天気もよく、開け放ったつくりの建物も快適、コーヒーもおいしく、適度に話をしている人と本を読んでいる人が半々で、普段来ない場所だけどすばらしいところだった。本を読みながらつい居眠りした。
6/21 昼間はぼんやりしていて、夕方ごろに覚醒した。気になる本の写経もあいかわらず続けている。思ったよりも早く手が痛くなってきて、集中が途切れる。
ネットの記事はWikipediaのように文中の単語がハイパーリンクになっていて、関連するページへ移動してまた別のページを読めるようになっているものが多いから、あれに似たようなことを読書中にやるくせがついてしまった。つまり、本を読みながら内容に関連する別のことを思い出して、近くにある別の本やウェブを開いて、気になったことを調べ始めてしまうような。写経していると、なぜか一旦そういうことをおいておいて文章だけに向き合うことがしやすくなる気はする。それはちょっといいなと思う。
Skyzoo『All the Brilliant Things』(55分、2021年)とWesley Joseph『ULTRAMARINE』(26分、2021年)を聴く。ひさしぶりにからあげ弁当を食べた。おいしい。振り返ったら腰を痛めた。暑い。阿部和重『ブラック・チェンバー・ミュージック』(毎日新聞出版、2021年)を読み終わる。阿部和重は漢字の開き方が独特な気がする。「ニッポニアニッポン」と『ブラック・チェンバー・ミュージック』は読んだ。『アメリカの夜』『シンセミア』『ピストルズ』『オーガ〈ニ〉ズム』も読みたい。
3ヶ月にいちど来る「寄席禁断症状」が出たので浅草の番組表を調べたら、いっとう好きな噺家の春風亭一之輔さんがトリで上がっていたので行くことにした。一之輔さんの師匠の一朝師も上がるので、親子会の趣きもあって眼福だ。19時からの夜割で入ったらちょうどいいディスタンスの客席だった。十年前、新宿三丁目で吸い込まれるように列に加わり、初めて目撃した深夜寄席の、最後に登場したのも当時二ツ目の一之輔さんだった。『明烏』をかけていて、ステレオみたいに上下で切り替わる声、話者の頬に映る先方の影、吉原大門から振り返ったときの見返り柳、布団越しにじっとり覗かせる目、といった切り返しの「ショット」が、入り混じる時間軸の操作とともに、一枚の座布団の上の体に立ちあらわれていることにただ驚いてしまって、それから通うようになった。四年ほど前の一之輔さんは、視点の操作感がGoogle Earthばりのダイナミズムで仕上がっていたけど、今日はもう切り返しというより話者のなかから別の話者が現れるような、モーフィング状態に進化していた。冒頭に「でぃっっ!」と付けないとしゃべり始めることができない、すこし吃音のくせのある熊五郎を演じていた『あくび指南』が最高だった。
いつものように寄席の後は浅草寺で参拝して、おみくじをひいた。消毒用のアルコールスプレーがいくつも置いてあった。筒を持って振り、スティックの番号「三」を確認、引き出しを開けたところで一回手を消毒する。右の手でおみくじを一枚とりだす。引き出しのつまみを閉めたところでまた指を消毒する。コロナ禍の前からこういう手順だった。いつも自前のアルコールジェルを持ち歩いて、ただ界面と界面の接触によって菌が移行するという事実を気にするか気にしないかという次元で遂行していた。神社の手水舎にある柄杓がいちばんきったねえよなとずっと思っていたので、初詣のとき全撤去されたと知って心が晴れ晴れした。ウイルスが観念を圧制した瞬間。そんな邪念のせいか所作は逐一脱臼されてしまって、大吉連続記録は凶で破られた。みくじ掛けに結んで、参道を横切り自転車で帰途についた。
朝、ゴミ出しに出てグラノーラを食べる。ふと思いたって、丸めて久しいヨガマットを展げる。ブルワーカーX5を取り出して軽い筋トレといい加減なストレッチ少々。どのみち午前中は爆睡してて、午後遅くに買い物、が定常状態になりかけているので、何かしないよりはマシ、みたいなアクション。
取り敢えず満足して二度寝したら、割と早めに目が覚めてしまったので、見損ねていたライブのストリーミングを視聴。些少ながら「お気持ち」を進呈。
午後は少し楽器の練習をしてから買い物。いつもの猫さんたち、今日は大勢さんのお出まし。各々伸びたり丸まったり。気候が良くなる(猫的に)とあちこちに出現する。
猫の居る風景はやはり良い。
阿部和重『ブラック・チェンバー・ミュージック』(毎日新聞出版、2021年)を読み始める。めちゃくちゃおもしろい。中盤の展開にお腹が痛くなる。思いがけない遭遇に頭がうまく機能しなかった。とんかつ食べた。おいしい。ジュンク堂に阿部和重『シンセミア』(講談社文庫、2013 年)を買いに行ったら売ってなかった。てっきり売ってるものだと思い込んでいた。目が痛い。きょうもメガネを買いに行けず。よくわからない食べ合わせの食事をした。年内に写真ZINEを出したい。積読中の阿部和重『アメリカの夜』(講談社文庫、2001年)も読みたい。阿部和重を読んでたらトマス・ピンチョンも読んだほうがいい気がしてきた。Skyzoo『All the Brilliant Things』(55分、2021年)とWealstarr『Gratidaoh』(19分、2021年)とWesley Joseph『ULTRAMARINE』(26分、2021年)を聴く。
息子が漢検を受けるので車でN田のビジネスホテルまで送っていく。時間を潰すのに本屋と靴屋を見てから、ホテルのロビーのソファへ。『百年の孤独』を読む。帰ってからビール。
晩飯は鯖の味噌煮、マグロの刺身、玉ねぎと厚揚げの味噌汁、ゴルゴンゾーラのペンネ。ちょっとメチャクチャな献立かも。
ゴルゴンゾーラのパスタは昔よくカフェで食べていたのを思い出し、初めて作ってみた。渋谷のマディカフェで食べたな。
アメリカン・クラーヴェの「anthology」というアルバムのピアソラを聞きながら。
6/20
昨日の日記の日付を1ヶ月間違って書いてしまった。
今日は書道の公募展を見に行った。詳しい訳ではないので文字が読めず意味もわからないけれど、文字ではないみたいに見えるし、筆の運びを追っているだけでも面白い。これが読めて事情通の人達には違うように見えるのだろうと考えることも面白かった。ある作品の前で中年と若年の男性がその内容について話し込んでいて、聴き耳を立ててみたけれど、よく聞こえなかった。
晩御飯のドリアのホワイトソースを作るのに、玉ねぎスライスをバターで炒めていて焦がしてしまって、最近出したことないような声を上げて諦めた。器に移して明日、香ばしくても良いような料理に使うことにし、もう一度始めからやり直した。
ここでは久しぶりの日記。
いつ以来だったか調べようと思ったらうまく検索できなかったので考えるのをやめた。
先週は仕事自分なりにはがんばった。面倒臭いことも後回しにせず、会議室にうまくこもって集中したりしてかなり片付けた。金曜日は書類整理も手伝って、人にも優しくできていい気分。カレーおごってもらったし。(打算的)
土曜日は中学1年からの親友の結婚式。こっちは離婚直後だが別にその辺はあまりダメージなく、良い式だった。中高の同じ部活の友達は親友1人、まあまあ好きなやつが2〜3人、普通なやつが6〜7人、死んでも許さないクソみたいなやつが1人で、親友以外はクソみたいなやつに媚びてる感じがして、同じ場に行ったらやっぱり不愉快だった。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いって感じなのかな。
このあいだ会社の仲良いギャルギャルしいお姉様とランチしてまじまじと目があったらドキドキしてしまった。午後はムラムラしながら面倒くさい仕事を頑張った。
角栓を改善するにはどうしたらいいのか?ふき取り化粧水?AHA泡パック?とりあえず乳液は無印のエイジングケアに変えてみるか。
今日はたっぷり寝て朝コーヒー飲み行ってその帰りに蕎麦食べて、帰ってきて英語メール講座の提出物作成。13時30分からオンライン英会話と思ったら13時からで、5分だけ出席して雑談して終了。講師には悪いことした。その後は地区センターの勉強コーナーで損益計算の通信講座の勉強。今日は充実して過ごしてるな。
絶対評価というか、自分が少しでも前進している感触があれば、他の人を羨んだり嫉妬したりはしないと再認識。あとは週2程度の1時間の通勤時間を勉強に当てられればいいんだけど、疲れてる時もあるし電車もざわざわしてるし、どうも難しいな。
通信教育の講座を選択するときに、上司にアドバイス求めたら細かくテキストまで見てアドバイスくれて感動した。
洗面所の鏡についている電球がフィラメントの電球で、歯磨きしてたりするとすっごい暑くなってたんだけど、LED電球に変えたら暑くなく快適。ついでに切れていた玄関の電球も交換してさらにGOOD。生活を便利にする家電メーカーがあるときまでは産業の中心であったことにすごく納得。売る側としても買う側としても、生活の改善が一定の満足まで至ったときどうすればいいのかが現代社会の抱える問題。な気がする。
今日の4文字はこちまら。ムラムラするとか書いたからだろうか。コチマラ。
5/19
今朝は家人が今読んでる本の話をしてくれた。幻覚と現実について書かれている箇所で、ボックスティシューをゆっくり回して見せながら、ここからとここからとここから見えるかたちは違うけれど、問題なくつながっているから物体として現実に認識できる。つながりに問題があって断絶していると幻覚だということらしい。
午睡から目覚ましで目覚めたときにびっくりして、いつもと違うところでごろんとしてたせいもあって、状況が飲み込めない時というのは断絶している瞬間で、いつもの我が家だとわかると眠っていた時間のことを棚上げして、目覚めていたときの状況に自分をつなぎ直して現実に戻れる。
自分の中でつながっていると感じている事物のつながりについて上手く示すことができなければ、それは幻覚のようなもので、幻覚が共有できないように誰も真に受けてくれないだろう。そんなことばかりくり返してる気がしてきた。
雨。頭痛。『菫画報』と『げんしけん二代目』はまじでおもしろい。くもりになった。くもりの日は意外と紫外線が強くて目がぐりぐり痛い。日中の散歩はサングラスが必須。サンダルほしい。中村佳穂『AINOU』(44分、2018年)とWesley Joseph『ULTRAMARINE』(26分、2021年)を聴く。見取り図・盛山の声が好きすぎる。Jam City『Pillowland』(32分、2020年)を聴く。最高。れんこんのきんぴらおいしい。
たくさん眠ってから九時に家を出て歯医者に行った。本当は四月に連絡するよう言われていた。しかし四月は歯医者が開いてる時間帯に電話できなかった。それで五月にやっと連絡取れてきょうの予約が取れた。それではるばる出かけていった。そしてめちゃくちゃに怒られた。八割五分はわたしが悪い。一割五分は歯医者が悪い。いずれにせよかなり凹んでいる。十年くらい前にもおなじやらかしをしている。やらかしなんて軽い言葉では済まないのだけれど。どうしたらいいんだろう。七月三日土曜日十一時半に歯医者。忘れない。それで刃物と連絡うまくつかなくて信頼できないストレス&激務&今回の歯医者の件で流石に生活崩壊する気がして、妹に電話して話したところ、以前に提唱された刃物無職説が再び浮上し、永遠の中学生とこれ以上関わるのは無理だろう、という話になり、元気を出すために豚肉を食べたらいい、と言われる。そしてMに電話することを勧められる。それでスーパーに豚肉を買いに行って茹でて食べたあと、Mに電話をした。この一ヶ月くらいに起こったことを話せるだけ話して聞いてもらった。Mの仮説はクリアーで、五月に会ったときになんにも起こらず以後も向こうがあんまり押してこない理由は奥手なのと意欲がないのの二択だが後者の可能性が高く、連絡取れなくなること自体はそもそもアウトなので、第三者から見れば百パーセント幸福にはなれない、わたし本人がそれで幸福を感じるとしてもすごく苦労をすることになる、だから端的にやめたほうがいい、と言われた。Mの言葉は信頼できる。本当に恋をしてしまうとやめたほうがいい理由を七百並べ立てても一切聞いてもらえないけれど聞いてもらえる人でよかったと言われる。そこらへん淡々としている自分でよかったと思う。一ヶ月強でだいぶデータ集まって勉強にもなったということでこれにて一件落着。上長には折々淡々と報告していたので外注の件もなんとかなるだろう。天才が友達で本当によかった。Mとは来月飲む約束をした。それを楽しみに生きる。区切りをつけるためにこの日記もやめることにする。ツツジのめしべ摘みおじさんのことは忘れません。もう職場近辺には来ないでください。四十一日間ありがとうございました。