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気づいたら12月になっているが、今夜はまだ11月ということで差し支えない気がするので朝になってから12月だと思うことにして、布団に入る。もうあとちょっとで2022年ということに全く実感がわいてこない。どこで人生落っことしてきたんだろうか。まだ2018年の間違いじゃないの。
最近は夜寒いので昼に特になにかしなくても0時前には自動的に布団に入って寝てしまう。大体8時半に起きることにしているが朝ごはんを食べるとすでに10時になっている。しかし中学生や高校生の頃は、0時に寝て朝は何度も何度も二度寝をして気がつくと1時、とかだったのでその頃に比べればかなりまともな人間に近づいたのでは?と思えるが…。今日は午前中に少し書物をして午後は買い物・仕事・料理をした。このくらいのペースで安定して稼げたら良いが、年度末は忙しくなりそうだ。
ここのところ、そんなに嫌いじゃなかったはずの食器洗いにどうも手が伸びない。ざっと見ただけでも、先週使ったフライパンが3枚置きっぱなしになっている。こういうのは放っておけば置くほど手が出しづらくなって、結果カビとかが発生してから嫌々に手を付けることになる。テレビを横目にやれば、手が勝手に終わらせるので正直時間さえあればどうとでもなるのだが。そして、時間はそれなりにあったはず。やる気の問題だろうか。いや、別に食器洗いに限って言えば、やり終わった後キッチンがあからさまに片付いた光景に変わるので、ストレス発散になっていた。それなりにモチベーションはあるはずだ。不思議に思ってよくシンク周りを観察してみると、ピンクのゴム手袋が目に入る。少し前に前のものに穴が開いてしまったので、最近変えたものだった。一回り小さいサイズを買ったせいか、手に張り付く感じがするのと、何よりも着色料のたくさん入ったたらこみたいな色なのであまり好きになれなかった。だが、まあ言うてもゴム手袋やし。と特に変える気にもならずそのまま使っていたのだが。・・・・・・まさかね。と思いながら呼びに買い足したペ-ルグリーンの一回り大きいゴム手袋を下してピンクのものと交換してみた。そこから三日経つが、洗い物は順調に片付きキッチンはもとのように銀光りしたくぼみを見せている。そっかあ、そこかあ、なるほど。そこまでピンクのゴム手袋が嫌だったのか。昨今、自分の機嫌は自分でとれと言われるが、意外と自分が何が嫌なのかはわかっていないものである。
11/28日曜日
子供に鶴亀算を教えるのが難しい。xとyを使わずに教えなければならないから。xとyの便利さを噛み締める。Scratchに慣れてきた息子はxとyは座標のことだと思っているだろうから、もうグラフで示した方が理解が早いんじゃないだろうか。
何でも夫に任せて、外出しない日だった。クリスマスプレゼントをポチる。
クリスマスのメニュー何にしようか?と訊けば餃子と言われる。
ケーキは?要らないと言われる。
我が家の定番は何にしようか?その時の気分で変えれば良いと言われる。
おせちも年賀状もやらないんだからクリスマスの伝統も何も無いよなあ。未だ外出も憚られ、ハレがない日に慣れてしまう日々。時間だけが平等に過ぎていく。
ボロネーゼが食べたいが、こんな時間にはどこも開いていない。コンビニも23時で閉まるので、現状、自販機以外にものを売ってくれるものはない。ピザは多分頼めそうだけど、翌日確実に後悔するから、やめておく。とはいえ、もう買い置きのミネラルウォーターの水が切れてしまったことに気づいたので、自販機でもいいので買いに行かねばならない。水道水が飲めたらいいのだが、以前に飲んで腹を壊したのでやめておく。明日は月曜日だ。
学校の人間と誰とも仲良くなれていると思えない なんか壁を感じる 他の人への理想が高すぎて受け身なのがよくないのかも 勝手に期待して勝手にショック受けるなんて最悪だけど
離れてしまった高校のときの友達も、かわいいから 新しい場所で友達を作って彼氏も作って わたしは結局あなたが嫌なものってしている高校時代の思い出のなかの一部でしかないんだな〜と思ってすごく悲しかった わたしは自分勝手だから他の人と一緒なんてやだしわたしだけが特別でありたいよ
仕事が終わってから毎日介護のために祖父宅に向かう日々がはじまって4ヶ月。そろそろ、いろんなところにガタがき始めていて、それでもやめるわけにもいかないので向かう。向こうに行ってしまえば誰かの役に立っているという実感でなんとかなるんだけど、帰宅してからの方が辛いものがある。本来はできたはずの家事やらが全部ストップしてるので、深夜からまたもう一度生活が始まる。誰かが代わってくれたらいいけど、そんな人はない。お金もないし施設も空きが出ない。評判のよくない施設に預けてもいいけど、それはそれで別の自責を引き受けることになる気がしてできない。これは環境の問題で、自分の問題ではない言い切れないのはこういう個人的な「それはしたくない」が微妙に挟まっているからだ。丸一日ゆっくり休めたらどれだけ幸せだろうと思うけど、結局Netflixで適当な映像を見て過ごすだけになりそうだから、まだマシかもしれない。今日は体調が悪いのもあいまっていつも以上に気分が落ちている。こういう日はちゃんとした食事より適当なお菓子とかのほうが手が行きやすいのでさらに栄養状態が悪くなってループにハマっていく。料理を作る体力はないのが、せめて冷凍のうどんを食べようとレンチンしたら、熱で袋に穴が開いていたらしく皿に移すときに全部床に落ちた。無性に腹が立って靴下のまま何度も踏みつぶす。死ね。死ね。全部死んでしまえ。一気に沸いた怒りは、引くときも一気に引く。強で回した換気扇の音だけがする。洗うのも面倒なので、そのままぜんぶまとめて捨てた。家にある中で一番気に入っているネイビーの靴下だった。
11/27土曜日
昨日の日記のことをすっかり忘れていた。書きかけていたのに。今日は寒い日だった。土日は一人の時間がないので文字を書きづらいなぁ。
11/26金曜日
窓辺にある、生けられているのではなく単に花瓶に挿されている花束は、もう一ヶ月以上も前に購入した時に、ドライフラワーにもなるよと言われたもの−−最近花を買うとそう言われることが幾度もあるので、そういう需要があるというか、定番のセールストークなのだろうけど−−で、その花束を花瓶に挿していたら本当にドライフラワーとしての美しさが表出してきてしまって、ああ綺麗だよねこれも、という感じで毎日見やっていたけれど、やっぱり、搾取しているという罪悪感が僅かにあるので、毎日罪悪感を抱くのってスッキリしないなあと感じているところ。水に挿されて今よりたわんとしていた花と枝が、水を奪われてもなお、私に美を供給しつづけているのは、過労なのではないかという気持ち。
一人でバスに乗るのを楽しみにしていたかと思いきや、直前に腹痛を訴え号泣し、洗面台でオエッと胃液を吐く息子に、怖いならなぜ言わないのかと問うも、彼には彼の不安が事前にはわからなかった模様。不安や恐怖を感じることは難しいのだろうか。感じてはいるが、それを言語化するのが難しいのだろうか。汲み取れなかった私も鈍い。予定が狂ったがゆっくり夕食を作ることができたのでよしとする。
国道沿いのバス停で一人次の便をまっているが、本当に寒い。氷を絶え間なく指先とつま先に押し付けられているようでムカムカしてくる。そこそこの田舎なので、舗道沿いの両脇は全て田畑である。うっかり早く着きすぎてやることもないのでバス停に背を向けて遠くを見やると、ぼんやりとした名前も知らない山の曖昧な輪郭が浮かんでいる。暗いというより黒い空なので星がよく見える。ポケットに手を突っ込んだままオリオン座っぽいものとか竪琴座っぽいものとかを見つけようとするけど、結局わからなかった。バスはダイヤより2分遅れで来た。
朝起きて食欲がなかったので家族には勝手にパン焼いて食べてもらった。毎日勝手にパン焼いてくれたら良いのだが…と思いつつその後自分もお腹がすいたので米と梅干しを食べた。昼前に家を出て遠出。とあるタスクがありその目的地へ行って、目標を達成。その後、ターミナル駅に移動してカルディを目指した。近くのイオンにあるということで何も考えずにイオンに行くとめちゃくちゃデカい。東京の感覚で言っても(東京には25年くらい住んでいた)【なんでもある】という感じのイオンですごかった。そこをなんだかんだ3時間ほど歩き回りつつ食事もしてめちゃくちゃ疲れた。結局最寄り駅からはタクシーで帰宅した。今日の出来事とは別に、仕事が報われた感をメッセージでキャッチ。結局すべて真面目にやるしやっていくしかないという結論に至る。明日は掃除したい。
ポストを開けると電力会社から請求書の封筒が届いていた。冬になってからほぼエアコンを点けずに生活していたので、きっと夏場よりはいくらか安上がりになっているだろうと期待していたが、封を切って愕然とする。高い。ものすごく高くなっている。一万を優に超えている金額に、帰り道のスーパーで買ってしまった有機しらたきのことを思い出す。しらたきくらい贅沢したっていいだろう、今年は暖冬で暖房器具は一切つけずにここまでこられているのだから、その分電気代浮いてるだろうし。そういう算段でどう考えても不要なしらたきに投資してしまった。なんでだ。どうせ有機のものを買うなら調味料とか茶葉とかそういう消耗速度の遅いもののほうがよほど生活のたのしみにも貢献するだろうに。なんでしらたき。後悔にしろ混乱にしろ、矛先を向ける相手はどう考えてもしらたきではなく、自分の生活なのだが10分くらいはしらたきにサンドバックになってもらって鬱憤を晴らす。帰宅後、調べて判明したことだが、原因は使用料ではなく使用時間だった。23時~7時は深夜料金がかかる仕組みになっており、ここ一ヶ月ほどほぼ帰宅は日23時前後、よって風呂も家事も深夜にずれこんでいたため、それが原因で跳ね上がってしまったらしい。原因がはっきりして腑に落ちたが、いかんせんそういうこが理由ならこの冬は電気料金が高くなることは避けられないことも同様にはっきりしてしまった。一人で肩を落としていたって、誰かが慰めてくれるわけでもない。せめて早く帰れた今日くらいは、と早めに風布団を敷いて風呂に浸かる。この湯にも見えない値札が付いていると思いながら温まる。
最近、怖い夢ばかり見ている気がする。気がする、というのは、夢の内容自体は覚えていないからだ。いつもそう。怖くて目が覚めたことや、寝汗をかいていたこと、体が痛かったことは覚えているのに、肝心の内容は覚えていないのだ。こんな話をしばらく前に友人にしたとき、かのじょは夢日記を書いていると言った。文章にすることもあれば、絵を書くこともあるそうだ。かのじょの先輩はさらにすごくて、毎日夢日記を書いていたら、次第に夢の中で「あ、これは夢だな」とわかるようになったらしい。そんなことあるんかい。これは明晰夢というらしい。さらにさらに、わたしたちの大学の先生は夢のなかでどんな文章(あるいは論文)を書くか考えていて、夢のなかで考えたアイディアをもとに現実で文章を書いているらしい。そんなことあるんかい(本日二度目)。そんなコスパのいい夢あるの?
わたしの夢はといえば、奇想天外なシチュエーションになることが多く、わたし自身は夢の内容に一切関与できないし、起きて5分で具体的な内容は忘れる。夢のなかで自分をコントロールできたらたのしいだろうなと思いつつ、でも絶対疲れるから夢は見ないに越したことはないのかも。
11/25木曜日
よく眠れたということぐらいしか思いつかない。
最近寝つきが悪かったのだが、昨夜眠れたのには理由があって、ネットで見た「暖かくなる耳栓」を使ってみたのだった。小林製薬にはちょこちょこお世話になっている。
ホッカイロみたいに空気に触れると温まるカセットを耳栓に取り付け、就寝した。五分くらいで眠れたんじゃないだろうか。翌朝目覚まし時計より早く目覚めた。
先日骨折して入院した時に看護師から必要ならと睡眠導入剤をもらったが、こんな方法でも眠れるなら医療機関でも奨めるべきなのではと思ったりした。
うたた寝の夢。
ジムに入るとすぐに小さなカフェがある。カウンターに何人かの客。
ロッカーを探すが見当たらず、代わりにカフェの先にある通路の壁に並んだフックに荷物が懸かっているのを見る。
そこを通り過ぎると更衣室と思しきフロア。
通路を行ったり来たりしているとフックの反対側の壁沿いに扉の無い靴箱がある。履いていたメレルの冬物のモックをそこに置いてまたロッカーを探して回るが見つからず、諦めて靴入れに戻ると置いたはずの靴が無い。かなりの焦燥感と悔しさの気配のまま目覚めた。
このところ、靴を盗まれる夢を屡々見る。生活基盤の不安だとかの解釈もあるようだが、要するに文字どおり脚元を固めろという事だと心得ておこう。
哲学関係にしても楽器まわりにしても基礎固め、と。
兵庫県の工場に住み込みで働いていた時、もう何もかもが嫌になってしまいました。一度目のタイへの三ヶ月の旅を経て、借金がかなりありそれを一切…一気に返済してしまおうとして、季節労働者として行きましたが、栃木には当時彼女がいて、彼女も住み込みで働いていたから、本来はそちらへ戻れば良かったものの、彼女から遠離り連絡手段である携帯電話も手放していましたから、彼女とは縁を切る積もりだったのでしょう。東芝のブラウン管工場のライン作業でしたが、三交代のシフトで凄く辛かったのをよく覚えています。朝帰ってきて、ウィスキーをがぶ飲みし、酔ったまま歩いて一時間ぐらいの所にある図書館へ行き、ニーチェやバロウズを立ち読みしていたら、涙が出てきたりしました。相当に追い込まれた精神状態であったのだと思います。当時は頭で考えが行き詰まると、文字にして書いて考えていました。これはアメリカのポール・マッカーシーというアーティストの入れ知恵で頭で考えずに手で考える…そんな風にしていました。ボツリヌス菌を作って、近くに置いていましたが、どうせ生きるのが辛くて死ぬのなら…ば、最後に好きなことをして、死ねば良いではないかと考え、返済していたお金を再び借り入れて確か百万以上だったとおもいますが、アメリカへ逃げてしまうことにしました。口にするのも恥ずかしいですが、画家のフランシス・ベーコンになぞらえるような気分で、まあ裸一貫でアメリカへと渡り、画家として成功する…みたいな誇大妄想を抱いていました。また別に、世紀末が近く確か 1999 年?かな…日本列島が海に沈むような妄想も抱いていました。寮の室内を掃除して、ある朝荷物を持って、神戸へ向かう電車に乗った時に、窓からとても気持ちがいい日射しが入ってきていました。
出掛けに爪楊枝の容器をひっくり返すというミスを犯す。何十本もの木製の針が机の下めがけて一気に落ちていく。彼らは細い木片なわけだから、ぶつかり合う音も、なんというか木製のウィンドウチャイムのような思いのほかいい音を立てることを発見する。床に落ちてしまったものは使えないので捨てるしかない。とりあえずゴミ袋に入れようとするが、まず手でかき集める時点でちょっと痛い。あいつら、微妙に刺さってくる。そして、袋に入れ終わった後も、嚢中の錐百本状態というか、ふくらみそこねたハリセンボンぽいっていうか。これ、忘れてゴミ出しのときに圧縮するために踏み抜いたりしたら、それこそ大けがっていうかんじの匂いがぷんぷんするので、プチプチこと緩衝材にくるんでおく。吸盤のような無数の円と、見えないけれど中心を失って無秩序に組み合う線の集合を想像してから、そんな安っぽいコンセプチュアルあるかなあと自分の疲労具合をおもんぱかる。乗るはずだった電車はもう出てしまったので、とぼとぼしながら家を出た。今日もまたささやかに諦めたことばかりが溜まっていく。
11/24水曜日
そろばんはデジタルですよ、という話。なるほど連続的な示し方をアナログ、段階的な示し方をデジタルとするならば、そろばんはデジタルなんですね。こういう話は好き。
ていうか数字の、十の位っていう発想がすでにデジタルじゃん。
ピアノはデジタルで、二胡はアナログかな。
幼児に時間の概念を教えるために、二十四時間表記の時計が欲しいなと思っていて、認知症の人にも需要あるし、朝の四時と夕方の四時混乱しちゃうからさ、円形じゃなくてバーチカル表示の縦長の時計出してくれないかなと思っている、ずっと。
〇時から二十四時まで縦にゆっくり針が落ちでいくような。それはアナログ表記ね。でもきっと仕組みはデジタルで、電子式だね。デカい液晶画面の時計だね。
昨日はちょっと面白い体験をしたけどまた時間を置いてから書くつもり。
親切がむしろ仇となり始め隠れたいほど恥じ入る心地
今月で辞めようかとも考えていた作業所に今日は予定通りに行き、そして来月のレクレーション費を納めてきた。丁度、その作業所と繋がりをもち始めてから一年、正式に利用者として登録されたのが二月なので、取り敢えずは来年の二月迄を目安としようか…悩む処ではある。
日頃…時折読み上げる全生庵日課聖典にある言葉…フレーズを作業所の帰りに歩きながら…いつ辞めようか…何の意味があるのか…等と考えながら思い起こす。
「…無情の器物猶然り況んや人にして愚かなる者には。ひとしほ憐愍眷念し。設え悪讐怨敵と成って。吾を罵り吾を苦しむることあるも。此れは是れ菩薩権化の大慈悲にして。無量劫来我見偏執によって造りなせる吾身の罪業を消滅解脱せしめ給う方便なりと。…」(菩薩願行文より部分)
前回作業所に行った時に、工賃日だったので同時に施設長と軽い面談があった。その時は、今作業所を辞めて通院中のクリニックのデイケアの利用…グループ・セラピーへの定期的な参加を考えていると伝えた。そのせいか…妙に今日は笑顔で優しく接せられているようにも思われたが、その優しさが重いのである。
帰って座禅してから夕方、国史大系の古事記を読み上げていたら、こんなフレーズが心に止まった。
『ここに伊耶那岐の大御神、大(いた)く忿(いか)らして詔りたまはく、「然らば、汝はこの国にはな往(とど)まりそ」と詔りたまひて、すなわち神逐(かむやら)ひに逐(やら)ひたまひき。』(古事記と言霊 P.283 島田正路著より)
作業所も大体一年間利用していて、全てではないが一通りの作業もしたし、レクレーションやバス・ツアー、食事会にも参加し、メンバーの方々のそれぞれの様子を見てきた。完全に分かっている、という訳ではないが慣れてしまった。
昔から、人でも団体でもある程度付き合ったり、身を置いたりして一段落すると身を引いてしまうというパターン。逃げる…心の中の声が「ここは自分の居場所ではない」と囁きかけてくるのである。
かつては…日本で借金をしてアメリカに逃げ出した程なので、それに比べれば大したことではないが、大きなお金を得たり…万が一再び癌が見つかったり…したら、むかしのようにタイの奥地に逃げて薬に浸りながら、この世とおさらばしたいと思う毎日…まっ今直ぐでも良いのだが、前回のように死に切れなくて向こうで逮捕されたり、強制送還されて中間施設行き…何てもうごめんなので、悩んでいる処…に止まっている。
うちのアパートはM市にあるが、建物の名前に入っているのは隣のI市である。ちょうど区域の境目に建っているため、こういうややこしいことになっているわけだが、だからといって普段の生活では特段不便はしない。こういう地名の行き違いみたいなことは探せばよくあることなんだろう。ただ、ひとつだけ面倒くさいなと思うときがあって、それは毎回スーパーで起こる。M市とI市の両方に隣接するスーパーには、もちろん両方の市民が生活用品を買いに訪れる。青果も鮮魚も精肉もM市民であろうがI市民であろうが区別がない。しかし唯一そこの市民にしか用がない商品が存在する。それは40LのポリビニルにでかでかとM市指定とかかれたゴミ袋で、これが1パック990円もする。そして一番のややこしいのが両市のゴミ袋パッケージが酷似しているということだ。白地に紫、もしくは青緑の文字だけで、とくに市のマスコットキャラクターなども印刷されていない。注意していないと、なんとなく手に取って、なんとなく買い物籠に放り込んで、なんとなく店を後にすることになる。そして、気づく。まとめ買いをすればいいかとも思うが、990円という値段がなかなか曲者でそういう気分になれない。1万円出して、手に入るのが全部ゴミ袋っていうのもどうかなと思うのだ。以前住んでいた市のゴミ袋が懐かしい。袋全体が真っ黄色ででかでかとかわいくもない市のマスコットキャラクターが印刷されていて、しかもロール形態での販売だった。なつかしいなんて一度も感じたことのなかった、生まれ育った隣町のことを久しぶりに思い出した。もう二度とそこで生活することはないから、あの真っ黄色の袋を使うことも二度とない。今日間違えて買ったI市のゴミ袋は、友人への手土産にしようと思う。
11/23火曜祝日
今日は本当に特に何も無いのでもう夜のうちに書く。何も無いのに書くなんて。一ヶ月続けよう宣言をしたので書く。していなかったら多分今朝書いた分で終わっているだろうなと思った。それくらい飽き性である。
糠床を毎日かき混ぜるのは珍しく続いた。と言ってもまだ一年経っていないし、寒くなってきて糠漬け食べたい欲が低下したので冷蔵庫に甕ごと入れたら毎日かき混ぜる必要がなくなってしまった。夏の常温糠床は発酵力がすさまじく、一日二回混ぜる必要があったがその分美味しい糠床になったのでやりがいがあった。冷蔵庫は菌たちの力があまり感じられなくて寂しい。
ここに一ヶ月書けるかは実験。やり遂げたい。終えた時どうなっているか。もっと書く気になっているだろうか。苦痛になっているだろうか。