3月11日

 美容院。ドライカットなので座るなり切り始める。ひとりでやっているところで、こっちが黙っていると黙っていてくれる。こないだは博論で滅入っていて最初と最後以外ずっと喋らなかったが、髪を切るとそれだけで気分が軽くなる気がした。強く集中してるのが伝わってきて、そういう高度な集中の対象であるというのがただ髪の生えた物体になったようで心地よかった。今日でちょうど10年みたいですね、と言うので、ああ、その頃も横浜にいたんですかと聞いた。すき家が2時間待ちになっていたらしい。横浜駅にできたnewmanがつまらないという話からなんで横浜の若い人はひと昔前みたいな服なのかと聞くと、この街が半端に自足しているからだと言うので、逆に相模原とかの方が尖った感じの人が多いんですかねと聞くと、相模原は広くなっちゃったからねと言っていた。市議会議員の選挙になるとポスターが50メートルくらい並ぶんだと。

「昔の町田は黒人とギャルしかいなかったですよ」
「へえ」
「なんか厚木がいま住みたい街ランキング1位らしいって」
「そうなんですか」
「子育て支援がしっかりしてて、意識高い家族が都内から引っ越してくるみたいです」
「厚木、行ったことないです」
「僕の地元なんですけど、治安めっちゃ悪いんで、どうせそういうのって悪い方に流されるじゃないですか」
「ああ」
「だから10年後には意識高い系の親の子供と地元のどうしようもないのが一緒になって悪さするだけなんすよ」
「それは、明るい未来って感じがしますけどね笑」
「あー笑、確かに」

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3月10日

 煙草を吸いにベランダに出ると、陽の光で熱せられた黒いビニールのサンダルが裸足に気持ちいい。夏は火傷するくらいになるだろうなと思う。サンダル自体が溶けてしまうかもしれない。窓を開けると黒い塊がベランダの床に張り付いている。とりあえず煙草を吸おうと思うがサンダルがなく、そうしてやっとそれがサンダルだったものだと気づく。さすがに溶けたりはしないと思うが、非現実的なものの現実感と現実的なものの非現実感が追いかけ合うようなマジック・リアリズムが夏にはある。思われる夏はそれがどんな夏であれリアルだけど、実際に生きられる夏はいつもアンリアルだ。

 ベランダから戻ってエディタを開いて日付を確認したとき、3月11日とあって、あれ、3月9日までしか日記を書いていないんじゃないかと、昼寝から起きて夕方なのか朝なのかわからなくなるときみたいに混乱した。10日を飛ばしてしまったのではと焦ったが9日の日記を書いたのが昨日だと確認して今「10日」を書けばいいのだと安心した。3月11日と見て何か今日のことを書かなきゃと反射的に思ったのかもしれない。でも今日はこれから始まるし、書くべきことは大して起こらないだろう。今日は髪を切りに行って、それから友達とご飯を食べに行く。それだけだ。

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3月9日

 ツイッター情報なのだけど、「#春から○○大」というハッシュタグを付けて投稿する新入生を装ったアカウントによるカルト宗教や悪徳商法への勧誘が行われているというニュースを見た。大学1年生のとき、阪大の豊中キャンパスの図書館の前にはひらけているわけでもなく入り組んでいるわけでもない、中途半端に鬱蒼とした庭があって、そこでよく生協で買ったパンとかを食べていた。歩いて近づいてきたおばちゃんにいきなり韓国語で話しかけられ、道にでも迷ったのかと思って何ですかと言うと日本語に切り替えてパンフレットを差し出してきた。今度は向こうが何か学生生活で困っていることはないですかと聞いてきて、すらすら喋るのを聞いていると韓国の留学生が多く入っている宗教ということで、日本人学生もいるから心配ないと。いいですと言うとパンフレットを置いて去って行った。大学ではずっとひとりで、その後4年間いちども誰かとキャンパスで昼ごはんを食べたことがなかった。留学生ではなかったが彼女の見る目は正しかったと思う。

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3月8日

 長めの原稿の依頼が来て、長い原稿だ!と思って安請け合いしてしまったのだけど、今になって書けるか心配になっている。まだ決まってはいないがたぶん締め切りは3ヶ月後で約6000字。それだけだと何とでもなりそうだけどテーマを決めるのが難しい。次に長めの自由度が高い原稿が来たら「日記の現代思想」みたいなものを書こうかなと思っていたのだけど、テーマ自由とはいえ美術の雑誌なのでそれはさすがに難しそうだ。インスタレーション論は去年もう書いちゃったし、大和田俊論も書いたばかりだし。何か他に作家論が書けるほど誰かを追っているわけでもなく、とりあえず「今美術にとって言葉とは何か」みたいな感じで書くかもですと言ってはいるが、こういう大きいテーマをいい感じに串刺しにするトピックなり事例なりが準備できるかどうかは運任せだ。絵画について書きたくなりそうな気もする。今までリー・キットと五月女哲平についてはそれぞれ展評を書いた。ピーター・ドイグ評は気持ちに余裕がなかったのとさすがに適任が他に山ほどいるのではと思い断ってしまった。言葉か絵画どっちかになりそうな気がする。

 それにしてもここ2年ほど商業誌からの依頼で言えば文芸誌と美術雑誌からのものばかりで、思想誌とか他ジャンルのカルチャー誌とかからぜんぜん話が来ない。いちど原稿料を倍にしろと言って喧嘩したからだろうか。安いだけでなく、まだ見てもいない映画について3週間で8000字という狂った依頼だった。どのみち原稿料で生活できるわけでもなく、楽しければタダで何字でも書く。この日記がそうだ。

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3月7日

 先日出たロザリンド・クラウス『アヴァンギャルドのオリジナリティ』の改訳版を読んでいる。何か張り切ってしまい原書まで一緒に買った(これもすぐ届いた)。旧訳を読んだのは学部生の頃だったろうか。あの頃は確か松岡正剛経由で高山宏にハマっていて、それでストイキッツァとかディディ゠ユベルマンとかそういう哲学寄りの美術史が面白くてぽつぽつ読んでいた。ゼミや読書会——小倉さんや米田さんや平田さんといった、檜垣ゼミの院生がやっている読書会にキャンパスをまたいで押しかけていた——でドゥルーズを読みつつ映画研究をやっていたのもあり勢いポストモダン系の芸術論を手に取ることが多かった。のちのち美術批評を書くなんて露ほども思っていなかった。

 ともあれクラウスを読んでいると何か懐かしさを感じる。内容はまったくと言っていいくらい忘れていてむしろ新鮮な気持ちで読めるのだけど、彼女が闘っているもの、その手口に、こういう闘いの先で書いているのだなと、個人的なものでもあり同時に世代間に拡張されてもいる夜空ノムコウ的な気分になる(「あのころの未来にぼくらは立っているのかなぁ……」)。

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3月6日

 ゆっくりとではあるが確実に、起きる時間が昼にずれ込みつつある。この家はやたら日当たりがよくて、起きて1本目の煙草をベランダで吸うのが気持ちいい。起きたらもう日が暮れつつあるという感じには引っ越してからまだなっていないが、想像するだにダウナーな感じがする。前の家は大きな腰窓の外に洗濯物を干すための長細いスペースがあるだけでベランダもなかったし、1日中分厚い遮光カーテンを閉めたままにしていた。こういう少し暖かくなり始めた季節に昼ごろまで起きていてコンビニに行ったりするために外に出ると、いきなり叩きつけられる陽光がどうにかなりそうなくらい気持ちよかった。見上げたビルの稜線——稜線は山に使う言葉だがともかく——に吸い込まれていくような開放感がある。そう思うとベランダは外に出ることの強烈さを減じてしまうかもしれない。

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3月5日

 先日書き終わった大和田俊の個展評を読み返したりしている。2000字の依頼だったのだけど6000字になってしまった。展示の批評で2000字というのは、どうしてもステートメント等ですでになされている概説的な言葉に寄りかかりつつ、そこからはみ出す部分を作品の細部から拾って評価するみたいな感じになってしまうと思う。じゃあ重めの概説でいいじゃんというのは論外として、そこから抜け出そうとすると初手からこれは文体実践の場なんだと割り切って読み物としての自律性に重きを置くというオプションがまず思い浮かぶが、これはこれで書かれたものと作品を繋ぐ回路がよほどしっかりしていないと小手先の曲芸的な仕事になってしまう。他にもいろいろやりようはある。でもそんなやりようを考えるくらいなら書きたいように書いて字数超過なんて素知らぬ顔で出してしまえばいい。公募作や査読論文じゃないんだし、下請け仕事でもないんだし。話はそこから始まる。

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3月4日

 午後1時半。書くのが遅くなってしまった。大学のスタジオで書いている。春休みとコロナでもともとがらんとしたキャンパスがもっと閑散としている。スタジオにも誰もいない。カタログやコピーされ切り刻まれた図像が散らばった、相変わらず犯行現場のような明源くんの制作の痕跡がテーブルに残っている。

 リポジトリに登録するための博論のデータを(わざわざDVDに焼いて)出しに来た。審査通過の報せを受けたあと、あれほど残りの手続きで抜かりないようにと思ったのに、結局昨夜遅くまで大和田俊論を書いていてバタバタしてしまった。つつがなく修了できるといいが。それにしても大学の事務では——迷惑をかけてしまったことがあるのも確かなのだけど——いつも冷たくされるので悲しい。阪大では福尾と呼び捨てにされていた。そんなことってあるだろうか。

 キャンパスに着いたときに生協でクラフトボスのカフェラテを買って、スタジオで書類を確認して事務に提出し、その帰りに図書館についているカフェが開いているのを見つけたのでコーヒーも買ってしまった。飲み物が好きなので何か見るとすぐ買ってしまう。蓋があるのでボスは飲みながら帰ろう。コーヒーは今飲んでしまおう。

 ここ数日なぜか、見たこと聞いたことは覚えているが自分の行為の記憶だけなくなる記憶喪失というものがあったらそれはどういう感じだろうかと気づくと考えている。でも何度考えても、そもそも記憶ってそういうものじゃないかというところに落ち着く。

 

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3月3日

 しばらく前のことだが、ろばとさんが書いたPornotopia: An Essay on Playboy’s Architecture and Biopoliticsという本の書評が面白かった。それでこの本も出しているZone Booksが最近何を出しているのか気になり、出版社のサイトを覗くと近刊にダニエル・ヘラー゠ローゼンのAbsentees: On Variously Missing Personsという本があった。去年「いてもいなくてもよくなること」について『失踪の社会学』の中森弘樹さんとくろそーと3人で鼎談記事を作って、そこで喋ったことがその後の仕事にいろいろ影響している。『不在者:様々にいなくなる者らについて』とでも訳せるだろう本書もとても気になる。それでそういえば彼の『エコラリアス』は積んだままになっていたなと思いここのところぱらぱら読んでいる。喃語の音声的な多様性・柔軟性に着目し、インファンス(言葉をもたないこと=幼年)から言語へと向かうことで抑圧されるその多様性が、言語の死に際に回帰したり他言語に残響したりする。それが断章形式でいろんな時代のいろんな言語を例にとって語られて、特にロマンス諸語のhの位置づけについての部分は面白かったのだけど、他方でシニフィアン/シニフィエの固定(ドゥルーズ゠ガタリが「シニフィアンの帝国主義」と呼んだもの)から逃れる記号の剥片を拾い集めているだけでかったるいなとも思ってしまう。要するにシニフィアン批判なんだからそれを正面からやればいいのにと。でも著者からしたらこの「要するに」が受け入れられないのだろう。そういう書き方もある。

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3月2日

 コメダ。ジロウさんと呼ばれる老人とそれより若そうな女の声が衝立の向こうから聞こえる。サントロペ、ハリウッド、PIA、どれも近所にあるパチンコ屋の名前だ。20年以上前なんじゃないかという「いい思いをした」今はもうないパチンコ屋の釘や列の話。片目が見えなくなったが、両目で見るのは75年でもう懲りたという話。喧嘩をするとき見える方の目を殴られないようにすればいいだけだと。小学1年の頃、同じ団地に住んでいた同級生のひろ君が高熱が原因で片目を失明したのを思い出した。これも同じ団地で同級生の、悪辣なゆう君が見える方の目を手で覆ってからかっていた。とはいえゆう君は親も悪辣で、弟と妹と彼が全裸で3階の部屋のベランダに出されているのをたまに見かけた。20年以上前の話だ。

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