9月19日

ここのところ一日に2軒も3軒もカフェをはしごして作業していて疲れたので休もうと思い、外に出ず家で長い昼寝をした。朝までだらだら起きていて、しかし今日何もやらないと進捗表が育たないと思って作業を進めた。スプレッドシートでは一日に書く字数の平均の推移をプロットしている。減ることはない合計字数や、やらなければたんにゼロになる各日の字数より、やれば増えるしやらなければ減る平均の推移が見えると表を「育てている」という感じがするのは不思議だ。進捗は合計14914字(前日比+1274字)。

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9月18日

神保町で郵便本講読。駅に着くと電車が遅れていて、蒸し暑い地下で15分ほど待つ。それによって乗り継ぎもスムーズにいかず、結局神保町に着くのに2時間もかかった。目についた出口から出ると小学館のビルで、その隣は集英社のビルだった。休日でひとも少なく、道の脇にあった小さなドトールに入る。エスプレッソマシンがないのかカフェオレはあるがカフェラテはなく、豆乳オレはあるが豆乳ラテはない。ジャーマンドックは「死後二日」というキャプションを幻視するくらい生気がない。うっすら嫌な感じがするが外の席なら煙草が吸えるということなのでバットを持って出る。ちょうどビルの影になっていて涼しい。何かが右の二の腕の裏でばたばたしているなと思って手をやると蚊が死んで、すでに4カ所くらい刺されていた。見ると生垣からウソみたいに大量の蚊が出てきている。蚊に追い出されるように店を出て、掻かないようにしながら交差点の向かいにあるドラッグストアでムヒアルファEXを買い、すぐに二の腕全体に塗った。結局いつもの東京堂のとなりのドトールに移り、カフェラテとジャーマンドックを頼む。さっきのはやはりぼそぼそして不味かったし、蚊も来たのでひとくちでやめてしまったのだ。早めに家を出たつもりが結局いつもの時間にいつもの場所でようやく作業がスタートする。なんだったのか。

そんなこんなもあり博論本のほうは進捗ゼロ文字。まあいい。

敬老の日でもあるが、那須川天心はメキシコ人と殴り合っていた。こないだは出生率の低下と梅毒の増加のニュースが立て続けに流れてきた。夏も終わる。

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9月17日

近所の神社ができて350年とからしく、昨日から地区に分かれて神輿が回っている。家のすぐ外から石が坂を転がり弾けるような囃子の音色に押し出されるように家を出て見ると、停まった神輿のまわりではっぴを着て足袋をはいたひとたちがたむろしており、太鼓、笛、鉦が退屈な犬たちのように互いをつつきあっている。誰かの「地元」としてこの街が機能してもいることに不思議な感じがしながら珈琲館に向かう。客が天井に大きな蜘蛛がいるのを見つけて、マスターが靴を脱いで腰の高さのパテーションに足をかけて、布巾で掴まえる。よく取れますねえと客が言うと、僕も大嫌いですよ、制服を着てるとできるんですと言った。

進捗は13640字(前日比+1462)。何年も頭のなかをぐるぐるとしていたものがやっと書けている。

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9月16日

博論本第6章ドラフトは12178字(前日比+2161字)。昼にイセザキモールのドトールに行くと土曜日だからかほぼ満席で、8席に分かれた大きなテーブルの席がひとつ空いていたのでそこに座る。いつもは混んでいる店は避けるのだが、土曜日なのでどこに行っても同じだろう。左隣には競馬新聞を熱心に読んでいるおじさん、右隣には携帯で動画を見ているおじさんが座り、それがいつのまにか入れ替わり、こうしたぎちぎちの、しかし誰も顔をもたない雑踏の延長のような空間はそれはそれで集中できるなと思った。

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9月15日

博論本10017字(前日比+903)。わざわざ日記を見返して進んだ字数を計算していたのだが、面倒だし一覧性もないということに思い当たってスプレッドシートでその日の字数を入力すると前日との差と1日の平均が出る表を作った。ふだんこういうことをぜんぜんしないので、日付を入力してそうだったらいいなと思いながらそこからびーっと下にドラッグするとその後の日付が自動で入力されること、初日と二日目の引き算もそこからびーっと下にドラッグするとその後も自動的にn-(n-1)として解釈して計算してくれることに感心する。現時点で1日の平均は1252字。こうやって人類は表を必要としたのかと思う。同時に、少なくともひとつは自動でなく入力されるものが必要なのだと思った。少なくともひとつの自動でなく入力されるもの。関数だから当たり前なのだがそういうことでもなく、これだけ自足して見えるものが一日にひとマスの入力を待つことでしか進まないのだと思う。

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9月14日

博論本日誌。9114字(前日比+1559)。

アパートの前に転がっていたネズミの死骸がなくなっている。このあたりの深夜はネズミの時間で、朝はカラスの時間だ。日中は鳩と犬の時間で、夕方になるとスズメが何千匹も同じ木に集まってホームルームをしている。

思えば今年の夏は、急冷コーヒーの夏だった。去年は水出しをやってみたりしたのだけど時間がかかるうえに浅い酸味と渋みばかり出ておいしくなく、あるいは普通にドリップしたものを冷やすのも面倒で、今年は大きいグラスに氷をめいっぱい入れて、そこに直接ドリップして飲むようになった。あんまりたくさん飲むので冷凍庫の製氷皿では氷が追いつかず、コンビニにロックアイスを買いに行く。

夜は舞茸とエリンギのパスタと、赤ワインビネガーでにんじん2本ぶんのラペを作る。オイル系のパスタは久しぶり。焼き目がつくようにキノコを焼いてフライパンから出しておき、オイルを足してそこにニンニクと唐辛子を入れて香りを出す。キノコを戻し、茹で上がった麺を入れてたっぷりのイタリアンパセリを混ぜ込み、オリーブオイルと茹で汁で汁気をちょっとシャバっとするくらいに調節する。ビーガン用の塩ラーメンみたいなくっきりとした料理だ。

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9月13日

秋から横国でやる授業を学務システムから確認したら対面のはずがオンデマンド形態になっていて、連絡して変更してもらった。春にシラバスを作ったときに考えた日記と現代思想を交差させて論じる授業で、そのときはワークショップもあり日記について考えるのが僕のなかで盛り上がっていたのだが、いまは気が進まない。

たとえばこういう導入はわざとらしすぎるだろうか。初回、自己紹介の代わりに、昨日の出来事を話す。どうして昨日あったことは自己紹介にならないのか。なぜ年齢や趣味や出身地を言うことは自己紹介になるのか。昨日あったことは社会的なものではないから、とするなら、そもそもこの社会はなぜ日記の社会ではなく年齢の社会になっているのか。同時に、日記の社会はたしかに存在し、明治に小学校ができたときから日記は宿題になっている。とするなら年齢を言わせるのも日記を書かせるのも同じ社会であり……

博論本は7555字(前日比+866)。まあ減らないよりはいい。減ったとしても動かないよりはいい。

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9月12日

昨日書くのを忘れてしまっていたが、一日1500字ほどずつ進んでいまは6689字(おとつい比+3100)。いちど手が止まったところがあったが、即座にscrivenerのドキュメントを分割して新たに日付がタイトルになったドキュメントを作り、そこから書き始めるとまた動き始めた。もう少し区切りのいいところまで書けたらもとのドキュメントに統合すればいい。ドラフトを書くときにタイトルを日付にするのは以前思いついたやりかたで、そのときはひとつの日付のドキュメントを一定のまとまりが生まれるまで数日かけて書き、次にまた新たなドキュメントをその日の日付で作り、というのを繰り返していたが(たしか第4章の後半を書いていたときだ)、ふつうに章立てに沿ったドラフトを主としつつ、スタックしたらそこで日付に切り替え、再統合して戻り、というのを繰り返すといいのかもしれない。無時間的な「作品」であることと、それがしかし今日書けることしか書けない「日記」の集積であることをブリッジすること。

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9月11日

上野でろばとさんと大和田さんと飲む。約束したのは1週間ほど前で、こないだの布施くん・八木くんと飲んだときもそうだったが、いつのまにわれわれは約束して会うようになったのだろうと思う。でもそういうくすぐったい感じもいいのかもしれない。早めに上野に出てドトールで作業をして、数年ぶりにろばとさんに会い、アメ横の高架下の居酒屋で話しているところに大和田さんが来る。時間制なのか9時頃に店を追い出されて、上野公園の四角い池のそばに座って話していると、大和田さんが空に衛星がいくつも同じ方向に飛んでいるのを見つけた。帰り道、今日の出来事が頭のなかで文字になって、こないだの小倉さんたちもそうだし、さいきん久しぶりのひととよく会うなと思い、「旧交を温める」という言葉が出てきて、まさか自分が「旧交を温める」ようになるとは、はたちの頃には自分が「旧交を温める」ようなことをするなんて思いもしなかったなと思った。そこにはうっすらと政治の匂いがする。いまさら企みもオルグもないが、会うこと自体に、「顔を見せる」という言葉に含まれているような、自分の存在を人質としてちょっと見せておくような、そうした酷薄な社交的次元——それは文字通り酷でアンフラマンスなものだ——がひとつの陰影を与え、そのような場でこれからは遊ぶのだと思う。でもそれは後ろ暗いことでもなく、ちょっとくすぐったいというくらいのことで、逆に言うとそのちょっとのくすぐったさが恥ずかしくて、若い頃(?)の遊びがあっただけだとも言える。約束して会い、終電前に帰る。それだけのことだ。

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9月10日

思えば、今年の夏は、アームウォーマーの夏であった。僕は極端な寒がりで、冷房が強いところにいると手と足が冷えて体が縮こまってしまう。それで、以前から夏はユニクロの小さく折りたためるナイロンパーカーを持ち歩いていたのだが、あるときふと腕だけ温めればよいのではないかと思い、ワッフル生地の白いアームウォーマーを買った。そこからは、そもそも冷房のないACAC滞在の期間は別にして、家でも珈琲館でもドトールでもアームウォーマーを着けていた。ぱっと見長袖のTシャツを下に着ているだけにも見えるし、ナイロンパーカーよりずっと持ち歩きやすい。しかしそうすると、そもそも僕に半袖Tシャツは必要なのかという話にもなってくる。

博論本最終章の進捗は3598字(前日比+1238)。20万字ほど書いてきたものを2000字で振り返り、犯罪的な横暴だと恐ろしくなる。たぶん次は「ポスト構造主義」の自分なりの定義について3000字くらいで書くことになるだろう。ますます恐ろしい。でもやんなきゃしょうがないのだ。それは学的な義務というより古くさいケジメに近く、自分を見切ってしまうことの切なさと享楽がある。

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