9月9日

昼ご飯に商店街のベトナム料理屋でバインミーを買って帰る。初めて食べた。パンに塗られたパテのコクとパクチーの香り、なますのような味の大根、ニンジン、きゅうりの爽やかさ、牛肉の甘み。思ったより野菜がたくさん入っていて食べやすかった。また食べようと妻と話す。昼はバインミーだったから夜はチクゼンニーや、と言ってスーパーに材料を買いに行って筑前煮を作った。

博論本は6章冒頭のドラフト2360字(前日比+1302)。「振り返り」と題したドキュメントでここまでの話をまとめている。気の抜けた感じが好きなのでそのまま「振り返り」というタイトルの節にしてもいいかもしれない。

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9月8日

博論本。プロットは6章の出だしがここから先は書いてみないとわからないなという密度になってきたので、エディタに移って頭から文章を書いていく。結局プロットとはぜんぜん違うことを書いたが、まあそういうものだと思う。1058字進む。これから字数を記録していこう。

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9月7日

宿を出てビーチのジョナサンでパフェを食べて帰る。直前に予約した新幹線に飛び乗って、ちょうど来た地下鉄に飛び乗るとあっというまに家に着いた。熱海まで電車に乗っている時間だけなら40分ほどだ。

『訂正可能性の哲学』を読み進める。内容よりいたって迷いのない文体で書かれていることに面食らう。東浩紀といえば、進んでは戻って別の道を探し、逐一そのことを読者にエクスキューズしながら書くのに独特のドライブ感がある書き手だと思っていたのだが、今回はなにか吹っ切れたようなところがある。東浩紀でさえこうなるのに25年かかるのだから、僕はまだまだ迷っていていいのだと勝手に励まされたような気持ちになる。

ところどころ、子供はそんなに、鬼ごっこがケイドロになりケイドロがかくれんぼになるような放埒な遊びを遊ぶものだろうか、とか、家族の拡張性について僕自身がいちばんびっくりしたのは結婚して「親が増えた」ことだなとか、間違いとランダムネスはどうして同一視できるのか、とか、感想の種のようなものが浮かぶ。ページに書き込むようなことでもなく、読書ノートもつけないのでどこに書けばいいのかわからず、ここに書くことにした。

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9月6日

丸一日ホテルのなかで過ごした。

早起きして朝食のビュッフェを食べて日記を書く。2000円で釣りを体験できるアクティビティがあって申し込む。他にも大きなサーフボードのようなもののうえでオールを漕いで周りの海で遊んだり、シュノーケリングができるようだ。アクティビティのスタッフはみんな揃いのTシャツを着て一様に日焼けしており、短いズボンから元気な太ももが出ている。竿と餌のエビを渡され、やりかたを教えてもらう。外廊下から真下に糸を垂らすだけだ。先にひとりで参加していた若者のバケツにはごく小さな茶色い魚が2匹入っている。溶岩でできた岩礁に垂らした糸の先に白い餌がかすかに見える。柔らかい波のせいで餌の手前で眼がはじかれる。そうしているうちに異変に気付いて糸を巻くと餌が取られている。臭いエビをふたたび針に付けて糸を垂らすと、波の向こうで小さな魚たちが餌に寄ってきているのがかすかに見えるが、手応えもなく器用に餌をつついていく。じゃぽんという音が聞こえて妻のほうを見ると、竿のハンドルが急に外れて海に落としてしまったらしかった。

部屋に水着を取りに帰ってプールに行く。ひょうたん型の小さな温水プールで、海とガラスで隔てられている。眼鏡をつけたまま入って、顔を出したままクロール、平泳ぎ、背泳ぎで何度か往復する。泳ぐのは久しぶりだ。妻は妻で化粧をつけたままで、顔を上げて泳げないというのでバタ足しているのを手を引っ張って歩いた。体が冷えたので温泉に行ってサウナに入り、窓から太平洋を背景に行ったり来たりするおじいさんの実に多様な裸を見ていた。硬い黒ずみが腰にある者もあればお尻と脚の境目にある者もあり、僕はどっちなんだろうと思った。

ホテルはリゾートホテルと言えるほどサービスが個別化されておらず群れとして扱われていて、客層も素朴で高級な健康ランドのようにも見えるが、建った時代が時代なのでその高級さは本気のものであり、大衆の贅沢が本当の贅沢だった時代の念のようなものがまだ引用符抜きに残っている。建物自体がつねに波に打たれていることの迫真性も手伝っているかもしれない。

夜中、寝入りばなに突然部屋のスピーカーからサイレンが鳴って、火災報知器の作動を告げる。誤作動だよと言って眼をつむってしばらくすると今度は「火事です」と断言する放送があり、それも録音なのでまあ誤作動だろう、どうせ上階が出口なのだと思いながら妻に合わせて携帯と財布と煙草を持って出ると、クロークで話を聞いてきたらしい男が出てきた客に誤作動だったようだと伝えている。目が覚めてしまったので喫煙所に行くと同じようにぞろぞろと揃いの館内着を着た客が集まっていて、文句を言っている。放送で誤作動の謝罪がなされる。部屋に戻って寝た。

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9月5日

新幹線の改札のなかのカフェでコーヒーを頼むと、「端末が光りましたら音が鳴るまで長めのタッチをお願いします」と言われ、光、音、タッチと頭のなかが点滅しこんなにマルチモーダルな指示で大丈夫なのだろうかと思った。大丈夫でないひとであればもっとゆっくり説明する必要があるし、大丈夫なひとであれば端末を指さすだけで済む。

妻と2泊の熱海旅行。熱海で降りたものの事前に何も調べずに来たので、駅前の喫茶店でどこが栄えているのか見て、商店街を抜けて海に向かって降りていく。小さな薄墨色のビーチを囲むようにホテルが並んでいて、そのわきに小さな古い熱海銀座という商店街がある。鰺のたたきの丼を昼ご飯に食べて路線バスで岬にあるホテルまで移動する。バスは観光地を周遊するバスで、マイクを持って座ったおばあさんが「右手のソテツが生えたところにある石碑、ソテツが伸びて石碑がほとんど隠れてしまっていますが、ソテツの下に見える石碑は……」と各スポットを紹介していた。

ホテルは高い崖にしがみつくように建っており、17階の最上階がエントランスで、それがそのまま崖の高さに対応している。最近新装開店したらしく、とはいえ、見た目はそのままバブル的な余裕のあるケバケバしさを残していた。波打ち際のすり鉢状になった食事会場でビュッフェ形式の夕食を食べ、温泉に入って寝た。

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9月4日

夜中、妻が寝てから、腰痛の次は鼻毛だ、と思いながら小さなハサミで鼻毛を切った。

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9月3日

腰痛がほとんど治った。背中全体のこわばりと腰の緊張が剥がしがたく連動している感じや鈍い痛みもなくなり、しかし右肩甲骨と右の腰とお尻の境目あたりに少し凝りが残っている。

どうしたら治ったかというと、深呼吸をしたら治った。まず、数日前にムスリムのお祈りの姿勢は腰痛によさそうだと思って調べてみるとどこかの整体師が同様のことを書いており、正座したまま上体と腕を前に投げ出して最大限の深呼吸をするストレッチが紹介されていた。やってみると呼吸に合わせて脇の下や肋骨の周り、お腹の筋肉が引き攣るのがわかる。

それで今度は「腰痛 呼吸」で調べてみるとやはりこのふたつには大きな関係があって、筋肉的にも神経的にも呼吸の浅さは腰痛の原因となる、というか、胸郭の固着など腰痛の他の要因と循環関係になりがちなようだ。

4-5秒大きく吸って、4-5秒息を止め、6-8秒かけて吐く。息を止めたときに胸やお腹に突っ張った感じ、横隔膜がスムーズに引き下がらない感覚があったのが、内側から押し広げるように少しずつほぐれていく。それをしばらく繰り返して、普段もなるべく深く息をするように意識して一日過ごしてみると翌朝には治っていた。残っている凝りは姿勢・動作にかかわるものだろう。そしてなぜ呼吸が浅くなったかと考えると、たぶんスマホのせいだと思う。

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9月2日

堀千晶さんの『ドゥルーズ——思考の生態学』の合評会を聴きに池袋の立教大学へ。キャンパスに着くと門のところで髪の長い小倉さんに会い、背伸びた? と聞かれる。直接会うのは4年ぶりくらいかもしれない。同じくらい久しぶりの平田さんや、いま小倉さんと3人で共訳本を作っている、直接顔を合わせるのは初めての黒木さん、その本の編集の阿部さんにも会えた。気付くとドゥルーズ研究者だけで10人くらい集まった会になり、合評会の議論を聴いていて、ベテランから若手までひとつのことについて話せる場所としても学問は大事だなと思った。いきおい僕は本流のアカデミズムとは微妙な距離感でやっているのもあり、同じ世代でかたまりがちだ。堀さんは僕の『眼がスクリーンになるとき』の合評会に登壇してくれて、僕は僕で今回司会の渡名喜さんの本の合評会に登壇していて、どちらもわりとソリッドな批判的やりとりだったので行く前はちょっと構えていたけど、やはりわざわざ足を運ぶことには価値があり、打ち解けて話すことができた。博論の審査に加わってもらったうえに学振の受入れ教員になってもらったのにもかかわらずいちど挨拶に伺ったきりで、内心不義理を申し訳なく思っていた江川さんにも会うことができた。彼はストイックな現代音楽家のようなちょっとこちらが気圧される風貌なのだがいたって気さくな方で、打ち上げでスピノザとドゥルーズの関係について無邪気に話してくれて、僕は僕でスピノザに戻したくないのだと話し、つねに話は並行しているのだが同じことを話しているような、ベテラン研究者と話しているときに特有の不思議な感じになる。彼は終始同世代の鈴木泉さんと軽口を飛ばし合っており、40年も50年も哲学をやってこれくらい明るい人間でいられるのならいいなと思った。

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9月1日

夕方にばあちゃんから葡萄とマスカットのセットが届いて、お礼の電話をした。実家の近くに「葡萄浪漫館」という直売所があって、そこで買ったものだ。電話をかけるとじいちゃんが出て、代わると言って受話器を置いてばあちゃんが出た。葡萄は露地のものが出るまで待って買ってくれたらしい。家族やいとこの近況、お盆はどういうひとが集まったかを聞く。その口調がちょっと、気を失ったひとに名前や生年月日が言えるか確認するような口調になっていないか気になる。夜中には久しぶりに黒嵜さんと電話をして、互いの様子を話した。元気かと聞かれて元気だと言いながら一瞬、いつから数えて? というあてどなさを感じた。どちらも自分の時間幅を回復するような電話だった。名前と生年月日を言うべきなのは僕のほうかもしれない。

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8月31日

ただいま9月1日の午前8時47分。締め切りから7時間遅れで「言葉と物」第5回の原稿1万字ちょっとを書き終わり、煙草を吸おうと台所に行くと箱が空っぽで、コンビニに買いに降りたついでに買ったコーラで祝杯を上げているところ。ここのところ起きるのが昼過ぎを越えてほとんど夕方になり、日記を更新するのも5時とか6時になっていたので、ひさしぶりに朝書いてそのまま起きて夜寝るリズムに矯正したい。煙草を買いに降りながら、それにしても今年はなんという年なのか! と思った。連載はあるし、博論本はあるし、日記はとっくのとうにこちらのネタやトリックで捌ける量を超えてそのつど拾ったものでやりくりしているし、どうしてこれほど負荷の高いものを同時にやらねばならないのか。だいたい家か近所にいるだけなので「忙しい」ということでもないのだが、気が休まる日がない。完全に自分で撒いた種で、来年の収穫まで走りきるほかないのだが、来年は本当に収穫だけして栽培はしたくない。しかし恐ろしいことに、今年で学振が終わるので来年は働かなければならない。収穫にともなう印税だけで暮らすことも計算上不可能ではないが、そうするとせっかく収穫したものを生活費に溶かすことになる。いやいや、先のことを考えてもしかたがない。とりあえず9月末締め切りの「言葉と物」はスキップして1号休載させてもらうことにしているので、10月末までに博論本の初稿を仕上げることに集中しよう。その期間はこの場もその日誌的に使うべきかもしれない。

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