10月20日

10月ももう20日。11月末までに博論本の初稿を仕上げるつもりでいるが、はたしてどうなのか。月末には連載の締め切りもあるし、もっと一日の作業量を増やすべきなのかもしれない。いままで純粋な原稿の進捗に関しては1日に1000字ちょっと進めばよく、1〜20日は博論本、20日〜月末は連載という感じで振り分けてきたが、そうすると今月末までの10日間連載を書いているだけで終わってしまう。ふたつの仕事を時期で分けるのではなく同時に進めながら、かつそれ以外の仕事を捌いていく必要がある。そうするとたぶん、喫茶店ではなく家で作業する時間を増やし、日記を夜のうちに書くというふたつの、僕にとっては身を切るような、変化が必要になる。起きてから日記を書き終わるまで2時間くらいかかってしまうし、そのあと外に出て店に入って出て昼ご飯を食べてまたどこかに入って、というのはダブつきが多すぎる。計算式を変える必要がある。いやはや。しかしあとひと月半くらいのことだ。それで終わるんだったらなにをしてもいい。

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10月19日

まだ腰痛、首と肩の凝りとの闘いはうっすら続いていて、体の使い方でかなり楽になってきたのだが、あいかわらず寝付きは悪いし、もっとホーリスティックなアプローチが必要なのではないかと思い、漢方医に見てもらうことにした。日ノ出町に内科・漢方クリニックがあって、3時に予約して行く。問診票に体の不調を片っ端から書く。頭痛(夕方になると後頭部が痛くなる)、首・肩凝り、腰痛、寝付きの悪さ、慢性的な後鼻漏(上咽頭炎があると思われる)、これらにともなう倦怠感。こうして書き出してみると、当たり前だと思って引きずって過ごしてきた体が、こんなにも傷ついていたのかとかわいそうになってくる。医者は目つきのしっかりとした50がらみの男で、症状を確認し、僕を仰向けにして腹を触り、舌を見た。僕は東洋医学的に言うと「水」に偏りがあるようだ。葛根湯加川芎辛夷という漢方を2週間処方される。

カフェドクリエで作業し、有隣堂に寄って文房具を見る。クリップとボールペンが一緒になったゼブラのPitanという商品が出ている。磁石でペンを固定するホルダーを薄いクリップでノートのカバーに挟んで使うものだ。基本的にパソコンと本を往復する仕事で、そのあいだでノートとペンをどう位置づけるかいまだにしっくり来ていない。思えば小学校このかたノートと筆箱との距離を病んでいる。どうせそんなに使わないだろうなと半分諦めながら買って、ドトールに入ってノートに装着してみる。そのまましばらくノート上で原稿の続きについてスケッチして、まあ、仮にこれっきりでもいいのだと思った。

夜、揉まずに皮膚の表面を撫でるだけのリンパケアについて調べて、「スピノザと迷走神経政治学」というタイトルを思いついて寝た。

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10月18日

授業。学生に自分の関心で選んでもらった論文をみんなで読んでから集まり、その学生が論文についての2000字のレビューを発表し、議論する。僕が論文から抽象的な構造とその重心を取り出し、ホワイトボードにマッピングする。その観点から論文のもったいないところ、レビューが論述の推移に引っ張られて構造的に把握できていないところを指摘する。僕が話すのはいつも、構造と量の話だ。こういう構造なのだからここがいちばん大事なことであるはずで、いちばん大事なことにいちばん多く文字が割かれていないのはおかしい、と。研究の形式性を、大事なことについて話すのを先送りにするために使ってしまうケースが多い。研究対象の背景、先行研究の整理、あり合わせの「理論」に基づいた中立的な分析、そして最後に反語的に投げかけるように、大事なことが問われる。本当はそこから出発するべきなのだ。だから文章は2回書かなければならない。

帰り道。新横浜から地下鉄に乗る。前に立った男がつり革を持つ手の肩に布のショルダーバックを提げていて、座っている僕の膝に付くか付かないかのところで揺れている。どうしてこんなにベルトが長いのか、歩きながら腿で弾いているのか、膝に付くとそのぶん鞄が軽くなり、それに相手が気付き、そのことに対してどう感じるか僕が考えなければならず、出来事が増えるので付かないでほしいと思った。

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10月17日

京都に向かう新幹線で書いている。スタバでカフェラテを、ホームの崎陽軒でシュウマイ弁当と水を買った。EXカードでチケットを買うとポイントが貯まって、普通の指定席の料金でグリーン車に乗れるのだが、それでいまグリーン車に乗っている。のぞみだと1000ポイント必要で、ひかりだと800ポイント。だから800ポイント貯まるごとにひかりのグリーン車に乗っている。毎週新幹線に乗る生活もたぶんもう少しで終わる。

というところに昨夜、東海道新幹線の車内喫煙ブースがなくなるというニュースが流れてきた。僕が修士の頃にはまだ車両まるごと喫煙可の新幹線もあった。全面喫煙から分煙へ、そしてブースへの閉じ込めからローラー作戦的な全面禁煙へ。このうち分煙(分割)からブース(閉じ込め)への移行にこそクリティカルな分岐を見るべきで、だからこそ分煙の意味をあらためて説くべきなのだということは「スモーキング・エリア#1」で書いた。

煙草は、炭坑内の酸素の有無を調べるためにかかげるロウソクのようなもので、つまり、煙草が吸えないような場所は煙草だけでなくいろんなものについて「できなくする」ことに余念がない空間だ。われわれはロウソクが消えるのを見て、非喫煙者よりずっと手前で引き返す。小さな舌打ちとともに。

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10月16日

2回目の横国での授業。授業後にバイク置き場にある喫煙所で煙草を吸う。車止めのあいだをすり抜けるときに先週もこうだったなと思い、先週は祝日だから閉まっているのだと思っていたが、どうやらここにあるバイクは勝手に廃棄されたものらしい。そう思ってみるとどれも薄汚れていて、ナンバープレートがないものもある。ここは墓場だったのだ。停車しているのではなく廃棄されているのだと思う。行きと帰りの坂道でいちどずつ涙が溢れそうになった。帰りに関内で降りてカフェに入ったが、なにもできなかった。

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10月15日

風呂に浸かっていると近所のスナックのカラオケが天井の換気扇を通ってかすかに聞こえてくる。またドアを開けたまま歌っているのだろう。ダクトに反響して金属的にくぐもった声にはアザーンのような宗教的な響きがある。アザーンなんて聞いたのはインドだったか、ベルリンだったか。風呂から上がってYouTubeでアザーンの動画を調べると、東京にあるモスクのテラスに立った男がアザーンを唱えている映像に、かわるがわる夕方の街の景色と室内の装飾がオーバーラップする動画があった。

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10月14日

土曜日。カフェドクリエとドトールで作業をする。また原稿が動き出す。

ジジェクはガザとイスラエルの戦争について、対立はパレスチナとイスラエルのあいだにではなく、原理主義者と平和を求める者とのあいだにあると書いていた。何も言っていないが、何も言えなくなるのだ。

夜、先週の授業で授業支援システムの使い方をテストするために出した、日記の課題を読む。169人の若者の日記をいちどに、とりあえず量として浴びた。

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10月13日

妻と家を出て、イセザキモールのユニクロで冬の部屋着を買い、丸亀製麺で昼ご飯を食べた。かけうどんに秋刀魚の天ぷらといなり寿司をつけて690円。マックのダブルチーズバーガーセットより安い。西日本から関東に出てきた者にとって丸亀製麺はいちばんのアジールである。そこには無数の土曜のお昼が畳み込まれている。夜、ジムまで歩いて行ったら休館日だったのでそのまま歩いて帰った。イセザキモールは一転して、水商売、移民、芸人の街になっている。アマゾンでいちどに買った寝つきをよくする「ナイトミン 眠る力 快眠サポートサプリ」、「漢方 ナイトミン」、「ナイトミン 耳ほぐタイム」を試してみる。耳ほぐタイムはイヤホンにカイロがくっついたようなもので、たしかに気持ちがいいが、結局自分の呼吸音が誇張されて落ち着かなかった。サプリと漢方も効いた実感がなく、結局1時間ほど横になったあと諦めて起きて『知の考古学』を読み返していた。『知の考古学』はみんな読むといい。後期フーコー、後期ラカン、後期デリダ、何かというと後期になったら構造主義的頑迷さから卒業したものとして評価されがちだが、なんだかなと思う。

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10月12日

席で煙草が吸えるカフェドクリエへ。今日はコーヒーは飲まない日にしようと思ってバナナオレを頼む。パソコンを開く気にもなれず音楽を聴きながらぼーっとしていると、こないだも見た男が向かいの席に座る。白いワイシャツを着ていて、席に着くなり鞄から忙しなく何かの資格の参考書や手帳、ノートを取り出す。その動作のひとつひとつが不用意に乱暴で、自分は何か特別なミッションに駆られているのだ、なんといっても仕事もして資格の勉強もしているのだと周りを威圧するような感じがある。悲しくなってきて店を出て、ジム・オルークの「Happy Days」と「Bad Timing」をかわりばんこに聴きながら歩く。どこに行っていいのかわからない。行って何をすればいいのかわからない。結局ドトールに入って温かいルイボスティーを頼み、同じように音楽を聴きながらぼーっとする。料理くらいはちゃんとしようと思ってスーパーに寄って帰って、こないだYouTubeで小倉知巳が作っていた秋刀魚とフレッシュトマトのパスタを作ることにした。秋刀魚をおろし、オイルににんにくの香りを移しているところに内臓を入れて味のベースを作る。別のフライパンで皮に焼き目をつけているあいだに湯むきしてスライスしたトマトを入れて、最後に秋刀魚も合わせて身を崩すとソースができる。茹で上がった麺と合わせてイタリアンパセリを加え、皿に盛ってから刻んだかいわれ大根をたっぷり乗せ、その上にかぼすの皮を削ってかける。これまで食べたパスタでいちばんおいしいかもしれないと妻が言ってくれた。秋刀魚があるうちにまた作るよと言った。

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10月11日

何が起こったのかわからないが、とても気分が落ち込んでいる。布団に入ってしばらくすると体が痺れるように温まってきて、もう眠っているのはわかるのだが耳だけが冴えて、妻が動く布団の衣擦れや鳴き始めた鳥の声がいちいち意識を引き戻す。そうやって仰向けになって耳で空間をまさぐるようにしていると明るくなってくる。もう2時間も一睡もできずに横になっている。京都からのとんぼ返りの疲れだろうか。喋りすぎたのかもしれない。ふだん喋らなすぎなのかもしれない。頭の奥のほうの襞で言葉がまだ反響している。朝家を出た無口な私と夕方京都を出た饒舌な私が頭のなかで無言で落ち着きなく寝返りを打っているような。

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