9月13日

渋谷のO-EASTにogre you assholeのライブを聴きに行った。こないだDos MonosのライブでO-EASTに行ったときは、鞄をロッカーに預けることができず、トートバッグが肩からずり落ちて煩わしかったのでショルダーバッグにした。ハトラの、キルティングで模様が入った、ぱっと見袈裟みたいに見える、肩紐の幅が広くて本体が真四角のバッグ。早めに家を出て横浜駅の伊東屋で文房具を見てベローチェでリゾットを食べてゆっくりしていたら気づくとギリギリの時間になっていた。

ライブは素っ気ない始まりで、演出もVJなどは使わず照明だけで、結局最後まで挨拶以上のMCはなかったが、中盤からうねりが生まれて深くかき混ぜられるような演奏だった。驚いたのはまず音の分離のよさで、ディレイやリバーブを多用しているだけに不思議だった。全体でひとつのパートだけギターソロがあったのだが、それはほとんど非現実的な感じがするくらい近くで聞こえた。あと、スマホを掲げて動画を撮っている人がぜんぜんいなかった。こないだ山下達郎が客に動画を撮るなと言って怒ったという話があったと思うが、何も言わずにそういう状況が作れるのはすごいことだよなと思う。20周年ライブだったのだが、20年のあいだ、とりわけ大きくも小さくもならず、地方を拠点として、しかし発展し続けるというのは狂気的なことに思えた。

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9月11、12日

9月11日

半年ほど前、コンタクトレンズの定期購入を始めたのだが、結局ほとんど着けないのでどんどん溜まっていき、しばらく前から解約しないといけないなと思っていて、ようやく店に行った。店員に解約の話をすると、どこから女性の上司が現れて、週何回使ってますかと聞かれる。どうしてかぜんぜん使っていないと言えず、1、2回ですかねと言うと、それだったら1年間中止してそれから再開するか考えたほうが、解約してから再開するよりずっといいと言われる。まだ逃げ道を残した言い方をしてくれたので、いやまあとりあえず解約でお願いしますと言って店を出て、ちょっと身軽な気持ちになった。

ドトールの8人掛けの大きなテーブルが好きでそこで作業をしていると、ふたつの新聞を読んでいる隣のおじさんが「すごい雨だよ!」と話しかけてきた。イヤホンを取るとざーっというすごい音で、「こんな雨は初めてだ!」と興奮気味に話していた。

9月12日

本を4冊ばらばら読んで過ごす。いま暇すぎて、どうすれば忙しくできるのかわからなくなった。本のゲラは週明けまでこないし、抱えている原稿もないし。依頼を待たずに次の本の原稿を自分のペースで書き下ろしてみようかという考えが頭によぎったが、まあまた考えようと思った。

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9月9、10日

9月9日

次の本のカバーデザインの打ち合わせで、事務所がある代々木のマンションの前で編集者さんと待ち合わせる。いままでの本はデザインのコンセプトや装画をお願いする画家について僕から提案していたが、今回の本は自分でもこの文章がどういう物体になるべきなのか見当もつかず、まあ他人にまるごと決めてもらうのがいいのかもしれないと思っていた。結局、デザイナーさんがすごく丁寧にこちらのこの本への思いを掘り起こしてくれて、僕にとって初めてサブタイトルのない、4文字のメインタイトルだけで完結した本であることとか、そういうところから、形になっていなかったものがするする口から出てきて不思議な気分だった。具体的にこうしてほしいと言ったわけではないが、僕が渡せる材料は渡せたなと思う。編集者さんと駅に戻りながら、帯文のコピーについて相談した。

そのままシットとシッポの収録へ。昨日ぶりに荘子くんに会う。ふだん友達と遊んだりしないので、妻の次によく会う人になっている。

9月10日

ここのところ二日分の日記をまとめて書いているが、いまはなんだかこのかたちがしっくりくる。おせちの重箱みたいで。4年書いてきて時期によって気分が変わることに躊躇がなくなってきた。段落分けも去年までほとんど使っていなかったし。

夜中、お腹が空いたので卵ふたつのベーコンエッグを作ってひとりで食べた。

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9月7、8日

9月7日

たぶん15年くらいぶりにふと丸山眞男の『日本の思想』を読み返す。前に読んだときは内容もぜんぜんわからず、雲を掴むような読書だったが、いまとなると自分もこの本の続きにいるのだということが感じられる。

二点思いついたことがある。

日本においては歴史が弁証法的に発展せず、雑多な伝統が空間的にストックされるだけだという批判はよくわかる。しかし、理論と現実が対決する場としての歴史を日本に作れるかというと、やっぱり無理なんじゃないかという気もする。もし問題そのものから作り変えるとすれば、なぜ日本の思想は空間ではなく空間「的なもの」に基礎的な思考のイメージを求めるのか、という観点はありうるだろう。というか、「ポシブル、パサブル」以降、次の本もそうだが、僕がやってきたのはそういうことなのだなと思う。今西錦司の「棲み分け」も柄谷行人の『日本精神分析』も東浩紀のデータベースモデルも、そして丸山も空間からメタファー以上のものを取り出そうとしない。

それと、戦前戦中の左翼の転向はある種の「帰省」としてなされていたのだなと思い、ニック・ランドの「声」と「出口」の対比は、日本では「お気持ち」と「実感」のぐずぐずな対立に変換されているのでは、と思った。

9月8日

荘子くんと近美の戦争画展を観る約束をしていたのだが、竹橋駅に着いてふと月曜であることに気づき、調べるとやはり休館日だった。とりあえず合流して近くの定食屋で焼き魚を食べて、靖国神社と遊就館に行くことにした。遊就館は、太平洋戦争を必死にやらされた戦争にしようとするあまり、大東和共栄圏という当時の理想を語ることすらできなくなっていたのが面白かった。靖国には三つも喫煙所がある。思いのほかゆっくり観てしまい荘子くんの子供のお迎えの時間になり、収録は明日改めてすることにした。

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9月5、6日

9月5日

夜中、YouTubeで白桃ピーチよぴぴがニューヨークと喋っている動画を見た。よぴぴは4月に上京してから、ホームシックで何をする気力もなくなってしまったらしい。

9月6日

海外の美大で学んでいるリクルート財団の奨学生たちの展示、「回帰観測」展でのトークイベント。10歳くらい下の作家たちと話す。応対がものすごく丁寧で、かしこまっているので、関係あるんだかないんだか微妙な話をちょっと長く話して安心させる。自分にもこういうことができるのかと思った。

会場は靖国神社の入口の真向かいにあるリクルートのビルのエントランスで、みんなに挨拶をして外に出て、靖国も昭和館も行ったことがないしちょっと寄ってみようかなと思ってやめた。靖国通りってほんとに靖国神社に突き当たっているのだなと思いながら脇道に入って煙草を吸った。夏の終わりの涼しい夕方だった。

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9月4日

新しいスマホが届く。いろいろ試したが結局昨日壊れたスマホの電源が入らないせいでデータ移行ができず、いちから設定する。そもそもSMSを受け取ることができないので二段階認証が必要ないろんなアプリにログインできず、まずeSIMの機種変更を申請する必要がある。ということに気づき、いろいろ調べ、本人確認のためにインカメラで顔を写したり、免許証を斜めから撮ったりしてようやく回線が繋がる。それと、suicaの移行がとくに厄介で、もとのスマホが使えない場合再発行申請に一日かかるらしい。実際はもっとあっちこっちしているのだが、こういうことを書くのは難しい。

ツイッターを開くといま物書きが生きていくのは大変だと、経済構造の話や媒体ごとの原稿料の話で盛り上がっていた。そういう寄り合い的な愚痴を言う人に限って自分で原稿料の交渉をしたりしていないのだろうなと思う。僕は25歳のとき初めて商業誌から原稿依頼が来たときに原稿料が倍にならないなら書かないと言って断ったし(それはお金だけでなくそもそも3週間で8000字というめちゃくちゃなオーダーだった)、もとより文筆業なんて「業界」とか「相場」とか、そういう一般性のレベルで話すことに公共性が宿るほどたいそうな世界ではないと思う。保育士とか医療従事者ならともかく。自分で考えて自分で試して自分で決められるのが物書きのいいところなのに。問題は欲望のありようで、それはお金にも仕事のしかたにも文章のかたちにも跳ね返ってくる。

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9月3日

朝、突然スマホの電源が落ち、それから何をしてもうんともすんとも言わなくなる。1年前に買ったGoogle Pixelの折り畳みスマホで、iPhoneから気分を変えてみたくて買ったのだが、ただ重さが2倍になっただけのスマホで、ずっと後悔していた。幸か不幸か、ちょうど先日新しいスマホを注文したところで、明日には届く。最後までギスギスした関係のままだったが、スマホのほうでもそう思っていて壊れたのかもしれない。ともかく今日は一日スマホなしで過ごさなければならない。しかも間の悪いことに、妻と映画を観に行くために早起きしたので、修理や保証のことを考える余裕もなく家を出た。

桜木町のシネコンで『海辺へ行く道』を観た。荘子くんが音楽を作っていて、これはさすがに観ねばと思って、たぶん今年初めて劇場に行った。

観る前の印象としてはもうちょっと青春映画っぽい、ドタバタした感じなのかなと思っていたが、エモさに逃すこともなく、ガチャガチャした不条理に居直ることもなく、大人も子供も日常も奇跡も等距離で撮られた映画で、落ち着いて観ることができた。有名俳優が多い大人たちは顔がパキッとしていて、キャラも戯画的に誇張されているのに対して、とくに主人公の男の子は最後まで顔がはっきりせず、曖昧な存在感を保っていたのが面白かった。こういう、素であることと変であることをどちらも押し潰さない子供の撮り方もあるのだなとハッとさせられ、翻っていかにフィクションのなかの子供に感情労働を押しつけてきたか考えさせられた。大人たちは戯画的に変なのもある種の責任の取り方なのかもしれない。絵の具箱に一万円札が入っているショットがいちばん感動した。

Wi-Fiが繋がるところからツイッターのDMで荘子くんにスマホが壊れてLINEが使えないのですぐ連絡がつかないかもしれないが、時間通りに着くように向かうと言って切符を買って電車に乗って「シットとシッポ」の収録に向かった。

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9月2日

妻と出かけて近所で仕事。ベローチェで作業をして、ロイヤルホストでご飯を食べて、珈琲館で作業をして、サミットで夕飯の材料を買って帰る。

珈琲館で、客が、「存在しない棚をまだ作っていない」と言っているのが聞こえる。よく聞くとまた、「存在しない棚を潰さないと新しい棚が作れない」と言った。パーカーを着た大柄な男で、女性を相手に話している。何かの店の棚の話をしており、「ジャングル重機」という言葉も聞こえた。「だいじょばない」も。

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9月1日

そういえば先日のトークで、「オルタナティブ」であることと「インディペンデント」であることを分けて考えたほうがいいのではないかと提案した。登壇者の涌井智仁さんが運営するWHITEHOUSEというスペースの運営方針についての話が面白くて、それを聴いてふとそう思ったのだ。WHITEHOUSEにはスタディーを積み重ねるラボ的な側面があり、場合によっては来場者の枠を絞り、実験途中のものを大きく開くことで作家の思考が希釈されてしまうことを防いでいるらしい。それは美術館でもなく、コマーシャルギャラリーでもなくという外側からの二重否定に依存したオルタナティブというより、インディペンデントという言葉のほうがふさわしい実践なのではないか。めっちゃ保守的なことをインディペンデントにやってもいいわけで、ふたつの言葉が指す範囲は本来ぜんぜん違う。しかし往々にしてオルタナティブという言葉は、インディペンデントになりきれないことへの引け目のようなものを無意識的にマスキングする方便として使われているのではないかという気もする。そもそも「オルタナティブ」は日本のカルチャー全般において、もはやほとんど和製英語的なアウラを帯びてしまっているのではないか。

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8月31日

懸案のトーク。案の定グダグダだったのだが、トークの前に見た敷地理と黒瀧保士のパフォーマンスは面白かった。敷地のパフォーマンスの終盤にギャラリーの外の道路に観客が連れ出され、彼は地面に座って何か詩の朗読をする。促されてギャラリーに戻ると、砂が敷かれた一画(他の作家の作品)の真ん中に、おしろいを塗った、19世紀的に袖が膨らんだブラウスを着た小柄な男が微妙な姿勢で立っておりぎょっとする。もう次のパフォーマンスが始まっているのだ。

トークはキュレーターの黒瀧さん(パフォーマンスした作家の双子の弟)が司会で、僕とふたりの出展作家、もうひとりのキュレーターの藤本さんが登壇していたのだが、半分以上の時間黒瀧さんが自分の仕事の愚痴みたいなことを喋っており、見かねて「それは美術の問題ではなく人生の問題で、たんなるミドルエイジクライシスなのではないか」と言った。そもそも完全にアウェーの空間だったので不安もあったが、お客さんもよくぞ言ってくれたという空気をビンビンに発していたので、さすがにオーディエンスはそこまでズレていないのかと安心した。自分がホストであることもわからないくらい足下が見えていないのに、不全感を謎の使命や責任にすり替えて自分の欲望や好奇心を見失っており、キツいなと思った。飲み会で唯一顔見知りの布施くんとちょっと喋って、久しぶりに自分以外全員が酒を飲んでいる空間の騒々しさに疲れて途中で帰った。みんな半分しか聞こえていないのに、二倍の音量で喋っている。僕はぜんぶ聞こえるが、音量が一倍なので誰にも聞こえない。

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