明日が締め切りの事務作業を片付けた。何もなくても頭のなかで何かの推敲をしているので、何であれ書くべきものがあるのは助かると言えば助かるのかもしれない。
人と比べようがないがいつも、絶えずと言っていいくらいそれが何の文章なのかもわからないまま頭のなかで何かを推敲していて、こないだは「腕によりをかける」と「手塩にかける」が頭のなかで衝突して「腕に塩をかける」になった。いずれにせよ書き物でそんな慣用句を自分が使うことはなさそうなのだけど。
ちょっとした光景や身振り、音楽、人の声でそれがときおり遮られることに救いを感じていたが、この日記を始めて、少なくともそれが何の推敲でもなくなるということはなくなった、のかもしれない。
日が延びた。日が延びたと、推敲した。