5月28日(シットとシッポ収録、5 Star Cowboy、セネカ孫引き)

シットとシッポの収録日。事務所に行くと没さんもいる。5 Star Cowboyの新譜、とくに「World Peace」がすごかったと伝える。ほんとにすごい。エンヤを爆音で流す宣伝トラックが交差点に突っ込んできたのかと思った。いつものように事務所の向かいのセブンでコーヒーを買って1時間の収録。次は広島で荘子くんに会う。

連載書籍化作業は引き続き佳境。『非美学』を出して、僕も角が取れてもうちょっと親しみやすいものを作るようになるのかなと思ったが、これはこれで別の意味で異形の本だ。僕はずっと、リーダブルにすることとリーダビリティを作ることは別のことだと思っていて、基本的には後者にしか興味がない。とはいえ生硬な部分はほぐしていて、それはそのまま過去の自分の屈託を乗り越えることでもあるので、時間もかかるし負荷も高い。

昨日はプルードン→エストライヒ→ローズ→僕の曾孫引きだったが、今日はフーコーの「自己の書法」(『思考集成IX』所収)で引用されたセネカの孫引き。

「一渡り眺めた著作の全体のなかから、その日に十分消化できる考えを選び出したまえ。それは私の実行していることでもある。自分が読もうとする多くのテクストのなかで、そのうち一つだけを決めるのである。さあ、これが今日の獲物だ。私が出会った獲物は、エピクロスの中にある。というのも、他の陣営に立ち入るのも私は好きなのだ。捕虜としてだって? いや、斥候としてだ。」

「自己の書法」はフーコーが古代の自己啓発と呼べるような、後期ストア派の哲学者たちが実践していた「覚え書き(ヒュポムネーマタ)」を分析した論文だ。面白いのは、フーコーが「覚え書き」をキリスト教的な「告白」の真逆の倫理を体現していると考えているところだ。覚え書きの真理は、いままで言葉にされていなかった内面の真理を語ることでもないし、著作や学説の全体性の虜になってしまうことでもない。すでに語られたことを、持ち帰れるサイズに切り出して、自分の陣地に帰ってくること。それを消化して自己を変容させること。日記も、講義のレジュメ作りも、原稿の執筆も、そういう第三の真理の場としてやっているのだと思う。

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カテゴリー: 日記