書類を印刷しようと思ったら家のプリンターのインクが切れて、Limited Inc.だなと思いながらトナーを引っ張り出そうとすると別の部品を引っ張って外してしまう。もともとそれがどうやって付いていたのかわからなくなり、適当に嵌めて印刷するが紙が詰まる。小さな暗闇にかがみ込んで、すべてを投げ出してしまいたくなりながら悪戦苦闘してなんとか直せた。これが直せなかったら僕はどうしていたのだろうと思いながら書類を封筒に入れ、宛名を書いて、家を出た。
「言語化」というが、それが頭がいいというイメージに寄与するにせよセラピーとして機能するにせよ、そこで言語化されるべきものとされているのは、当然ながら言語化されていないものだ。 だからこそ言語化できるということに一種のマジカルなものを期待してしまう。個別のテクニックよりこの期待のほうが分析に値すると思う。大ざっぱに見て、そこで期待されているのは「深さ」であって、「理解」であって、「センス」であるだろう。でも僕が大事だと思うのは深さの幻想を捨てて浅く即物的に記述することであり、全体的な理解に飛びつかずに狭く引用することであり、それっぽいセンスに憧れるのをやめて自分の人生で引き受けるに足るハッタリをかますことだ。あくまで記述と引用が文章にとっての体幹であって、まだかたちのないものに一足飛びに到達しようとするほど、発した言葉は「語彙力」のようなきわめて空疎な軸でしか見られなくなる。