日記の続き#22

横浜。蓮實氏のおかげで普段1日2、300しかないページビューが2000に跳ね上がったボーナスタイムも2日で終わり、平常運転に戻る。経験的に言って半年に一回くらいこういうことがある。もうちょっとマシなご褒美があってもいいんじゃないかとも思うが、ともかく。正味な話、読んでもらうことをご褒美としてカウントしていかないとその先にもつながらないのだ。だから投稿はすべてTwitterに流すし、必要とあらば蓮實について書いていますよとつぶやいたりする。それなら毎回日付や通し番号じゃなくてタイトルをつければいいじゃないかと思うかもしれないけど、それとこれとは別で、常連の人の信用とこの文章のコンセプトを守ることのほうが大切だと考えている。普段からよく読んでくれている人にとってはどこに向かうかわからない文章を1行目から辿ることがこの文章の楽しみのひとつになっているだろうし、それは僕にとっても同じことで、多少の打算はあってもそれに寄りかからずに書くのが楽しい。構文、主張、出来事の順序、連想、自己言及など、文章をドライブするものはたくさんある。まずもってそのたくさんあるのを眺める場としてこの文章はあるわけで、でもそればっかりだと何かが変な方向に極まって僕もキツくなってしまいそうなのでやっぱり半年に一回くらい風が入るのはいいのかもしれない。そう言えばボーナスってもらったことない。

日記の続き#21

京都駅英國屋のテラス席にリスポーン。また1週間が経った。僕にしてはめずらしく感情的な負荷のかかるコミュニケーションが多い週だった。叱ったり謝ったり嘆いたり、最後は蓮實重彦まで出てきた。いやはや。来週はゴールデンウィークで休みだし、2週間静かに過ごしたい。今12時半で、授業まで時間があるので昨日の続きでも書いておこう。蓮實は映画理論が映画に追いつくことなどないと言っていて、僕もそれは完全に同意するのだけど、その追いつけなさはべつにそれ自体としては瑕疵ではなく、理論的言説(哲学でも批評でもいいが)を映画と同じ資格のもとで、しかしそれぞれ異質な実践として捉えればよいのだと考えている。追いつけなさに感じ入ってばかりいてもしかたないわけで、映画から引き剥がしたものを言葉にして、それを別のところへ持って行くことに映画とは別の実践的価値を認めればよいのだと。ドゥルーズは『シネマ』の結論で、もはや映画とは何かではなく、哲学とは何かと問わなければならないときがやってくると書いている。映画に埋め込まれた理論を取り出す実践が、スクリーンに背を向けるときの到来を準備する。小さなさよならの積み重ねが人間を作るように客電の灯りとともに醒める意識から始まるものもあるし、映画館の外の夜がいつだって美しいのはスクリーンに背を向けることで初めてそこに映画を見ることができるからだ。ドゥルーズは映画に等価物があるとすればそれは夢ではなく不眠であり、想像的な投影ではなく映画館から出たときに降っている雨だと言った。

日記の続き#20

夜中、Twitterでエゴサしてみるとどうやら蓮實重彦が新刊で僕の本に言及しているらしくこれは大変なことだと『ショットとは何か』をKindleで買って本文を「福尾」で検索してみると、彼がドゥルーズ『シネマ』を批判している文脈で「比較的よくできていると判断されている」(奇妙な言い方だ)研究書として『眼がスクリーンになるとき』が挙げられ、僕が冒頭で『シネマ』について映画の誕生から執筆当時の作品までを取り上げた「全面的な」書物だと言っていることが気に入らなかったようだ。要するに映画のイメージを分類するというドゥルーズの思い上がりをたしなめる行きがかり上僕に流れ弾が飛んできた格好で、逆に言えばどうやら彼の『シネマ』理解そのものがかなり拙著に拠ったものとなっており、僕としては物足りない感じもする。彼が『シネマ』に「映画理論」を期待している(いた)ことのほうが驚きで、他方で拙著は本書を映画についての理論としては扱わないことを方法論的な指針としており、最初からすれ違っているのだからとくに言うこともないのだけど、そのすれ違った距離のなかで僕の本を手に取ってもらえたことは素直に嬉しいし、期待外れに終わったとはいえ彼に届いたのは『シネマ』という本のノードとしての多面性と蓮實重彦の貪欲さゆえであり、本を出してよかったなと思った。また気が向いたらもうちょっと真面目な応答を書こう。

日記の続き#19

4月22-25日
刊行予告のページにも追記したのだけど、5月1日発売予定で『日記〈私家版〉』に関することを進めていて、もう数日で完成品が届くぞと思っていたところで、印刷作業でミスが発生し納品が2週間遅れることになった。先行注文も受け付けてしまっているし、書店から発注もあったし、トークイベントの話も進んでいたし、多方面に迷惑をかけることになってしまって申し訳ない。同時に僕は謝られる側でもあって、腹が立つというより悲しいのだけど怒らないといけないし、こういうのが大人になるということなのだろうかと思うとよけい悲しい。こないだも別件で生まれて初めてくらいの説教らしい説教をして、僕は人が謝っているのを見るのが嫌いなのだが、謝られるわけで、なんだか疲れてしまった。さらに別件で友達と変な感じになったし。ロクでもないことばかりだなと思ってふて寝をして、思いなおして近所を走った。5分走って1分歩くのを5セット。走りっぱなしだと脚の疲労より先に呼吸がいっぱいいっぱいになってしまうのだが、これだとちょうどいい。帰り道、引いていく汗と弛緩する冷えた肺に、泣いたあとみたいだなと思った。

日記の続き#18

毎日書くのは大変なので、この「日記の続き」では去年の日記を貼ってそれで書いたことにしてもいいということにしていて、これまで何度か引用だけで済ませている。でもそれも良し悪しだなあと思っていて、今日はその話。日記のいいところは、毎日書くと決めていなければ書かないようなことを書けるところにある。それはある種のワンダーを運んできてくれることもあるが、同時にそれ自体結構ツラいことでもある。書きたくない、というか、書かないとしょうがないから書くわけで、そのしょうがなさを誰かに(誰に?)向かって言い訳したくなってしまうのだ。極端に言えばこれは僕が書いたわけではないんです、書かされているんです、と。これは普段「オーサー」めいた仕事をしている者にとってはなかなかの試練で、1年という長いんだか短いんだかわからない期間とはいえそれを続けられたのは偉かったと思う。それで、この「続き」から導入している引用についてだけど、果たしてこれはそういう試練からの逃避なのだろうか、というのが今考えていることだ。たしかにそれはサボることでもあるんだけど、そこにひゅっと去年の時間が入ってくるわけで、しかも少なくとも僕がそれを選んでいるわけで、サボればサボるほどこの「続き」の時間は重畳していく。文を今日に託すこと、いつか託した今日に託すこと。日々の側がヌーヴォーロマン的であるのだという、これもまた怠惰な言い訳。

日記の続き#17

この4月から立命館で非常勤講師を始めて、それで毎週京都に行っている。担当しているのは講義ではなく演習で、学生の発表を聞いてコメントするのが主な仕事だ。僕は学生として阪大文学部の美学と横浜国立大の都市イノベーション学府に通ったのだけど、共通するのは「イロモノ」というか、美術史だったら印象派とか哲学だったら近世とか、そういう王道の研究ではなくサブカルチャーや現代思想を含めたマイナーな研究をしている人が多く集まっていたことだ。日本では「表象文化論」がそういう傾向を概括する呼び名として一般的になっている。それで、僕が今担当しているのも立命館の先端研の表象領域の演習で、やはりいろんなジャンルの発表を聞くことになる。全体的な印象として思うのは、マイナーなことを地道にやってもしかたないよなということで、というより、これが古式ゆかしい文学部的なものに比してマイナーなものであるという意識がそもそもないのかもしれないということだ。確かに表象文化論的なもの、カルチュラル・スタディーズ的なものはマイナーなものを地道にやることを理論的・制度的に支援してきたが、第一にそういう枠組み自体が危うくなってきているし、第二にそうは言ってもメジャーなものに対する「カマし」があってこそのマイナーなのではないかと思う。フェルメール研究であれば絵から消されたキューピッドの復元は大事件だが、そんな「些事」が研究に値することの奇妙さを、自分のやっていることに跳ね返して考えることも必要ではないか。ということをこないだ発表を聞きながら考えていて、でもこれは今言うことじゃないなと思っていたのをさっき思い出してここに書いた。

日記の続き#16

丸亀製麺まで来たところで、もう暑いくらいで、蕎麦の方が食べたいなと思い少し野毛の方に歩いて蕎麦屋に入った。かき揚げの付いた盛り蕎麦。テレビで宮根誠司が喋っているのが聞こえる。センテンスレベルでしっかりした言葉で早口なのにいやらしくない。学者にこういう喋り方ができるだろうかと思うがよくわからない。道頓堀に中継が繋がれて、看板を少年に蹴り壊された蟹料理屋のリポートをしている。店長はもちろん腹が立ったが、確かに時短営業で迷惑をかけているし、自分はクリスチャンなので許したと言っているらしい。混乱しているうちにその大きな蟹の看板を作った人が紹介され、対して東にはこの人がと東西看板作家対決になっていた。混乱しているうちにCMに入り、小エビやグリーンピースが入ったかき揚げをかじりながら、夏が始まったのかと思った。(2021年4月20日

日記の続き#15

妻、という言葉を飲み込むタイミングを逸したホルモンみたいにもてあましているのだが(いちど事務的な電話を受けてそれは妻が、とか言っているのを彼女は目を丸くして見ていた)、とにかく妻が、急にキックボクシングを始めた。そういう突拍子もないところがある。昨年の大晦日に僕がRIZINの配信チケットを買って見ていると、結局彼女も8時間ぐらいずっと熱心に見ていて、いつの間にかいろいろ調べてサバットというフランスのキックボクシングみたいなやつの教室に通い始めて、そこは毎回体育館を借りてやっているので好きなときに練習ができないと言って別のムエタイ主体のキックボクシングジムにも通い始めた。グローブとかボクシングシューズとか、マウスピースとかがどんどん届いて、練習用のパンチングミットまで届いた。結婚もびっくりだがそのうえ妻のミット持ちをすることになるなんて。誰よりも気安い関係でもあるが、バイトの初日でたまたま一緒に新人研修を受けているみたいな、互いに対する無知が岸としてある吊り橋効果みたいな、不思議な関係だなと思う。

日記の続き#14

4月20日
京都。朝9時に家を出て、新幹線に乗って、京都駅の英国屋で昼ご飯を食べて、この日記を書いている。先週もここに来た。テラス席があって煙草が吸える。真夏真冬以外はここに来ることにしよう。新横浜の改札を通ると、上下ピンク色の作業着にピンクのサンバイザーと、ピンクのシュシュまで着けたおばちゃんがとても大きい声で「いらっしゃいませ!」と言って、片足をかすかに引きずりながら、しかししっかりとした足取りでゴミ箱まで歩いて行った。ゴミ箱には同じ格好のおばちゃんがいて、ふたりでゴミ袋を取り替えている。新幹線の改札でいらっしゃいませと言われるちぐはぐな感じと、その声の朗らかさに心を打たれた。待合に座ると在来線の改札を抜ける人々がガラス越しに見えて、しばらくそれを眺めていた。スーツを着た男がNew Eraのショップバッグを持っていて、この人も休日はキャップを被ってスウェットパンツに溶岩みたいなスニーカーを履いてるのかなと想像したりして、なんだかすべてが愛おしいような気がした。箱根あたりのトンネルがちな区間で、くぐもった走行音をヒーーという高音が切り裂くのをずっと聴いていた。新幹線の音は新幹線に似ている。

日記の続き#13

今年度の研究費をもらうための研究計画書を書いた。研究費を管理している大学の部署に提出するわけだが、誰が読むのかも誰か読む人がいるのかもわからないままに書くのはかなり変な感じがする。以下は変な感じがしながら書いたものの一部。

……このうち本年度の研究において中心となるのは、ドゥルーズにとって体系としての哲学はどのようなものであったかという問いである。彼は哲学の体系を、諸々の「概念」からなるネットワークのようなものとして構想した。これは論理やテーゼを哲学の本体とする考えからすると奇妙な主張だ。しかしドゥルーズは、哲学を概念の実践として捉えることで初めて、スピノザ哲学なりニーチェ哲学なりが、ひとつの体系として把握可能になると考えている。つまり、ひとつの哲学が「閉じられる」ためには、論理やテーゼには還元できないものとして概念が必要だということだ……

それで?という問いが振り切れないものとして頭にこびりつく。だから本を買わせてくれということなのだけど。この「だから」がすんなり通ってしまうことのほうが僕にとっては謎なのかもしれない。すごい変なことだ。