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福尾匠の個人サイト
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今日も休みを取って、家具の受け取りやら新居の片付けやら。
9時〜14時のような時間指定している荷物がいくつかあったけど、どれも枠の中で早い時間に持ってきてもらって助かった。
元奥さんと向かいあってたくさん二人でご飯を食べたテーブルも、容赦なく解体されてあっという間に引き取られていった。今夜からようやくスモールサイズからのベッドからも解放される。
午前中に荷物を受け取ってから、2駅電車に乗って買い物へ。置き時計、間接照明、カラーボックスなど購入。
帰ってきて、昨日狂ったように頼んだ通販の荷物を受け取って、新居の環境整備に心血を注いだ。昨日から引越し作業や通販開封作業で爪のあたりがとても痛い。また今日も段ボールの端っこで手を切ってしまった。(しかも一気に二箇所)
ご飯を食べながら古畑任三郎の再放送を見る。田村正和はずっとかっこよかったんだなあ。
「納豆はタレを入れる前にかき混ぜると滑らなくてかき混ぜやすい」など古畑任三郎の細かいセリフがやけに心に残っている。
古畑任三郎を見ながら通販で買ったものを購入履歴を見ながら確認していると、来ているはずの荷物が見つからないことが判明。明日アマゾンに電話してみるか。
シャワーしながら前の家のことをフラッシュバック的に思い出す。あんなに嫌いになって離婚してせいせいしたと思っていたのに、楽しい思い出や二人で過ごした時間ばかり勝手に出てくる。
もっと早くノートを見ていたら、もっと普段から大事にしていたら、もっと向き合っていたら、もっと…
なんて、浮気された俺が思うのは、可笑しいんだろうか。異常なんだろうか。相手を愛していたんだろうか、ただ都合よく同居していただけなんだろうか、家事を分担して楽だったんだろうか、家が綺麗で新しくてよかったんだろうか、世帯収入が多くて安定していたのが良かったんだろうか。
どうも新居に移ってから食事やシャワーの時間が遅れ気味だ。
なんだかやることをこなすことでここ2日間はあっという間に終わったけど、明日は自分主体で休日を過ごしてみようかな。原付見にいってみるか。
今日記を投稿しようとしたにスクロールすると、今日の平仮名4文字はかまらく。
ゲイだったら、少なくとも離婚というイベントは発生していなかったろうし、もう少し楽に過ごせたんだろうか。
昨日日記に名前書き忘れてしまいました。
8時半起床。
二日前から保温の切られた炊飯器から米をよそい、冷えた鍋から味噌汁をよそい、目玉焼きは新しくつくる。朝食を二人で食べる間にも鼻水が出る。体調悪いなあ。部屋は西向きで南面に窓はあるけど隣のビルの壁に手が届く。だから午前中は外の方が暖かいくらいに寒い。夏はいいのだけれど。それで来年には忘れている。梅雨の時期に毎年、新鮮な気持ちで部屋の温熱環境に閉口してしまうのだ。10時から健康診断があるので出かける。
たまに朝イチで外出ると気分いいな。午前中に買い物するとか新鮮で、まあ午後は勉強するか。
野菜を買って帰り、冷麺を茹でた。少し昼寝をして、今週の範囲を復習する。
開業医が症例を紹介するブログと動画から現場に出た先の自分を思い、知らないことに不安を覚える。国試の知識だけでは何ともならない。そういう漠然とした不安など考えないほうがいいのだ。現場の知識は、しかるべき時に勉強すればいい。
17時過ぎに食器を探しに高円寺へ。ネットでみそ汁のお椀に当たりをつけたから後は触って、それでGOするかどうか。
お椀は、木目の漆塗りと古風ながらそのフォルムが特徴的な直線で作られている。平面はお椀だから当然、正円なのだが立面で見ると、直線だけで構成されており位相幾何学的に面白い。
なのだが触ってみると僕は木工に興味を持てなかった。木造建築といった角材の組み合わせには興奮するから、どうも木の三次曲面が駄目だとわかる。
それで、店をぶらつきレジ前で、この皿に出会った。
1616/arita japan パレス(人力ハイパーリンク)
ぼくの本質は木ではなくセラミックなのだ。さらに、表面にガラス質の釉薬を焼き付けた磁器ではなく、マットな質感の陶器だ。この皿はうすはりグラスをひと目で気に入った時と似て即決できる何かをぼくに訴えてきた。そういえば、大好きな建築家である篠原一男はよく外装をレンガで覆う。皿とレンガに同じ論理で親しんでいるのだろうか。
類友は物にも当てはまると思う。そう考えると、固く焼き締められた物と自分とで似ているところがあるのではないだろうか。
1時就寝。
5/21
絵ではないものを借りた額に。今迄額装したものの中では1番大きい。枠を被せたのちにひっくり返すのに、枠がたわむので外れてしまわないようにするのが難儀だった。マット紙を挟まない分緩くなった段差に、丁度いい厚みの木片が偶然十分にあって、丁度いいサイズの小さな木ネジも見つかって、そこからは順調に作業が進む。額に入ってアクリル板が挟まった分、表面が綺麗になって、質の悪い紙が良いものに見える。
窓が雨に滲んで外がよく見えない。何かよくわからない鮮やかに白いものが一塊見えて気になっていた。小降りになった時に長靴に履き替えて見に行く。もうなくなったかと思ってた植物が雑草に混じって花を咲かせていた。摘んで小さな緑の瓶に生けた。
知り合いの数学の先生とDMのやり取り。数学と感覚についてや、絵の良し悪しの感覚について言葉にしてみることや、非言語的思考について。彼女は普段言葉(私達が使う意味での日本語)で思考してないと言った。数学は論理だし言葉だという話はよく聞くけれど、少しづつ勉強してそのことが実感を伴って分かる感じが嬉しかった。
人はなぜ日記を読むのか、しかも他人の日記を。
人はなぜ日記を書くのか、しかも他人のブログに。
書棚を眺めて、面白かった、感銘を受けた日記を挙げてみた。フィクション・ノンフィクションを問わず。日記の体をしている小説も読んでまた楽しい。
青木淳悟『四十日と四十夜のメルヘン』新潮文庫
▶︎青木の最高傑作。
阿部和重『インディヴィジュアル・プロジェクション』新潮文庫
▶︎文句なしに面白い。
伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』新潮文庫
奥泉光『バナールな現象』集英社文庫
小熊英二『インド日記 牛とコンピュータの国から』新曜社
島田雅彦『君が壊れてしまう前に』角川文庫
▶︎一月をゴルトベルク変奏曲のように過ごす。
武田百合子『日日雑記』中公文庫
種田山頭火「行乞記」「一草庵日記」
坪内祐三『酒中日記』講談社
中島義道『観念的生活』文春文庫
▶︎哲学的思索が主だが、それぞれの日付(年月の記載はあるが、日付は×日表記)導入部にある身辺雑記が魅力的。
山崎佳代子『ベオグラード日誌』書肆山田
▶︎セルビアという遠い国の出来事が身近に感じられる。
アミーチ『クオレ』岩波少年文庫
▶︎子供の頃に買ってもらったが読んでいなくて、最近買い直しての読了。
『新潮2012年3月号』「創る人52人の2011年日記リレー」
『新潮2018年3月号』「創る人52人の『激動2017』日記リレー」
▶︎企画勝ち。調べたところ、最新は「創る人52人の『2020コロナ禍』日記リレー」とある。読んでみたし。
今朝は心臓止まるような知らせあって落ち着かなくて通勤途中に途中下車して三駅くらい歩いてしまった。そんな日もある。気忙しくなったり不安に襲われたりしたときはたいがい体を動かすと解決するのでそうするようにしている。だから音楽聞きながら踊ることが多いんだと思う。それで救われてる部分がある。おとつい出勤したときに職場共有のとある鍵をポッケに入れたまま自宅に持って帰ってしまったので、再発防止のため、きょう久しぶりに会った同僚と相談して、直径三十センチはあるぬいぐるみをキーホルダーとしてつけるといいんじゃないかという話になった。むかし働いてた人のその置き土産を棚から取り出したらちょうど輪っかになったビニールのリングがついていたのでキーホルダー化に成功。流石にこうすれば間違って家に持って帰るなんて事態は発生しないよねと言った直後に同僚がぬいぐるみを鍵から取って鍵を使う用事にしれっと出かけて行ったのでなんじゃらほいと思った。これが大人対応か。ついていけません。いろいろ重なってお昼休みなかったけど朝ドトールで買ったコーヒーとミルフィーユで大丈夫だった。粛々とメールを打ちまくり書類を作りまくり。七割くらいが要謝罪案件なのに引き下がらず懲りずに主張してる感じなのでそろそろ呆れられてる気がする。どんなもんでしょう。廃品遺棄系のあれこれはすべて停滞。なんてアナログ。帰り道はゆっくり。夜は小さいイワシの唐揚げのお惣菜とフキとうずらの卵を買って帰ってフキとうずらの卵を茹でてマヨネーズとネギを刻んだのとイワシの唐揚げと一緒に食べた。フキは美味しい。山菜は美味しい。ビールは一缶。残ってたワインいま飲んでる。あると飲んじゃう。そういう自分を受け止める。不在の荷物の再配達頼んだら明日は家に籠って終わらない仕事することになりそう。そんな日もある。同僚はGW毎日一日十八時間寝てたらしい。そんな日もある。
朝は昨日食べなかったわらび餅を食べる。まあ、わらび餅って言ってもスーパーでよく売ってる100円くらいの偽物のわらび餅。
シャツに着替えて、仕事に出ようとカバンを持ち上げると畳の上に蟻がいる。うわ、どっから入ってきたんだ…まさか巣なんてないだろうな、って真っ青になった。5匹くらいいた。結構小さめの可愛らしい奴らだったからまだ良かった。害虫対策のグッズ買わないとやばいかもしれない。
今日は夕方から雨が強い。外回りでズボンが濡れる。会社に帰ってくると白シャツが汚れてるのを指摘された。サビみたいなものが胸についてた。どっかに擦ったかも。まあ、どうにでもなるからいいか。
5/21
朝ご飯を食べ、すぐ祖母家を出て3分ほどの近隣センターに昔からある喫茶店へ歩く。去年はなかったけど毎年夏にはお祭りが開かれるセンターで、ボロいクリーニング屋やスポーツ用品店や、こたが小さい頃の昔は蛍光灯が不気味な暗くて湿ってて蝿が飛んでそうな煙草臭い本屋があった。喫茶店は近所のじいちゃんばあちゃんしかこなくて、若い人はこたくらいしかいない。そもそもこのへんに若い人は住んでないかもしれない。営業が15時までなので、朝ごはん食べてすぐ行って12時から3時間ほど作業して、店を出て徒歩3分で帰宅。すると集中エネルギーがまだ持続してるのでそのまま自室で作業を続ける。トイレがないから3時間くらいでちょうどよくて、帰ったらまずトイレに行く。
行きしな。傘をささなくてもいい程度の雨だったけど、こたは道端に落ちてそうな透明のビニール傘を差してた。降ってないことはないから、一応、差そうかなと。その行きしなの道中、小さな公園がある。遊具はふたつだけ。水色の子像みたいなちんまりとした滑り台。それと、馬乗りになってバネで前方後方に揺れるカメさんの遊具。このふたつだけ。昔とくらべて遊具が消え、もう子供も遊びにこないその公園のドーナツ型ベンチに、作業服を着た男4人が、中学生がつるむみたいに、ベンチをテーブル台にして肘をつき煙草を吸い、だべっているようだった。白いタオルをはちまきにし、労働服をガッチリ甲冑のように纏って、たぶん内側の中身は少し汗ばんでいて、濡れてる砂地にあぐらをかいていた。何か不思議な予感がする。雨は、彼らの体にだって降り注いでいるはずで、ぱらぱらと小降りだけど時折訪れる点のような冷たい感触に、確実に「雨だ」と注意を喚起されるはずなんだけど、しかし、彼ら姿からは、この程度の小降りならもしかしたら雨のほうこそ嘘っぱちで思いこみかもしれないのだった。
廃校の小学校跡地に公民館が建つ。駅前のちっちゃい図書館もそっちに移動するらしい。その工事の金属音が毎日、鳥の声と一緒に朗らかに鳴っていてその音が昼の生活のリズムになっている。
5/20の日記
離婚のゴタゴタから始まり、ようやく引越し。
草刈正雄似の引越し業者がすごいスピードとパワーで荷物を運び出していった。
テレビの底に耐震用ジェルを置いていたら、長年動かしていなかったのでTVボードにくっついて剥がれなくなっていた。下敷きやらマイナスドライバーを濡らして差し込んで、ゆっくりと剥がせた。
良かれと思っていたことも、長い間放っておくと、どんなことでもダメになるんだろうか。
一気にバキッと剥がれると気持ちよさそうだったけど、実際は徐々に徐々に剥がれて持ち上がった。
新居に到着して、片付けられるものはなるべく片付け。気づかないうちに、紙で手を切ってしまっていて、夕食を買いに出て手を消毒した時に気づいた。
体力的にこんなに疲れ果てたのは久しぶりだったけど、新しい環境だからかいつもより眠り浅かった気がする。
また夜に父親に話しかけるのを忘れてしまった。
翌日に書くと、いつもよりさらにとりとめない日記に。
最近になって住んでいる家(住んでいるだけであり私の家ではない)のお風呂掃除をしていて気がついた。
この家のお風呂は墓に似ている。
というより、掃除の感触が墓と同じだ。
シャンプーや固形せっけんを置くための棚や、排水溝の窪みを掃除する時にスポンジが角に当たる感触が、墓のそれと良く似ている。
墓掃除の感覚が染み付いている現代人はどれくらいいるのだろうか。
風呂掃除をしながら、夏の墓地や祖母のことを思い出していた。
20年前に買ったコンソールテーブルの脚を解体して紐でしばり、合板ドアの横に立てかけていたのが目に入るたびに「あ、木だ」と思う。コンソールテーブルからただの木材に解放された4つの脚はますます美しく見え、また捨てられなくなりそうでこわい。5月半ばを過ぎてホームページ経由のオファーがぱったりと止んだ。冷やかしか、問い合わせの形をとったおしゃべりマゾメールばかりが累積し、アプリからは地獄のようなメッセージが今日も届いた。〈顔面騎乗が好きなんで、手XXフィニッシュでホ別◯希望です^_^;〉いいですよ。ただしホ・はアマン東京指定で、と丁寧に応答したが返事がない。裏垢マーケットの相対取引はさもしい。“分人主義”はたんなる保身術となりどの集合体の誰もがすでに体得している。文春砲などに曝されるひとは保身のセキュアネスが低くて実はいい人なんじゃないかと思えてくる。午後、シンガポールのセックステック企業から返信がありリモートバイブを2ヶ注文した。土曜0時〜のヴァーチャル・ツイッター・オージーと銘打たれた催しで、ハッシュタグと連動して参加者の体におさめられたリモートマシンが一斉に震えるらしい。バルス祭りじゃなくてバイブス祭りですね、という牧歌的なつぶやきを見た。そこはパ・ルスでいいんじゃないか。もし誰かにハッキングされておもちゃのコントロール権を乗っ取られたらどうなるのだろう。プライバシー法の要件を調べてみる。タイムラインの群れの中で分人たち«dividuels»は震えながら数字とサンプルデータに還元される。私は分解された天板の下で四つ脚のポーズをとり、テーブルになって解放される。
昨日はコーヒーを摂取しすぎたのと疲れすぎたのと、それからまだ「大きな仕事」に不安が残っているのもあり、なかなか眠れなかった。
それでももう体力は残っていないので、ただ目を瞑っていると「富士山麓オウム鳴く」という言葉を突然思い出した。22360679、たぶん高校生の頃に数学の授業で習ったけど、なんの語呂だったか。肝心なことを覚えていない。たぶんサイン・コサイン・タンジェント関係の何かだけど、サイン・コサイン・タンジェント関係って。そもそもサイン・コサイン・タンジェント自体がいったいなんだったのかを説明できない。θはゆで卵を入れる器の形に似ている。
22360679のことを考えれば考えるほど、葛飾北斎のことと、目のギョロっとした赤いオウムが目に浮かぶ。抽象的思考が苦手で、すぐ視覚的なものに逃げてしまう。元々そういう人のために語呂合わせがあるのだろうけど、22360679は浮かぶイメージの力が強すぎる。この赤いオウムは浮世絵で見たのか、それともヨーロッパの博物図か何かで見たか。
赤いオウムの語呂は、安眠には役立った。朝になると、あの赤いオウムが伊藤若冲の絵だったことも思い出せた。そして語呂の意味は結局思い出せず、検索してみてわかったのは、2.2360679=√5なのであって、サイン・コサイン・タンジェントにすら関係がないってことだ。
できない人はできないなりに日々を過ごしていくしかないなと思った。
5/20
別のところで自分が投げた球のことが心配になる。私の文章は伝えたいと思うと言葉足らずのくせにとてもくどくなってしまう。伝わらないことへの不安が大きくて。
昔読んだ河合隼雄の本に、「不安な人」の不安は近くにいる人に移ると書かれていて、でも特に対処についての記述があるわけでもなく、自分には思い当たるところがあったから救いがなかった。「不安な人」とは書かないで欲しかった。
仕事が滞っていてまずいのだけど散歩。日々歩かないと死んでしまうと思って。(いづれ死ぬことは救いでもあるけれど。)
草花の勢いが凄くて、数日前とまた様子が違う。入れ替わり立ち替わり、早回ししたら忙しなく植生が変化してるのだろうなと思う。住宅地の空き地みたいなところは、雑草も一様なのに、川沿いの土手は植生が多様で本当に美しい季節だなと思う。
寄った喫茶室で真っ白な髪のご老人と会話。その土手下で畑をされていると。数年前の大水で上流から色々流れてきたせいで、草花の様子が変わったんだよと教えてくれた。
最近買った電子楽器のソフトケースが届いた。
思ったより大きい。おまけにこれでもかと言わんばかりにメーカー名と製品名がデカデカと書いてある。黒字に赤文字。持ち歩くことを困難にしたいのだろうか。
夜中に腹が減ったが、おやつの備蓄が無い。
フルグラをそのまま食べる。
右手で摘み出して左掌で受けて口に放り込む。
後から牛乳を飲む。腹の中ではみんな混ざるからどう食べても一緒、という雑な対処に落ち着く。ぽっこりと出っ張った各腹部を撫でながら、やってしまった感。大人気ない。
いつもと違って出勤先が徒歩圏内だったから、帰りは家まで歩いた。雨が降っていて、けっこう濡れながら二十五分ほど歩く。雨の予報が出ていてもあまり傘を持ち歩かない。いちおう世間体を守った方がベターかな、という場合でだけ傘を持参する。だから雨が降る日はだいたい濡れる。自宅に到着したのは十八時過ぎで、時間に余裕があったが、何もせずにぼうっとしていたらもう寝てもいいくらいの時間になっていた。何もしていないときにも何かはしているはずなのだが、どうしても思い出せないし書き起こせない。無理に何かをしようと躍起にならず、何もしていなかったような気がするままでいたい。
今朝は、ぐっすりねむった感じがあった。寝ている途中で目をさますことがなかったから。だから夢もみなかった。すっかり日が落ちて、もうねむる時間だ。クタクタ。疲労感。でも眠る前に射精はしておこう。
今日は広告原稿の締切日だったが(広告をもらう方)、一社も入稿されずに終わった。
数年前からチェックしているある統合失調症の方のブログ。アンリ・エレンベルガーの『無意識の発見』に言及している投稿のみ抜き出して、ワードファイルに貼り付けている。
帰りの電車では御子柴善之『カント哲学の核心』NHK出版を読む。分析的判断はすべてア・プリオリであり、総合的判断はア・プリオリなものとア・ポステリオリなものがあることを確認する。
昨日の雨でパンツのクリースが落ちてしまったが、明日も雨だと思うとアイロンをかける気がしない。
2021.05.20 晴れ
7:00に目が覚める。歯を磨いて洗濯機を回す。ファミマで朝食を買い8:30に事務所に向かう。今日は10:00から食品の物撮りがあったので、その準備と撮影をした。雲丹の撮影だった。雲丹は個体差で味の複雑さが微妙に違い発見だった。基本的にはウニの主食である海藻の香りがひろがる。帰宅後、洗濯物を干す。1回ですべて洗濯できなかったので、もう一度洗濯機を回して、その間に部屋の掃除をする。8月頃を予定している企画展のタイトルが決まった気がする。
身体を起こすことを拒否されてしまったので、横になったままできることをしようとした。15分くらい寝るつもりが、2時間ほど寝てしまった。その間に夢を見た。なかなか良くできていて、無意識がおもしろいことに救われた。何かから影響を受けているのだけども、その何かに全く心あたりがない。意識できる部分、コントロールできる部分の外に自分の到達できない部分があること。当たり前すぎるのだけれども、そのことが心を治めてくれる。
『旅のおわり世界のはじまり』を見た。混乱している女の話だった。混乱していない人なんていないかもしれない。だから日記を書いてる。
『およげ!たいやきくん』の歌がなんだか思い浮かんだ。たい焼は海に飛び込んで、釣り上げられて、たい焼きとしておじさんに食べられる。「やっぱりぼくはたいやきさ」って、いじけてるのか、開き直ってるのか、誇りを持ってるのか、それらのどれでもあるのか。改めて歌詞を見てみると不思議な歌だなって思った。
気分が暗くなったので散歩&買い物。1kgパスタ、乾麺、職場に持っていくコーヒー購入。
雀の呼び鳴きが聞こえる。
早く晴れてくれー。
夕飯はキャベツサラダ、トマトパスタにトマトスープ。わらび餅も買ってきたけど、パスタ多く作りすぎたので今日は食べるのやめよ。
ウィルキンソンのジンジャエールハイボール飲んで寝よう。
きょうは朝から川崎とやりとりしたあとYouTubeから流れてきたBAD HOPが狂ってる世界でみんなが生きてるのを歌うの聞きながら職場で泣いてる一日だった。梅雨きつすぎる。こんな大人になるとは思ってなかった。きのう形而下学的激務を乗り越えたからきょうはほぼなにも仕事なかったのに。ゴミ処理すらほぼなかったのに。不覚。来客者が気心知れてる二人だけで助かった。落ち着いたあと三ヶ月前の仕事のカヴァーはできるとはいえやや深刻なミス判明していろいろ相殺されている。人間関係複雑すぎるけど助けてくれる神の存在は神。神は実在した。神の実在のために残機概念発動してるの上長にスルーされてるリアルはそれでもまだ明るい。それはそれとしてとめおいて。Sの小説のこと思い返してる。震災のあとフレッシュネスで読ませてもらった。メールで送ってもらったファイルに細かくコメントするメール送って顔突き合わせてとりとめなく話した。吃音の人の話だった。それで吃音小説の話をした。弱者の話をした。それから震災みたいに目に見えて現実ぐらつく出来事生じないと人の想像力動かない事態にいらついてる話をした。それが十年前。所詮目に見えたり当事者性あったりしないと想像力働かないことへのやるせなさ。わたしが最初に公募出すとき普段添え状つけてるか聞いたらつけてもつけなくてもどっちでもいいと思うけど自分はつけてるって教えてくれた。去年わたしが書いた小説にもSはひっそり出てくる。彼の父親との関係の闇の深さには永遠に立ち入れない感じだった。フレッシュネスでもっと高めの美味しいの食べたりすればよかったなあと思う。それでどんより帰り道にラザニアとアボカドとワイン買って夕食にした。こってりしてるのが美味しい。いまは九時半から臨時の仕事あるので待機してるところ。きのう仕事にかこつけて刃物に『エンドレス・ワルツ』返せて本当によかった。刃物がきついんじゃなくていづみの瞳が哀しい。その瞳をずっと見つめてしまう。それはあまりいいこととは思えない。わたしたちはなんだったの?恋文がほしい。何度でも。何度でも。