6月9日

どうにもやる気が出なかったので、外の席でコーヒーが飲めて煙草が吸える喫茶店に行って、配信されたばかりのKing Kruleのアルバムを聴いていた。僕はエレキギターの音が聴きたくて音楽を聴いているところがあるなと思う。僕と近い世代のアーティストだとKing Krule と岡田拓郎、あとOGRE YOU ASSHOLEのギターの音が好きだ。本を読んで、晩ご飯くらいはちゃんと作ろうと思って秋刀魚の炊き込みご飯、茄子の煮浸し、豆腐と茗荷の味噌汁を作った。

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6月8日

しばらく前から腰が痛くて、ストレッチをしたりフォームローラーでほぐしたりしてもどうにもよくならず、夕方にふと鍼灸に行くことを思い立った。「横浜 鍼」と調べてみると評判のよさそうな店が横浜駅と高島駅のあいだあたりにあり、ネット予約のスケジュールを見ると6時からの枠がまだ空いていたので院長を指名して予約し、着替えて外に出た。小雨が降り始めていて傘を差すのが面倒なので路地から商店街に入ろうとすると、たいていドアが開いたままになっていて暗い居間が見通せる家の軒先にある、金魚がいる大きな水槽の縁に脚に紐を括ったミルクティーのような色のミミズクが止まっていた。家の中が写らない角度に移動してiPhoneを向けるとミミズクは切り株の断面のような平らな顔をこちらに向けた。鍼療院は雑居ビルの3階にあり、院長が船好きなのか横浜だからなのか、船の舵の形をした看板が待合の狭い壁に掛けられている。だんだん暗くなる奥の方に向かって右に左に不規則に施術室が3つほど並んでいるらしい。問診票を書いていると「ああすごい! 目が開いてる! 暑い!」という女性の声が聞こえてきた。施術室に通され、着替えてくださいと言われる。ポリエステルの半ズボンと、ピンク地に白の水玉模様のノースリーブシャツがあり、着て座っていると院長が入ってきて、上は男の人は裸ですと言われ、すみませんと言って脱いだ。施術が始まって、話し好きな人のようだと思ったので、こちらのことを聞かれるよりはと思ってインタビューのつもりでこういうのはどうやって勉強するのかというところから、いろいろ聞いていった。彼が出た学校はもとは占いの学校でもあって、当時多くの鍼灸師が助産婦になったり、西洋医療の現場での補助的な役割に押し込められつつあったのを危惧した学長が、西洋医学の向こうを張るようなものにせねばならんと奮起して鍼灸師の養成に力を入れるようになったらしい。最初の授業で「心臓はどこにあるか」と聞かれ、「胸の左側です」と言うと、「全身だ。血管が縮んだり広がったりすればこそ血は巡るのだ」と言われたらしい。そこから4年間、陰陽五行の勉強から非公式の「研修」まで、なんだかわからないまま必死でやったようだ。施術中から体が火照ってきて、終わって体を起こすと、たしかに目がよく開いて、頭が軽く、息が吸いやすくなっている。腰も痛くない。帰って妻とご飯を食べながら上のような話をして、そんなにすごい人なのかと聞かれたので猿にも鍼を打ったことがあるらしいよと言うとそれでどうなったのかと聞くので、嘘だよと言った。

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6月7日

京都から帰ってきてすぐ寝てしまっていて、目が覚めたらもう2時だ。昨夜、Appleが発表したApple Vision Proのプロモーション映像を見て、4年くらい前の『WIRED』のAR特集の選書企画で『物質と記憶』について短い文章を書いたことを思い出した。そこでは今後のコンピューターはユーザーと同じ知覚世界を共有しつつ、そこに新たな表象を埋め込み行動をサポートするものになるだろう、それはベルクソン的なコンピューターであるというようなことを書いた。プロモーション映像で目を引いたのは、本体を着けた状態でMacBookを見ると即座に接続し、Vision Pro内にラップトップの拡張ディスプレイを表示する場面だ。やはり仕事で使えるのかという視点から見ていたので、これならキーボードも使えるなと思ったが、入力装置の側、つまりキーボードの再発明がともなっていないのならば、視聴覚装置としてしか使い道がないだろう。そのときにはもう朝で、布団に入ってアイマスクを着けながら——だいたい明るくなってから寝るので枕元にアイマスクがある——同じ形だと思った。

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6月6日

12時に日記を書くと言っていたのに、もうそれを忘れていて1時になってしまった。今日は何があったか。いつもの珈琲館に行くと、いつも通り繁盛していて、いつもは空いていれば4人席に通してくれるのだが、今日は小さいテーブルの2人席しか空いておらず、こちらでいいですかと聞かれ、ぜんぜんいいですよと言い、博論本第5章の原稿に取りかかる。もう何度目かわからないが、いったいこの章は何がしたい章なのか確認するために、プリントアウトした途中の原稿を読み返しながら、ノートに論点整理とアイデア出しを兼ねたようなものを書き留める。この頃はコピー用紙8枚を冊子状に綴じたものをノートにしている。8×4で32頁。4枚でも事足りるかもしれない。普通のノートの、始めと終わりがあるという抑圧は結構大きいし、自分の気分のスパンより広い時間軸の痕跡がそこにあるというだけで手に取る意気を削がれる感じがする。裏紙以上ノート未満のこの感じがいまはしっくりくる。パソコンを開く気にもなれずそのまま作業をしていると、店長が空いた4人席に移りますかと声をかけてくれた。ありがとうございますと言って荷物を移動して、お礼のしるしにおかわりを頼んだ。しばらくすると雨が降ってきて、家に帰って洗濯物を取り込んだ。

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6月5日

神保町で『存在論的、郵便的』講読の日。春に新横浜から渋谷までの東急の路線が開通したらしく、ブルーラインで新横浜に出てから渋谷で半蔵門線に乗り換えることにする。横浜駅で乗り換えると地下のコンコースを延々歩かされるのだが、こちらはスムーズだし席も空いている。向かいの席で犬が鳴いて、見るとおばさんの抱えたメッシュの鞄のなかに茶色いトイプードルがいた。早めに神保町に着いてご飯を食べる場所を探して、目についたとんかつ屋に入る。ハーフサイズの定食を頼んで揚げ物にしては遅いなと思いながら待っていると、2.5センチほども厚みのある、切れ目が明るいピンクのとんかつが出てくる。大きく切り分けられたのを半分に噛むともちゃもちゃと脂が口の中に広がり、この場合もっとひと切れの幅をなるべく狭く、せめて1センチほどにするべきだと思った。というか、仮にまず、低温調理の分厚い豚ロースが与えられたとせよ。それにパン粉をまぶしてまるごと揚げようなんて思わないだろう。ローストビーフみたいに薄く切りたくなるはずだ。「とんかつ」を新しくするという順番で考えるからよくないのだ。と思いながら、鳥の巣のようなキャベツを難儀してほぐしていた。

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6月4日

誕生日。31歳になった。立派なお兄さんの年齢だが、立派なお兄さんらしさを発揮するような場面はぜんぜんない。家でずっと本を読んでいた。千葉さんの『エレクトリック』をひと息で読み終えて、バトラーの『触発する言葉』の続きを読んだ。妻が夕飯を作ってくれた。鯛と春菊の春巻き、手羽中の竜田揚げ、タコのセビーチェ、じゃがいもとマッシュルームのポタージュ。鯛を切るときに呼ばれて、最初は僕が使うべきだと言うことで昨日買ってもらった包丁で切ると、ため息のように鯛が切れた。夜、外から、子供が迷子にならないように履く音が鳴る靴のような、ビニールのアヒルのおもちゃのような、キュッキュッという音が聞こえてきて、その音があまりに大きく、しかも同時にたくさん鳴っていたので、何事かと思って窓から見てみると、おじさんがひとりで歩いていて、彼が離れるとともに少しずつ音が小さくなっていった。

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6月3日

タイトルが日付だけだとすごく楽で、毎日「日記の続き#……」と書いてその日の通し番号を確認することを続けてきた1年間は何だったのかと思う。昨日はその後朝5時くらいまで原稿を書いたり怠けたりを繰り返して、ようやく書き終わって編集者に送ってから寝た。昼頃に起きると感想のメールが来ていて、おもしろいと言ってくれていて読み返してみると、たしかにおもしろいような気がした。妻に誕生日のプレゼントは何がいいかと聞かれて包丁がいいと言ったのが先週で、近所の包丁屋に行くと、店主がまな板と大根を出してきていろんな包丁の試し切りをさせてくれた。それで、今日またお店に行って目星を付けておいたものを出してもらってまた試し切りをして、ペティナイフと三徳包丁を買ってもらった。鞄に包丁を入れてそのまま地下鉄で桜木町まで出て、妻がH&Mでジーンズの試着をしているあいだ店内をうろついて、馬車道のサモアールに向かって湾沿いの道を歩いた。駅前の広場に共産党の街宣車が停まっていて、その周囲に警官が何十人もいた。まだ演説は始まっておらず、街宣車とまだそこにいない聴衆を取り囲むような位置でときおりスーツ姿の混じった彼らが手持ち無沙汰な様子で立っている。その前を横切りながらいま職質されたら大変だねと言う。みなとみらいはあいかわらず現実感のない街だ。サモアールの冷房が強すぎたので早めに出て、夕飯の材料を買って帰った。

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6月2日

2ヶ月ほど休んだのでまた日記を再開する。本当はキリがいいので昨日から始めようと思ったのだが、連載の締め切りを延ばしてもらっていて余裕がなかったので書けなかった。結局まだ終わってはいないのだけど、日記で気を紛らわせようと思って書いている。それに、これだけやぶれかぶれの状況もめずらしいので残しておこうと思ったという理由もある。まず、いま書いているのは今月出る『群像』に初回が載る原稿の第2回だ。初回が出る前に2回目の締め切りがくるというのも変な感じだし、論考を連載で書くのも初めてで1回と0.8回ぶんくらい書いたいまも手応えというものがぜんぜんない。いつもは原稿を出した時点である種の万能感というか、これはすごいぞという感覚があるのだけど、自分のなかにまだ評価基準をもっていない書き方をしているのもあってなんだかよくわからない。加えて、博論本の作業が第5章の途中でスタックしていて、こちらはこちらで章を追うごとに作業に要する労力が倍増しているような感じがする。それは単純な作業量というより心理的な負荷で、ドゥルーズどうこうより自分と向き合う/自分から眼を逸らすことにともなう屈託に押し潰されそうになる。ということで、気持ちが弱っているところもあるのだが、連載のほうは今夜中にも終わりそうだし、博論本のほうはこのキツさがいつまでも続くことのほうがよっぽど耐えられないので、ともかく終わらせるしかない。

あと、これまで何度も試みたことではあるのだが、少なくともしばらくはその日の夜のうちに、正確には12時をまたいだあたりを合図に日記を書いて公開しようと思う。今日もまた何もできなかったという事実から逃げてだらだら夜更かしするのも減らしたいし。それにしてもどうして日記はこんなにすらすら書けるのに(ここまで10分もかかっていない)、それが一向に原稿に反映される気配はないのだろう。いや、文章レベルではいろいろ変わっているところはあると思う。でも書くのが楽になることはない。

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